第3話
「この村も、こうして見るといいものだな」
ディアルは目の前に広がる森を見上げた。
村唯一の公園である。
魔女が棲むとされる森だが、外から見れば、雄大ですらある。
それに今は、寄り添うようにして、傍らにルージュがいる。
モノクロームの世界に、彼女の鮮やかな金色の髪と、深紅のドレス。
何よりそのぬくもりが、ディアルに幸せの風を運んでくれる。
「あの……ちょっとこちらを向いて、目をつむってくれませんか?」
はにかみながら、ルージュが言う。
それを断るほど、このディアルは野暮ではないさ!
優しく包み込むように、ルージュがディアルの背中に手を回してきた。
初キス──ついにこの時が来たのだ!
しかし、なかなか彼女の唇はやってこない。
(きっと恥ずかしがっているんだな、女はそうでなくちゃ!)
すっ、と薄目を開けてみるディアル──が。
ルージュはただ、こちらを見つめている。
その代わり、はるか向こうから、土煙を巻き上げながら猛スピードでこちらに走ってくる、マッチョの姿!
背後を振り返ってみると、まったく同じ容姿のマッチョが、やはり同じようにこちらへ突撃してきていた。
二人とも、プロレス技のラリアートのようなポーズをしている。
このままでは、ちょうどディアルの立っている辺りで、二人が交差しそうだ。
「ち、ちょっとルージュさん、何かここ、危ない気が……」
そうこう言っている間に、男たちは目前まで迫ってきていた。
しかもルージュの腕が、がっちりディアルを掴んでいて、身動きが取れない!
「や、やめ……止ま……」
刹那、マッチョがくわっ、と口を開く。
「ボンバァアアアアアアアアア!!!!」
「げぱぁああああああああああ!!!」
叫び声とともに、マッチョの必要以上に逞しい腕が、前後からディアルの首を捉えた。
自分で首が変な方向に曲がっているのを自覚するディアルだが──
「あれ、ルージュさん?」
気づけば、ルージュはいつの間にか背後からディアルを抱きしめていた。
ディアルの頬を、何だか冷たい汗が伝う──
そしてルージュが、先程のマッチョ同様、くわっと口を開く!
「どっせぇええええい!!」
「ばばばバックドロップ!?」
今度は見事なアーチを描いて、ディアルの後頭部が大地に叩きつけられた。
「……………………わけわかんねぇよ」
視界が滲みゆく中、ディアルのぼやきはどこへともなく消えていった。
ディアルはゆっくりと体を起こした。
夢……か。
とことん意味のわからない夢だった。
まあ、所詮は夢だからな、どーでもいいや。
それより、ここはどこだ?
見覚えのあるベッド──どうやらマリオの家のようだ。
(俺は……あの時、巨大なアメーバに襲われて……)
その後が、どうしてもわからない。
散々ヒドイ目に遭ったような気はするのだが、思い出せないのだ。
そんなことを考えていると、ゆっくりドアが開いた。
やってきたのは、夢に出てきたルージュさん。
やはり実物の方がキレイ♪──などと思ってしまう、おバカなディアル。
「俺は……どうしてここに?」
さっきの夢のように、抱きしめてくれることを期待していたわけではなかったが──
「昨夜、玄関先に落ちていたので、回収しておきました」
……もう少し他に言い方があるんじゃない?
