第2話
半ば精神崩壊したままに、ディアルは再び北の森へと足を踏み入れた。
「俺はもう……人間なんか信じねぇ……人間は魔物が怖いっていうけどさ……俺からすりゃ、人間の方がよっぽど怖ぇよ……ティナよ、待っててくれぇ……お前だけは俺の味方でいてくれよぉ……」
悲愴なる決意とともに魔女を退治し、可愛いティナを取り戻そうと木々を掻き分ける。
しかし、一時間も経たないうちにディアルは悟った。
「……迷っちまった……」
そりゃそうだ。
この森を抜けるには、ティナの持つ魔物の力が必要不可欠なのだ。
帰るに帰れず、ディアルは途方に暮れた。
誰か助けに来てくれないだろうか?
お腹すいたし~、喉も渇いたし~、歩き疲れて、木の根元に腰を下ろしたディアル。
と、上からぴちゃぴちゃと何かが降ってきた。
「水だ!」
なーいすたいみーん♪ 地獄に仏とはこのことだ。
ディアルは上を仰ぎ──そこでぴきーん、と硬直した。
木の幹や枝に絡みつくようにして、半透明なアメーバ状の生物(?)がこちらを見下ろしていたのだ。
しかも半透明な中にぎょろりと浮いた眼球が、何ともキショいっ!
「んぎゃあああああああっ!!!」
人間十人はすっぽり収まるかと思われるアメーバが上からどすん、と落ちてくる。
ディアルは間一髪で身を躱した。
魔物(?)アメーバが現れた!
HP:???? MP:????
攻撃力:??? 防御力:???
VS
東の森の(新米)番人ディアル!
HP:お腹すいた MP:喉渇いた
攻撃力:255 防御力:150
東の森の番人になった以上、魔物と争うわけにはいかないが──ディアルは迷わず剣を抜いた。
こんな奴が魔物であるはずがないっ! 魔女の手先だ!
それを本能で察知? 否。
ティナとこいつが同じ生き物なんて──断じて認めん!!
極めて個人的な理由から、ディアルは飛びかかった。
が──
アメーバを叩き斬るはずだった剣は、ぼしゅっ、という音とともに、不定形の液体に吸収されてしまった。
武器を失い、ディアル攻撃力が20までダウン!!
ディアルは逃げ出した!
が、アメーバは恐るべきスピードで追いすがり──むんず、とカメレオンの舌のようにディアルの足を巻き取る!
ずっこけるディアル。
もがいてもアメーバは足を放してくれない!
絶体絶命か?
その時!
「伏せろ!」
女の声が聞こえた。
ディアルは伏せるまでもなく、ずっこけている。
ドカーーーーン!!
次の瞬間、目の前が眩く光に包まれた。
それはアメーバと──ディアルさえも一緒に吹っ飛ばしていた。
「あ、あなたは!」
気づくとディアルは、何者かの背中におんぶされていた。
服は黒いドレスだけれど、このキレーな金髪は見覚えがあるぞ?
「マリオさんのところの、ルージュさん!?」
しかも何がすごいって。
森の中を走りながら、アメーバを少しずつ引き離している。
100メートル7秒5くらいは切っていそうだ。
だが、ディアルにとって、そんなことはどうでもよかった。
「ああ、ルージュさん! 何だかんだ言っても俺を助けに来てくれたんだな……」
うるうると悦って呟くディアル。
だが、そこに飛んできたのは、まったりしたルージュからはかけ離れた荒っぽい言葉。
「うっせーんだよ、このボケェ! ちったぁ黙ってらんねぇのかよ!」
「ひぃいいい!! ルージュさんがグレてる!?」
「あんなボケボケルージュと一緒にするな! オレはノワールってんだよ!」
見た目は変わらないのに、ルージュじゃないらしい。
しかも男勝りで自分のことを『オレ』と呼ぶ美少女。
ディアル的にはちょっと萌えである。が──
「でも、何でこんなところに?」
「ああ? マリオがてめぇを心配していたから、後をつけて来たに決まってんじゃねーか。めんどくせーけど、マリオの命令には絶対服従だからな」
「ぜぜぜ……絶対服従ってまさか、あなたもマリオさんの……」
今朝、ルージュが言っていたことを思い出し、ディアルは目眩に襲われた。
「ほら……てめぇがくだらねぇ話してっから、追いつかれちまったじゃねーか」
振り向くと、じりじりとではあるが、アメーバが迫ってきていた。
しかも器用にディアルが持っていた剣を振りかざしたりしている。
「仕方ねぇ、二手に別れるぞ」
そう言って、ノワールはすでに逃げる気満々のディアルを下ろした。
剣をなくした戦士ほど役に立たないものはない。
粗大ゴミ以下である(言い過ぎ)。
「オレがあのバケモノを引きつける。その隙にてめぇは逃げな」
ノワールは、自分の十倍から十五倍もの大きさを誇るアメーバの前に立ちはだかった!
