5-24 ヒント
技も魔法も、ステータス画面も――手段とは無闇に使えばいいものではない。
RPGで言えば何ターン目に、アクションゲームで言えばどの挙動の後に――とにかく使い時が大切である。
悠太に使い時というものを教えてくれたのは、いつか聞いた赤毛の魔法オタクのマナ講話であった。
悠々トドメを刺そうと距離を詰める功夫服の男の足が、ピタと止まる。
目の前の少年の目つきが変わったからだ。
「ほう……?」
今まで学ランの少年の瞳に浮かんでいたのは焦りや戸惑いという凡そ戦士に相応しくない色合いであった。
しかし土壇場に来てその瞳は感情を殺し、ただただ龍顔を映すようになった。
龍顔は、少し面白くなったと感じた。
対する悠太は、よろめきながらも重心を前に身構え、戦闘続行の意思表示をする。
勝利へのカギは、タイミングを見誤らないことと、大蔦豚の篭手の技の選択。
「やってやる……!」
心を決め、悠太は石畳を蹴り一気に間合いを縮めた。
繰り出した攻撃は、大雑把に振り被った右のテレフォンパンチ。
拳が龍顔に迫る。
受け手は単調な攻撃に眉をひそめつつ、身を低く伏せて避ける。
相手を理解し、先行して対策を打つ。
男がステータス画面の範囲をも考慮して大きく伏せるだろうことを、悠太は読んでいた。
突き出した拳をそのままハンマーのように真下に振り下げる。
ガツンと、回避を見越した一撃が後頭部に叩き込まれ、男は顔面を固い石畳に強打する。
初めて入ったまともな攻撃に浮つきそうになる眼前――男は被弾と同時に、身を蠍のように反らせて足裏で悠太の顔にカウンターを見舞った。
悠太は上体を引いて蹴りの勢いを殺すと、そのまま後方にバック宙しながらサマーソルトの蹴りで返す。
龍顔は片腕を地に立て身をよじり、回転しながら上体を起こす。
そのまま青龍刀を構えると、低く低く、着地する悠太の足下を削ぐ横一文字を放つ。
氷の刀身をずっと目で追っていた悠太は、いち早くその攻撃を察知し、宙で身を屈め、足の先にステータス画面を浮かべた。
踏みつけてもう一度バック宙、横薙ぎの範囲の外へと高く高く跳ぶ。
不動の足場を生成しての空中回避。
浮遊感が体感時間を緩め、視界の全てが止まって見えた。
眼下には瓦礫の散らばった石畳。
刀を振り抜き、こちらを見上げる髪を括った男。
振り抜かれた氷の青龍刀。
その刀身から、青い粒子がぶわっと大きく散った。
――赤毛の少女が楽しそうに話していた。
魔法の効果時間終了の目安はね、粒子の霧散が目に見えて一段と増えたらよ。
コールドスミスとかで具現化した武器なんかがわかりやすいわね。
というのも精霊の性質が関係してるの、彼らが飽き性なのはもう言ったけど、加えてね、彼らは周りに流されやすくもあるの、だから一部の粒子が剥がれだすと釣られるように霧散が加速していって、この加速度は消失係数を基に計算するんだけどこれが個々の集歌効率と関連性があってね――
魔法を語り出すと止まらなくなる困った癖、しかしその時の彼女の楽しそうな顔を眺めるのは苦ではなくて、だから話には最後まで付き合っていた。
――だから、千載一遇のチャンスを見極めることができた。
身を翻した悠太は、空中で篭手を突き出し、叫ぶ。
「今! 『四蔦縛』!」
黒い篭手に緑の蛍光ラインが入り、粒子を具現化した四本のツタが撃ち出される。
標的は龍顔の四肢。
「はっ、性懲りしねぇな!」
そして迫るツタを断ち切るべく振り上げた青龍刀は、悠太の目算通り――接触の直前で霧散して消え去る。
「あ?」
怪訝な声を上げた男の四肢にギュルルとツタが巻き付いた。
そして捕縛に成功するとそれらは、繊維を軋ませながら縮み始める。
『四蔦縛』は標的を拘束したまま引き寄せる技である。
四肢を捕られた龍顔は斜め上方へと、空中にいる悠太は斜め下方へと、猛スピードで引き寄せられる。
「っざけ……!」
男は目を見開いた。
曇天から迫り来る少年は、身を捩り蹴り脚を屈めている。
対する自分には、手足を防御に回す自由も、魔法で迎え撃つ時間もない。
ぐんぐんと縮まる距離、ふぅぅと息を吹く悠太の目前に、インパクトの瞬間が来た。
防御も回避もできないその瞬間を、龍顔は舌打ちで迎える。
「ふっ飛べ!」
打撃音は激しく短く空気を震わせ、腹に叩き込まれたスニーカーの足裏は、一切の容赦もなく振り抜かれた。
男の肋骨がへし折れ、瞳がぶれた。
武人である龍顔にとって、その衝撃は予想以上であった。
――違和感は覚えていた。
目前の少年の身体つきは平凡も良いところで、とても自分と渡り合える筋肉量があるように思えなかった。
しかしたった今、腹部を襲う衝撃はどうであろうか。
そこには数年、数十年を捧げて修行した戦士のそれと変わらない威力が込められているではないか。
悠太が持つ仕様――レベルによる身体能力の強化は、戦闘経験豊富な人間ほど欺かれる。
四本のツタがブチブチと千切れ、男の身体は低空を一直線に吹っ飛び、煉瓦の壁にクレーターを作った。
内臓が潰れた拍子に吐血し、全身が衝撃にビリビリと痺れる。
そして身体は、重力に従って石畳へとずり落ちた。
「どうだ……!」
渾身の飛び蹴りから腕と足で着地した悠太は、体勢を整えながら、項垂れて沈黙する男を睨みつけた。
括っていた髪が解けたボサボサ頭に、動く気配はない。
辺りを包む静寂。
耳に届くのは自身の荒い息遣いのみで、肩が弾む度に脳内のアドレナリンが収まっていった。
息はあるだろうか、意識はあるだろうか……殺してしまっていないか。
戦闘を強いられる場面が多いこの世界においても、全身全霊で人を蹴ったことはなかった。
かなり丈夫そうではあったものの、ピクリとも動かないともなると、その身を案じざるを得ない。
「くそ……大丈夫か!?」
自分で蹴ったとしても、憎むべき襲撃者だとしても、やはり平和な世界で育った少年は非情になり切れはしなかった。
しかし、足を踏み出したその時――曇天の夜空から一羽の青い鳥が舞い降り、悠太を背後から抜き去った。
「伝鳥……?」
青い鳥が降り立ったのは、項垂れる龍顔の肩であった。
そして、爪に掴んだ書簡を……男の手が掴み取った。
動いた、意識がある、その事実が悠太を戦慄させ、再び身構えさせた。
少年に構うことなく、俯いたまま書簡を広げた男は、やがて「くくく」と喉を鳴らす。
「……丈夫すぎだろ」
息を呑む悠太の一方、龍顔は楽しそうに呟く。
「くく、やっぱあの雑魚どもにゃ務まらなかったらしいな……まあいい」
ニヤつく声の内容は、目の前の少年とも、今しがたの戦闘とも結びつかない。
意に知れぬ不気味さに、悠太はじっとりと滲んだ手汗を握りこむ。
「さて後は……俺が無双して終わりだ」
どうやら少年の全力は、戦いの幕引きには今一歩届かなかった。
 





