第1話 セグメント
六つ目の『門』が出現してからこちら、生者が駆逐され尽くした東都の地には無数のビルが林立している。カスケイドたちが見向きもしないものがたくさん、触れられることもなく残っている。
その中でひときわ広く『確保された』場所に、僕とトモカは立っていた。
最前線にして最後の砦、『払暁』から三千メートル。
できれば思い出したくもない敗北の場所は、一昨日よりずっと広くなっている。
かつてあった地名の看板や遮蔽物の類は一夜のうちに撤去されて、四方・六百メートルほどはすっかり見晴らしがよくなってしまった。
今日、あのカスケイドを迎え撃つ。
昨日いっぱい、作戦認可からおよそ一八時間かけて準備されたこのコロシアムで、SPDのみんなとともに。
時刻は午前四時。
夜明けとともに、それは来た。
地平の彼方から彼方までを劈く陽光を背負って、ビルの間をゆっくりと。既に息絶えた獲物へ近付くかのように、悠然とした足取りでそいつはやってきた。
喪服のように黒いスーツに、赤みがかったオールバックの黒髪。この世のすべてを憎んでいるような濁黒の瞳。
人型カスケイド――目標名『セグメント』。
カスケイド化後の異様な強さはさておき、かつての能力だった『分け身』を有していることから、ひとまずこの作戦中はセグメントと呼ばれることが決まった。
「……来た」
どこか緊張した声音で、トモカが言う。
彼女の手は冷たい。
きっと出会ったあのときよりも。
「あの剣……見覚え、ないよね?」
「ん。初めて見る」
ぎゅっとトモカの手に込められた力が強くなる。
それはつまり、繋いだ僕の手を強く握ったということで。
思考しなければならないのに、心には嬉しさが湧き上がっていた。
「それに、幻脈の匂いがする」
トモカの言葉で我に返る。
一つだけ、セグメントには前回と違う点があった。
腰の左側に佩いた剣――いや、刀だ。
今は鞘に納まっている。
しかしわざわざ持ち出してきた以上、使う気があるのは明らかだった。
「分かった。じゃあ、トモカ。予定通りに――」してくれ、と言おうとした瞬間。
僕とセグメントの、目が合った。
「今日は、あの蛸女はいないのか」
――。
それをおそらく、たっぷり三秒は理解できなかったと思う。
耳に聞こえた音が言葉だと分かる前に、そいつは地面を蹴っていた。
言葉を発したのがセグメントだと分かる前に、そいつは僕の首を掴んでいた。
カスケイドに掴まれる。
それは生者としての終わりだ。
一度掴まれたら、カスケイドを殺して逃げるか、カスケイドに引きずり込まれるか、あるいは死ぬしかない。
その死を選んだ人間も、選びたかった人間も、たくさん知った。
『払暁』の資料室を作った人々は、実に優秀だった。
でも僕は、死を選ぶつもりはない。
「小賢しい」
セグメントの顔が歪む。
――カスケイドでも、悔しそうな顔をするんだな。
どうでもいいことを考えながら、僕は断面を見ていた。
セグメントの断面だ。
人体で言えば、左腕にあたる箇所。
左腕の肘から先が消えていた。血は出ていない。そしてそれを成したのはもちろん、僕の隣にいた人――トモカの能力。
一体いくつの攻撃を重ねたのか分からないが、とにかくトモカの最大瞬間火力なら、敵に傷を付けられる。それが分かっただけでも収穫だ。
一合目の成果としては、だけれど。
右手の冷たい感覚が消えていくのを感じる。
視線をやれば、もうトモカの姿はない。
彼女は淡い光に包まれて、剣になった。
一振りの剣に。
柄は短い。剣身は長い。歩兵用で両刃のショート・ソードだ。
死体のように――もとい非生物相応に冷たい柄に、僕の体温が染み込んでいく。
一見しただけでは、剣にしか見えない。
しかしこれこそ、この剣のような姿こそ――幻脈使い九重朝戈の最強形態にして、最終形態だ。
着る主を失った、トモカの衣服がその場に落ちる。それが何よりも雄弁に、この剣こそトモカなのだと語っていた。
――今日は水色か。
おっといけない。
瞬き一つの間に腕を修復したセグメントが、振り向きざまに拳を振るってくる。
だが遅い。
人間の僕を殺さずに仕留めようとするような一撃では――トモカの全力の一撃に、簡単にいなされてしまう。
「少年、貴様――」
セグメントの顔が苦渋に満ちていく。
これが一つ目のカード。
初戦では見せていなかった、トモカの全力。
そして二つ目。
「――抱えられて逃げた素人の、動きではないな」
「大当たりだよ。カスケイド」
騎士人形の代わりに、僕の身体をヒヅルさんに操ってもらっている。
(――すごい)
トモカの意識が流れ込んでくる。
(どうかした? 不具合があるなら――)
僕も意識で答える。
ところでこれ、さっき水色とか考えたことは筒抜けなんだろうか。心配だ。
(――そんなもの、ない。最高。いつもより、すごく……調子がいい。これは…になる。病みつきになる)
なんだかちょっとアレな気分になる感想を聞きながら。
聞いたことのない斬撃音を響かせながら、セグメントの身体がひしゃげる。
追撃するために剣を向けようとして、僕の右腕が勝手に動いた。
背後を斬り裂く。
胸元を深く抉られたのは、セグメントの分身だ。
でも――
「ちょっとヒヅルさん! 今『ゴキ』って! まずい音がしたんですけど!」
『ヘーキヘーキ! 痛みとかないでしょー!?』
「そりゃないですけどね!?」
――痛みのないまま、右肩の骨が外れて元に戻った……と、思われる。
なにせ感覚がない。
ヒヅルさんの髪を伝って、僕の身体の感覚は麻痺させられている。意思疎通はできるよう、思考や舌は回るようになっているけれど。
この戦いには僕とSPD全員、そして門脇さんの同時運用が許可されている。
まず最初に、戦場の構築。
つまりは伏せ札。言わば〇枚目のカード。
広い区画を確保し、かつ周囲にビルが密集したこの場所で、他の雑魚カスケイドの襲撃、あるいは分身の行動を押さえる。
担当はビルの窓ガラスを利用した、門脇さんのレーザー遊撃兼防衛網。
次いで構築した戦場に、敵を誘い出す。
特級特異点たる僕自身がここに立つことで、戦場を強制的にこの場所にする。とはいえこれは、最後の切り札に至るための前準備でしかない。
最後にカスケイドとの決戦。
能力を完全解放すると、剣になってしまって移動ができない――自分の周囲を斬撃するというような、強引かつ大雑把過ぎる手段は除く――トモカを、僕が扱う。そして僕の身体の操作を、ヒヅルさんの操り糸に任せる。
さっきのように、無理な機動に関しても心配ない。適宜、ヤヨイさんの分泌液を髪づてに僕へ流せるよう、ヒヅルさんの部屋に待機してもらっている。
他にもいくつか手はあって――




