第3話 根回し
眠るトモカの顔と、沈む夕日。変わらないものと変わりゆくものを交互に眺めて、僕は無為に時間を過ごしていた。
答えは出ない。
死にたいわけじゃない。
けれど、送還されたいわけでもない。
ここに生きる人々を見て、ここで起こる戦いを見て、のうのうと平穏――ではないけれど、カスケイドから離れた――生活を送りたいとは思わない。
「どうすればいいんだろう」
静かな医務室で独り言ちる。
人気のない部屋で想像以上に声が反響して、自分の声が耳朶を打つ。
――どうすればいいんだろう。
疑問が心に染み入って、不安となって膨らんでいく。
彼女たちはプロだ。
カスケイドを殺すプロだ。
だけどプロだから、事態に万全の解決ができるわけじゃない――僕の知る誰かが死ぬ可能性だってあるのだろう。
たとえばヤヨイさんが。
たとえばヒヅルさんが。
たとえば――
「――トモカ」
隣のベッドを見る。
まだ寝息を立てている。
平らかな胸が規則正しく上下している。
一瞬、窓ガラスが煌めいて。
僕は口笛を吹かんばかりの勢いで目をそらした。
もう何度かこのルーチンは続いているのに、僕という男は学ぶ気がないらしい。少し考えればこんなところに、戦闘不能の幻脈使い一人と特級特異点一人を、無防備に放り出しておくはずがないことくらい分かるというのに。
きっと結界も張られていて、異状があればすぐに行動部隊を派遣できるようにされているのだろう。
そんな監視下で、何かしようとする意気はなかった。
それでも視線だけは動いてしまう。男のサガというやつかもしれない。
……窓の上に陰影で、『行動に移したら こちらも実力行使に出ます』と書かれていた。門脇さんもあの情報伝達技法を使えるのか。
いや、当たり前か。
あの人型カスケイドでも警戒するようなレーザー光線を放てるのだ。鏡として光を操ることができるなら、このくらいの芸当はたやすいはず。
――そうだ。カスケイド。
トモカの父親のなれのはてだという、あのカスケイド。
あれさえ現れなければ、僕は今ここで悩む必要もなかった。トモカが再会を喜ぶか、悲しむかは別として、どうしても思ってしまう。
あれさえ現れなければ、と。
まったく馬鹿馬鹿しい強さだ。
SPDの二人が、『払暁』の最強戦力二人が、僕というお荷物を抱えていたとはいえ、力を合わせても敵わないような――
――。
そこで何か、引っ掛かりを覚えた。
知っていることを、見落としているような。
――――。
なすべき想像を、怠ってしまったような。
何が足りない?
何を忘れている?
――――――――。
窓ガラスの向こうには、夕焼けが映っていた。
「――ああ、そうか」
立ち上がって、窓を見る。
「門脇さん。聞こえますか」
そして僕が今、最も頼るべき人の名前を呼んだ。
ガラスを含むあらゆる『鏡』の支配者にして、『払暁』の影の支配者。
八咫の鏡の幻器使い。
門脇支。
トモカに言われた通り、そして僕が見た通りに彼女がガラスを操れるのなら、ガラス越しにこちらの言葉だって届くはずだ。
振動盗聴器という科学の賜物が存在する以上、同じ原理をあの人が採用しない理由はない。
はたして数秒後。
窓に再び不自然な陰影が浮かび上がった。
『はい』と短く書かれていた。
「訊きたいことがあります。まずは――」
そして、僕は。
僕が選びたいものを選ぶために、言葉を紡いだ。
◆◆◆
時計は天頂どころか再び地の底をさらって、今は午前十時。
トモカも目を覚ましたと、少し前に伝えられた。
残念ながらそのとき僕は別のことに集中していて、彼女の目覚めには立ち会えなかったけれど。
そして現在。
ようやくあてがわれた、僕の――そして命令通りに選択すれば、すぐにでも『僕の』という修辞は消え去る――部屋にヤヨイさんがいた。
