第4話
無力。
一流のハンターとは、ここまで無力な存在なのか。
背後から襲い来る無感情な刃を躱しつつ、ディアルは走った。
深い霧の中、勘だけを頼りに身をよじる。
次の瞬間にはその隙間を白銀の刃が通り過ぎていく。
だが森の中は濃い霧に覆われていて、足場も悪い。
とりあえず、逃げる。
逃げるんだ――
霧から解放されると、足がもつれてその場に倒れ込んだ。
体が呼吸を求めている。
空は青い。いつもどおりに。
激しく息を吸いながら、ディアルは場違いなことを思った。
体に、新鮮な空気が流れ込んでくる。
長らくディアルの体を覆っていたピョコたんが、スライム状の姿に戻ったのだ。
ピョコたんも疲れたのか、ディアルの顔の横でふにゃん、と脱力する。
心なしか、半透明の体が赤らんでいる気がする。
そういえばルージュさん、崖下に放置して来ちゃった……。
ともあれ――柔らかな柴の上で大の字に寝ころんで、約一分。
やっと体が落ち着いてきた。
そのとき――
ザッ……
芝生が揺れる音を聞き、ディアルは慌てて立ち上がった。
「……マリオさん」
マリオは霧から解放された途端、意識を失ってしまったようだ。
「助かった……のか?」
早いところマリオを起こして話を聞きたいところだが、その近くで関節構造を無視して、なんか卍っぽい形で倒れている人形がコワイ。
熟考した結果、あんまり近寄ると危ないっぽいので、落ちている木の枝でマリオをつんつんしてみることにした。
何度か顔とか脇腹とかをつつくと、うめきながらマリオは起きあがった。
ディアルは木の枝を後ろ手に隠し、笑顔を作る。
マリオも笑顔を返そうとしたが、すぐに表情を歪めて頭を押さえた。
「ど、どうしました、マリオさん」
しかし、彼は答えない。
駆け寄ろうと思ったが、その勇気がないディアルくん。
てか、返事がないと怖いぃいいいいい!!!
また暴れ出すんじゃなかろーか――ディアルの頭を恐怖がよぎる。
「ディアルくん、どうして後ずさってるんですか?」
「いや、なんでって言われても……」
いちおう正気のようだ。
「……私は、どうしていたのでしょう」
「記憶、ないんですか?」
どうやら覚えていないらしい。
覚えていないということは、正気に戻ったということ……なのだろう。
ディアルは安堵したが、マリオは依然として頭を押さえたままだ。
「……どうやら、私は酩酊状態にあるようですね」
酩酊。つまり、酔っ払いである。
「匂いはなかったはずですが……森を覆っている霧にはアルコールに似た成分が混じっているのかもしれませんね。それで酩酊状態を引き起こし、人の理性を奪ったところで操る……だいたいはそんなところでしょう」
この人、さっそく分析してるよ……。
てか、あの性格は酔っ払ったため?
どうやら無敵モードになれなかった理由も、これらしい。
「……ルージュも、この手の精神操作に対しては無防備ですからね……」
いや、ルージュさんよりもアンタだよ――とツッコミを入れたかったディアル。
ふと、ぷにょぷにょ揺らめいているピョコたんを見下ろした。
どうやらこの子の色が赤っぽいのは、酔っ払っているからのようだ。
しかしこの子が操られてしまっていたら、どうしようもなかった。
ピョコたんさまさまである。
「てか、早いとこその物騒な人形をしまってください」
ディアルに言われ、マリオは初めて自分の両脇に散乱した人形に気づいたらしい。
「いやいや、これはお恥ずかしいものを」
「てかそれ、どうやって動かすんですか?」
さっきまでの猛攻を思い出し、好奇心で聞いてみた。
「ん? 糸で。見えません?」
ぴっ、と指を立てて笑うマリオだが――糸なんてどこにも見えない。
「あの、糸なんてどこにも……」
「見・え・ま・す・よ・ね・?」
「………………はい、見えます……」
なんかムリヤリ押し通された感じもしたが、マリオは満足したようだった。
彼が背中を押すと、人形はみるみるうちに人型の紙に姿を変えてしまった。
………………。
もはや何も言うまい。
マリオは、普通であって普通でない。
そういう人だと思うことにした。
「……俺、はぐれたティナを探してきます。森だって、このままってわけにはいかないし」
ディアルは崖の上から森全体を見下ろした。
乳白色の海からぽつぽつと木のてっぺんが覗いていることで、やっと森だとわかる。
さっきよりも霧が濃くなっている気がした。
「ピョコたん、もうひと頑張り頼めるかい」
ピョコたんに触れると、
「うぃ~~、ま~~かせれくらはいっっっちゅ~んだよコノヤロ~~」
みたいな感じでディアルを呑み込む。
相変わらず無敵モードはムリっぽいが、とりあえず霧の力に当てられなければそれで充分だ。
ディアルは、崖下へ向けて走り出そうとして……止まった。
「マリオさん、ちなみにお酒は嗜む方ですか?」
振り返らずに、訊く。
マリオはやや困惑したようだったが、
「いえいえ。私は昔からめっきり弱くて。ちょっと飲んだだけでも記憶が飛んじゃうんですよ~。それがどうかしました?」
「……いや、なんでもない」
ディアルは崖から下へと、一気に身を躍らせたのだった――
「……確か、ルージュさんはこの辺りだったよな……」
霧が濃くてイマイチ方向がわからないが、崖の周囲ということなら話は別。
崖に横たえたルージュは、すぐに見つかった。
幸い、意識を取り戻した様子もない。
がさっ
「ちっ、こんなときに……」
魔物の気配だ。
どうやら霧の作用で、目標はディアル一人に絞られているらしい。
普段は穏やかな魔物まで、襲いかかってくる。
ディアルはそのたびに、ルージュを庇いながらも当て身で凌いだ。
「……くそっ」
振り返ると、倒した魔物たちがそこかしこに転がっている。
戦う理由などなかったのだ。
ディアルは魔物と戦いたかったわけではない。
魔物も、ディアルと戦いたかったわけではない。
無為な戦いなのだ。
と、また魔物の気配。
「ム…………ム……ム………………ム……」
唸るような声が、霧の中に木霊する。
ピッ!
