5-1 おとぎ話
5章突入となります!
※本章中、暴力、血、欠損等の描写がございます旨、ご了承ください。
悠太たちが出会ったエルフの青年ブラン・シルヴァは遥か東の王国の王子であり、とてつもない規模の魔法を放つことができる存在でした。
その力を我が物にするために放たれた追っ手が仕組んだ戦いの中、悠太とその相棒ネピテルは倒れてしまいます。
彼らが病床で治療を受けている間にも襲撃者たちの魔の手は迫ります。
そして襲撃の直前、まだ何事もないある日の午後――大工姿のサキュバスは図書館を訪れていました。
――王とは何者だろうかと考えさせられることがある。
天賦の才を授かり、圧倒的な魅力により他を惹きつける者かな。
生まれながらの財と地位に縛られ、群れに責を負う者かな。
血に濡れた爪と牙で全てをねじ伏せ、屍の上に君臨する者かな。
いずれにしろ何かしら集合の頂点に立つ者であることは間違いないと思う。
ともすれば、私もある種の王と呼べるのであろうか。
――まあいいや……今宵の催しは王の生誕祭。
参加する王は一人だけではないわけだけど……さて、君は全てを守り切れるのかな。
◇◇◇◇◇
湿気を孕んだ空気が、オレンジ屋根の群れと石畳を撫でるように流れた。
その日の首都は昼から空が陰り、不安を後押しする曇天の午後三時となった。
不安の原因は、昨晩、街の一角に聳え立った緑光の竜巻と、それを受けて発令されたと思われる戒厳令。
時計盤を模したような十二区画に割られた円形のカージョナ、その中心に位置する逢王宮には、ずらりと鉄の甲冑姿が並び立ち、緊張感と威圧感を振りまく。
ティータイムの穏やかな雰囲気も引き締められており、住民たちは誰も彼もが慌ただしい。
表向きのアナウンスは『近辺で大型の魔物を確認。各区画管轄の逢王兵団及びギルドの指示に従われたし』とのこと。
しかし既に緑光は街中で目撃されている。
誰もが裏のあるお達しだと一目で理解し、おのおのに様子見と準備、問い合わせに奔走する。
緊張は伝搬し、各区画に波及していく。
普段は落ち着いた雰囲気である学問と貴族の街――九時街の魔導図書館も、例外ではなかった。
その証拠が、「館内お静かに」を掲げる側の司書があげた叫び声であった。
「ち、ちょっとお待ちなさいそこのデモン! 本の貸し出し手続きが済んでおりませんよ!」
追いかけようとした司書は自らのローブの裾を踏んでこけた。
魔導図書館から一冊の本を持ち出したのは桃色の髪に悪魔の角とハートの尻尾を持つデモンという種族の女性であった。
淫魔のような特徴の彼女は、印象に似つかわしくないニッカポッカの大工衣装で駆けながら言葉だけを残していく。
「ごめんねちょっと余裕ないの! 後でちゃんと返すから!」
平時は余裕たっぷりで物腰柔らかな女性の口調は、この日だけは焦りを滲ませていた。
重厚な入り口扉に立つ警備も躱し図書館を出た彼女――ティカ・オ・ダーユインは副業の情報屋として、依頼の品を届けるべく七時街へ向かう。
今朝――彼女が営む妖艶で怪しげな情報屋に、お得意先の一つである助平な農夫が駆け込んできて依頼を申し込んでいった。
昨晩の緑の光について調べに出ようとしていたティカは渋い顔をしたが、いざ聞いてみれば内容は大事も大事、緊急事態であった。
情報提供依頼は七時街、調教師ギルドが全人員を投入して探らせているというキリグイという魔物について。
その魔物が引き起こしているという霧喰事件の全容と、ティカにも所縁のある少年少女が命を賭して得た情報は、この街に危急の事態が迫っていることを表していた。
故にティカは午前中から九時街の魔導図書館を訪れ、ある地方の魔物についての文献を漁っていたのである。
そして調査の結果、彼女は息を弾ませながら石畳を駆けざるを得なくなった。
「――『災害級』どころじゃない……『傾国級』になり得る魔物なんて、サタン侵攻以来じゃないの……!」
途中で送り雲鼠を見つけ、雲鼠の背に乗る運転手に調教師ギルドの本部へ急ぐよう頼み込んだ。
運転手は生来の怠け者であったが、眼下で「急ぎなのお願い!」と手を合わせる女の寄せ上げられる豊満な谷間に鼻を伸ばすと、二つ返事でその身を後ろに乗せた。
女は更に男にやる気と速度を出させようと、その背中に胸を押し付けてしがみつく。
効果は初速から現れた。
雲鼠のふわりとした体毛が空色の粒子を纏い、わずかに浮遊すると、強靭な後ろ足で石畳を蹴りトーントーンと風を切っていく。
「さぁ……もうすぐ夕方かしら、この事態の緊急性に気づいたギルマスさんを称える時間があればいいんだけど」
依頼を持ち込んだ畜主自体は核心には気づいていないまま事の次第を話していたが、人の悪意に敏感な者は話を聞いただけで緊急性を把握することができた。
――霧喰事件。
夜な夜な畜舎の家畜が一匹のみ殺される怪事件。
真相を確かめてみれば、襲撃は何者かによる氷の魔物の遠隔召喚により引き起こされたものであった。
調教師ギルドが情報として欲しがっているのは、氷の魔物を遠隔召喚する魔法、魔導具または魔物といった方法について。
それから『ディマリオ』という名前の黒幕と思われる男の素性である。
「……ええと、あれは何年前の事件と言っていたかしら」
