第2話 特級特異点
「ではここからは、私が説明を引き継ぎます」
すやすやと寝息を立てる防人司令を、見計らったようなタイミングで部屋に入ってきた、別のメイド服の人に引き渡し、門脇さんがソファに座った。
並べられる紙束を見ながら、(立つのが疲れたから眠らせたとかじゃないよね?)と考えていたら、いつの間にかテーブルの上に注射器が置かれていたので、僕はそれについて考えないことにした。
好奇心は猫を殺す。
少なくともこの応接室にいる間、僕の座右の銘はそれだ。
「司令は枝葉末節まで用意していたようですが、いくつかは省かせて頂きます。特級特異点の説明など、当のご本人には無用でしょうし」
門脇さんの目を見て、僕は頷く。
その性質は僕が一番よく分かっている。
特級特異点。
俗に霊媒体質とか呼ばれるものの最上級版で、ただそこに立っているだけで周囲の魔を誘引してしまうという困った代物だ。
霊媒体質というそれ自体は、珍しいものじゃない。僕のような特級を除けば、下級から上級まで、この世は特異点で溢れている――生物を概ねそう呼ぶのだから、溢れるのも仕方ないというもの。
人間以外が下級、人間のほとんどが中級で、巫女とかイタコとか呼ばれるような人々が上級と区分されている。
その中で、僕が特級特異点と呼ばれている理由は二つ。
一つは、その誘引性能が大き過ぎること。もう一つは、その性能をコントロールできないことだ――つまり巫女さんのように舞えば怨霊を鎮められるとかではなく、際限なく怪物たちを引き寄せ続けてしまう。
「明智殿の役割は、いわば囮です」
上司が上司ならという感じの言葉に、思わず苦笑してしまう。
その通りだけど、こうも率直に突き付けられると。
だから、僕は――
特級特異点の、僕の体質はもはやどうしようもない。
僕だけの手に負える問題でもない。
通学中に近所の祟り神が解放されたり、他国で安置されていた神器がピタゴラスイッチ的に僕の家に飛来したりと、周囲にまで被害が及ぶのだ。
――だから、僕は選んだ。
ここで人身御供に……第六の門から氾濫する魔物たちに対する囮になることを。
「試算によると、関東全域を覆い尽くすカスケイドの九割を明智殿の体質によって誘引できるとされています。これを『払暁』の擁する最高戦力で叩く。残る一割はそれ以外の戦力で殲滅。そうして余力を生み出せば、状況が整い次第そのまま『門』へと逆撃する……という予定でした」
そのあたりの内容は、ここに来る前に読んだ資料にもあった。けれどその目論見は現時点で失敗していると言わざるを得ない。
「念のために確認しますが、明智殿を迎えるはずだったメンバーは全滅した、ということでよろしいですね?」
全滅。
つまり、全員がカスケイドにさらわれ――次元の狭間なのか異界の彼方なのか分からないどこかへ引きずり込まれたということだ。
「はい。僕が会ったのは十五人でした」
そう。
本当なら僕は、ここにトモカと一緒にではなく、第七部隊と呼ばれる面々と来るはずだったのだ。
彼らが全滅して、予定は既に狂っている。
第七部隊の持つ現代兵器はまったく歯が立たなかったわけではないけれど、押し寄せる群れの前には不足だった。
これは厳然たる事実。
現にこうして、僕のそばにトモカがいる羽目になっているわけだし。
しかしだからこそ思う。
そんな化け物どもを相手に、超能力とやらで対抗できるのか――とも。
僕の思案に気付いてか否か、門脇さんは話を続けた。
「あなたが会った一五人で、第七部隊は全員です。そこまでは想定通りに状況は推移していたということになりますね」
そこに存在する不確定要素は、つまり僕だ。
特級特異点という体質が、本来の想定を著しく上回ってカスケイドの攻撃を引き寄せてしまったということになる。
「とはいえ……敵の想定以上を加味したとしても、九重さんが単独で特異点防衛に成功したのは僥倖でした」
門脇さんの視線が僕の後ろに移る。
「ん。余裕だった」
トモカが、ぐっと親指を立てた。
彼女は基本的に無表情で言葉遣いも淡々としている割に、いきなり冗談を言ったり、行動がいちいちお茶目だったりする。
SPD006-β、ココノエ・トモカ。僕が引き寄せた怪物たちを迎撃する、特級特異点防衛班の一人。
彼女の実力は疑うべくもない。雲霞のごとく押し寄せるカスケイドを見もせず、触れもせずに叩き潰せるほどの幻脈使い――超能力者だ。