と思いつつも、とりあえずは感謝。
「目が覚めたなら、下へどうぞ。お食事の準備をしておきます」
言われて気づいたが、ズタボロだったはずの体が全快している。
まるでゲームの宿屋のようだ。
窓越しに外を見ると、太陽が西空に傾きつつあった。
空の手前には、例の森が見える。
それにしても、まさかあんな凶悪な生物までいるとは。
道には迷うし、いいことナシだった。
とにかく、今度はしっかり準備をしてから行こうと、胸に誓うディアル。
「……お腹空いたなぁ」
真っ先にディアルの頭に浮かんだ「準備」とは、ご飯を食べることだった。
「ああ、気づかれたようですね、ディアルさん。丸1日も眠っていたんですよ」
ディアルが階下に降りていくと、いつもどおりの笑顔でマリオが迎えてくれた。
キッチンの方からは、二人の美少女・ルージュとノワールの声も聞こえてくる。
「……またお世話になります」
もう、完全に萎縮してしまっているディアル。
間もなく、ルージュが鹿の焼き肉と、木の実サラダを持ってやってくる。
ディアルは脇目も振らず、一心不乱に食べまくった。
※しばらくお待ちください……
「ぷはー、食べた食べた~♪」
気を失っていたとはいえ、その間ずっとお腹に何も入れなかったのだ。
ブランクを取り戻すかのような食べっぷりだった。
ディアルは豪快に膨らんだ、カエルのようなお腹を叩く。
が、そんな仕種を、口元に手を当ててくすくすと微笑む少女が──
それも、テーブルの向かいに座っているではないか!(気づけよ)
しかも彼女、よく見てみればかなり可愛い。
いかにも村娘風の服装だが、頭にかぶったキャスケットがちょっとオシャレ。
ルージュやノワールのように派手ではないけれど、艶やかで流れ落ちるような黒髪。
控えめに笑うその表情が、素朴でとても奥ゆかしい。
「キタキタキタキタキタァアアアアア!」
そう叫びかけて、嫌な予感が頭をよぎり──訊いてみる。
「マリオさん、こちらの方は?」
すでにルージュとノワールは、マリオを「ご主人様♪」と呼んでいる。
彼女も同じだったら、もう立ち直れそうもない。が。
「ああ、彼女は僕の友人ですよ」
「ホントか!?」
「え、ええ……」
ディアルの剣幕に、マリオは苦笑しながら頷いた。
「ならば俺にもチャンスがあるってことだ!」
心の中でガッツポーズ。
もう……これまでの失恋を忘れさせてくれるのは、アナタしかいなーーーい!!
ディアルが心に固く決めた時、マリオがぽん、と手を打った。
「そういえばこの方、森の抜け道を知っているんですよ」
「おおおお、マジで!?」
「ええ。僕もたまに、薬草採りをお願いしたりもするんです」
露骨にご都合主義だが、ディアルはまったく気にしない。
嬉しさの余り、ディアルは身を乗り出した。勢い余って、黒髪の娘の顔に触れそうなほど近づいてしまった。
彼女の顔が、みるみるうちに赤に染まる。
「イヤーーーーーー!!」
娘は手近にあったマグカップを掴み、ディアルに向けて投げつけてきた。
幸いにも、ビックリして一歩引いたディアルには当たらなかったが──
陶器製のマグカップは、壁に掛けてあったフライパンと家の壁を貫通し、裏にある木にぶつかって粉砕した。
同時に、当たった木も、ギシギシと軋みながら、向こうに倒れた。
今、確実にツッコミを要する場面に出くわしたような気がしたディアルだったが──何か口にするより早く、マリオがいつものにこやかさで、
「ダメじゃないですか、ディアルさん。レディとお付き合いするには、もっと節度を保った行動を取ることが大切ですよ」
と窘めた。
「そ、そうだったな」
簡単に言いくるめられてしまうディアル。
改めて、あの森の抜け道とやらを教えてくれるよう、頼んでみた。
が──何だかあからさまに警戒されている。
「お願いします。悪気はなかったんですよ」
と、さすがいい人、マリオが助け船を出してくれた。
「んー、じゃあ、私はまだ話があって手が離せないから、この子の散歩に行ってきてほしいんだけど……」
言った娘の胸元から、ぴょこん、と手の平サイズのぽよぽよした生き物が現れた。
娘の手の上に飛び乗り、人なつっこくぴょこんと跳ねている。
「これは?」
魔物のようだが、そうでない気もする。この辺りに生息する、愛玩生物だろうか?
「名前はピョコたんよ」
「ぬう、胸元から出てくるとは、羨ましい奴め!」
と、信頼度が大幅ダウンすること間違いないようなセリフを吐いてしまうほど、さすがにディアルはアホではない。
ピョコたんはディアルの体に移り、じゃれるように頭に乗ったり、ぺろぺろしたり、甘噛みしたり。
「ピョコたんも、あなたのことが気に入ったみたい」
そう言われると、ディアルも悪い気がしない。
もともとちっちゃくて可愛い魔物は大好きなのだ。
「よし、任せておけっ! ゆくぞピョコたんとやら!」
どん、と胸を叩くディアル。
「草とか虫とかを好んで食べるから、森の方へ行くと喜ぶわよ」
「でも、あまり奥深くに行ったらダメですよ。夕飯までには帰ってきてくださいね」
黒髪の娘とマリオ、二人の声援に後押しされ、ディアルはピョコたんの散歩に出かけた。
「……あ。あの娘の名前、聞き忘れた」
マリオの家から3分ほど歩いたところで、そんなことに気づく。ま、帰ってから聞けばいいか~、と思い直し、ディアルは森に向けて再び歩き出したのだった……。
「しっかし器用だなぁ」
ディアルは、目の前を跳ねながら進むピョコたんを見下ろして、呟いた。
手足もなく、スライムみたいなのに、ぴょんぴょん人間が歩くくらいのスピードで移動していく。
肌に合うのか、森に入ったら、さらに元気になった。
「あ、おい、その草は食えないぞ」
草博士としての杵柄か、毒草を指して忠告するディアルだが、ピョコたんはむしゃむしゃと食べて、平気な顔をしている。
どうやら人間とは、胃の造りが違うらしい。
と──ピョコたんが、急に森の奥を凝視して、動かなくなった。心なしか、震えている。
ディアルも気づいた。草むらの向こうが、不自然に揺れていることに──
ハリケーンタイガーが現れた!
