第5話 撤退
人形の背に、銀色の髪を差し込む。
僕の首の代わりに、鈍色の兜がひしゃげる。
一秒にも満たない間隙。
力はヒヅルさんの力で。
教えてくれたのはヤヨイさんで。
けれどそれは、僕の判断で稼いだ一瞬でもある。
そして一瞬のおかげで、僕は生き延びた。
鎧がひしゃげる。
僕の首が掴まれる前に。
人型カスケイドの腕が届く前に。
銀色の髪がなびいて、人型カスケイドの進撃を止めた。
桃色の蛸足が蠢いて、人型カスケイドの身体を打った。
カスケイドが吹き飛ぶのを見送り、僕の代わりに首を奪われた藁人形――ではなくなった、それを見る。
今はもう人形というサイズではない。
見た目も人形のそれではない。
太陽を反射する分厚い鎧を身につけて、重そうな盾と鋭い剣を握った巨躯の騎士――
『ナイスタイミング伶くん! 最高だよ愛してるぅ!』
――が、地面を滑るように一定のポーズのまま、僕らについてきていた。
擬態語をつけるなら『すいぃーっ』と、いう感じ。
「……なんですかこれ!?」
『ひどいっ! 命を救ってくれたアンデルにその言い草はないんじゃないかなー!?』
「でもその動きはちょっとアレですって!」
気持ち悪い。
まあ髪の毛で操るのだから、確かに走る必要はないのだろうけど……首のない騎士が足を動かさずにすぅっと流れてくると、オバケみたいだ。
『気持ち悪いって言いたいのー!?』
「分かってるなら訊かないでくださいっ!」
「はい。二人ともそこまで。二回戦だ」
ヤヨイさんの号令で、騎士人形が盾を構える。
仕返しのつもりか、再度飛来した人型カスケイドは、吸い込まれるようにその盾を蹴り抜いた。
ただの革靴にしか見えない怪物の一部と、ハリボテなのにしっかり鉄っぽい見た目の盾。二つがぶつかり、再戦のゴングが鳴る。
騎士人形は超人じみた動きで人型カスケイドを翻弄している。
それが体力からくるものではなく、操り糸と化した銀髪のせいだということを僕は知っているけれど……それでもすさまじい機動だった。
銀髪だけでは足りなかった威力を、金属製の装備をフルに活用することで補う。
元気にビル壁の表面を、アスファルトの上を駆け、蹴りを拳を――ではなく、盾を剣を叩き込む。シールドバッシュに打ち下ろしに、さらに三次元機動。馬に乗った人間の身体では決して有り得ない選択肢を得ている騎士は、御伽話の英雄の如き力を振るう相手にも互角に戦っている。
もちろんヒヅルさんの戦いは、騎士を使ったラジコン戦闘だけではない。
要所で髪を、砕かれたアスファルトを、あるいは崩れたビルの残骸を。ありとあらゆるものを使って人型カスケイドの勢いを削ぐ。
本体の頭を一瞬だけ押さえた後、騎士人形は分身との一対一にもつれこんだ。
気付けば基地はすぐ近くに迫っていた。
「――勝った」
僕の頭上から、どこか安堵したような音色の言葉が落ちた。
見上げた先にあったのは微笑。
いつも通りの、ヤヨイさんの笑みだった。
――勝った。
その言葉が僕の脳髄に染み込んで。
歓喜の電流が走るより早く。
それは放たれた。
目を焼いたのは、視界を覆い尽くすレーザー光。
耳をつんざいたのは、鼓膜を震わせ尽くす蒸爆発音。
きぃんっと脳髄の中に蟠る残響が晴れて、目を開けたとき。
おそらく事態を理解していないのは僕だけだった――
『うおっ!? まぶしっ!』
……僕だけではなかった、かもしれない。
「何やってるんですか」
『あ、起きたー? っていうか耳鳴り大丈夫ー? ちなみに私はまだあんまり芳しくないんだけどー。』
「もう、大丈夫です。さっきのは?」
周りにあったビルのガラスがいきなり光り輝いたように見えたんだけど。
敵の攻撃ではなさそうだったが、そんな兵器があっただろうか。
『八咫鏡のレーザー攻撃だねー。近接閃光支援ってやつー?』
「支援って。味方に被害が出てるんですけど……」
『じゃあジンジャー・エールってやつだねー!』
「デンジャー・クローズって言いたいですか?」
「二人とも。まだ終わってないよ」
冷静な声で我に返る。
分身は引き離されているが、本体はまだこちらを眈々と睨んでいた。
まあ、目に力を篭めるくらいしか僕にできることはないんだけど。
もう奥の手も使っちゃったからね。
「……向かってきませんね」
「本当だ。さっきのレーザーを警戒してくれているのかもしれない。敵に負傷は見当たらないけど……とにかく好機だ。今のうちに引いてしまおうか」
『賛成ー。逃げろ逃げろー。』
◆◆◆
人型カスケイドの本体は追ってこなかった。
単独で追い縋ってきた分身を、髪と触手と騎士で封じ込めて、僕たちは『払暁』への退却に成功した。
「――助かったよ、明智くん。奇襲の読みと、人形使用の判断。見事だった」
恥ずかしげにヤヨイさんが笑う。
肌が白いぶん、頬が赤らんでいるのがくっきりと分かって――うん、可愛らしい。
彼は男だと言い聞かせようとする意志と、今は女だと主張する意志が脳内で鬩ぎ合う。その争いは熾烈ではあったけれど、まだ……まだ、僕の脳に「男でもいいじゃないか」と言い出す決断は出現していない。
「役に立てて良かったです」
ヤヨイさんの褒め言葉に、僕は無難な返事をする。
触手に掴まれ、不格好なてるてる坊主みたいになっていなければもう少し気障な台詞を言ってみたかったけど……こればっかりは仕方ない。
『爆発しろ』
頬にちくりと痛みを感じて視線を向けると、禍々しい文字があった。
「うわっ!? ヒヅルさんどうしたんですか!?」
爆発って。
怖い。何か恨みを買うようなことをしてしまっただろうか……?
『爆ぜろ』
「ちょっとやめてくださいよ!」
ぷすぷすと髪先が針のように肌を刺してきた。
さらに銀髪がうねって、新しい言葉を形成する。
それを見ると――
『私の前でイチャコラするなー!!』
――してない。
「イチャコラなんてしてませんから!」
『してるよおおお!』
そもそも男二人ですから!
「……ええと。とりあえず、明智くんは地面に下ろすよ? 九重さんのことも医務室まで運びたいし」
『あっ、ごめんねー』
「すいません、下ろしてもらって構いません――つっ」
硬い地面の感触が足裏に戻る。
続いて尻もちを、ついた。
あれ。
おかしいな――
「――――」
『――――』
届いた言葉も見えた文字も、理解する前に。
僕の視界は暗く閉じた。