「それは重畳。実績がそうなってしまった以上、明智殿の保護はSPDを主体に組み立てます。他の部隊は補助に回ることになるでしょう」
そして門脇さんの目が、僕を見た。
「改めて、いえ、最後の確認です」
ごくりと唾を飲む音がした。
「あなたは――命を懸けて守られる覚悟がありますか?」
その問いに、
「もちろん」
僕は真っ直ぐに答えた。
◆◆◆
基地内の小さな更衣室。
そこで僕は支給された制服に着替えていた。
僕の顔を知らない者でも、あるいは遠目にも、『払暁』に所属する人間なら誰しもが特級特異点だと分かるよう特別にデザインされたもの。
一見すると軍服っぽい。
いや、確かに軍服なのだ、これは。
黒に近い赤褐色を基調にして、金色のボタンがあちこちについている。ポケットも多い。これはカスケイドに掴まれやすいとかいう問題点にならないのだろうか。
……そもそもカスケイドがどうやって人間を引きずり込むのか、よく知らなかった。
後で警戒すべき事柄を教えてもらおうか――と、実際に行動に移すかは別として、記憶の隅に留め置いて部屋を出る。
確か。そう、トモカは隣室にいると言っていたはずだ。
隣室、隣室っと。
「トモカ。着替え終わったし、次の場所に――」
最初に見たのは、振り返るときに揺れた赤髪だった。
次に見たのは、驚いたような金色の瞳だった。
その次は、むきだしの白い喉。
その次は、フリルのついた可愛らしい下着に覆い隠されている、なだらかにふくらみかけた双つの丘。
その次は。その次は。その次は。その次は――
頭のてっぺんから足の爪先にいたるまで、下着姿のトモカを水晶体に映し網膜に焼き付け、脳に保存した。
「桃源きょぶべっ!?」
目にも留まらぬ速さで顎へ掌底へ叩き込まれ、後ろへ回られて床へ引き倒された。一周ぐるりと目を回し終えた頃には、もう組み付かれていた。
首が締まる。
背中に温かい――けれどノゾむカンショクはない。
くそっ、なんでぐんぷくはぶあついんだ――
「ギブ! ギブ!」
ぺちぺちと、ともかのほそうでをたたく。するとすぐに、こうそくはとかれた。
かひゅっ、とおとをたてて、ハイにクウキがモドる。ノウにサンソがイきワタっていく。一瞬ホワイトアウトしかけた視界が、ゆっくりと元に戻っていく。
僕が身体を起こす頃には、トモカは毛布に身を包んでいた。
「……パンツは見せても、下着は恥ずかしいのか」
そういえば、下着も変わっていたな。
「何か言った?」
「いやなんでもありません」
ぼそりと言った言葉が咎められて、背筋に汗が流れる。
視線にはじとりと猜疑の色が滲んでいる。
「なんでそんなに堂々と覗きに来たの」
「……違う。誤解だ」
なんで僕は浮気のバレた男みたいな台詞を発する羽目になっているんだろう。
涙が出てきた。
「何が誤解なの」
「隣の部屋で待ってるって言ってたから」
「反対側の待合室のこと」
「そっちかぁ……」
考え事をしていたせいで、その点には完全に意識が向いていなかった。
僕の落ち度だ。
「……次は気を付けて」
「分かりました。トモカ様」
「その呼び方は気持ち悪いからやめて」
「ごめん。悪かった」
「分かればいいけど」
ぷいっと顔を背けて、トモカは更衣室内の椅子に座り込んだ。
……ふう。なんとか一難去っ――
「それで、さっき言ってたのは何?」
……ううん?
「さっきのって?」
「パンツがなんとかって」
――去ってなかった。
一難去ってまた一難だ! しかも自分で放り込んだやつ!
「いやぁ……なんでもないよ?」
「――なんだったの?」
ひっ。
「その、ええと、初対面のときにパンツが見えてたけど恥ずかしがったりしてなかったよね、って話です……」
「――――?」
何を言われたのか分からないという風に。
そしてすぐに、状況を思い出して合点がいったという風に。
眉を吊り上げて、スカートを押さえるように毛布を掴んで、僕を睨んだ。
「見たの」
底冷えのするような声だった。
聞くだけで背筋の正されるような声だった。
「見ました」
正直に言う。
それ以外の選択肢はない。
僕は選べる立場じゃない。
今ここを支配しているのはトモカだ。
そのトモカの肌が、上気して真っ赤になる。
「――――!!」
僕の意識を刈り取ったのは、無比の暴力。
それは全力の逸撃だった。




