第2話 ◇密談
今話は三人称パート。
この1話だけです。
廊下を歩く夜酔の周りを、いくつもの銀文字が飛び交っていく。
『あんな言い方しちゃってさー』
『もっと優しくしたげたほうが良かったんじゃないー?』
『年上のくせに大人げないにもほどがあるよねー』
『ついこの間まで一般人だったんだよー』
『思いやりの心ってものが』――
ぴくりと夜酔の眉が跳ね上がって。
「うるさいな」
『喋ってないもーん』
屁理屈をのたまう日弦の髪を、夜酔は容赦なく睨みつける。歴戦の少年の怒気はしかし、髪を梳く指先のように髪の間をすり抜けていった。
「何か言いたいことがあるなら、もっと具体的に言ってほしいね。だいたい、僕は伝えるべきことは伝えたし」
『別に何も言ってないよー。すなわち言いたいこともないよー。髪の毛が風に揺れてるだけだよー。』
むっとして食い掛かろうとした夜酔を避けるように、日弦は『おっと』と文字を挟んで言い訳を並べる。
『でもねー、髪は女の命っていうでしょー? だからちょっと私の命と共鳴しちゃった節はあるかもー。だから私の命を奪うのはやめてほしいなーって。』
「……それで? 本題は」
『ああんつめたいっ』
「…………自覚があるかは知らないけど、直接顔を合わせて会話していないときの細石さんは五割増しで鬱陶しいよ」
冷たい眼差しで浮かぶ文字を見やった。
彼の声音もまた氷点下を思わせる寒々しいものだ。
『えー。でも伶くんは普通に接してくれてたよー?』
「それは彼の人間性の問題だろう? 僕ときみのやりとりには関係ない」
『夜酔くんって大概私のこと嫌いだよねー』
「嫌いなわけじゃない。今はちょっと気が立って――」
『気が立って?』
「……なんでもない」
じろりと視線で威圧してみても、もはやすり抜ける怒気すら放てていなかった。ただここには、誤魔化しに失敗して恥ずかしい思いを抱えた少年がいるだけだ。
『それでさー、本当に返しちゃうわけー? 私的にはあの子、肝が据わってそうで気に入ってたんだけどー』
「その豪胆も、ひどく歪なのが問題なんだ。発揮されるのは彼個人に問題が留まっている場合だけ。今回、朝戈に累が及んだ途端に面白いほど動揺しただろう?」
『あ、ごめんルイガオヨンダって何ー? 難しい言葉使うときはちゃんと漢字で発音してほしいなー。検索しづらいから!』
「……『累』計の『累』に、『及ぶ』は普通の『及ぶ』だよ。意味は自分で検索してくれないか」
『ほいほいっと。……あー、なるほどね。ふんふん。……で、元の話題だけどー。伶くん、おかげで言いづらいことも言い出せちゃうくらい動揺してたねー』
「蒸し返すのはやめてくれないかな?」
眉間のしわをほぐすように指を押し当てて、夜酔が苦渋に顔を歪めた。
決して普段から二人の相性が悪いわけではない――平生であれば、例の引きこもり用趣味ルームで本の談義をするような仲でもある。単に伶の処遇について、今は対立しているというだけのこと。
「とにかくそういう事情があって、覚悟のできていない人間を現場に置くわけにはいかないという判断さ。それも僕がそうしたわけじゃないし――」
『朝戈ちゃんはともかく、私だと言わないって、それも判断されたからじゃなーい? つまり夜酔くんは非情の通告も簡単にできちゃうような人間だと思われてるってことでー、きみはその通りの人間だったってこと!』
挑発的な銀文字から、ついに夜酔は目を逸らす。
しかし回り込むように、銀文字もくるりと移動した。
「……彼が気負わず済むような結果が出たら、また囮として呼び戻すことも考えていると。司令はそう言っていた。僕はそこまで聞いて、伝えることにしたんだ」
『後の部分は伝えなかったのにー?』
「だって、もしも犠牲が出たら。そして彼に呼び戻しの通達がいかなかったら。……誰かが死んだと伝えるようなものじゃないか。元々、もう一つの選択肢なんて選びようがないんだ。うまくいったときだけ伝えればいい」
『大仕事だねえ。あんな化け物相手に犠牲なしで勝てってことー?』
「少なくともSPDの面子が書類から消えるような事態になれば、絶対に誤魔化しはきかないだろうね」
『頑張りますかー。年上組の苦悩だー。』
「……きみが年上ぶっているところは、初めて見たよ」
『ふふふー。女の子はいつだって若くありたいものだからねー。』
「そういうことにしておこう」
夜酔は『払暁』の廊下を歩いていく。
その周りを、銀色の文字が竜巻のように飛び交っていた。




