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5-10 キ・ラク・ド・アイ

5-10~5-12の更新となります!


 九時街を襲ったキリグイは、ライチら魔導学院生の奮闘とギルドマスターのティスアの大魔法により鎮圧されました。

 戦いを終え、互いに称え合う穏やかな時間が流れる中、共に戦い抜いたニナが突然、級友のリズリーの身体を貫きます。

 戸惑いの中、襲撃は新たな局面を迎えました。


 記憶とは、過去の行動である。

 過去の行動とは、思考回路である。

 思考回路とは、個性と人格である。


 とすれば、思い出話に花を咲かせることは(はなは)だ危険な行為と言える。


 ――それは誰かがあなたに成り代わる材料になり得るから。



◇◇◇◇◇



 時計盤の首都(カージョナ)、九時の街角。

 闇夜を照らすのは遠くであがる火の手と、ひしゃげた街灯の光。

 場に残った四人は、全員が揃いの臙脂(えんじ)色の学生服(ブレザー)に身を包むが、置かれた状況、立場は全て異なる。


 赤毛の少女は、ポニーテールの少女の脇腹に空いた赤黒い穴の出血を止めるべく、その傷を焼いていく。

 金髪の令嬢は、彼女らを背に守るように襲撃者と対峙していた。


 そして裏切りか本性の暴露か、親友の返り血を(かぶ)った少女ニナ・マルムがにこやかに一礼を終えた。


「さ、それでは早速、ライちゃんたちの喜楽怒哀(きらくどあい)、見せてね?」


 赤く染まった指が腰のブックホルダーに下げた花柄装丁(そうてい)の魔導書を手に取った。

 対面する金髪の令嬢ガーネット・ファーレンフィードは、殺気に当てられて鈍った思考を立て直して、同様に魔導書を開く。

 そして意を決すると、()()()()()()()()()()()()()ニナへと猛進した。


「距離取って魔法使わないんですか?」


 とぼけた問いを寄こす血濡髪のニナへと、伝線した黒タイツの脚がハイキックを見舞う。


「おっと?」


 首を傾げて(かわ)すと、蹴り脚が膝を折りたたんで脇腹狙いの回し蹴りへと派生する。


「ちょ」


 腕のガードを下げて受ける。

 するとガーネットはキックの勢いのまま身を反転させ、裏肘をがら空きとなった顔面に向けた。

 ニナは魔導書でそれを受け止めると、柔和(にゅうわ)な笑顔を崩さないまま飛び退いた。


「いやはや良い動きです。それに冷静。互いに魔導書を広げたら集歌(しゅうか)は慎重にしなきゃですもんね、っと」


 間髪入れずにガーネットが放つ跳び膝蹴り、それが半身(はんみ)(かわ)されると、金髪を振り乱すように宙で回転して魔導書の角を脳天へと振り下ろした。

 何なくそれも避けたニナは更に後方へ跳び退く。


 追撃に集歌は唱えない。

 ニナが言う通り、互いに魔導書を持つ者、とりわけ動けるタイプの魔導師同士の闘いにおいては魔法の行使には慎重にならざるを得なかった。

 集歌で集めた粒子(マナ)は、他人が令歌で掠め取って魔法にすることができる。


 故にガーネットは攻撃を体技に絞り、敵をライチとリズリーから遠のかせることに集中した。

 

