第9話 兄 フランツ⑥
リリアスの出て行った後の、開いた扉の外で、ポールが立ってサリエルの指示を待っている事に気がついた。
「ああ、ごめんなさいね、ラウルを待たせているのだったわね、それなら身支度をしなくてはいけないから、私の部屋にメアリーを呼んで頂戴。
この時間はお兄様の書斎をお掃除をしているはずだわ」
すると、ポールは間を空けずにサリエルから死角になっている、壁裏をチラリと見て
「メアリーならもう此処におります」
「?」
サリエルはソファーから立ち上がり、ポールの立っている部屋の入り口へ向かい、先程ポールが目をやった壁裏を見るとそこには、口を押さえて、涙を流している、メイドのメアリーがいた。
「メアリー、どうしたの?
何故泣いているの?
どうして、いつの間に此処にいたの?」
サリエルは驚き、そう問いかけると
メアリーは口を押さえていた手を離し、その手で涙を拭いながらも、まだ出てくるのか、眉間にシワをよせている。
「私、書斎をお掃除しておりましたところ、フランツ様がいらっしゃって、
こちらに様子を見にいくよう言付かり参りました。ご自身はこれから先生が来るので心配だけど、行けないからと。
けれど何かあったら
直ぐに呼びにくるようにと。」
食堂から出るときフランツが心配そうにしていた事を思い出す。サリエルよりも、リリアスの不機嫌さを感じ取っていたのだろう。
「そう、フランツお兄様が…」
先程まで、傷が食い込み冷えていた心に、フランツの気遣いが沁みる。
「私、僭越ながらお部屋の前で待たせていただいておりましたところ、奥様のお声が聞こえてきて…」
…まぁ、感情的になったお母様のお声は大きいものね…
メアリーは続けて答えた。
「まさか、あの様な事を…
サリエル様が、余りにもお労しく…」
「あの様な事?あぁ、お兄様の事よね、
そうね…お兄様には知られたくないわ…」
実の子では無いとはいえ、兄は母の子としてこの家に迎えられた。
まだ兄も8歳であり、自分を庇護してくれるはずの母という存在が、そんなに自分に悪意を持っていると知ったら、どれだけ傷つくのだろうか…
でも、今のメアリーの言い方だと、私に対して「お労しい」と嘆いているように見える。
聞き間違いかしら、何故私がお労しいの?
どちらかと言うとお兄様がお労しい内容だったわ。
「私は、サリエル様はとても愛らしく、
これ以上ない素敵なレディーとして成長されていること知っております」
そう言われてやっと、サリエルはメアリーが何故サリエルをお労しいと言ったのかがわかった。
リリアスが先程言った
『サリー、元は貴方がキチンと産まれていればこんな事にはならなかったのよ』
この言葉を母親から言われたサリエルの心を慮り泣いているのだ。
「メアリー…有難う。 でも、私は大丈夫よ。
私がお母様の気持ちを逆撫でしてしまったから、お母様もついムキになってしまったのよ。」
「サリエル様…」
6歳だと言うのに、とても大人びたサリエルの返答により一層メアリーの心は痛んだ。
この屋敷にはサリエルが何も知らない赤子の頃から噛み合わない歯車が存在する。それは日に日に悪化していっている。そんな中で育ったせいか、目の前にいる6歳のお嬢様は、大人にならざるを得なかったのだろう。
「此処で聞いた話は絶対フランツお兄様の耳に入れないでね。
メアリー、そしてポールも」
2人を交互に見て、そう指示するサリエルに、メアリーとポールは「畏まりました」といってお辞儀した。
その返答に、サリエルは満足したように頷くと、2人に信頼しているという意味を含んだ笑みを向ける。
「ラウルが来ているのだったわね、
急いで身支度をするからメアリー手伝って頂戴」