5-14 集まってくれたカージョンの皆には、限定バッジ、プレゼントするだ!
暗雲の夜、民家の屋根から放たれた弓矢は、正確に傭兵三兄弟の次男、キカザの額を捉えていた。
「ほう」
寸でのところで長男のロングソードが弾いた鉄の矢を、三男がキャッチして飛んできた方角――射手の方向へと投げ返す。
しかし弓矢は民家の向こうへと弧を描き消えていくだけで、放物線上には既に射手の姿はない。
代わりに街角に響き渡り始めたのは、不気味で老獪な笑い声。
周囲の傭兵たちは各々に武器を構え、警戒を強めた。
互いに背中を預ける三兄弟は、それぞれの目前の闇を注視しながら互いに声をかけ合う。
口元をスカーフで覆った長男イワザはロングソードの柄と剣身を掴み、短く取り回しが効くように構える。
眼前には街角の風景。
通りには無人の民家が並び、それらの隙間はいくつもの路地となる。
「……死角、多い。気を付けよ」
警告を受けたオレンジ色のはねっ毛の三男ミザリーは、丈の余った袖を捲り、得物であるトの字の形状をした金属棒トンファーを構える。
眼前には倒れた何人もの白ローブの暗殺者、何人かには未だ息がある。
この襲撃について尋問するために残したのだが、笑い声の射手が現れるなら始末しておけば良かったと後悔した。
「イワザ兄、キカザ兄、街路樹下と側溝の白ローブはまだ動けると思うんで、来たら俺が沈めます。それからさっきの矢……次来ても絶対触れないでください」
大急ぎで甲冑の留め紐を縛り、大盾とメイスを持ち直した次男キカザは、額に貼りつく脂ぎった前髪を手の甲でこすり上げ、体力の限界を迎えた身体を奮い立たせる。
眼前には闇。
夜の闇、路地の闇、曇天の闇、全ての闇の向こうから射撃される可能性があり……その先には死の闇が待っている。
「でゅ……僕、今……イワザ兄とミザがいなかったら……」
キカザは額にチリチリと感じる殺気を撫で、激しい動悸のまま顔を上げた。
二人が庇ってくれなければ死んでいた。
それは先ほどの暗殺者たちを相手にしていた時と変わらないが、一撃から感じる確実性が段違いであった。
「……キカザ、気を抜くな」
余裕のなさを表すように、長兄の声が厳しい。
その忠告がなければ、その後一分間の静寂を挟み、集中の切れた頃に放たれた射撃に反応はできなかっただろう。
大盾が乾いた音で弓矢を弾くと、キカザは視界を開けるために盾を下ろす。
そして路地の闇の奥――小さく、小さく、見覚えのある形が煌めいた気がした。
「ぶふぁ……今、のは……?」
そこに長兄の鋭い叫びが響く。
「二射目!」
闇を切り裂いたもう一矢。
それはキカザを狙ったものではなかった。
未だに射手の狩場に残っている傭兵たちが数人。
傭兵にとり急場の連携はお手の物であるが、それでも三兄弟のように背中を預ける相手がいなければ必ず背後という死角が生じる。
ドッと、矢尻が獲物を居抜いた音がして、一人の傭兵の肩に赤が広がった。
痛みと煩わしさに顔を険しくした傭兵であったが、その瞬間に死を想像することはなかった。
むしろ、例え矢尻に毒が塗られていたとしても、肩口なら毒が回る前に治療できると考えていた。
そして――その考えはどうやら甘い。
「それ抜いてください! 早く!」
鋭い叫びはミザリーのものであった。
少年は、自身が投げ返した初撃の矢に、違和感を覚えていた。
違和感の正体は掴めていなかったが、この時に確信をした。
矢に毒が塗られていなかった――そんな悪意のない矢は、戦場であり得ない。
つまり、矢自体に悪意が込められている、そんな可能性がある。
傭兵の肩に刺さった矢が橙色の粒子に解ける。
するとなんと、傷口の赤が……ビキビキとひび割れた灰色に変色し凝固していく。
「な、なんだこれ!? なんだよぉ!?」