「余裕ないなぁ、少しはお話しましょうよ」


「もう喋らせませんわ。私まで不快になる。貴女はここで倒します」


「あは、倒す、だって。やっぱお嬢様だ? 殺すつもりはないのかな? ここもう戦場なんだよ?」


「失礼、育ちが良いものでして……訂正しましょう。殺します」


「お、いいね、それじゃあ」


 それ以上の問答はしたくなかった。

 ガーネットは再び身を低く突進し、距離を詰めると槍のような前蹴りで鳩尾(みぞおち)を狙った。


「私もそろそろ頑張るね」


 蹴りの標的が視界から消えた。

 次の瞬間、ガーネットの金髪にペタと血塗れの手が乗る。

 頭上でピンと倒立したニナは、重力に任せて膝を振り下ろし、金の側頭部を打ち抜いた。


「がっ!?」


 ガクンと脳が揺さぶられ、視界と脳の伝達が途切れる。

 倒れ込む身体は無防備で、柔らかそうで、どこからでも引き裂くことができる。

 ニナは舌舐めずりをして手刀を振りかぶる。


「お願いマグちゃん!」


 風と共に、熊ほどの体格の大鼠(ミルキーマウス)がニナに並び、その長い尾を振った。

 即座に身を(ひるがえ)し、直撃を(まぬが)れたニナであったが、間合いを取って着地した後、手首にピッと入った切り傷に気づく。


「風の刃……マグちゃん酷いなぁ」


 雲鼠(ミルキーマウス)は風を操る魔物であり、また牛や馬のようにこの世界の人間に寄り添ってきた存在でもある。

 相応に頭も良く、飼い主に忠誠を誓い……飼い主の友人にも友好的だ。


 だから雲鼠のマグレブは、状況的に敵と判断したニナに一撃を見舞った後、飼い主に確認の視線を向ける。

 飼い主である赤毛の少女は、目の前に横たえた友の処置を続けつつ、ちらりと視線を上げると戸惑いがちに頷いた。


 ――どの(まど)いが隙であったかは(さだ)かでない。


 マグレブの顔面に、魔物の反射神経を超えた速度の掌底(しょうてい)が迫り、伸びた前歯を砕く。

 そして間髪入れずに(あご)下に沈み込んだ肢体(したい)から、鋭く真上に打ち抜く蹴り上げがあった。


「マグちゃん!?」


 雲鼠は自身の半分にも満たない体格の少女に仰向けに打ち倒される。

 少女は魔物の体毛と外皮の厚さを知っていたので、それらの薄い腹に一撃を見舞えるように(こと)を運んだ。


「させません!」


 両手で厚手の魔導書を振りかぶり、ガーネットが飛びかかる。

 まるで鈍器のように振るったそれは、対象を(とら)えきれずに石畳(いしだたみ)を叩く。


 ――(かば)いあって尚、実力差は歴然であった。


 全体重を乗せたガーネットの一撃は、回避に成功した者からすれば大きな隙である。

 前のめりに丸まった背中、防御に回すことのできない両腕、守るものがない腹部。


 腹部を大雑把に蹴り上げると、お嬢様の身体が更に無防備に、目前に浮いた。

 ニナは蹴り足と軸脚を優雅に入れ替え、くるりと狙いを定めると、屈めた膝でグッと溜めを作った。


「こ、の……」


 信じ難い実力差は、声になることはなかった。

 ローファーのつま先がガーネットの全身へと、横殴りの雨のように浴びせられる。

 怒涛(どとう)の蹴りの連打が、端正な顔に、引き締まった腹に、肩に、胸に、臀部に、脇に、ドチャドチャと着弾して彼女の身体を文字通り吹き飛ばす。


 石畳に四転五転して止まったガーネットの背に、赤毛の少女が名を叫んだ。


 四つん這いに起き上がり、流血を(ぬぐ)いながら心配無用と上げた腕はガクガク震えていて、声の代わりに血が吐き出された。


「内臓(やぶ)けた音したね。あーあ、こんなローファーじゃなきゃズドっと貫けたのに」


 満足げなニナは赤の(したた)るローファーのつま先をピッと払い、値踏みするように笑顔を向けた。


「ニナ、あなた……!」


 怒りの臨界を迎えようとする赤毛の少女を尚も庇うように、ガーネットは痛む腹部を抱えながら声を出した。


「大丈夫、です。がふっ、私は、この程度では……」


「痛そうに(うずくま)っててよく言うよね。もう喋らせてくれないって言ったのに嘘つき。でも煽りがいもあるから好き。そうだ、折角だし、ちょっとガーネットさんも揺さぶってみようか」


 ニナは血まみれの腕を腰の後ろに回し、可憐(かれん)な仕草で彼女を見下ろす。

 角の取れた優しそうな瞳が、苦悶の表情で(にら)み返すガーネットの全身を映し、観察を始めた。


「残念な残念なガーネットさん、学院では常に成績上位なのに、どの部門でも一位は取ったことがないんだっけ。

 魔法は見てくれだけで独創性ないし、体技も良い線行ってたけど、まあ全然ですな。

 器用貧乏の半端者……流石は没落貴族の()()()()()()()()()()()()って感じ?」


 家のことは一部の貴族しか知らないはずであったから、その諜報力(ちょうほうりょく)には驚かされた。

 しかし挑発の内容としては稚拙(ちせつ)もいいところで、ガーネットの心が揺さぶられることはなかった。

 自分の陳腐な自尊心や思い上がりは……春先、赤毛の少女に砕かれ済みである。


「あ、自信とプライドの高さみたいなのだけは学院一かも?」


 だから、皮肉の言葉が逆に心を奮い立たせた。


「ふふ、ふ」


「あれ、何か思った反応と違うや、今の笑うとこじゃないよ?」


「けほっ、いいえ、お褒めいただき、ありがとう。

 このガーネット・ファーレンフィード……実力も、家も……未熟の半端者であることなど、百も承知しております。

 ですから、誇りだけは、貴族の、心だけはどこまでも気高くあろうと――ふふ、つい最近心に決めたばかりでしてよ――マナ待機解放(ステイリリース)


