第3話 はじめての大攻勢
「第六部隊、展開完了! いつでも行動できます!」
「北面から第一部隊移動中! 到着まで五分!」
「攻勢規模試算、過去最大級です!」
「そんなもん見れば分かる! 出撃中の幻脈使いも呼び戻せ!」
――。
――――。
――――――――。
怒号の飛び交う基地内を、トモカとヤヨイさんが静かに駆けていく。
僕が駆けていないのは、ヤヨイさんに掴まれて宙ぶらりんになっているからだ。
正直に言うと助かった。空を覆うカスケイドを見て腰が抜けてしまっていたので、トモカの前で、もといSPDのみんなの前で醜態を晒さずに済むのはありがたい。
「まったく、初日の夜からこれとは。先が思いやられるね」
「ん。でも望むところ」
「そりゃあ、僕たちくらいの実力があればね。明智くんはもちろん、他の面子はたまったものじゃないと思うよ」
数合わせの人手魔に、精鋭か指揮官格かと目される三面六臂の怪物、それから遊撃のドラゴンたち。
その他の有象無象を含めた、紛うことなき幻象氾濫が、一箇所を目指して襲来している。
――すなわち、僕を。
◆◆◆
第六基地『払暁』は、第六門の発生前から東都のランドマークだった双子塔の片割れ、青色の鉄塔を改造して周囲を要塞化したものだ。いわば巨大な物見櫓を中央に据えた、小規模の城塞都市のような様相になっている。
死地は、そこからほんの数千メートル先。
双子塔のもう一方。赤の片割れ――真っ赤な鉄塔を中心として、カスケイドたちを生み出す第六の『門』は展開している。
第六門のカスケイドの脅威は本来なら国を覆うほどだというけれど、それらは切っ先たる『払暁』と、それを支える国々の尽力によって関東全域に押し留められて、外へ漏れ出ることはない。
少なくとも、今のところは。
しかし人類が優勢かといえば、そんなことはなくて。
最接近区域――赤い塔の周囲、一千と余メートル。
その領域に人類は立ち入れない。
六つ目の『門』が現れてからこちら、そこに踏み入った者はいない。
関東全域が人類の最前線なら、赤塔の半径一キロメートルはカスケイドたちにとっての最終防衛線なのだ。
人類が関東の外へ出ようとするカスケイドに必死の攻撃をするように、最接近区域に近付けばカスケイドの抵抗は激しくなる。
僕はいつかそこへ赴く。少なくともそういう可能性を示唆されてはいるけれど、今のところ命令は出ていない。
幻象氾濫の決壊点に、いきなり起爆剤を投げ入れる真似はできない、ということらしい。
だから、僕は――。
「まあそういう事情は分かるんだけど……僕はこういう感じでいいのかな」
「ん。ちょこんと座ってるのが仕事。それに本もある」
「そうそう。警護対象が錯乱してると僕らもやりづらいし。どっしりと構えるのが明智くんの仕事だよ」
二人の女の子――片方は身体だけ――から、そう指図を受けて。
午後十時三十分。
――だから僕は、どういうわけか機能している廃墟の街灯の下で、ベンチに座らされていた。
流石にヤヨイさんの触手からは解放されている。
今の僕の仕事は、ここで静かに本を読んでいることだ。『払暁』本体から五百メートルほど離れた公園で。
人気はない。
本当に、人っ子一人いないのではと思えるほど。
実際は周りの建物なんかに第ナントカ部隊という方々が待機してくれているのだろうけど、彼らの姿は見えない。基地の中から届くというヒヅルさんの能力にだって、まだお目にかかっていない。
というのも、ここまで幾百幾千と現れたカスケイドたちはことごとくトモカの幻脈の餌食になっているからだ。他の攻撃で討たれるのは、奇襲を仕掛けようとした奴がトモカよりヤヨイさんに近い場所に現れたときだけ。
トモカに一撃で屠られるか、ヤヨイさんに一握で葬られるか。
カスケイドに待つ運命は二つに一つ。
しかしこの状況はトモカにとってはよろしくないらしい。
奇襲のカスケイドをヤヨイさんが倒すことについて、彼女は「獲物をとらないで」と頬を膨らませていた。
「たくさん倒したら稼げるってわけでもなさそうだし……」
トモカのモチベーションの在り処は謎めいたところが多い。
そして僕がそう思案している間にも、彼女の幻脈は敵を討つのだ。
黒い炎が現れて、見えない攻撃でぐしゃりと潰れる。
三面六臂の怪物が現れて、不可視の一撃にぐしゃりと潰れる。
ドラゴンのような姿形をした化け物が現れて――そいつだけはピンク色の巨大ない触手に、でもやっぱりぐしゃりと潰された。
「またとられた」
「今のはとったっていうか、ヤヨイさんがただ自衛したように見えたけど」
「むう。でも私の獲物だった。……というか、本。読まないの?」
読めないんだよ。
「本は確かにあるんだけどさ。周りでこうも轟音が続いてると、おちおち集中なんてしてられなくて」
「わがまま」
「……トモカだって、うるさい中で本を読むのは苦痛じゃない?」
「私は平気。雑魚相手ならカスケイドの相手をしながらでも読書できる」
びっ。と親指を立てたトモカの手には、僕が持っているものより――読んでいる、とは言えない――少し厚い小説が握られていた。
「こんなにいても雑魚なんだ」
「ん。私も暇」
だから暇潰し。と言ってトモカは文庫本のページをめくる。
「ついでにカスケイド潰し」
もう一度親指を立てて、なぜかトモカは小説に落としたはずの視線を再び僕の方へと向けた。
でも相変わらず、表情から感情は読み取れない。
……どう反応するのが正解なんだろう?
