第1話 命令
意識が戻ったのは、周りを白いカーテンに区切られたベッドの上だった。
「目が覚めたかい」
最初に見えたのはヤヨイさん。次にその後ろで揺らめく銀色の髪。そして最後に、ヤヨイさんの手の中にある小さなリンゴだった。
「僕は――死んだんですか?」
「最初の質問がそれかい? ……まあいいか。答えはノーだ。気を失っただけだよ。きみは死んでない」
『夜酔くんの言うとーり! 私も治療してないよー。』
「――そうですか」
頭を振って、記憶を整理する。
ここへ来て、『払暁』の面々と出会ったこと。覚えている。
「あれからどれくらい経ちましたか」
カスケイドの襲撃で、初日の夜は眠るのが遅かったこと。覚えている。
「六時間ほど。きみの性能試験は中止になった。正確には測定不能という結果が出たけど。あれ以上は続けられないという判断だ」
朝、トモカに抱きついてしまって気まずい雰囲気になっていたこと。覚えている。
『人型カスケイドに襲われて、どうにか基地の結界まで逃げ切ったところで倒れちゃったんだよー。覚えてるー?』
――もちろん、覚えている。
「人型のあいつは、諦めましたか。それと――」
「どちらともいえない」
ヤヨイさんの唇からこぼれたのは、曖昧な回答だった。
『偵察の人がねー。赤鉄塔の門の上にー、よく似た何かがいたのを見たってー。報告が上がる頃にはもういなかったらしくてー、裏は取れてないらしいけどー。』
「ヒヅルさんからは見えなかったんですか?」
『私はずっとここに意識向けてたからねー。それに映像拡大とかはできないから、遮蔽物がないなら望遠鏡のほうが優秀だしー。』
ついっと髪先が僕のほうから逸れた。
ふてくされた少女のような仕草に、口元が緩む。
……いや、駄目だ。騙されるな、明智伶。ここには男と髪の毛しかいないんだぞ。
あとリンゴ。
「ひとまずうさぎだ。何かリクエストがあれば聞くけど」
「特にないです。それより――」
いつの間にかリンゴがうさぎの姿になっていた。
『ねーねー そーれーよーりーもー』
ふわりと銀髪が渦を巻く。
『朝戈ちゃんとご対面ー!』
しゃっとカーテンが引かれて、隣のベッドまで視線が通った――
「――トモカ」
トモカは眠っていた。
すぅすぅと寝息を立てて、身動ぎ一つする様子はない。
「明智くん、落ち着いて」
気付けば身を乗り出していたらしい。
ヒヅルさんの銀髪がベッドを延長して橋渡ししてくれていたけれど、ヤヨイさんの触手が僕をそれ以上前進させないように行く手を遮っていた。
「トモカは無事なんですか」
「無事もなにも、麻酔がよく効いているだけだよ。傷一つない。……ああ、そうだ。これは聞き流したければ聞き流してくれて構わないことなんだけどね」
ヤヨイさんの目が僕を見て、それからトモカを見た。
「あの人型カスケイド。僕の触手と日弦さんの髪についていた体組織からして、間違いなく九重さんのお父さん――幻脈使い九重暁鬼のものだと分かった。あの分身能力を、生前の彼が保有していたこともね」
「……トモカは、それを」
「知らないよ。さっきも言ったけど麻酔からまだ目覚めてない。ちょっと予想より効きが良くてね」
肉親が、よりによって実の両親がカスケイドになった。
「で、続きだけど。きみの『使用』はもうしばらく見送られることになった。しばらくと言っても三日とかからないだろうけどね。九重さんが起きて、あの人型カスケイドを討伐したら、また試験の続きだ。なにせもう六時間、偵察と思われる雑魚すら一匹も湧いてないからねえ」
『門脇さんの不敵な笑みがねー、死ぬほど怖かったよー。まあ五秒で完治したけど!』
「細石さん? この部屋にもガラスはあるからね」
『そうだった!』
ブルブルと震える子犬のような図画が描かれた。
可哀想に。
ご冥福を祈ることくらいしか、僕にはできない。
「……すぐに反撃することは、できないんですか?」
六時間。
人型の出現で厳戒態勢だったにしろ、戦闘がなかったなら普段よりいくらかは消耗が抑えられているはずだ。
