5-23 古今無双
戦場は首都中心よりやや西、九時街に続く石畳の街路。
道幅はゆったりと馬車がすれ違えるほどに広く、道沿いには石造りの商店や共同住居が並ぶ。
その内の一棟を倒壊させ、散らばった瓦礫。
転がる石の一つを足の甲に乗せ、龍顔と名乗った功夫服の男は不敵に笑う。
「ちょいと古今無双になりてぇからさ」
男は足に乗せた瓦礫を、悠太に向けヒュンと蹴り抜いた。
一直線に迫る石を躱すべく、悠太が半身に腰を落としたところで――迫る石がビキキとひび割れ、散弾のように爆ぜる。
蹴り出した石に追いつき掌底で砕いた龍顔は、悠太に浴びせかけた破片に紛れてスニーカーの足元へと両手から飛び込む。
そして逆立ちの勢いで側頭に蹴りを見舞う。
ガードを上げた腕ごと、悠太の脳が揺れた。
苦し紛れに振り払った腕は、掠りもせずに空振りに終わる。
逆立ちの状態から腹筋の力で身を屈めた龍顔は、続けて地を這う蹴りで悠太の踵を払う。
尻もちをついた眼前に、再び禍々しい五指が迫る。
顔面を掴まれるのを嫌って振り上げた左腕をガシリと掴まれ、そのまま上半身も押し倒される。
背に石畳の冷たさを感じつつ歯を食いしばる悠太を見下ろすのは、侮蔑の視線であった。
「どうした、さっきの能力は使えねぇのか? それとも、使わねぇのか」
反撃は簡単な話、のはずであった。
悠太がこの拘束から抜け出すには、空いた右腕を男の脇腹にでも当て、ステータスオープンを念ずればいい。
ステータス画面は質量を持ち、出現位置は絶対だ。
出現位置に既にモノが存在していれば、それを壊してでも定位置に現れる。
悠太は今までもそうやって血塗られたステータス画面を魔物に打ち込み、生き残ってきた。
だがしかし、命を奪う経験に幾分か慣れたとはいえ、平和な世界に生まれた少年が、完全に人の形をした彼にそれを使うには……絶望的に覚悟が足りない。
「その甘ったれた目を見れば、使わない方とわかるぜ……くく、敵であっても傷つけたくねぇってか?」
「悪いかよ……!」
「悪いね」
龍顔の静かな怒りを反映するように、その右手が、掴んだ悠太の左腕を篭手ごと握り潰す。
まるで獣にでも噛まれているような、凄まじい握力であった。
バキバキと割れる篭手、圧迫された筋肉と軋む骨、鬱血の痛みが一気に襲いかかり、悠太は悲鳴を上げた。
それを見下ろす吊り上がった眼が、怒りを押し殺したような呟きを落とす。
「弱者の存在理由は『糧』だ」
「か、糧……?」
「より強き者が更なる高みを目指すための糧、それがてめぇらの役目だ」
受け入れがたい身勝手を跳ね除けようと掴まれた腕を押し上げるも、それはビクともしない。
言及する価値もない抵抗に付き合うことなく、男の持論は続く。
「だがよ、糧っつっても漫然と喰われてりゃいいわけじゃねぇ。必死にあがけ、美味であることに努めろ。不味いもんいくら喰ったって舌は肥えねぇ」
「んな、勝手な」
「その点で今、俺はがっかりしてんだよ、てめぇも、あっちの天使も、上質な力も持っていながらまるで本気を出す気配がねぇ。自分が傷ついてるってのに、まるで殺意を向けねぇ。さぁどうしたもんかね」
「知るかよ……!」
抑えつけられた悠太は男の悪い目付きを睨む。
男は少年のまっすぐな視線に宿る未熟さと甘さを見通し、とある試しを思いつく。
「あー、例えばだ、これは一つ、手かも知れねぇなぁ」
そう言うと龍顔は悠太を抑え込んだまま、腰元から一枚の札を取り出した。
そして、魔導陣の描かれた札――魔導符――を横たわるサマーニャに向けて唱え出す。
「『靡く雫よ――」
唱えたのは水の集歌、それはみるみる青い粒子と殺意を集めていく――標的を伏した幼子に定めて。
悠太の頭に血が一気に上った。
右腕を振り上げて鋭く吠える。
「『四蔦縛』!」
叫んだ技名に呼応して、篭手に緑の粒子が集まり、あふれ出すように四本のツタを撃ち出した。
龍顔は素早く手を放し飛び退くと、追い縋ってくるツタに魔導符を振るい、魔法を発動する。
「はっ、コール『コールドスミス・華剣』」
激しい青光を放ち着地した男。
その四肢を捕縛せんと迫るツタが、スパンスパンと小気味良く飛ぶ。
『コールドスミス』は氷で武具を作り出す魔法――男の手には青龍刀や柳葉刀等と呼ばれる幅広の刃を持つ刀が握られている。