「面白いと思うよ」
「ん。自信作」
そしてトモカは三度親指を立てた。
べしゃりぐしゃりとカスケイドを潰しながら。
ここへ来てから、視界で黒炎が散らない瞬間はない。
僕に見えているだけで一秒に十体以上は狩られている。
それだけの攻撃を絶え間なく放ってなお、暇と言ってのけるトモカのキャパシティには恐ろしいものがある。
「ルーチンワーク過ぎる。……もっと基地を離れるべきだった」
「駄目だよ九重さん。明智くんの安全が最優先だ」
「敵が弱いと私のやる気が下がって伶に危険が及ぶ。だから、『払暁』から離れたほうが得策。証明終了」
「それを見越して僕がアシストについてるからね。反証完了だ」
「むむむ」
ヤヨイさんのアシスト以前に、やる気のないトモカの働きだけでもカスケイドは寄り付けていない。
ここは至って安全だ。平穏とは言い難いし、静寂とは程遠いけれど。
「じゃあ、伶が進言すればいい。特級特異点のわがままなら通るはず」
「トモカの頼みでもそれは聞けないかなあ」
勘弁してほしい。防人司令はともかく、門脇さんに目を付けられたら命がいくつあっても足りない。
「ふふふ。しかし渡りに船だったとはいえ、ここへ来て即日こんな目に遭うとはね。特級特異点というのは生きづらいね。流石に同情してしまうよ」
ヤヨイさんは苦笑しながら、近寄ってきたグリフォンっぽい何かを蹴散らした。
渡りに船。
確かに一面を見れば、その通りなのだろう。
本当なら移動に伴う消耗も加味して、しっかりとスケジュールを組んでから性能試験を繰り返す予定だった。
試験というのはもちろん、僕の体質がカスケイドを誘引する程度について。
しかし――
「これくらいは覚悟のうちです」
門から遠く離れてさえ、普通の日常は送れなかったのだ。
僕の『払暁』での暮らしが危機と波乱に満ちているであろうことくらい、簡単に想像はできていた。
「ん。臨機応変は大切なこと」
「それにしたって今回のはフレキシブル過ぎると思うけどねえ。ま、当の明智くんがいいと言っているのなら、それでいいのかもしれないね」
ふうっとヤヨイさんの吐き出した白い息が、空気に溶けていく。
――白?
「……おや。九重さん、気付いたかい?」
「ん。大物。……この距離にしては」
会話から察するに、新手が来たらしい。
それも今までのより強い奴が。
「心配しなくていい。雑魚の中では強いほうだけど、私の敵じゃない」
「もちろん僕の敵でもないよ。だから明智くんはそのまま座っていてくれ。もしまずいのが来たら、ちゃんと言うからね」
二人の言葉に安堵して身体の力を抜くと、尻の下からぽすんと音がした。どうやら気付かないうちに腰が浮いてしまっていたらしい。
なるほど確かに、心配するなと言われるわけだ。
やがて、冷気が強まる。
そして、一層肌寒くなった空の下。『はっ、はっ、はっ』と――まるで本物の犬のように呼気を鳴らしながら。
煌めく総身を持つ、魔犬の群れが現れた。




