第1話 三人目のSPD
午後十時。
月明かり差す基地の廊下を、僕はトモカと歩いていた。
あの暗室でヒヅルさんと戯れていた――僕が弄ばれていたともいう――僕たち二人に、揃って連絡が来たのが五分前。
門脇さんからの一斉送信にあったのは『αが戻った』という内容。
まだ見ぬクノウ・ヤヨイさんとの対面のために移動中である。
ヒヅルさんはついてきていない。そもそもメールが届いていない様子だった。
気が向いたら髪の毛だけで友情出演するかも、とは言っていたけれど……多分、気が向くことはないのだろうけど。
「それで、ヤヨイさんってどんな人なの?」
「秘密」
トモカはやはり、ヤヨイさんについて何も教えてくれないままだ。
「……ヒヅルさんのときみたいに驚く羽目になるかもしれないじゃないか。事前知識はあったほうがいいと思うんだけど」
「ん。きっといい反応をする」
さっきからずっとこんな調子である。
どうにも彼女は口数が少ないという以上に、意図して僕に情報を隠す節がある。
といっても害があるわけじゃなくて、気ままなサプライズ、つまり彼女の悪戯心を埋めるために利用されている程度だけれど。
「でもどういう見た目の人なのかくらいは、教えてくれてもいいじゃないか」
「……見た目なんて見れば分かるのに。なんで知りたがるの」
エンバンカーの人たちは見た目が個性的過ぎるからだよ。
ソファの上におまるを乗せた赤子とか、事務員スーツの人々に紛れたメイドさんとか、ヒヅルさんとか。
「そういえば、トモカって普通の見た目だよね」
「……褒めてるの? 貶してるの?」
トモカが立ち止まる。
振り返って僕を見たのは、相変わらず感情の読めない黄金の眼差しだ。
「どっちの意図も含んでないよ」
「つまり、私は可愛くない普通の女の子だ、と」
「可愛くないとは言ってないじゃん!? 他の幻脈使いが赤子だったり毛の塊だったりしたのに、トモカは普通にただの可愛い女の子だねって言いたかったの! 褒めても貶してもないって言っただけでそんなに曲解される謂れはないよ!」
「可愛いとまではっきり口にしておいて褒めてないつもりなんて。きっと将来ジゴロになる。そんな女泣かせに育てた覚えはない」
「育てられた覚えはないよ! だいたい、可愛いって付け足したのはトモカの誘導尋問のせいでしょ!?」
「つまり、本心では可愛いと思ってない、と?」
「……いや、その。可愛いとは……思ってる、けど」
「そ、そう。……嬉しい」
トモカの指先が、くるりと紅髪を弄ぶ。
心なしか彼女の頬も紅潮しているように見えた。
――う、嬉しい?
僕に褒められて、嬉しいと言ったのか。
なんだ、何が起こっている?
「カスケイドに乗っ取られてたりしないよね?」
「……それは流石に失礼。私だって、ときめくことくらい、あるのに」
そう言ってトモカは俯いてしまった。
なんだ、何が起こっている?
もしかして、僕の人生に春が――
がちゃり、と。
僕とトモカのすぐそばにあった扉が開いたのは、僕が青春に想像力の翼をはためかせようとした、まさにそのときだった。
「青春するのに、時と場合を選べと言いたくはないけどね。せめて人の部屋の前でくらい、自重したほうがいいと思うよ」
初対面。
扉の奥から顔を覗かせたのは、着物の似合う女の子。
純黒の瞳には、滲み出るような優しげな色を湛えていて。肩にギリギリかからないくらいで切り揃えられた黒い髪に、瑞々しい白い肌。
そして淡い桜色の唇から、また言葉が紡がれる。
「それに九重さんも。年長者として言わせてもらえば、人をからかうのも大概にしたほうがいい。そのうち痛い目を見るよ」
「痛い目なんて見ないもん」
口をへの字に曲げ、するりと女の子の脇を抜けて、トモカは部屋の中に入ってしまった。
……え?
待って。
待ってくれ。
ちょっと待って。その前に。からかうって、なんのことだ。まさか。
絶縁していた僕の脳回路が再び思考を始める前に、少女と目が合う。
「はじめまして、だね。確か明智くんというのだったかな。九重さんの演技に振り回されていた期待の新人クン。僕は夜酔。SPD006-α、分かりやすく言うならきみを守る第一の盾。僕が久能夜酔だ。夜酔と呼んでくれて構わない。今度ともどうぞよろしくね」
そんな風に自己紹介をしてくれる、少女の言葉は耳に入らず。
――演技に振り回されていた。
――からかうのも大概にしたほうがいい。
ヤヨイさんの言葉が脳裏で重なって、そして理解が及ぶ。
僕の人生に……春なんて来ていなかった。
知りたくなかったネタバレを受けて、僕はその場に膝をついた。