これは北の果てから来たという大道芸人との一晩の中で聞いた噂である。
カージョン地方より遥か北北東、ジェイクブ地方の更に北の端で、サーカス団の猛獣使いが猟奇的な事件を起こした。
主犯は当時まだ年端のいかない少年であったという。
奴隷の立場であった少年は、サーカス団が飼っていた火熊の子やウルフを手懐け、自分に劣悪な労働環境を強いていた団員たちを食い殺させた。
その後、血の味を覚えた魔物たちと度々村を襲撃するようになり、国は討伐隊を編成するなど対応に追われたらしい。
事件の結末は、山中で見つかった火熊とウルフの群れの死体をもって解決とされた。
猛獣使いの少年についても、逃走の過程で食われてしまったのであろうと行方不明のまま処理されている。
「奴隷の少年に名前はなかったんだっけね……でも、殺されたサーカス団の団長の名はディマリオだったはず……」
関連性は定かではないが、やけにその事件のことが気になったティカは、魔導図書館で北方の文献を漁り続けたのであった。
最終的に行き着いた文献は、彼女が脇に抱える木の装丁にまとめられた童話集であった。
――その魔物は、おとぎ話の中に登場する。
◇◇◇◇◇
『大きなウルフと小さなウルフ』
とある雪山の中には、たくさんのウルフたちが暮らしていました。
仲睦まじく暮らすウルフたちでしたが、その中には二匹だけ、とても仲の悪い大きなウルフと小さなウルフがいます。
二匹は幼い頃から張り合ってばかり。
小さなウルフはとても賢かったので、大きなウルフはいつも一杯くわされてばかりでした。
その日も、大きなウルフは猪を狩ってきて小さなウルフに言いました。
「どうだ俺は身体も大きいし強いから、こんな大きな猪にも勝てるんだ」
自慢げに言う大きなウルフに、小さなウルフは笑って返しました。
「そんな獲物なんか簡単に狩れますよ、少し待っててください」
そう言うと小さなウルフは沢山の仲間たちに声をかけて、猪よりも大きな熊を仕留めてきました。
「どうだい、君の猪より大きな獲物だろう?」
自慢げに言う小さなウルフに、大きなウルフは悔しそうに答えます。
「他の仲間に頼るなんてずるいぞ、ちゃんと自分の力でもう一度勝負だ。
そうだ、山の麓には人間たちの大きな王国がある。きっと大きな獲物がいるはずだ。
明日王国に降りて、晩飯にどっちが大きな獲物を沢山仕留められるか、勝負しよう」
大きなウルフの提案に、小さなウルフは首を傾げて聞き返しました。
「いいけど、自分の力? 群れのみんなに手伝ってもらっちゃダメ?」
「ダメだみんなに頼ったら自分の力じゃないだろう」
小さなウルフは少しだけ考えると、やがて頷いて、笑って勝負に応じることにしました。
――明くる日、大きなウルフは山の上から王国を見下ろして、周りで小さなウルフや群れのみんなが見ていないことを確かめると、にんまりと笑いました。
「しめしめあいつは見てないな、俺だって群れくらい作れるんだ、それっ!」
大きなウルフが息を吹くと、その白い息が凍って氷のウルフができました。
大きなウルフは昨日の勝負で、数が多いほうが大きい獲物を仕留めやすいのだと思ったのです。
「それっ、それっ」
沢山の息を吹いて沢山の氷の家来を作ったウルフは、麓の王国に意気揚々と向かっていきました。
氷のウルフの大群を見た王国の人々は大慌て。
わーわーきゃーきゃーと逃げ惑います。
しかし、大きなウルフの軍団は王国に入ったところで、もっと数の多い人間の兵隊たちに囲まれてしまいます。
「王国を襲う魔物め、退治してやる!」
兵隊たちは一斉に氷ウルフの群れに挑みかかり、氷でできただけのウルフたちはパキパキと割られてしまいました。
そして最期に残った大きなウルフも、兵隊たちの槍に突き刺されて倒れてしまいます。
大きなウルフは泣きながら悔しそうに言います。
「そんな……たくさんの群れを用意すれば勝てると、思ったのに……」
死んでしまった大きなウルフを囲い、兵隊たちは歓声を上げます。
そんな中、兵隊の隊長さんに駆け寄る小さなウルフがいました。
隊長さんは小さなウルフの頭を撫でて言います。
「よしよし、お前が教えてくれたおかげで悪い魔物を退治できたぞ、褒美をやろう」
小さなウルフは尻尾を振って、大きなウルフを哀れに思いました。
「僕も群れのみんなは使ってないもんね。だけど、あーあ、自分が獲物になっちゃったよ」
――氷の兵隊なんかで、本物の兵隊さんに勝てるはずないのにな。
◇◇◇◇◇
風に桃色の髪を弾ませて、ティカは反芻した物語に歯噛みをする。
描かれていたのは愚かで単純な大きなウルフと、人間を巧みに利用して相手を陥れた小さなウルフ、それから絶対的な力として描かれた人間の兵隊である。
さて、古今東西、プロパガンダ的に国民を勇気づけるための童話が存在する。
そうした童話はしきりに、脅威の対象を貶し、馬鹿にし、「大したことなんかないよ」と嘯くのである。
雲鼠の上、ティカは頬に冷や汗を浮かべ一人笑う。
「……一頭で国を襲えるほどの群れを作り出せる魔物が、脅威じゃないはずがない」
なお、童話の出自は不明であるが……この最古の文献は、滅亡した小国で見つかったという。





