2.Hold My Hand
どのくらいここに座っていたのか気がつくとあたりは暗く、照明が無機質な町並みを照らしていた。
頭の中ではなぜあそこでエリカを呼び止めることが出来なかったのか、なぜ手を掴んでやることが出来なかったのか、そんなことばかりが頭に浮かんでは後悔ばかりが募っている。
ついさっきのことなのにまるで遠い過去の様に感じる。
思考に靄がかかったかのように考える事が上手くいかない。
とりあえず部屋に帰ろうと人通りのない道を一人で歩く。
直線だらけの灰色の街並みが歪んで見える。
すこし落ち着かないと・・・
シャワーで頭を冷やせば考えもまとまるかも・・・・
行き先を宿舎のシャワールームに変更する。
宿舎に着き一階の共同シャワールームの扉を開ける。
幸運なことに自分以外の使用者はいない。
今は話しかけられても、まともに受け答え出来るとは思えないから。
冷たいシャワーを頭から浴びる。
冷たい水が汚泥にまみれて身動きがとれなくなっていた僕の思考を洗い流して、頭の中がクリアになっていくのを感じる。
そうだ・・・僕にはぼうっとしている時間なんてないだろ・・・・!
後悔ばかりで動くことの出来なかった自分に怒りを感じる。
エリカの「廃棄」が行われるのは早くて明日の午後、遅くても明後日の事のはずだ。
これは昔、僕達の扱いに対していろんな人の意見を聞いていた時期に「廃棄」になった先輩の訓練兵やその知り合いの人達何人かに聞いたことであり、システムが大きく変わっていない限り確実だろう。
それなら時間はまだ残っている・・・エリカの命を救うためにはこの〈街〉から逃げ出すしかない!
そこまで考えたところでここがシャワールームであることを思い出す。
急いで服を着て、飛び出すようにシャワールームから出て廊下を駆けるように急いで進む。
途中で知り合いに声をかけられた様な気もしたがそれすらも無視して、ただ部屋に早く着く事に意識を向けた。
部屋に戻ると、すぐに机に座って据え置き型の端末のスイッチを押すと起動してモニターに明かりがつく。
この端末は〈街〉のデータベースに繋がっていて多種多様な情報を閲覧することができるもので、用途は作戦前に作戦の概要の説明に使われる事もあれば、レイがよくしているように自身の戦闘データを見る事もできる。
またアクセスレベルが設定されており、階級の低いものほど閲覧可能な情報が少ない。
そのため訓練生だった僕には戦闘の教本や自身の戦闘データくらいしか見ることが出来なかったが、正規兵に昇格したため今の僕にはより多くの情報を見ることが出来る。
今日の昇格がすでにアクセス権限に反映されている事を確認して、明日の為に必要な事を調べる。
幸いなことに正規兵のアクセス権限は思っていたよりも強く、FHの管理情報、当日の出撃予定など様々な情報が閲覧できた。
しかし〈ワーム〉の出現などその時々の状況は容易に変化してしまう事を考えると1つ、2つではなく様々な作戦のプランを考える必要がある。
データを見ながら、端末のデータは上位の権限を持つ者に簡単に見られてしまう危険があるため、紙に書くという非常にアナログな方法で作戦をまとめていく。
視線がモニターと紙の間を何度も往復して、手は頭に浮かんだ事をそのままに紙の上に落としていく。
しばらく時間が経過してペンを持つ指が赤くなりじくじくとした痛みが指の感覚を麻痺させ始めた頃、考え得るだけの状況を考慮した作戦が組み終わった。
背中を反るようにして伸ばすとぽきぽきと小気味よい音が鳴り、滞っていた血流が全身に再び循環を始めた様な感覚がする。
改めてそこらかしこに文字が散らばり余白などほとんどと言って良いほどに書き尽くされた、お世辞にも見やすいとは言い難い作戦の書いてある紙を見ると、やはり自分でも無理の多い作戦だと思わずにはいられない。
