第1話 最初の夜
夜。
僕は『払暁』基地内にあてがわれた自室で、ゆっくりと英気を養う。
――はずだった。
「なんでヒヅルさんの隠し部屋で寝泊まりする羽目に……」
「ここが一番見張りやすいからだねー」
暗い部屋に、機械的な声が響く。
部屋の隅にある穴からにょろりとはみ出た銀色――ヒヅルさんの髪の毛の打鍵に合わせて、機械的な声がテキストを読み上げている。
会話専用の機械がどうしてわざわざこちらの部屋にだけ据え付けられているのかといえば、画面を見たり本を読んだりしていると、空中に浮かぶだけの髪文字では気付かれないことが多いせいだ。
最初に訪れたヒヅルさんの自室とは違って、ここは夥しい娯楽で満ち溢れている。
ゲームに小説、音楽に漫画。
品揃えはそのときどきのマイブームで変わる、というのは所有者の言だけれど、トモカやヤヨイさんもこの部屋には足繁く通っているらしい。
と、ここの部屋事情はさておき。
――英気を養うはずだった、のに。
基地に来た当日からカスケイドの襲撃があったせいで、特級特異点を防衛する体制が急遽見直されることになってしまった。
「しかし夜中に起きていてもらうのは、女性に対しては悪い気がするというか」
「快眠中に叩き起こされるよりはマシだと思うけどねー。それに私は昼夜逆転が平常運転だからねー」
それはそれで、僕の警護とは関係なく問題だ。
「でも、ヒヅルさんの負担が大きくはないですか」
「大きくはないよー? 髪の届く範囲なら元々、部屋の中同然だからねー。だからさっき、夜酔ちゃんの太ももに目を奪われてたのも知ってるしー」
「あれはそういう目で見てたわけではなくてですね!」
なんてことだ。
気遣いのフリをしてこの監視環境から逃走の糸口を探るはずが、知りたくなかった事実まで発覚してしまった。
僕のプライベートが……。
「寝付けないなら本でも読むといいよー。オススメは左の棚の一番下の段に並んでるやつかなー。めっちゃつまんないからすぐ眠れると思うよー」
睡眠用の小説まで用意してあるらしい。
至れり尽くせりだなあ……プライベートが存在しないことを除けば。
「それとも子守唄でも歌ってあげようかー?」
「歌えるんですか」
「ボーカルは三次朗くんでお送りするけどねー?」
「…………」
三次朗というのは、ヒヅルさんの使っている会話機械の名前だ。
要するに読み上げ機能のついたワープロソフトだけを入れてある、普通のパソコン。
「冗談冗談ー。パソコンとか使うといいよー。お姉さんがタイミングを見計らって電源も切っておいてあげるしー」
「パソコンは……つけたら眠れなくなりそうなので。遠慮しておきます」
ついつい夢中になってしまうのだ。画面の向こうを眺めている間は現実から意識を背けられるから……。
画面から太古の剣が飛び出してくることもないし。
「なんか邪念を感じるねー」
「いえ、ちょっと基地に来る前を思い出していただけです」
「家に神器が降り注いでたんだっけー?」
「降り注ぐ、ってほどじゃないです」
多い時期でも一日一つというところだった。
頻繁に目覚まし時計に直撃するのが困りものではあったけど。
「でも、気の休まらない日々ではありましたね。僕がここへ来るって言ったときは両親も……嬉しそうな顔ではなかったですけど、安堵はしてたと思います」
「へーえ。顔に出やすいのは親に似たんだねー」
「……そういうわけじゃないですよ。多分」
「嬉しそうだねー?」
「なんで顔見えるんですか。ほとんど暗室みたいなもんなのに……」
「普段から暗がりで生活してるからかなー?」
明日は絶対、絶対に別の人を見張りに立ててもらおう。
というか結界でなんとかできないか交渉しよう。
僕のプライベートが危ない。
「でも、ちょっと羨ましいかなー」
狭い部屋に、無機質な声が響いた。
「羨ましいって……僕が、ですか?」
「そうだよー。特級特異点と幻脈使いっていう違いはあるけどねー」
目の前で輝きを放ち始めた銀髪が渦巻いて、人型マークが二つかたどられた。……発光もするのか。
片方は周りに恐ろしい魔物のような図画が現れて、もう一方のマークは――人型そのものが魔物のような形になって、その周りに人型が現れた。
きっと前者が僕で、後者がヒヅルさんなのだろう。
だとしたら、彼女は――
「私は親の愛情とかあんまり知らないからー」
「……嫌なことを思い出させてしまったみたいで、すみません」
「まあ私ー、八年どころかもっと前から引きこもりだったしー? 百年の愛想も尽きるってもんだよねー」
「…………あの。声に抑揚がなさすぎて、冗談なのか判別できないんですけど。表情も仕草も分からないし」
「あー、そっか。それもそうだねー。今のは私の、ただの鉄板ヒッキーネタだから気にしなくていいよー」
銀髪がうねって『いつものこと』と文字が浮かぶ。
「だいたい私はー、SPDの中じゃ恵まれてるほうだからねー」
「そうなんですか?」
「夜酔くんは孤児だしー、朝戈ちゃんはー――あっ」
「……どうしたんですか」
「い、いやあ、ナンデモナイヨ?」
カタカナで打ち込まれた文字が、普段通りの発音で再生される。
一体なんだろう。
もう少し、突っ込んでみようか。
「途中まで話しておいてやめられると、気になって夜も眠れなくなりそうなんですけど」
「よくないねー、お肌にも任務にも。ちゃんと寝たほうがいいよー!!」
「じゃあよく眠れるように、さっき言いかけたことについて教えてもらえますか?」
「なんのことだかー。私は一言だって声を発した覚えはないよー」
口笛を吹く怪しげな男のデフォルメ図画が空中に現れた。
どうやら食い下がられても誤魔化したい類のものらしい。
「そりゃあ声を出してはいないですけどね、キーボードは打ったでしょう。トモカがどうのこうのって」
「おやぁ? 少年は同い年で可愛い女の子の朝戈ちゃんが気になっちゃう感じかなー?」
「そうですね。さっきも言いましたが、気になって夜も眠れそうにありません。だから教えてください」
「ぐっ!? 途端に強気だなあー!?」
銀髪がうろたえたように震えて、大きく『代理条件』という文字を記した。
「条件?」
「そう、条件! 私が言いかけたことを詮索しない代わりに、私についてなんでも一つ! 伶くんが気になってることについて教えてあげよー! スリーサイズでもオーケー!」
……どうしよう。
よりどりみどり。
魅力的な提案だ。
「悩んでるねー、さっすが青少年! なんだったら今はやめておいて、夜通し悩み抜いて明日の朝に言ってくれてもいいよー?」
「それはタイミングを逃しそうだし、トモカやヤヨイさんに変な目で見られそうなので遠慮しておきます」
「ちっ」
舌打ちされた。
誤魔化そうとしたのはヒヅルさんのほうなのに……。
「じゃあ、ヒヅルさんの能力を教えてくれませんか。髪の毛で知覚できるのと、藁人形をコピードールにする能力以外にもう一つあるって聞きました」
「……ヘタレ」
そして響いた機械音声は、不思議と感情が篭もって聞こえた。




