8.The Other Sides
暗い海の底、光の届かない暗黒の世界でただ流されるままに漂う。
次第に指先から溶けて海との境目をなくしていく。
どこまでが私でどこからが私じゃないのか。
どちらが下でどちらが上なのか。
私は知らずにただ流されて行くだけ。
潮に身を任せていると、ぐいっと身体が引き寄せられる感覚。
水面に近づいてきたのかあたりの色が深藍色から明るくなってきた。
光の揺れる水面に近づき、その眩しさに目を細める。
身体は上に引っ張られ続けてついに水面を抜ける。今まで水越しに見ていた光が直接目に突き刺さりきつく目蓋を閉じる。
一瞬の完全な暗闇の後目蓋を開ける。目の前には無機質な天井が広がっていた。
ゆっくりと身体を起こしてあたりを見回す。
「そっか・・・わたし・・・・・・」
眠りから覚めた頭が現実を認識する。
仮眠のつもりが完全に眠っていたみたいだ。
キャリアーの中であるため常に小刻みな揺れがあり、ベッドもけして柔らかいとは言えないものだったがよほど体が疲れていたのだろう。
ベッドから降り、軽くのびをすると溜まっていた血が全身に行き渡るような感覚がする。
近くの椅子にかけてあった上着を羽織り操縦室に向かう。
梯子を登るとすぐに長椅子に座りカップを傾けているカエデと目が合う。
「あっ、おはようエリちゃん。少しは眠れた?」
「うん、おかげさまで」
カエデはわたしの返事に「それはよかった」と優しく笑い飲んでいるコーヒーを勧めてきた。わたしがその言葉に甘えると近くの壁にはめ込まれているコーヒーメーカーの操作説明をしつつわたしの分を煎れてくれた。
わたしはカエデの机を挟んで向かい側に座り出されたコーヒーを受け取る。
タールの様に真っ黒な水面に私の顔が反射して映り込む。まるで底の見えない深い穴を覗き込んでいると錯覚してくる。
「んー?エリちゃん疲れてる?」
「―――・・・え?ああ、うん大丈夫だよ」
変な事を考え、ぼーっとしているとカエデの声が聞こえて慌てて首を振る。
「私は何もしてないから」
「そんなことないよ、キャリアーの操縦だってして貰ったし・・・それに今日はいろんな事があって疲れたでしょ?」
「でも、私はロイが戦っているのを見てるだけだったから・・・!」
「それは・・・・・・」
「ご、ごめんなさい!わたし・・・」
一方的に愚痴を言ってしまい慌てて謝る。
「いいの、いいの。まだ整理が出来てなくて普通だよ」
カエデは優しくこちらを諭す様に語りかけてくる。
「たぶん・・・エリカ達が思っているよりも精神的にも肉体的にも負担がかかってるはずだから」
「でも私・・・私のためにロイは、家族同然だったはずのみんなと・・・!特にレイなんてチームになる前から、一緒に育ってきた一番の親友だったはずなのに――――」
わたし達クローン兵士は生まれてすぐに兵士になるための処置を施される訳じゃない。個人差はあるがだいたい9歳から10歳になると体や脳の改造が始まっていく。
その比較的初期の段階でほとんどのクローン達は感情を奪われる。縦しんば感情が奪われなくとも忠実な兵士に変えられてしまう。
しかしその前の期間、兵士に変えられてしまう前のただの子供だった時から2人は一緒だったらしい。
その期間は5から6人の部屋に分けられて生活と教育を共にする。
親のいない私達は人間の様な名前をこの時に自分達でつけ合う。あの2人はお互いに名付け合い、その時過ごしていた部屋の番号の最初の文字を自分達のイニシャルにしたらしい。成長すれば正式な班に配属され離ればなれになってしまう2人が共に過ごした証明として。
結局は、予想に反して同じ班に配属されてしまった訳だが。
「・・・・後悔、してるの?」
「わからない・・・ただ、私はロイに重荷を背負わせてしまったんじゃないか・・・そう思うと」
思い出すだけで胸が締め付けられる。カエデが自身の弟について話している時に一瞬だけ浮かべたロイの顔を。
ロイがそれを自覚しているかはわからない。けれどあの宝物をなくしてしまった子供みたいな表情をみた瞬間ロイが何を犠牲に私を助けたのかを理解していた。
いや、きっと初めからわかっていた筈だ。ただ無意識に気がつかない様にしていただけ。
「まだ出会ったばかりのわたしには分らないけれど、きっとロイはそれだけの代償を払うだけの意味を君に、エリカに見出してたんだよ。きっとそれだけエリカのことを大切に思ってるって証なんじゃないかな」
