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「ここでいいわ、ありがとね」
女が耳にかかった桃色の髪を払い、アロマの香りを残して雲鼠から飛び降りる。
絶世の美女と鞍を共にした送り雲鼠の運転手は鼻の下を伸ばしたまま、くびれを振って駆けていく後ろ姿を見送った。
彼女の姿が調教師ギルドの門に消え、恋に区切りがつくと運転手は寂しげな表情で雲鼠の頭を撫で回し、再び仕事に戻ろうとした。
「ごめーん! やっぱちょっと待って!」
顔を上げる。
なんと恋が蜻蛉返りに駆け戻って来るではないか。
男の視線は脚の運びに合わせて無邪気に暴れる二房の果実に釘付けとなった。
「はぁ、ふぅ、ごめんなさいねやっぱりもうちょっと乗せてくれる?」
男の恋はもう一走り続く。
――再び疾走を始めた雲鼠の背中。
花咲き乱れる運転手の脳内とは対照的に、ティカの頭は次に向けて忙しなく回転していた。
結果から言って、七時街のギルドマスターは不在であった。
何でも襲撃者の目星をつけて飛び出していったそうだ。
噂通り、勝手気ままなフットワークだが、できれば緊急事態の時はどんと構えていて欲しかった。
ティカは調教師ギルドに残された畜主たちと童話やらの情報を共有すべきか迷ったが、それは避けた。
あくまで自分が持って来た話は、『キリグイ』と呼ばれた魔物と『ディマリオ』という名前の出自を想起させるだけの情報である。
各国との繋がりが期待できるギルドマスターであれば思いつくこともあろうが、一般のメンバーでは、申し訳ないが混乱させるだけと考えたからだ。
依頼人の指示を仰げなくなったとすると、また行動を改める必要がある。
次に行うべきことは二つ、自身の所属するギルドに備えをさせること。
そしてもう一つは、後一人……もしくは後一匹、一頭? 手がかりを持ち合わせていそうなプードル顔の獣人に話を聞いてみることである。
ひとまず七時街を出発したティカは、そのまま時計盤をモチーフに区分けされた首都を東へ、反時計回りで五時街へと送り雲鼠を走らせた。
――その道中、六時街。
繁華街の人波の中、怪しげな店の前に現場あがりと思われる彼氏二人の後ろ姿を見つける。
「アガワ君! イガワ君!」
忙しない夕時の店通りで顔を上げたのは、それぞれ人波より頭一つ抜けた巨漢と細身の男。
服装は泥と埃に汚れた大工姿。
二人は店頭商品の猿轡を陳列棚に戻すと、ティカへと駆け寄った。
運転手が顔を引きつらせる。
「ティカ姉? どうしたの?」
「貴方たち今日は二時街の現場だったわよね? ワンちゃんとか見てたりしない?」
微妙に要領を得ない質問に二人は顔を見合わせた。
「ワンちゃんというと……?」
「まぁ野良犬なら?」
鼠上のティカは察しの悪い彼氏たちに「違うわよ」と頬を膨らませる。
「ワンちゃんって彼のこと! あのデスプードルの『マーロン・ポーチ』! イトネンさんの飼い犬の、藍色の毛の、武士言葉の、実はヘタレの!」
マーロン・ポーチとは一月程前の『ギルド入隊祭』の折りに出会い、軽くだが拳を交えた仲である。
藍色のモコモコ縮れ毛の可愛らしい輪郭に不釣り合いな鋭い眼と強靭な身体の大男は、現在宿屋の食堂で下働きをしている。
「ああ、奴なら昼飯に薄亭行ったんで見ましたよ。普通に厨房でこき使われてました」
「随分と眠そうでしたね。何でも夜通し駆け回っていたらしく、流石に今日はシフト休みと思っていたところ、普通に店出ろと言われたとか」
不愛想で堅物な彼であるが、現場前のモーニングに通っている内、軽口を交わせる程度の仲にはなっている。
そしてマーロンの種族、デスプードル族は童話の出所と同様、北方に住まう種族である。