その総力を使えば、人型カスケイドも討ち果たせるかもしれない。
「奴ら、雑魚は人型の戦闘に手を出してきませんでした。次も僕を囮にすれば、同じ状況で、もっと有利に――」
できるなら、トモカが起きる前に――
「それは駄目だ、明智くん。きみは次の作戦には参加しない」
「どうしてですか」
「きみを守りながら戦う余裕がないからだ。少なくともそういう判断が下されたことは事実。きみの作戦参加は、ない。そしてもう一つ。きみはすぐの反撃と言ったけど、これもない。これは総力戦だからだ」
作戦は実施される。
僕は作戦に出ない。
総力戦。
理解した途端に、言葉が口を突いて出た。
「トモカとお父さんを、戦わせるんですかっ」
「当たり前だろう。僕たちはそのためにここにいる」
――そんな馬鹿な。
「たとえカスケイドになったとしても、親なんでしょう!?」
――いくらなんでも。
「それに刃を向けろなんて――むぐっ!?」
ヤヨイさんの触手が、僕の口を押さえつけた。
純黒の瞳が僕を見る。
「親がカスケイドになっていても、恩師が、子供が、恋人がカスケイドになったとしても――戦うのがエンバンカーだ」
彼の顔に、微笑は浮かんでいなかった。
「ことに今回は勝手が違う」
「――ぷはっ」
呼吸を解放されて、息を吸い込む。
勢いを削がれたことで、僕の心は落ち着いていた。
唇が湿っているのは気のせいか、あるいは。
ともかく深呼吸と、ヤヨイさんの冷静な瞳のおかげで、僕の心は少しだけ落ち着いた。
「最接近区域にしかいなかったはずの、ごく普通の人間の姿をした最強のカスケイドが、基地まで僅か三千メートルのところまでやってきてしまった」
「僕の、せいですか」
「責任という話なら、防人司令がとってくれるだろう。しかし原因という話なら、特級特異点に引き寄せられたとみるのが妥当だろうね。これで迂闊に僕らはきみを囮にするわけにもいかなくなったわけだ。あのカスケイドを討伐するまでは」
やれやれとばかりにヤヨイさんは頭を振った。
「それで、ね」
気付けば、ヤヨイさんの触手はもう綺麗さっぱり消え去っていて。
彼はトモカの眠るベッドに腰掛けていた。
「きみには一つだけ選択すべき事柄があるんだ。これは『払暁』からのものだと考えてくれていい。防人司令が決定して、門脇さんを伝って僕に任されたことだから」
ごくりと喉が鳴る。
選択。
この状況で課せられるそれが、到底僕にとって望ましいものだとは思えない。けれど僕は、自ら望んでここへ来たんだ――彼らがエンバンカーであるように、僕もやれるだけのことをやる。
そう決意して、
「――明智くん。きみを送還せよと命令が出ている」
次の瞬間には、それは打ち砕かれた。
「……なんて、言いました?」
「大意を述べると、『明智伶を人型カスケイドの手に渡すな』ということだね」
そこでヤヨイさんは、窓を見た。
「九重暁鬼は決して弱い幻脈使いではなかったけど、探せばいる程度の戦力だった。能力はあの分身を一つ作り出せるだけ。操作できる射程も短く、本人が戦場まで出向く必要があるほどだった。はっきり言って細石さんの下位互換。そんな彼でもあれほどのカスケイドになった。それが問題でね」
嗚呼、つまり。
「特級特異点というのがどれくらい稀少なのか、僕は知らないけど」
意味を理解した俺の顔へと視線を移して、ヤヨイさんは続ける。
「きみをカスケイドに渡すわけにはいかない。その具体的な方策として『きみを殺す』と『きみを故郷に送り返す』とが、提示されたわけだ」
「つまり僕に、死ぬかここを去るかを選べ、というわけですか」
「正解。きみには選択肢がある」
ヤヨイさんが微笑を浮かべる。
選択肢。
いい言葉だ。
僕の望む選択が、そこに含まれていないことを除けば。
「答えは明朝に聞くことになっている。それまではゆっくりするといい」
そう言い置いてヤヨイさんは席を立った。
話す人間のいなくなった医務室は、寒気がするほど静謐で。
僕は眠るトモカの顔を、何も言えずにじっと見下ろしていた。