その多くが分の悪い賭けで、上手くいくと確信できるものなんて存在しない。
それだけ今回行なおうとしている事は無謀な事なのだ。
しかしもう決めてしまった。
エリカを・・・・友達をこの理不尽から救い出そうと、心が決めてしまったのだ。
故に後はこの必死こいて考えたこの作戦をやるしかない。
失敗したら後はもう死しか残されていないだろう。
しかし個人で軍隊を相手にするのだ、それだけのリスクはあって当然だ。
そして自分にはもう一つ決めなくてはいけない覚悟がある。
それは、仲間を巻き込む覚悟だ。
この要塞のような〈街〉から逃げ出すには僕一人ではあまりに無謀だ。
そのためレイとアレックスにも援助を頼む必要がある。
僕達は物心がつくずっと前、製造され歩けるようになる頃に始まる訓練で初めて会いその時から苦楽を共にしてきた。
子宮ではなく試験管の中で誕生し、羊水の代わりに化学薬品の中で大きくなった僕達には親といわれる存在はおらず、当然家族も存在しない。そんな孤独に生まれた僕にとって本当に心を許すことが出来るのはチームの3人だけなのだ。
彼らを助けるためだったら命も惜しくない、きっとみんなも僕と同じように考えてくれていると根拠はないが、そう思っている。
そんな彼らを危険にさらす。
この作戦だけじゃない、作戦が成功したとしても、食料も水も限られているし、〈ワーム〉だっている外の世界で平穏無事に生きられる訳がない。
それでも僕は彼らを巻き込む。
身勝手な事だってのはわかってる、それでも僕は4人みんなで生きていきたい。
僕は携帯端末を手に取りメッセージ機能を使って3人に明日の午前中に集まりたいといった内容を伝える。
場所は格納庫が並ぶエリアのあまり人の立ち寄らない場所にある小さい倉庫を指定した。
そしてベッドに横になり、目をつむる。
緊張から眠れるか心配だったが頭を動かしてつかれていたのか意識はすぐに溶けていった。
日の出の光をまぶたの向こう側に感じて目を覚ます。
数秒すると頭の中のスイッチが切り替わるように完全に意識が覚醒する。
寝間着からパイロットスーツへ着替え、その上に上着を羽織ると部屋を出てまずは食堂に向かう。
時間が早いからか食堂には人はまばらで座る席には困らない。
今日一日は今までの人生の中でも最も濃い戦いの日となるだろう。
そのために食事はしっかりととる。
食事を終わらせ席を立ち食器を壁にある回収用の穴にいれ食堂を後にする。
みんなとの集合時間はまだ余裕があるためある場所に向かうことにする。
いや、もとより無意識にそうできる様な時間に起きたのかもしれない。
向かった先は格納エリアの集合場所に近い小さめの格納庫だ。搬入用の大きな扉の横にある人間サイズの扉を開けて中に入ると、一機のFHが姿を現す。
そのFHは白を基調としたカラーリングで、主要戦力として配備されているFH〈アリアンツⅡ〉よりも一回り大きいが、腕や足などの形状から少しスリムな印象を与える。
この場所は昔、散歩中になんとなく立ち寄った場所で、それからというもの悩んだり考え事をしたりする時はなぜかここに足を運んでしまう様になった。
FHを正面にして壁にもたれる様に座りそれを見上げる。
そして自分自身に問いかけを始める、内容はチームのこと作戦のこと昨日の焼き増しの様に自分の考を反芻する。
ここだとなぜか、山彦のごとく声が跳ね返ってきているかの様に、まるでもう1人の自分と話している様に自分の考えを再確認出来るのだ。
そうしていると予定時間の10分前に設定したアラームがなり、自問自答を打ち切る。
これが僕に残された最後の覚悟を決めるための時間。
生まれてから命令に従って生きてきた事への決別。
最後にもう一度FHを見上げそこを後にする。
予定時間の5分前に指定した倉庫に着くとすでに3人は集まっていた。