HP:1800 MP:0
攻撃力:100 防御力:65
森全般に生息する、わりとポピュラーな魔物だ。
嵐のようなスピードで翻弄し、鋭い牙と爪で敵を切り裂く。
魔物ハンターとして名を馳せていたディアルは、ハリケーンタイガーも何度となく倒したことがある。
だが、今のディアルは立場上、魔物を傷つけることはできない。
しかしこのハリケーンタイガーは我を失っている!
何とか目を覚まさせてやらねば。
一方、我らがディアル
HP&MP:今日の俺はひと味違うぜ?
攻撃力:20 防御力150
「って、しまったぁああああ!」
そう、ディアルの武器は前回森に入った時、紛失してしまっている。
よって今のディアルは丸腰だ!
今時、RPG初心者ですらやらない大失態である。
ハリケーンタイガーは、森を巧みに移動しながら、四方八方から凄まじいスピードでディアルを切り刻む!
武器がなければ、さすがのディアルもどうしようもない。
と、ふと足元を見下ろしてみると。
ぶるぶる震えていたピョコたんが、空を仰いで大きく口を開けていた。
次の瞬間、まん丸かったピョコたんが、大きく変形する──
そして大きく開けた口から、何か尖った鋭いものが出てくるではないか。
ディアルにとって、見覚えのある物。
………………がしゃん!
ピョコたんの口から出てきたものを、手に取った。
それは紛れもなく、前に森で失くしたはずの、ディアルの剣だった。
「どうして、これをお前が……?」
ピョコたんは答えない。
しかし、剣があればこっちのもんだ!
攻撃力:20→255
ディアルの攻撃!
ハリケーンタイガーは前歯を折られ、逃げ出した!
「どんなもんでぇ!」
「すごいぞー!」と言わんばかりに、ピョコたんはディアルをぺろぺろしたり、かぷかぷしたり。
「何だか俺、お前とは仲良くできる気がするよ!」
ディアルとピョコたんの散歩は続きます。
森に入って、1時間ほどが経過しただろうか。
ハリケーンタイガーとの遭遇以外は、何事もなく穏やかなものだった。
ピョコたんも、歩きながらいろいろ食べていたためか、二回りほど大きくなったような気がする。
「そろそろ戻るか」
しかしピョコたんはつぶらな瞳でこっちを見上げている。
「……わかったよ、もうちょっとだけだぞ」
心が通じ合っているというか──ディアルは頷いて、森を掻き分けて進み始めた。
が──それがディアルをさらなる苦境に追いつめることとなろうとは、知る由もなく。
エンペラービートルが現れた!
HP:3000 MP:100
攻撃力:160 防御力:300
「馬鹿なっ!?」
何の脈絡もなく現れた高等モンスターに思わずディアルは悲鳴をあげた。
エンペラービートル──その名の通りカブトムシのような形をした魔物である。
しかし『皇帝』の名に相応しく、べらぼうにデカい。
通常、身の丈は2メートルくらいだろう。
だが目の前にいるエンペラービートルは、3メートルを優に超えている。
ご飯がうまいぞ大きく育て──ってアホか、育ちすぎじゃボケェエエ!!!
ちゃんと弱点はあるが、さすがのディアルも正直つらい。
「待て、俺たちは敵じゃない! 話せばわか──ぎゃああああっ!?」
こいつもどうやら暴走しているらしい。
何とか急所は避けたものの、ディアルはエンペラービートルの突撃に大きく吹き飛ばされた。
「いてて」
ふらつきながらも立ち上がるディアル。
だがエンペラービートルが狙っているのはディアルではなくピョコたん!!
