第4話 剣の実力
氷の猟犬。
まるで普通の犬のようにそいつらは息を吐き、その度に路上へ霜が差す。
この猟犬たちが、周囲の気温を下げていたのだ。
それにしても。
「さっきから、化け物らしい化け物ばかりだね。僕が見たことある動画だと、もっと普通の動物みたいな連中もいたはずだったのに」
進化ってやつだろうか。
なんて僕が見当違いなことを考えていると、トモカが隣に腰掛けた。
「ん。さっきも言ったけど、こいつらは雑魚。最接近区域にいるような強い連中は、普通の動物と見分けがつかない」
「そうなんだ。強い奴ほど普通の見た目ってこと?」
「ん」
「九重さんの説明に補足すると、カスケイドはまともな見た目ほど強いけど、僕ら幻脈使いは常軌を逸する見た目ほど強いと言われているね」
トモカがこくりと頷いたのを、ヤヨイさんが引き継いだ。
それは、人の姿を外れていけばいくほど、強いということか。
「……ん? ああ、僕の言い方が悪かったかな。常軌を逸するといっても、必ずしも怪物になるわけじゃないよ」
僕の目の前で蛸足が揺れる。
「正確には能力を使ったときに身体に変化をきたすほど、というのが正しい。必ずしも、だから戦えるとは限らないけど」
「ヤヨイさんは、その……変化が大きいほうなんですか?」
「僕というか、SPDの面々はみんなそうだよ。かなり超常の影響が強い部類だ。細石さんも、ほら……言っては悪いけど、初見だと驚く外見だっただろう?」
「……否定はできませんね」
僕を守ってくれる人たちとはいえ、第一印象というのは拭えない。
「だけどそれなら――」
視線を隣にやる。
「ああ――」
僕の意を得たりとばかり、ヤヨイさんは頷いた。
「九重さんは弱いね。残念ながら」
「弱くない。言いがかり」
ぷくぅとトモカが膨れ上がってしまった。
過去最大級だ。
かなり怒っている……。
対してヤヨイさんは、いつの間にか俯いていた。
肩を震わせて、必死に爆笑しそうになるのをこらえている様子だ。
「く、く、く。ごめんね。明智くんとは話し甲斐があって、つい。九重さんじゃないけどからかいたくなってしまった。本当のところを言うと、幻脈使いの姿形が変化するのには個人差があるんだ。たとえば――」
つまり、トモカは能力を全開にしたときにいきなり姿が完全に変わってしまうタイプだ、ということらしい。
ヒヅルさんのように能力を使っていないときでも変化した状態の人もいれば、ヤヨイさんのように『触手が生えるだけの状態』『完全に怪物化した状態』と、段階的に変化する人もいるようだ。
トモカの身にその変化が起こっていないのはもちろん、今はヤヨイさんも尻尾触手を主体に戦っている。
本当にここへ攻め寄せているカスケイドたちとは、歴然たる実力差があるようだ。
「というか、スキュラになるところまで副作用なんですか」
「そうだよ。正確に分類するなら、『分泌』だけが僕の能力……ということになっているね。簡単にカスケイドを叩き潰せているけど、怪力は能力として計上されてない。身体の変化を自在に操れるのは、幻脈使いに共通することだから」
すると、ヒヅルさんは髪による知覚と人形生成だけが能力扱いされるのだろう。トモカは……あの不可視の攻撃だけか。
「頼もしいですね――おっと?」
本を読むでもなく、儚く命を散らす異形たちを眺めるでもなく、ただ緊張と退屈の狭間にある僕の気持ちを紛らわすかのように、突然スマホが鳴った。
メールの差出人は門脇さんだ。
「トモカ。三十秒前に二万超えたって」
「ん。新記録」
二万。
にまん。
たった一五分ほどの間にそれだけのカスケイドを葬っても気負うことなく、トモカは静かに親指を立てた。
「ヤヨイさんの撃破数は書いてませんね」
「僕はまだ百も倒してないからね。このまま一日くらい頑張ったら、僕の個人記録も塗り替えられるんだけど」
「こっちの精神が持ちそうにないんで勘弁してください」
どうしても更新したいなら、トモカと交代してもらう方向で。
「別に僕は記録に興味はないからね。それよりも――」
「んひゃあ!?」
ついっ、とヤヨイさんの指が僕の首筋を撫でた。
「きみが無事でいてくれればそれでいいよ」
「かっ!? からかわないでください! 男同士なんですから」