「ノワールさん……あんたは……」
「へっ、礼には及ばねぇってことよ。言ったろ、マリオの命令は絶対服従だってな。けどよ……もしまた会えたら、一緒に酒でも飲もうや」
へへっ、とノワールは端正な顔にボーイッシュな笑みを浮かべた。
ディアルとノワール──二人の間に、友情にも似た空気が流れる。
ほんの一時の、心の交流──だが、それだけで充分だった。
「……わかりました。ノワールさん、死なないでくださいね!」
一礼し、森を掻き分けるように走り出すディアル。
「おっと、てめぇの相手はこのオレだぜ!」
相手は不定形だ。
剣も効かなければ、爆弾も効果はない。
倒す方法は、皆無に近い。
だが──使命を全うするためには、このバケモノを一歩も通すわけにはいかない!
ノワールは握りしめた小さな拳を振りかぶる!!
ところが。
アメーバはしゅるるっ、とノワールの脇を抜けると、一目散にディアルの後を追っていった。
「うぎゃああああああああっ!」
唖然としてアメーバと、その向こうで悲鳴を上げつつ逃げまくるディアルの姿を見送るノワール。
恐怖の権化たるアメーバは、どんどん視界の隅に追いやられていく。
「…………………………」
ノワールはどうするか迷ったが、
「ま、すでに手遅れだったって言や、マリオも許してくれるよな。そうだ、どうせだからタケノコでも採って帰るか」
どこか遠くでグガガガガガ……という音を聞きながら、あっさりその場を後にした。
「──ってわけでさ。悪ぃ、ディアルの行方はわからなくなっちまった」
「……そうですか」
経緯を聞いて顔を曇らせはしたものの、マリオは別段咎めるようなことはしなかった。
マリオは自分の主人──だが、その優しさは知っていた。
「変わりに、タケノコ持って帰ってきたぜ」
「……じゃあ、今夜はタケノコご飯ですね」
マリオ家の夕べは、穏やかに暮れていくかに思われた。
ところが──マリオがほくほくのタケノコご飯を食べ終えた頃、玄関の方でガタン、と物音がしたのだ。
注意しながら玄関の戸を開けるマリオ──そこで見たものは!!
「……ディアルさん!!」
そう。そこにいたのは、今朝この家を発った冒険者・ディアルだった。
しかもこれでもかというくらい、ボロボロのズタボロになっている。
意識もない。
「背中に何か貼られてますよ~」
一緒に様子を見に来ていた、ルージュがそれを手に取って読む。
「……明日行く、とだけ書いてあります」
「明日……? 他には差出人の名前とか、書いてない?」
「いえ……名前はありませんが、ハートマークがついてます」
「そ……そーですか……」
「明日来るってんだから、明日になりゃわかるだろーが」
いかにも楽天的なことを言ったのはノワールだ。
「……そうですねー」
負けず劣らず楽天家のマリオも同意し、ディアルを客室に運んだ。
果たしてディアルに何があったのか!
彼の背中に貼られていた、『来客』とは誰なのか!
アメーバなのか、そうでないのか!
ディアルはティナと再会できるのか!?
そもそも北の番人と会うことができるのか!?
謎は山積みのまま、次回へ続く!