 どれだけ痛めつけられようと手放さなかった金装飾の魔導書。

 石畳に開いた見開きから、噴水のように赤と青の粒子が散らばった。


「そういえばまだ――」


 ――奥の手(ステイさせたマナ)を見ていなかったな。


 ニナの思考は、距離を詰めて粒子(マナ)を奪うことは選ばなかった。

 全てが計算ずくだとしたら天晴(あっぱれ)としか表せないが、粒子(マナ)を奪うには一歩足りない位置取りが完成されていた。

 そして赤と青が交わり、翡翠(ひすい)の大蛇が顕現(けんげん)する。


「コール『ヒートサーペント』!」


 その蛇は、身体の全てが沸き立つ熱湯(ねっとう)で構成されている。

 頭部はガーネットの身体程の大きさ、そのサイズに従って長くうねる胴体が湯気をあげた。

 蛇はフシュルと唸り、大口を開けてニナへと食らいつきに迫る。


 既に回避に動いていたニナは易々(やすやす)(かわ)せるつもりでいたが、その足元が突如――風に捕らわれた。


「あら」


 (かたむ)く視界の端には、地に伏せながらも白毛を逆立てる雲鼠。

 さっさと処理しておけばと後悔した頃には、熱湯の牙が目前に迫っていた。


 身のこなしだけで奔流(ほんりゅう)の芯から逃れるも、半身は蛇の身体が通過する間に熱湯に晒され続けた。


 翡翠の蛇は廃墟の屋敷へと突っ込んで霧散する。

 ガーネットに更なる追撃をかける体力は、残っていなかった。


 だからこそ湯気の中、片手と顔半分を(ただ)れさせながらも、その両足で大地を踏みしめている敵に歯噛みした。


 ニナは赤く爛れた(ほお)に水膨れのできた指を()わす。

 すると、頬の皮膚はほつれたフェルトのように()がれて落ちた。


「酷いなぁ。表の皮膚、溶けちゃった。でもいいね、今のはちゃんと殺す気だったね」


 剥がれた皮膚の中には、ニナではない誰かの皮膚がもう一層、あるようであった。

 左右非対称となった顔を持つその誰かに、赤毛の少女は(いきどお)りをぶつける。


「やっぱり、ニナじゃない……!」


「酷いなぁもう、疑ってばっかり。私はニナ・マルムなんだってば……この皮膚はちょっと鹿角(カカク)がはみ出ちゃってるだけだよ。ふふ、折角だし鹿角(カカク)も覚えてね? 『成り代わりの鹿角』って言うんだよ」


 瑕疵(かし)ばかり目立つ言葉に、ライチ・カペルは真意を探して踏み込んだ。


「なり、代わり……? じゃあ、本物の、本物のニナはどこ!?」


 必死な問いかけに返されたのは三日月のような笑み。

 それがライチの心を崩す罠であると確信したガーネットは、もう動くことができない。


「ぐ、聞いては駄目!」


「よくぞ聞いてくれたねライちゃん。教えてあげる」


 ニナであり、ニナではない者は、両手を広げると穏やかな語り口で演説を始めた。


「ねえ、喜楽怒哀(キラクドアイ)って知ってる? 喜怒哀楽(きどあいらく)じゃないよ?」


 問いに応えられる者は世界に一人、本人しかいない。


「私はとある国のスーパースパイなので、子供の時からこの言葉をずっと叩き込まれてたんだ。これはね、成り代わりの呪文なんだよ」


「成り代わり、の?」


「そう、成り代わり――私の使命ってね、結構『やっちゃダメ』って言われる任務(こと)が多いので、それをやってもいい人に成り代わるの。

 成り代わるからその人の人生はそのままで、プラス私の使命も全うできるの。

 表皮(おもてがわ)だけの変装なんかよりずっと深いとこに潜り込めるし、良いことしかないんだよ」


 悪びれもない演説は絶妙に意味が伝わらなくて、ライチは瞳を震わせながら、その意味を解きほぐそうとしてしまう。


「で、成り代わりにはコツがあるの、それが喜楽怒哀(キラクドアイ)