「証か・・・・そんな考え方もあるんだ」
その彼女らしいポジティブな考え方につい笑みがこぼれる。
「あーーー!人が頑張って励まそうとしたのに!なんで笑うのさぁ!?」
「ご、ごめん。馬鹿にした訳じゃなくて」
「えーー、ホントにぃ?」
彼女と話していてなんて言うか、安心した。上手くやっていける気がしてくる。
きっと私もロイも大丈夫だろう。そんな根拠のない自信が湧いてきた。これも彼女の人徳だろう。
「ありがとう、カエデ。これからよろしくね」
「まっ先輩ですから?なんてね」
カエデは気恥ずかしさを誤魔化す様におどけてみせ、照れたように笑った後残ったコーヒーを一気に飲み干した。
「じゃあ、わたしは朝まで寝かせてもらうねー」
「うん、おやすみ」
カエデは「おやすみー」と言って大きなあくびをしながら自身の部屋へと戻っていった。
わたしはそれを見送った後、コーヒーを持って操縦席の椅子に深く腰をかける。
ガラスの向こうに広がる暗闇の荒野をぼうっと眺めて、今どうしているだろうかと午前中までは確かに一緒にいた仲間達は何をしているだろうかと思いをはせた。
☆ ☆ ☆
待ち合わせをしている広場に向かって日の落ちた暗闇の中街灯を頼りにして歩く。
昼の事件の影響からいつもより車通りが多く、すぐ横を大型の輸送トラックがすれ違う。
コンクリートだらけの街並みから横にそれると急に緑が現われる。人工的に生育された植物ではあるが俺たちの居住区の中で数少ない有機的なこの空間は一部の兵に人気があり、ロイも良く好んでここに立ち寄っていたのを思い出し、胸に小さな痛みを感じる。かぶりを振って嫌な考えを振り払い公園を見回す。
目的の人物はすぐに見つかった。公園内にいくつか置いてあるベンチの1つに浅く腰掛け、指を組んで下を向いていたる。
「・・・待たせたな、アレックス」
俺の言葉を聞いたアレックスは下を向いていた頭をゆっくりと起こし、軽い挨拶をするとすぐに本題に入った。
「どうだった?・・・・・って聞くまでもないか・・・顔を見てすぐわかったよ」
「・・・・・・すまん・・・」
俺の返事を待たず1人で納得するアレックスに対してなんと言っていいのか俺には分らずただ謝る事しか出来なかった。
「謝んなよ、お前のせいなんかじゃない」
「だが・・・・!俺はお前に・・・」
あの馬鹿を連れて帰ると言って追撃隊に志願した筈だった。なのに、結果はこの様だ。
悔しさのあまり噛みしめすぎた奥歯痛みが走る。
「お前のせいじゃない。オレだ・・・オレがあんなこと言ったから・・・・・・!」
いつもうっとうしい程陽気なアレックスの弱々しい独白に思わずたじろぎ、何も言えなくなる。
「分ってたんだ・・・アイツの言ってることも、どうなっちゃうのかも。でも・・・・・!どうしろって言うんだ!」
感情と共にはき出される言葉には後悔が滲んで、どれだけ今までの時間悩んでいたのか考えるだけで胸が痛む。
「思ってることと、考えてる事が一致しないんだ。ホントはアイツらを助けてやりたい筈なのに・・・!ダメなんだ頭が、脳がそれを否定してくる。オレは兵士なんだって、オレの役目は街を守ることなんだって・・・!」
「一緒だよ、俺もお前も。いや、俺たちだけじゃない、此処にいる兵士の半数にも満たない数だが何人かは感じている。心と思考の剥離を。あの2人が特別なんだ」
「俺たちはあいつらみたいに飛び立てない・・・」
自分でも分るほど自分の言葉には羨望とどうしようもない程の嫉妬が含まれてた。
これはただの傷の舐め合いだ、おいて行かれた翼を持たず地面を這い空を見上げる事しか出来ない者達が悔しさと寂しさ言い合っているだけに過ぎない。
このまま2人でいても気持ちが沈んで行くだけだと思い話を切り上げる。
「・・・俺はもう寝る。明日には新しい隊に関して知らせられるだろうからな。お前も今のうちに休んでおけ」
「ああ。なぁレイ・・・もう会えねぇのかな・・・あれが最後になっちまうのかな」
「そんなの、わかるかよ―――」
うめく様に吐き捨ててアレックスに背を向ける。
本当は声をかけてやりたかった。大丈夫だ、また4人でやっていけるようになるって。しかしそんな微かな可能性を口にすることも今の俺には出来なかった。