「お早いですね」
「朝というには遅いけれどね」
皮肉げに頬を歪めて、ヤヨイさんの視線が僕を射抜く。
和服を着た美少女にしか見えない見た目から、扶桑随一の祟り神ですら刺し殺せそうな威圧が放たれている。
「わざわざ寝室をもぬけの殻にしてまで、何をしていたんだい?」
――もう用はなくなるのに。
そう言外に匂わせている。
平生なら桜の匂いでもしそうなのに、なんて埒のないことを考えていると、焦れたようにヤヨイさんがさらに言い募ってきた。
「まさか生きたままここに残りたい、なんて我が儘を言うんじゃないよね?」
「言うわけないでしょう」
「だったら選んでもらおうか。『死ぬ』か。『去る』か」
「……選べるわけ、ないでしょう?」
そこでようやく、僕はソファに座る。
扉を開けてすぐに言葉を交わし合ってしまったのは失敗だった。
すぐさま資料を広げようと、鞄を手元に引き寄せる。
「きみが選ばないというのなら、僕が代わりに選ぶことになるよ。元々、そう命じられていたことだから」
触手がゆっくりと鎌首をもたげる。
反応できない速度で素早く封殺しないのは、僕を威圧するためだろうか。やっぱりどうしても、僕自身に選択させたいらしい。
お望み通りに選んでやろう。
きっとヤヨイさんの望んだわけではない、答えを。
「――受け入れられるわけがないでしょう。あんな選択肢。僕は、ここに残って、カスケイドと、戦う。そう決めたんです」
「……それで世界が危険にさらされるとしても?」
「さらしません。きちんと考えた上で、案を持ってきました」
僕の手の中にある紙束を、ヤヨイさんが眇める。
「それが案かい? きみの考えたという――」
「許可ももらっています」
虎の子を切る。
「立案には門脇さんに協力してもらいましたし、防人司令にも認めてもらっています。ヤヨイさんが反対する理由はないはずです」
机の上を滑らせて、紙束をヤヨイさんの前にやる。
これが僕の持っている中で、最大のカードだ。
僕の差し出せるすべてをまとめた、たった一枚の大札だ。
「……分かった。それなら僕が口を出す話ではないね。それで? これを僕に見せて、どうするつもりだい――どうしてほしいんだい?」
ぺらりと細い指が紙をめくる。
微笑に諦念の色を混ぜて、ヤヨイさんは僕を見た。
「まさか特に理由なく、ここへ来たわけじゃないんだろう。ただ実行するだけなら、今もう動ける状況のはずだ」
そう。
門脇さんと防人司令にお願いして、ヤヨイさんへの通達を遅らせてもらった――ここへヤヨイさんが来るように仕向けてもらったのには理由がある。
「この案を実行してもらうにあたって、一つだけ足りないピースがありまして」
「――九重さんか」
打てば響く返答に、思わず口角が上がってしまう。
僕がトモカと気まずいままだということを覚えてくれていたようだ。
「門脇さんでは駄目だったのかな? 彼女の能力なら、きみと九重さんの事情についても知っていると思うけど」
「距離を詰められる場所がいいんです。できれば簡単に」
「ああ、なるほど。確かに門脇さんから応接室以外へ呼び出されたら、警戒してしまうだろうね。しかし……ふうん……距離を簡単に詰められる場所、か。きみは結構強引に仲直りするんだね?」
「そういう意味ではなくてですね!」
「ほう。そういう意味とはどういう意味かな」
「いや! えっと――」
「冗談だよ。……分かった。適当な理由をつけて彼女を呼び出すから、きみはそこに偶然居合わせてくれればいい」
「ありがとうございます」
「しかし、きみは本当に――これでいいのかい?」
「もう決めたことですから」
ヤヨイさんは僕の言葉を聞いて、ふっと笑った。