いくらヤヨイさんが可愛くても。
それは駄目だ。
ヤヨイさんは男。
ヤヨイさんは男……。
「心外だな。い・ま・は、僕は女だよ? 確かめてみるかい?」
「――っ」
着物が少しはだけて、白い脚が露わになる。
その肌の上を、彼の――いや、今は彼女の――柔らかな指が這う。
お尻のすぐ上あたりから一本だけ触手が生えているけれど、それ以外は人間と変わらない。そう、人間と――
「――ここも、人間と同じだよ? おっと。今は人間の女の子と同じ、だけどね」
ヤヨイさんの指先が行き着いたのは、着物と肌の境目だった。
今はぎりぎり、足の付け根までは覆い隠せている。けれど。
指がほんの少し動いてしまえば、着物は今よりもっとはだけてしまうだろう。
僕はその手を――
「何してるの」
「うわぁ!?」
抑揚のない声。
耳のすぐ近くで囁かれたそれに、僕は思わず跳び上がった。
「ちっ、違う! 違うんだトモカ!」
「んぐふっ」
ヤヨイさんがこらえきれずに吹き出しているが、それを気にする余裕はない。
トモカの目が、感情の読めない瞳が僕を見ているから。
「誤解だ! 手を! 手を見てただけだから!」
「触ろうとしてた」
「見てただけ!」
金色の瞳が僕を射抜く。
嫌な温度の汗が肌を滑り落ちていく。
「そんなことよりほら! カスケイドはいいの!?」
「人と話してる程度で遅れはとらない」
「無駄にスペックが高い!」
「ん、ふ、ふ、ふふっ! やっぱり明智くんはからかい甲斐があるねえ」
「こんな甲斐は求めてな――」いです、と言う前に。
「待って」
ぴくりとトモカが反応して、僕の後ろへ目をやった。
「来た」
「何が――」
――訊ねる前に、理解することになる。
振り向くと、巨人がいた。
すぐ隣にあるビルの残骸と同じくらいの身長。数値にすれば十数メートルは下らないだろう全身。
さらには脇に控えるように、彼が跨がれるほどの虎もこちらを睨んでいた。
まだ遠い。
しかし数十メートルの距離など、ちょっと走れば――あるいは大股で歩きでもすれば容易に詰められる。
そんな大きさだ。
あれが強敵、なのだろうか。
確かにシンプルな姿になったように見える。代わりに、大きさがまるで違うけど。
「あいつらが本命ってこと?」
返事はなかった。
僕もそれ以上、訊ねることはできなかった。
トモカの……なんと表現すればいいのか、集中力――『気』のようなものが一際膨れ上がって、僕は立っていられなくなったから。情けなくベンチに座り込んだまま、僕を挟んで行なわれる戦闘のなりゆきを見守るしかなくなったから。
轟音が迸る。
巨人の肩口に。
虎の鼻面に。
なるほどそれは確かに、今までの連中とは格が違っていた。
トモカの攻撃を受けても、二体のカスケイドは斃れなかった。
傷を負わせた。
よろめかせた。
だが、それだけだ。
大型カスケイドはすぐに姿勢を整えて、こちらへ駆け出した。
地響きがする。
「これ、逃げたほうが――」
――再び僕は、訊ねる前に理解することになる。
口に出しかけた言葉を、後悔するほどに。
言い終える前に、僕の心配は杞憂と化していたからだ。
やはり不可視のままの、今度は斬撃で細切れになったカスケイドの肉片を、さらに重なる攻撃がひき潰していく。
再生が始まり、肉片同士が繋がろうとした瞬間にまた細切れにされて、残った部分も丁寧にアスファルトへ叩き付けられた。
欠片一つ、残らなかった。
「ふう――」
トモカは汗をかいてもいないのに、額を拭った。
「なかなか大物だった」
「あんなに一方的だったのに!?」
驚愕する僕の反応に、すかさずヤヨイさんが茶々を入れる。
「ちなみに。こうまで一方的に叩けるのは九重さんだけだからね。僕と細石さんは攻撃に特化していないし、人型のものを容赦なく潰したりできないから。誤解しないように」
「悪意を感じる言い回し。撤回して」
「本当のことだろう?」
「人型でもカスケイド。カスケイドは人間とは違う。だから撤回して。さもないと――」
「分かった、分かった。触手を切り落とされちゃかなわないからね」
ヤヨイさんが肩をすくめるのを見ながら、僕は安堵していた。
ここにいる人たちは強いのだと。
ここは安堵できる場所だと。
――そう、思っていた。