今はせめて、アレックスと同じ部隊に所属される事を祈るしか出来なかった。此処で離れたらアレックスとも離ればなれになってしまう気がしたから。
翌日・・・・そんな小さな願いも叶えられる事は無かった。
☆ ☆ ☆
天井を眺める。
照明も点けずに、小さな窓からじんわりと差し込む月光だけが部屋の中をうっすらと明るく照らしていた。
考えるのは、僕達のこれからの事、僕の親友達が今どうしているのかと言うこと、そして僕が奪った誰かの命のこと。
廃墟となった街の中で戦った2機のFH。そのうちの1機は胴体の中心を穿たれ、その動きを停止した。他ならぬ僕の手によって。
FHはフレームと呼ばれる素体(ジェネレータやコックピット、関節やエネルギーケーブル、スラスターなどFHが動くために必要とされるもの全てを含む)とそれを覆おう堅牢な鎧、装甲によって構成されている。
装甲は軍用の兵器によく使われるもので、軽く、堅く、熱に強い合金が使われている。また、その合金はこのキャリアーの装甲を初め軍用兵器に大戦の頃からよく使われていた。
しかしこの発明者の名前から「アルヌルフ合金」と呼ばれる人類最硬の鎧ですらビーム兵器の前では無力だ。
そして直撃しなかったからとしてもその熱量は周囲を人体の限界を優に超える温度まで一瞬にして引き上げる。それは普通の人間を超えた肉体を持つ僕達でも変わらない。
なんと命の軽いことか。人を撃つことの意味はわかったつもりでいた。
実感は・・・ない。だからこそ余計に考えてしまう。ぎりぎり生きているんじゃないか、気にする必要はないんじゃないかと。そんなことは都合のいい妄想だとわかっているのに。
何でこんなにも人を殺した事が辛いのだろう。
相手が知っている人物だったかもしれないから?違う気がする。もちろん知人だったなら、それは辛い。でも知らない人だってわかっていてもきっとこうなると思う。
殺人という、やってはならない事をやって自分が汚くなった様に感じるからか?相手は関係なく?もしそうならなんて醜い考えだろうか。相手にも大切な人がいたはずだし、大切に想ってくれている人もいたかもしれない。それを一方的に悉くを奪い去りながら、殺した僕が後悔している。
なんて度しがたいエゴ。
人の命を奪って感じる感傷なんて単なる自己陶酔だと、月光が僕を優しく責め立てる。
目の端から水滴がこぼれ落ちるのを感じ、のどが震える。
月の光から自分を守る様に両手で目を塞ぐ。
両の手で作られる簡易的な暗闇で僕は赤子の様に体を丸める。
疲れた体が夢に落ちるのにそう時間はかからなかった。
☆ ☆ ☆
ライトを照らせば虫と似た特性を持つワームが集まってくるためキャリアーはライトを点けず闇夜の荒野を走る。そのため先頭のフロントガラスには外の景色がそのまま透過して見える代わりに赤外線カメラの映像が映し出されていた。
そのすぐ前、運転席に座りながら手元にあるモニターで新入りの戦闘記録を見ていた。
部屋は明かり小さくしているため薄暗く、癖っ毛気味の紅い髪にモニターからの光が反射して熱された鉄のような白とも赤とも言えない色に見える。
ーーーTF-38-At名称Roland・・・特に一般的なFHと変わったところは見られないが・・・絶対に何かがある。
深刻な資材不足にもかかわらずあれだけのFHを導入してさらに、躊躇いなく使い捨てのミサイル兵器をたった1機の試作FH奪還のために使用するのは不自然が過ぎる。
何か重要なデータが入っているのか、あるいは・・・技術か。
それにこの型番…TF-38-At、「TF-38」までなら試作段階のFHだと理解できるが、後ろの「At」の文字。これがよく分からない。この「At」があの執着の理由に関係するのか。
よく分からないが、人間と戦う為の重要な要素となり得るかもしれない以上気に留めておいて損はないだろう。
そう考えながらもモニターに意識をやっているとあることに気づいた。
ローランの手、銃を握るマニュピレーターを見ると指が人間と同じ5本ある事に気づく。通常FHの指は3本であり、人であれば親指と人差し指にあたるものは独立しているが他の3本は1つの太い指になっている。耐久性や部品の節約のためだ。昔のFHは5本あったそうだが時代が進むにつれてブラッシュアップされていき3本という結論に行き着いたらしい。
「より人間に近いFH…か」