第2話 ヤツカ
「疾ッ!」
セグメントの手が僕の顔へ向かう。
けれどそれは、トモカが生み出した不可視の斬撃によって弾かれた。
「なるほど、優秀だ」
最強のカスケイドをして、そう言わしめる力。
『剣撃』。
それがトモカの能力だ。
不可視の剣を虚空に作り出し、手を使わずともそれを振るえる。
斬撃はもちろん、刺突、あるいは柄による打撃に至るまで自由自在。
言葉にすれば至極単純。
けれどトモカは、その一撃一撃を神話の英雄のような威力で放つことができる。
もちろん優秀なのはトモカだけではない。
分身がレーザー遊撃やヒヅルさんの髪を突破してきたらすぐに退く。
決して深入りはしないが、好機を逃す真似もしない。
二度目の打ち合いを終えて、両陣営の距離が開く。
彼我の間合いは百メートルほど。
それは互いに、相手の隙を突くには充分過ぎる決死圏。――の、外周をなぞるように両者は歩く。
間合いは詰めない。
されど退かない。
次の一手は。次の次は。そのまた次は。
思考する。
「だが」
僕の与り知らぬレベルの読み合いが続く中、均衡の糸を断ったのは一筋の斬撃だった。
――だが。
それはトモカから放たれたものではなく。
「仕留めた」
異状を察知したレーザーも、防御を固めた銀の盾も、すべてを断ち切って――セグメントの居合が僕の右肘から先を奪った。
奇しくも。
否。
狙ったのだろう。
それは僕が、トモカを握っていたほうの腕だった。
衝撃で右腕が吹き飛んでいく。僕の握っていた剣と一緒に。
痛みはない。
けれど再び、セグメントの腕が僕を掴んだ。
厚く力強い掌が、僕の喉を握る。
「かっ――」
そして喉が、焼けた。
じゅうと音を立てて、僕の喉が。
僕を掴む、忌々しい腕を巻き込んで。
「――馬鹿な!?」
セグメントの表情が歪む。
ざまあみろ。
そう思って笑う前に、意識が途切れる。
再び世界を認識する頃には、右腕は既にくっついている。もちろんトモカも手の中に収まっていた。
そして僕を睨むセグメントの眼差しも、未だ健在だった。
「なんだ。人間、貴様。何をした」
まだ理解していない。
なら明かしてやる義理もない。
「当ててみろ、カスケイド」
戦いに気を回さなくていい僕の役目。
それは舌戦だ。
挑発で。あるいは悪罵で。
カスケイドにも感情がある。
少なくともセグメントには。
少なくとも表面上は。
思考を奪え。
冷静を奪え。
一つ敵の手を単純にすれば、二つ三つと味方が楽になる。
剣と刀がぶつかり、互いの身体に傷が刻まれていく。
けれどそれはすぐに消える。
敵は化物由来の治癒力で。
僕はヒヅルさんのトンデモ治療力で。
ギリギリの奪り合いで何度も負けながら、その度に『やり直す』。
そして何度目かの『やり直し』で、セグメントの顔に感情が浮かんだ。
「人間、貴様――」
一つは驚愕。
もう一つは知らない。察するにおそらく、僕が見たことのない、あるいは向けられたことのない感情だった。
「――死んでいるのか。なぜ生きている」
問いは正解だった。
これ以上ないほどに正鵠を射ていた。
「そんなことも分からないのかよ、カスケイド」
精一杯悪辣な言葉遣いで叫ぶ。
「蘇ってるからに決まってんだろうが!」
『払暁』の資料室を作った人々は、実に優秀だった。
僕が必要するか否かに関わらず、つまりは『すぐに必要なものかどうか』に関わらず。カスケイドどもに関する数多の資料を取り寄せ、記録し、残してくれていた。
「どうしても」
血みどろの制服を脱ぎ捨てて、言う。
「この作戦で僕が囮をするために、そこだけが問題だったんだ。僕は掴まれればそっちへ引きずり込まれるから」
だからそれを、回避する手段を探した。
探して。
探して、探して――
「結局、これしか思いつかなかったけど」
きっかけはカスケイドによる被害の映像だ。
そこに映っていたカスケイドたちは、人間をまさに掴んでいる瞬間であっても、被害者が自殺したり他殺されたりすると、いきなり興味を失ったように死体を放り捨てて次の獲物に向かっていった。
連中は生者にしか興味がない。
その仮説を裏付けるために、必死で資料室の中を引っくり返して回る羽目になったわけだけど、結局は有用性が確かめられたわけだ。