傭兵の断末魔すらもぎこちなく固まり、完成したのは物言わぬ石像が一体。
なんと、矢傷はいとも容易く、男一人を石化させた。
――戦場では数々の魔法や魔導具が飛び交う。
中には人道に反する効果を持つもの珍しくない。
そう、例えば射抜いた相手を石化させる――そんな弓矢があってもおかしくないのだ。
戦に身を置く者がそれを理解していることと、実際に対峙して落ち着いていられるかは別問題である。
傭兵たちの動きは二分された。
慌てて退避しようとして背中に矢を受ける者。
留まり攻撃を見極めようとして死角から矢を受ける者。
どちらにせよ、しばらくの間、街角は阿鼻叫喚に包まれることとなる。
まるで詰将棋のように放たれる矢は、着実に傭兵たちを仕留めていき……やがて場の人間は、三人を除き、全てが石像と化した。
未だ姿を見せない敵に、三兄弟は一歩も動けずにいた。
「く、噓でしょう……ロンデルさんに、ダッチさんまで……」
「……後だ。今は、見極めろ」
顔見知りの傭兵が石像へと姿を変えたことに、最年少のミザリーは少なからず心を乱した。
冷静に努めている長兄のイワザも、闇に紛れる敵を見つけ出せておらず、平静を保てる時間は長くないと自覚していた。
「でゅ、ふ、さっきの、形は……」
そんな中、打開の糸口を見つけたのは、次男のキカザであった。
彼は必死に目を凝らす。
装備の重量に崩れそうな身体を立たせ、痘痕顔を流れる脂汗も気にせず、ただただ夜に手がかりを探した。
闇の中とはいえ、まるで視界がゼロなわけではない。
民家の輪郭も、割れた窓ガラスに揺らめく街灯の火も見える。
そして、今一度キカザに向けて矢が放たれた。
大盾を振って矢を弾き、当たりをつけていた手がかりの再現性を確認する。
キカザは胸に妙な高ぶりを抱え、兄弟たちにおずおずと言葉を向ける。
「イワザ兄、ミ、ミザ……た、例えば、僕が、て、敵の場所がわかるって言ったら、信じてくれるか?」
実力という名の引け目に縮こまった提案に対して、返答に一切の躊躇いはなかった。
「勿論」
「キカザ兄、どうすればいい?」
自分たちの命を賭けた場所で、今まで役に立たなかった自分の言葉を信じてくれる。
目頭が熱くなりかけたが、今だけは堪え、キカザは再び夜に視線を巡らせる。
「矢が飛んでくる何秒か前……見えるんだ、光に照らされて……だから僕が合図する。その方向に、攻撃を」
攻撃方法まで言及せずとも、イワザが腰袋の投具を取り出し、ミザリーも足元の白ローブの亡骸からナイフを拝借した。
そして何度目かの静寂の後――路地裏、橙の光に照らされて一瞬、闇にブローチの輪郭が浮かび上がる。
「ぶふぅ! そこだアオサちゃん!」
キカザが咆哮と共に路地にメイスを指し向ける。
それを合図に、ミザリーがナイフを振り被った。
「へ、アオサちゃん?」
アオサ。
歌える踊り子グループ『RGBライトカラーズ』のメンバー。
愛嬌のある訛り言葉と天然キャラで人気なライカラのチャームポイントである。
一瞬戸惑ったミザリーであったが、かろうじて先のキカザの言葉を信じ、ナイフを鋭く路地に投じる。
闇に響いたのはギィンと金属がぶつかった音。
そして、その闇から矢が射られることはなかった。
「すごいですキカザ兄……狙撃を、予測した? どうやったんです!? それにアオサってあの、ライカラの……?」
こと戦闘については三兄弟の中でも抜きん出ている三男は、目を輝かせてキカザを羨望した。
それがこそばゆくて、キカザはどう説明したものかと悩む。
すると再び闇の路地裏から――
「儂にも聞かせてもらおうか。貴様如き独活の大木が、何故射る瞬間を見通せたのか」
皺枯れた声がする。
足音はない。
路地影から黒い脚が歩み出て、黄土色のローブがはためいて、弩を装着した腕が露になる。
フードを脱いだ顔には、皺と染み、白髭と、年齢を感じさせる要素が散りばめられる。