軽く謝りながら小走りで近づく。
「待たせちゃったかな?」
「いや心配するな、集まったのはついさっきだ」
挨拶を済ませると早速本題に入ろうと咳払いをしつつ、エリカの様子を確認する。
彼女のいつもと変わらない様子に無性に不安を感じる。
でも黙っているわけにもいかないため、話を始める。
「今日みんなを集めた理由はたぶん察していると思う」
僕の確認に2人は真剣な顔になり、エリカは黙って下を向いている。
「僕は・・・みんなのこと・・・家族みたいだと思ってる。血もつながってないし、顔も好みだってバラバラだ。でももし家族がいたらって考えたらみんなの顔が浮かんでくる。みんなのためなら命だってかけられる・・・そう思ってるんだ」
「ロイ・・・・・」
「それは俺たちだって同じだ!誰かが困ってたら飛んでいって助けてやるさ!なあ!?レイ!?」
「ああ、そうだな、その通りだ」
「みんな・・・ありがとう。だから僕はいくつか計画を立ててきたんだ。少し無理があるかもしれないけど可能性はゼロじゃない、僕に賭けてくれないか?」
言ってみんなを見回す。
エリカは暗い顔をしてうつむき、レイは眉間にしわを寄せて難しい顔をしてる。
アレックスは不思議そうに首を傾げている。
一抹の不安がよぎる。
するとアレックスが「ああ!」と声を上げて、なるほどっと言うように手をたたき笑いながら話し始める。
「なるほど、そういうことかー!お別れ会をすげー盛大にしたいってことかだろ?そうだよなぁ、やっぱ・・・。エリカともう会えないなんて、悲しすぎるもんな・・・」
「は?」
とっさのことで言葉が出なかった。
最後にしたアレックスの顔が本気で悲しんでいると教えてくる、しかしまるで何かがズレているのかのように話がかみ合っていない様に感じる。
この間も2人は何も言わない。
「アレックス?」
「ん?何だよ?違うのか?」
「ああ、違うよ、全く・・・。僕がしたいのはお別れ会なんかじゃない。わからないか?」
「あ?じゃあ何だってんだよ。」
「僕はエリカが殺されるのは黙ってられない・・・助けたいんだ」
「じゃあ、あれか?〈街〉を裏切って逃げようって言うのか?」
「ああ。そうだ、エリカをつれて〈街〉から出るんだ」
「て、てめぇ・・・!!」
アレックスが胸ぐらを掴みあげてくる。
その勢いに押されて後ろに倒れそうになるが背中が壁にぶつかったため一瞬息がつまるだけですんだ。
「何すんだ、このっ!」
「何言ってんのかわかってんのかてめぇ!?おまえがやろうとしてんのは「人間」に逆らうって事だぞ!!」
「ああ!そうだよ!でも、お前はさっき仲間のために命を賭けられるって言ったじゃないか!あれは嘘だったのかよ!?」
「そ、それは・・・」
「アレックス!!」
「それでも!俺たちは兵士だ!「人間」を守るために造られたんだ!ちがうか!?」
「じゃあ!お前は見たこともない「人間」のために仲間を見捨てられるって言うのか!?」
「お、俺は・・・・・」
アレックスの目が泳ぎ、口ごもる。
さらに冷や汗をかき何か迷うようなそぶりを見せる。
その様子に何か感じてたたみ掛けるようにして呼びかける。
「アレックス!!!」
「ロ、ロイ・・俺は・・・」
アレックスは目を見開いた後、目を伏せる。肩がかすかに震えている。
しかしすぐにそれは収まり、顔を上げて目を合わせてくる。
その目はさっきまでとは異なる冷たい目をしていた
「それでも・・・・・・・俺たちは兵士として生まれた。「人間」を守ることが俺たちの存在意義、造られた理由なんだよ」
「こ、この・・・・!分からず屋!!」
アレックスの言葉を聞いた僕は裏切られた気がして強い怒りが僕を支配する。僕は激情にかられて胸ぐらを掴んでいるアレックスを引き離して彼の顔を拳で殴り飛ばす。