ならば、敵の手を逃れるために死ねばいい。
逃れてから、生き返ればいい。
簡単な理屈だ。
幸いにしてこちらには、とても限定的ではあるけれど死者蘇生のできる髪の毛、もとい幻脈使いがいた。
死んで五秒までなら蘇生できる上に、斬られた断面だって潰された部位だって綺麗さっぱり元通り。
それに死ぬのだって、トモカの斬撃、ヒヅルさんの髪の毛、ヤヨイさんの分泌液とよりどりみどり。その後はヒヅルさんに引きずってもらって、安全なように少し距離をとって蘇生すればいい。
有利極まる条件だった。
ヤヨイさんに説明したときは、変な目で見られたけどさ。
「――ふん。いい香りのする餌が寄ってきたと思ってみれば、とんだ狂人がきたものだ」
「香り?」
「……そこに反応するのか?」
僕の返答に鼻白んだ様子で、セグメントが眉をひそめる。
そうしていると、まるで人間だ。
「貴様の推測した通りだよ、人間。我らは効率化されている。死体を転がす趣味もなければ、芸術に頓着する感性もない。死者に興味を示さぬよう、示せぬように合理化されている。生者を幻界へ引きずり込む。それこそ至上。それこそ唯一。それこそが絶対だ。だから――」
セグメントが虚空を掴んだ。
何かを引っ張るように、腕を震わせている。
――違う。
そのとき、警鐘が鳴った。
脳髄の奥底から、けたたましく。
恐怖が鳴り響いた。
「――もらうぞ。生者を」
ぞわりと背筋を凍らせるような、直感じみた恐怖だ。
ああ、くそっ、確かに――
(トモカ! 髪を!)
――それは読んでいなかった!
(分かってる!)
同時に駆け出す。
僕の目に映る範囲で、何か変化が起こったわけではない。
けれど風が吹いて。
僕の身体を縛っていた、髪の気配が消えた。
セグメントが姿勢を崩した。
隙だ。
おそらく。
これは完全な希望的観測だけれど、ヒヅルさんの髪を掴んで引きずり込もうとしていたところを、トモカが髪を斬ったからバランスを崩している。
(……かなり大雑把に斬った)
(斬り残すよりマシだ)
おそらくあと幾ばくかの間、ヒヅルさんの髪はあてにできない。
しかし――
だからこそセグメントに向けて、僕は自分の意志で前へ進んだ。
九重暁鬼がカスケイドになった時点で、幻脈使いを引きずり込むことができるというのは予想していた。だからこそヤヨイさんには、後方で分泌液を垂れ流す仕事をやってもらう羽目になったわけだ。
だが、ヒヅルさんの髪を捉えられるカスケイドがいるとは思っていなかった。
そんなことができるカスケイドがいたなら、報告や資料があったはずだ。あるいは作戦が伝わった時点で、ヒヅルさん本人から聞けたはずだ。
だのに敵は、前例のないそれをなした。
おそらく証左だ。
このカスケイドは――世界が今まで対峙した、どのカスケイドよりも強い。
その証左だ。
「はあぁっ!」
気合一閃、剣を振るう。
素人の剣筋だ。
凡人の一撃だ。
幾百幾千、致死の斬撃が飛び交う中で、それをご丁寧に躱す道理はない。そんなことをするくらいなら、他の攻撃を一つでも多く避けるべきだ。
――けれどセグメントは、それを躱した。
そしてその判断は、正しかった。
剣本体から生み出された斬撃は、地を割り空を裂いて、この戦場を囲うビルまで届き――そしてさらにいくつもの建造物をぶち壊していった。
トモカが放てる不可視の攻撃は四百メートルまでしか届かない。
しかし僕が剣を振るって生まれた剣撃は、遥か遠くまで届いていた。
「なるほど。それが貴様の、さらなる切り札というわけだ」
いや僕のじゃないです。
心の中で弁解しながら剣を握り直す。流石に喋っている余裕はなかった。
(すごい)
(僕も驚いたよ)
二人で驚嘆を交わしながら、もう一度僕が剣を振るう。
やはり凄まじい斬撃は生まれて、セグメントは躱した。
しかし回避のために、必ず空隙は生まれる。
そこへトモカがいつも通りのほうの斬撃を叩き込む。
射程半径四百メートル。
されど彼我の距離は一メートル。
神出鬼没の斬撃はすべてがすべて、セグメントへと襲いかかる。
しかし。
――しかし斬撃が、空を斬った。
嗚呼、違う。
「――ああ。だが、神出鬼没は――」
降り注ぐ斬撃の中で。
「――我らの土俵だ」
セグメントは確かに、嗤っていた。