 演説を遮れる者はいなかった。

 ガーネットもマグレブも、地に伏して痛みを(こら)えるのに精一杯であった。


「人には他人に見せない表情がいっぱいあるからね。誰かに成り代わるにはその表情を全部見て勉強しなきゃいけないの。

 まず喜ばせて、次に一緒に楽しいこといっぱいしてね……それから裏切って怒らせるの、そんでそんで、怒りが通じないと人は哀しむんだよ。

 これ、順番が大切だからね? 先に怒らせたり哀しませると喜と楽を見るまでに凄く時間かかるからね。で、表情コンプリートしたらその人と()()()()、成り代わり完成!」


「交代、ってニナは、本当のニナは!?」


 そして絶望の宣告が言い渡された。


「ライちゃんの知ってるニナ・マルムは――全部私だよ?

 ニナだからライちゃんとリズちゃんと友達になれたし、ニナだから学院で頑張って勉強した、ニナだからライちゃんとユータさんの関係にも興味津々だったよ」


 一瞬、誰も彼もが言葉の意味をわからず、沈黙した。


「ニナはね、村の枯れちゃった花畑を元に戻すために風の魔法を学びたかったんだよ。そのために魔導師ギルドを目指して村を出たの。

 若い娘の一人旅、意外と自信家だよね。でも中身は普通の女の子だから、同じ女の子の格好で一緒に首都目指そうって言ったらコロリとOKしてくれたよ。

 ――それからの二人旅は楽しかったなぁ。一緒にご飯食べて、故郷のお話聞いて、お父さんは少し強面で、お母さんはすごく綺麗なんだ。

 あと共闘して魔物も倒したよ。一緒の木陰で肩寄せ合ってお昼寝してさ、夜も一緒に寝たなぁ、凄く安心しきった楽の顔が見れたから……その後、縛ってゴブリンさんに提供したの。

 あんまり怒った顔は続かなかったなぁ。すぐ泣きだしちゃったから、ゆっくりゆっくり……」


 痛みをねじ伏せた雄叫びがあがった。


「がぁぁぁ!」


 ガーネットが突進して、なりふり構わない拳を繰り出す。

 痛めた腹へと更に膝が入り、回し蹴りで飛ばされる。

 敵わないとわかっていて尚も許せなかった。


 彼女の言うことが本当なら、ライチも、リズリーも、本物のニナとは出会ってすらいなかったことになる。

 そして本物が育むはずであった友情を、この(まが)い物が何食わぬ顔で(つむ)いでいたのだ。


 そんな邪悪を許せなくて、彼女は振るう力の残っていない正義の拳を握った。


 その様子を目の前に――誰かが赤毛の少女に(たず)ねた。


 君ハ、何モシナクテイイノ?


「人が気持ちよく喋ってる時はちゃんと聞くの。そんなこともできないんじゃオーディエンスとしても失格だよね」


 一歩一歩、穏やかな顔の凶悪が尻もちをついたガーネットに近づいていく。


「実は今回の作戦がなければ、ガーネットさんは次の成り代わり候補だったんだよ?

 貴族の子なら国の中枢(ちゅうすう)まで諜報できそうだしね。まあだけど、あんま絡めなかったね、こうなってまで哀の表情見せないのはなかなか凄いけど、ここから喜と楽見るの面倒だし、もう成り代わってあげないよ」


 ニナが手刀を構え、睨みあげるガーネットの胸元に狙いを定めた。


 ――死んでしまう。

 このままではガーネットが、リズリーが。

 どうしたら助けられる。


「……ユータ、私、どうしたら」


 何をどうしたら――()()()()()()()、解決する?


 何故そのような問いを立てたのか、それはライチ自身にもわからなかった。

 確かであるのは、その問いへの答えが、頭の中に返されたということである。


 ――ヤット、()ル気ニナッタンダネ――僕タチノ、『天使』サマ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ニナは、最初からコピーされてたのか。 相手の人となりを理解して、入れ替わるって 凄く怖いですね。 便利な魔法ですんなりコピーされた方が救いがあると言うか、、 [気になる点] ライチも炎の…
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