水晶のような美しい刀身には、表面の凹凸で特徴的な紋様があしらわれている。
刃をヒュンヒュンと回して手慣らしする男は、鋭い眼を挑発的に歪めた。
「で? 少しは本気になったか?」
魔法は魔導符に描かれた魔導陣によって決定していた。
少なくとも今の攻防において、彼はサマーニャに危害を加えるつもりはなかった。
だが、そういうことではないと悠太は拳を握る。
命を平気で駆け引きに使う、それも標的は自分の大切な存在ときている。
ライチを連れ去られたことも含め、悠太の彼らに対する怒りは着実に募っていた。
だから答えは語気が荒くなる。
「……ああ、とりあえずお前はマジでぶっ倒す」
ステータス画面を人体に撃ちこむつもりがない点に変わりはない。
単に抵抗があるのが一つ、もう一つの理由はその生理的な抵抗感が戦闘のパフォーマンスを落とすと思ったからである。
だがそれ以外の手加減は一切吹っ切ることができた――魔法を、魔導具を駆使し、レベルで上昇した身体能力で全力でぶん殴る、それが最も自分を通せる戦いであった。
「……ふぅ、『揺蕩う風よ――」
悠太はステータス画面を目前に浮かべ、風の集歌を唱え始めた。
「ち、興覚めだ」
少年の覚悟を見て、龍顔は大きく溜め息を吐く。
「未だ欠片も殺気がねぇてめぇはもう駄目だな。せめて死に際の抵抗くらいは必死にやれよ?」
男は石畳を軽く蹴り、刃を振りかぶって間合いを詰めた。
悠太はステータス画面と詠唱をそのままに、大きく後方へ飛び退く。
ステータス画面は浮かべ直さない限り、浮かべた位置から移動をしない、見えない壁となったそれに激突でもしてくれるのを期待していた。
しかし、手練れ相手となるとそう上手く事は運べない。
「――この辺りか、マジで魔法とは違うらしいな」
男が牽制のために前に出した拳の先が、コンと透明な板に当たる。
彼は即座に回転してサイドにステップを踏み、画面を抜き去り悠太へと迫る。
予想を覆された悠太は、風の集歌を続けながら更に後方へと退く。
その際にもう一つ、二つ目の画面――イクイップ画面を念じて浮かべる。
しかし、さりげなく浮かべたはずのそれは、今度は触れることすらなく察知されてしまう。
「条件は手をかざすことか。不自然なんだよ動きが」
見えない板の位置を見切った男はそれをも躱し、あっという間に悠太を剣閃の射程に捉える。
袈裟懸けに振り下ろされる刀の軌道へと、咄嗟にイクイップ画面を浮かべなおす。
防がれた刃を滑らせ振り抜いた龍顔は、刀の重量に導かれるように低く低く姿勢を落とした。
「そんで出せるのは手の平の先だけか」
画面について次々に看破してくる男に、悠太は背筋を冷やす。
足元を狙う一閃を脚を引いて躱すも、そのまま回転しながら踏み込んだもう一閃まで躱すには体重移動が間に合わない。
やむを得ずに悠太は真上に跳び上がる――と同時に、唱えていた風属性の魔法を発動した。
「くっ、コール『エリアルバレット』!」
位置関係は、悠太の下方に龍顔、龍顔の後方には浮かべたままのステータス画面が浮かんでいる。
粒子は魔導書や魔導符に描かれた魔導陣に集まる習性がある。
悠太が集めた空色の粒子は、男が抜き去った後方のステータス画面で輝き渦巻く。
撃ち出されたのは烈風の弾丸。
背後から男に襲いかかる。
「喰らえ!」
悠太は集歌が聞かれている以上、もっと男が回避の余力を残すものと予想していたが、どうも深く踏み込み過ぎた彼は、姿勢を崩している。
そう希望を持った悠太の眼下、男が呟いたのは――揺蕩う風よ。
風の集歌であった。
「なっ、魔導符もなしに!?」
男は空色の粒子を散らす氷の青龍刀を、背後から迫る風弾に向け、そして唱える。
「コール『エリアルバレット』」
すると青龍刀の刃に入った紋様が煌めき、悠太が放った風弾と同等のそれを撃ち出す。
魔法の相殺と共に吹き荒ぶ爆風に煽られ、着地の体勢を崩した悠太の耳は、再び男の声を聴いた。
「『靡く雫よ』」
今度は悠太に切っ先を向けた青龍刀に、青い粒子が集まる。
悠太はそれを見てようやくカラクリを理解する。
「刀身に魔導陣……!?」
最初の魔導符で作り出した青龍刀の刀身に、魔導陣が描かれている。
表と裏で二種類。
悠太は咄嗟に手を前に、ステータス画面の壁を浮かべる。