僕は彼らを巻き込むことを恐れはしたが、断られる事を想像していなかった。
いや、たぶん考えないようにしていたんだ・・・
自分の仲間は他のクローン達とは違うと、自分と同じように感じていると信じたかった、そうであって欲しいと身勝手にも願っていたのかもしれない。
アレックスを殴った手が僕を責め立てる様に痛む。
「ロイ、お前・・・」
「レイ・・・」
倒れたアレックスを見ながら罪悪感と後悔にさいなまれている僕をレイが呼ぶ。
「お前本気なんだな?本気で「人間」を敵に回すつもりなんだな?」
「ああ、そうだよ。君はどうする?レイ」
「そうか・・・・なら捕まえさせてもらうぞ。悪いな、これは俺たちの義務なんだ」
「レイっ・・・」
レイがジリジリと間合いを詰めてくる。
扉はレイの背後にあり、どうにかして突破しなくてはならない。
しかもエリカはうつむき身をすくませていて協力は期待できないため僕一人でやるしかない。
だがレイは体術の訓練で類い稀な才能があり、僕は一度も勝った試しがなく、絶望的だ。
そこに・・・
「こんのおおおおおおお!!!」
「ぐっ」
起き上がったアレックスがタックルをしてくる。
僕はそれをなんとか受け止めてレイの方向に投げ飛ばす。
レイが投げられたアレックスを受け止めて体勢を崩している隙にエリカの手を掴み走り出す。
倉庫を飛び出した後はすぐに道を曲がり追ってくるのを防ぎ目的地まで大通りを使わない最短のルートを走る。
倉庫を出てから一切の迷いもなく行動する自分に気づく。
なぜ仲間との待ち合わせ場所である倉庫から逃げるようにして目的地に向かうための道筋を事前に調べていたのか。
昨日書き出した作戦のどこにも存在しない道筋は、頭の中のどこかでこうなることを想定していた証拠だった。
家族だなんだと言っていた自分が初めから仲間を疑っていた事に気づいて嫌悪感が湧いてくる。
しかし余裕のない今はそんな思考を流れる風景と一緒に後方へ押しやる。
しかしエリカの手を掴んでいた手に急に重さを感じて走るのをやめて振り返る。
「どうしたんだ、エリカ!?目的地まであと少しなんだ!」
「ロイ・・・・・だめだよ・・・・・・・・」
「なにが!?」
エリカに怒鳴るようにして聞き返す。
「わ、私達は、人間に逆らえない・・・逆らっちゃだめなんだよ。それがこの世界のルールなの。」
やめてくれ。
「わ・・・わたしなら!大丈夫だからさ!」
やめてくれ。
「二人に謝りに行こう?二人ならわかってくれる・・・。またやり直せるよ」
そんな・・・へたくそな笑顔なんて見せないでくれ。
「ね?ロイ。私は・・・君が生きてくれてればそれでいいの」
そんなに優しい声なんて出さないでくれ。
僕は・・・・
「僕は・・・・・・・・。僕は!」
「ごめんね。ロイ・・・」
エリカが僕を優しく抱きしめようとしてくる。
この抱擁を受け入れて、ぬくもりの中で微睡みを享受する事が出来たならどんなに楽だろう。
不安なことなどないのだと、悪いことは全て夢なのだと現実から目をそらせたらどれだけ幸せだろう。
しかしその先にあるのは、きっと彼女のいない灰色の世界、彼女を見捨てた罪科に苦しみ続ける暗黒の世界だ。
故に僕は彼女の手を振り払う。
「け・・・な・・・」
「え?」
「ふざけんな!」
叫ぶ。
どこまでも仲間思いの彼女に思いを、怒りを叩きつける様にして叫ぶ。
「世界のルールだって!?やり直せるだって!?やり直してどうするんだ!その世界にエリカ・・・・!君がいなくちゃ!意味が・・ないじゃないか・・・」
「ロイ・・・・・」
「僕は嫌だ!君がいなくちゃ!君はどうなんだ!?いいのかよ!もう会えなくなるんだぞ!僕にも!あいつらにも!」
目頭が熱い、それにのども焼けるように痛い。
しかし助かろうとしない彼女への怒りがそんなことを忘れさせる。
「エリカ!!」
「わ、私は・・・・!」