ディアルの頬を、何かが掠めた。
ピョコたんによってわずかに方向が逸れたものの、一文字に浅く開いた傷から血がうっすらと落ちる。
ディアルは神経を集中した。
気配はあるが、はっきりとした位置を悟らせない。
これまでの魔物とは違う――
しかも、攻撃の際にも姿が見えなかった。
だが!!!!
元ハンターの面目躍如といったところである。
ディアルは背後から飛んできた攻撃を避け、なおかつ魔物の腕を掴んだ。
「捕まえ――」
勝利宣言は、途中で驚愕へと変わった。
ない。
掴んだはずの魔物の腕が消えていた。
掴み逃したわけでもない。一瞬だが、掌には魔物の感触があったのだ。
「っ!!」
と思いきや、いきなり背中に激痛が奔った。
前のめりに倒れそうになりながら傷口を触ってみると、爪痕のようだった。
平行な四つの傷が、背中を斜めに裂いていた。
「馬鹿な……」
攻撃される瞬間に屈もうとしたため、傷は浅い。
浅いが、相手の攻撃が自分に触れる寸前まで気づかないなど、あり得ないことだ。
ディアルが困惑していると、魔物のうめきが鮮明になってくる……。
「ム……ム…………コ…………ど……ノ…………ム……こ……ド……の……」
ディアルの腕に、鳥肌が立った。
霧の中に浮かび上がったのは、真っ赤な一対の瞳と、大きく鋭い爪。
「婿…………殿ぉ………………」
「ティナパパ!!!!!!」
ティナパパの攻撃が、空気を裂く。
パパの爪は、霧の中を瞬間移動できるらしい。
いきなり背後から来ることもあれば、足元から串刺しにされそうになることもある。
気配と勘だけを頼りに攻撃を避ける。
もちろん、相手は霧なのでディアルのパンチなんか当たりゃしない。
これまで戦ってきた、どんな魔物より手強かった。
おそるべし、もふもふ生物ラ・フィナ!!!
「だ、俺は……べ、別にティナを弄んだわけじゃなくて……ちょ、聞いてくれって!」
必死に訴えるも、聞いてくれなかった。
マリオさんが言っていた、「北の森の魔女の異変」が、ティナパパを狂わせているのか。
「がっ!!!」
唐突に、背中を衝撃が襲った。
新しい気配だ。
振り返ると、そこにいたのは――
「テ、ティナ……?」
そう。
地面にちょこん、と立っているのは、ディアル物語始まって以来の相棒。
「よかった、一緒に逃げ――」
ところがディアルの延ばした手をすり抜け、代わりにミサイルのような勢いで飛んできた。
一撃はディアルの顔面を直撃し、大きく吹っ飛んで岩壁に叩きつけられた。
呼吸困難に陥りつつ、歪む視界でその姿を捉える。
「ま、まさか……」
ティナも、霧に操られている。
その結論を否定する要素は、残念ながらひとつもなかった。
辺りを縦横無尽に飛び跳ねるティナ。
それに加えてティナパパの猛攻である。
ディアルも先の見えない戦いに疲弊し始めていた。
と――正面にティナの気配!
またドリルのように回転しつつ、凄まじいスピードで頭から突っ込んできた。
ディアルは反射的に横転した。
狙いを外したティナは、その勢いのまま岩壁に激突する!!