「やるしかないのかぁあああああ!」
ディアルは雄叫びを上げつつ、剣を抜いてダッシュした。
ところが──唐突に、ディアルの視界が大きく歪んだ。
続いて、体から力が抜けていく。
たちまちのうちに、走るどころか、立っていることすらできなくなってしまった。
「し、しまった……」
エンペラービートルは、背中の羽根を超高速で震わせることによって、生物の五感を麻痺させる特殊能力を持っているのだ!
って、解説している場合かよ……。
大地にひれ伏したディアル。
もちろん、視界の隅でにやりと笑う、ピョコたんの姿も見ることはなかった──
あれから、どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
ディアルはやっとこさ体の感覚が戻ってきて、ゆっくりと目を開けた。
森の合間から、朱い夕陽が差し込んできていた。
はっとするディアル。頭に浮かんだのは、愛らしいスライム・ピョコたんだった。
と──ディアルの背中を、何かがぽにょぽにょと叩く。
「──ピョコたん!」
よかった、無事だったんだ!
ディアルは振り向き──そして硬直した。
そこにいたのは、手の平サイズのピョコたんではなく──身の丈3メートルを超える、巨大ピョコたんだったのだ!!
半透明の体の中に、先程のエンペラービートルを収納している。
つまり──丸呑みしたのか!?
『草とか虫を好んで食べるから──』
確かに飼い主(?)の娘も、そうは言っていたが──こりゃ違うだろ!
これじゃまるで──前にディアルを襲った、アメーバではないか!
「ま、まさかお前……」
今まで気づかなかったのかディアル!
アメーバの大きく開いた口から、大木ほどもある舌が、うにょろ! と飛び出した。
思わず身構えそうになるディアルだったが──
ピョコたんのまぁるい目は、うるうると潤んでいた。
「よかった~、無事だったんだね!」
と、巨大ピョコたんは言っているような気がした。
「そうだ……いくら巨大化しようと、ピョコたんはピョコたんだ!」
沸きだす感動に、ぐっとディアルは拳を握りしめた。
「ピョコたんは、俺を助けてくれたんだ、そうだろ!?」
声に応えるようにして、ぶっとい舌が、ぺろぺろ──というか、べちんべちんとディアルを舐め倒す。
い、痛い! でも堪えろ! これは愛情表現だ!
一頻りなめ回したピョコたん、しかし今度は、がばちょん! と大きな口を開けた。
ピョコたんの愛情表現は、舐め舐めと甘噛みである。
手の平サイズなら可愛いものだが、何しろ今は全長3メートルなのだ。
これには青ざめざるを得ないディアル。
「わ……ま、待て、やめろ、死ぬ、この状態で噛まれたら、普通に死ぬから!」
…………がぶ。
「うぎゃああああああああああああああっ!!!!!!」
その叫び声は、マリオの家まで聞こえたという……。
ドンドン。
誰かがマリオの家のドアを叩く。
が、あいにく家の主は仕事中らしい。
「どちら様ですかぁ?」
黒髪の娘は、微笑みを顔に貼り付けて、扉を開けた。
「あらら」
そこにいたのは──娘のペット・ピョコたんだった。
娘は普段の口調に戻り、
「今日はずいぶんいろいろ食べたみたいだねぇ。太るよ?」
ピョコたんは娘の腕の中に戻りたそうにしているが、何しろまだ2メートルを超える巨体である。
マリオの家にすら、入れるわけもなく。
「仕方ないねぇ。まあ、話もすんだし、そろそろ帰るとするか」
夕食の片づけをしているルージュにその旨を告げて娘は外に出た。
「ん~、たまにはこういうのも、悪くないねぇ」
ぐっと背を反らす娘。ふと気づいて、指摘する。
「ピョコたん。そのでっかいカブトムシは別にいいけど、そっちの人間は今のうちに吐き出しておきな。お腹壊すよ」
しかし、ピョコたんは首(?)を横に振る。
「そんなに気に入っちゃったのかい、困ったもんだねぇ。でも、消化しちゃったら、もう会えなくなっちゃうよ。それでもいいのかい?」
娘の言葉に従い、ピョコたんは素直に人間──ディアルを吐き出した。
こうして、娘は巨大なスライムを連れて、どこへともなく去っていった──