しかし身体はと言うと、しゃんと伸びた背筋と一切の隙がない佇まいでまるで年齢を感じさせない。
老兵の名は『牛尾』、携える魔導具は『蛇鶏の弩』といった。
ただ傭兵と暗殺者では、互いに名乗るにまでは至らない。
「お爺ちゃんが、こいつらの親玉ですか?」
仲間を討たれたミザリーの声色は、いつもよりワントーン落ちていた。
牛尾は質問に答えることなく、しげしげと周囲を見渡す。
石畳の街角には、白いローブを血に塗れさせた部下と、石化した傭兵たち、そして最後に残った三人の若造。
「ふん、そこの醜いの。時間が惜しい。さっさと聞かせい。命だけは助けてやる」
約束の反故を隠そうともしない老兵は、キカザに鋭い視線を向ける。
キカザは弩を注視しつつ、ゆらりと一歩踏み出して、問いに返した。
今は少しでも、長男と三男が敵を観察できる時間を作りたかった。
「ぶふ……その右胸のブローチだよ」
指し示したのは、老兵の黄土色のローブを留める海藻を象ったブローチであった。
「僕は知ってるぞ、そのブローチはライカラコンサートのスー・フェイ講演で配られる特典だ。メンバー三人をモチーフに作られた三種類のブローチ、海藻型はアオサちゃんバージョン……僕が、唯一手に入れられていないアオサちゃんグッズさ!」
海を挟んだカージョンで限定品を拝むには、スー・フェイの貿易商を当たる必要がある。
更に手に入れるともなれば、高額なプレミア価格を支払わなければならない。
金欠のキカザは一日中貿易商に付きまとい、その御形だけを目に焼き付けた過去がある。
「お前が使う石化する矢、魔導具で作ってるんだろ、だからお前は矢筒も持ってない。
ぶふ、魔導具の『技』なら、矢を生成する瞬間に粒子の光が集まるはず……その光に照らされるブローチの形、この僕が見間違えるわけがない!」
ずばり言い切ったキカザは鼻息は荒い。
そこまでアイドルグッズは関係していないことを悟った長兄と三男は、攻略法をものにできると確信し、キカザに並び立つ。
「……でかした」
「なるほどマナの光だったんですか。それなら今後キカザ兄の方に気を配ってれば、俺が見逃すはずない。完全に看破しましたね」
魔導具は強大な力を持った魔物の屍を素材に作られる数々の道具である。
それぞれが素材となった魔物が生前に使っていた『技』を使用することができる。
そして技は、魔法現象である以上、発動時に煌めく粒子を集める。
動体視力や観察眼に長ける三男がそのことを把握したこの瞬間以降、老兵はもう同じ手を使うことはできない。
戦略への回答を聞き遂げた老兵は、顎髭を摘まみながら、苛立たし気にキカザを睨んだ。
「……ふむ、貴様、まさかアオサファンを名乗っているわけではあるまいな?」
戦略の看破は、苛立ちの理由になり得なかった。
「ぶふ、名乗っているさ、結成当初からの古参だよ……!」
「そうか」
短く区切った老兵は、腕に装着した弩をひと撫でし、殺気を一気に増幅させた。
「どうも今日は不愉快極まりない連中しかおらんようだ。早々に片付けてしまおうか」
肌で殺気を感じ取りながら、三兄弟はそれぞれに身構える。
「もう、さっきみたいにコソコソ隠れて狙うことはできませんよ」
「……逃がさん」
「ぶふぁ、お前なんかなぁ、怖くない、三人なら!」
意気込む三兄弟に冷ややかな視線だけ浴びせて、老兵は獲物を値踏みする。
口元を覆った剣士風の男は、崩すのに一工夫を要する。
小柄な子供は、天性の才能を秘めているが経験が浅い。
この二人を同時に揺さぶるには精神面に衝撃を与えることが得策であると、歴戦の脳は結論を下した。
「さて、参ろうか――『石鶏一矢』」
魔導具の技が宣言される。
蛇鶏の弩を装着した腕に橙色の粒子が集まり、ブローチを照らした。
 