「……ティナ!!!」
駆け寄ろうとするが、ティナは素早く身を起こし、距離を開けた。
だが、足元がおぼつかない。
さっきディアルがぶつかり、息ができなくなったほどの硬さを持つ岩壁。
それに頭から突っ込んだのだ、無事で済むはずがない。
「くそっ、俺には何もできねぇのかよ!!」
自分が避ければ相棒が傷つく。
突撃してきたティナを、ディアルは受け止めた。
手触りは、いつものティナだ。
可愛いけど、喋りはなんかちょっとシュールで、斜に構えてて、長いものには巻かれやすい感じで………………。
「でも、いい奴だった。俺の相棒……」
ディアルはそのままティナを抱きしめた。
「きゅ……きゅ…………きゅぅううううう!!!!!」
ティナはディアルの胸の中で、小さな爪を必死に立てる。
「……………………簡単なことじゃねーか……」
ディアルはティナを、さらに強く抱きしめた。
正面から、ティナパパの爪が迫る――
「俺は、決めたよ」
ピタリ…………。
ティナパパの爪が、眉間で止まった。
ギリギリ触れたディアルの額から、赤い雫が一筋こぼれる。
それが顎から地面に落ちる前に、ディアルは告げた。
「俺は、この森の番人になる」
そう、簡単なことだったんだ、すべて。
魔物を守る側に入ったのは、ディアル自信の意思。
今、ティナや森が狂っているのは、ディアルのせい。
ただ足りなかったのは、ディアルの覚悟だけ。
「今まで、ごめんな……ティナ」
辺りの霧が、急激に濃くなった。
違う――霧が流れている。
ディアルの前の空間へと、周囲の霧がものすごい早さで動いているのだ。
やがてそれは、一個の姿へと収束した。
葉巻を口の端にくわえた、ダンディな白いラ・フィナへと――
「おおお、ディアルくん! 霧が晴れましたよ!」
崖の上から、マリオさんの声。
と同時に、マリオは再び崖上から飛び降りた。
……………………。
まあ、二度目だからね……不自然なことも普通に受け入れられちゃうっていうか。
ピョコたんは自分の役目が終わったことを知って、スライム姿に戻り、ディアルの肩に陣取った。
「それにしても、暴走したラ・フィナの理性を呼び戻してしまうなんて……立派ですね、ディアルくん」
いわれて、ちょっと照れくさいディアル。
こうしてマリオさんに褒められたの、実は初めてではなかろーか、と思ったり。
「うむ。婿殿よ。あなたは自らの資質を今、証明してくれたのですぞ!」
ティナパパも、嬉しそうにちっちゃな手でディアルの足をバシバシ叩く。
「そうですわ。あなたなら、安心してティナを任せられます。ささ、早く北の森へいって、番人になってきてくださいな。帰ってくるまでに、ごちそうの準備をしておきますわ」
さらにどこからやってきたかわからない、ティナママまでも褒めそやす。
「ううううう……」
なんか勢いで言っちゃったものの、「番人になる=死ぬ」なんだよなぁ。
しかも辺りの霧も晴れちゃったし……なんかモチベーションが激減しているディアル。
ところが。
ドスンッ!!!
ディアルは後ろに吹っ飛ばされた。
「っとっと……大丈夫ですか?」
「ありです♪」
倒れかけたディアルを、マリオが支えてくれた。
とりあえず手で合図して、ディアルは腕の中のものが消えていることに気づいた。
「……ティナ?」
少し離れたところに立っていた。
だが、様子がおかしい。
霧が晴れた今も、ディアルに向けて牙を剥き続けているのだ。
「オイ、ティ……」
また回転しながら、弾丸のごとく迫ってくる。
が――間に割って入ったのは、ティナパパ!!
「来たまえ、儂がとめてみせる!!」
ばしっ!!
「きゅきゅ~~~~~!!!!」
ティナパパは吹っ飛ばされた!
「私が受け止めますわ!!」
さらにティナママが間に入る!!
「きゅきゅきゅ~~~!!!!!」
ティナママも吹っ飛ばされた!
「ならば僭越ながら私が――」
マリオさんも吹っ飛ばされた!!
ディアルはだいぶ突撃力が弱まったティナを捕まえる。
だが、すごい力でふりほどき、逃げてしまう。
「……どうして……ティナ!」
「おそらく……」
ぐぐっ、と立ち上がりつつティナパパは呟く。
「北の森に異変があったのじゃ」
ディアルはマリオをちらりと見た。彼が言ったことと同じだ。
「そのせいで、儂も力が暴走した。だが儂は、成熟したラ・フィナだ。自制が利く。しかしティナは、まだ幼い。歯止めが利かなくなっている」
「じゃあ、このままだと……」
暴走しっぱなし――と。
「行きましょうディアルくん。その子を助けるのでしょう?」
ディアルは頷いた。もう、あとには引けないのだ――
と、逃げたティナが再び突撃してきた。
「今度こそ、儂がとめてみせる!!」
さっきのリベンヂだぜ、といわんばかりに間に入るティナパパだが――
「きゅきゅ~~~~~~!!!!!」
またもティナパパは吹っ飛ばされた!!
「今度こそ私が(略)」
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「あんたら、実は吹っ飛ばされて楽しんでんだろ!!」
さっきと同じく死屍累々と転がった一人と二匹を見下ろしつつ、ディアルは怒鳴った。
「今だ、頼むピョコたん!!!」
ディアルはピョコたんをティナに向けて翳した。
ピョコたんは大きく口を開けると、ティナを呑み込んだ。
透明な鳥かごに入れられたティナは、激しく暴れた。
だがピョコたんの中に入ってしまっては、出られるはずもない。
「待っていてくれ、ティナ。必ず元に戻してやるからな……」
ディアルは拳を強く握りしめた――