また、ギルド入隊祭で彼が背負っていた大太刀は、『大犬太刀』と呼ばれる魔導具であり……『フェンリル』なる狼の王の尾骨から作られているというではないか。
「ありがと、悪いけど一緒に来てくれない? 彼にも確認したいことがあるの」
――そうして従順で屈強な彼氏二人は、ティカの乗る送り雲鼠に併走を始める。
雲鼠の運転手は屈強な大工姿の二人に挟まれる形となり、非常に気まずそうにしている。
事の次第を聞くと、風を切りながら細身のイガワが納得と確認を寄こす。
「――じゃあティカ姉はそのフェンリルが、キリグイを召喚してる魔物と思ってるの?」
『大犬太刀』の能力は刀身に氷を纏わせることだと、マーロンは言っていた。
件のキリグイも、尾に氷を纏わせて刀のように使っていたという。
「今はそう仮定して備えないと。いつだったかお店で話した時、ワンちゃんは大犬太刀は彼の村に代々受け継がれてきたものと言っていた……もしかしたらフェンリルの討伐方法も語り継がれてるかもしれない」
彼女らはそれを確かめるべく、大通りを駆けていく。
――そのティカら一行が、黄土色のフードローブを頭から被った青年の前を横切った。
「あー……?」
青年は三人を見送ると気怠そうに欠伸をして、曇り空へと独り言を呟いた。
「……んだよ何人か鋭いのもいるみてぇじゃねぇか」
そして次の瞬間、青年の目に野蛮な光が宿る。
龍顔と呼ばれる青年は、手の平を彼らの後ろ姿へと重ねて向けると、握りつぶすように拳を作った。
「ま、生き残れりゃ味見してやってもいいかもな」
その声が合図であった。
――ひゅるりと、ごった返す六時街の店通りに青い粒子が舞う。
青年が逢王宮の方向に立ち去った後、行き交う数人が粒子に気づいた。
誰かが魔法を唱えたのだろうか?
視線を迷わせる大衆のざわつきに気づき、ティカたちは雲鼠を止めて振り返った。
それは依頼に訪れた畜主の話を通して聞いた……悲劇の前兆である。
「青いマナ……まさ、か」
ティカの瞳に映る青い粒子は、店通りを行き交う人混みの中、ひらひらと集まって、くるくると回って――ぶわりと激しくうねり始め――やがて、吹雪の旋風となった。
平時の買い物に来ていた婦人はそそくさと足早に距離を取り、戒厳令を受け備えに来ていた殿方は身構える。
一方で、呆気にとられ動けない人間も少なくなかった。
――そのそばかすの少年は母親と、戒厳令を受け買い溜めのため、繁華街に来ていた。
母親と逸れ、通りを彷徨っている中で綺麗な青い粒子を見つけたものだから、近づき見入ってしまっていたのだ。
少年のブラウンの髪と布の服をそよがせる青い旋風の中から――長く白い尾が振り上げられた。
美しい白毛に覆われた尾に、ピキパキと氷が纏わりつき、透き通る剣と化していく。
そしてそれは、唖然として吹雪の旋風を眺めていた少年へと、刃を向ける。
「アガワ君! イガワ君!」
叫ばれるより前に二人は駆け出していた。
ティカは雲鼠から飛び降り、困惑に固まった大衆に一喝を入れる。
「みんな逃げて! 魔物よ!」
その叫びをもってして、唖然とする人々を正気に戻しきれなかった。
あまりにも美しい透き通る氷刃は――沈黙の中で振り下ろされた。
少年を突き飛ばしたイガワの手首から先が宙を舞う。
次いで、叩きつけられた氷刃が石畳を割った。
青い旋風が弾け、白い巨体が、その四つ足を街に降ろした。
――それはとても美しい凍てつく大狼である。
未だ事態を呑み込めていない雲鼠の運転手が、訳知りらしい客の美女に尋ねた。
「あの、お客さん……あれは?」
「……キリグイ、って言うらしいわ」
そして阿鼻叫喚が始まった。