同時に感じた脅威が、龍顔の集歌と令歌の効率であった。
たった一フレーズで身の丈程の粒子を集める集歌効率。
集まった粒子を余すことなく魔法として打ち出す令歌変換率。
それらは天使を除き、出会った魔導師たちの中でも抜きん出ている。
「呆けてんなよ小僧……! コール『フリーズクレセント』」
――氷でできた無数の三日月たちが、一斉に射出され悠太に迫る。
カンカンと画面に当たって砕けるそれらの他、迂回した刃は悠太の全身を斬りつけていく。
少年が耐えている間に――まるでノックでもするかのように、透明なステータス画面を氷刀が突いた。
「『揺蕩う風よ』」
そして暴風が吹き荒れる。
ステータス画面が防ぐことができるのは、その面積に収まる物理攻撃だけである。
刀身に集まった空色の粒子は、再び大きな風弾となった。
「おら吹っ飛べ――コール『エリアルバレット』」
画面を呑み込み貫通した暴風の弾丸が悠太を直撃し、その身を玩具のように回転させながら吹き飛ばした。
皮膚に風の刃が沈み、石畳に打ち付けられ、仰向けに、肘をついて顔を起こす。
視界の先では、物珍しそうに、不可視のステータス画面をなぞる余裕を見せる男の姿。
「つ、強、い……」
既に肩で息をしている悠太に対し、龍顔は息一つ乱さずに粗暴そうな瞳で見下した。
「てめぇが弱ぇんだ」
ぐうの音も出ない言葉に、悠太はよろりと立ち上がって、息と思考を整えようと荒く息を吐く。
余裕のない様子を見て、男はステータス画面に馴れ馴れしく触れながら一つの提案を寄こす。
「さてさっきも言ったがよ、弱者は糧になるしかねぇ。だが、このまま殺しても大して腹も膨れねぇ。くく、小僧、最後のチャンスだ、本気でやり合うつもりがねぇなら、せめてステータス画面の会得方法を吐きな。少しは糧になれ」
悠太自身すら把握しきれていない力に会得方法も何もない。
また、それとはまったく別に、悪人に教示することは何一つない。
「……嫌だと言ったら?」
「殺すだけに決まってんだろ。踏み越えられる力に執着までする気はねぇ」
交渉は不可能、男がもたらす死が着実に迫っていると知って――悠太の脳は逆に冷静さを取り戻していった。
それは、今まで経験してきた死闘に共通する感覚であった。
死ぬのが嫌で、溢れる走馬燈の中で、生を掴むためのパズルを組み立てている自分がいる。
――戦いはゲームのように、俯瞰から見なければならない。
何故自分は不利に立たされているのか。
今まで、ステータス画面という悠太のオリジナリティは多くの敵を翻弄してきた。
決め手は画面の反則染みた性能に頼りきりで、考えるのは画面の使い方ばかりだ。
しかし今、それだけでは勝つことの難しい相手が目の前にいる。
何故龍顔が強いのか。
それは画面の仕様を即座に理解し、先んじて対策を打っているからだ。
相手を理解し、狙っている有効打を防ぐ布石を打っていくことは、ゲームに限らず全ての対人戦に通じる攻略法である。
つまり、考えるべきは相手について。
目の前の龍顔という男は、どういう仕様の敵だ。
厄介なのは手に持つ氷の青龍刀。
刃物である為、魔導具のツタは断ち切られてしまう。
更に刀身には風と氷の魔導陣が刻まれ、画面を貫通する魔法を使用する。
考えれば考える程に隙がない完全無欠の魔法剣士に、焦りは募るばかりだ。
その間にも、男は一歩一歩近づいてくる。
ひとまず剣戟に備えるべきだろうか。
迷う。
大蔦豚の篭手には『四蔦縛』の他に、『四蔦縛成』という手甲剣を作り出す技がある。
剣技の接近戦も考えたが、どうもその先に勝利のビジョンが見つからない。
「でも、今はそれしか……!」
思考が限界を迎えた――その時、凝視を諦めなかった瞳が、男の青龍刀にある変化が表れたことに気づく。
刃から、ハラハラと青い粒子が剥がれている。
記憶の片隅に残るは、赤毛の少女の解説。
魔法オタクの彼女が「聞いて聞いて」と数時間も話していた講話の一節によれば――どんな魔法にも効果時間がある。
敵の青龍刀も、マナで作り出している以上はいずれ霧散するのだ。
そして効果時間終了の目安となるのは――
「サンキュ、ライチ……絶対助けるからな……!」
やっと掴んだ勝利の手がかりに、悠太は深く息を吐いた。





