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『神は死んだ』

作者: 如月海月

 彼女と出会ったのは、紅葉も盛りを過ぎつつある晩秋に行われた、とあるボランティア活動の最中さなかだった。


 都市部の秋のとある日は、毎年海外から輸入された仮装のお祭りで賑わう。夏祭りのように土地の自治体が先導して開くものではなく、どちらかと言うと大衆が主導してはしゃぎ、それに民間企業が乗じる形でこの祭りは世に浸透している。そのため、都市部のその祭りは自由であると同時に際限もなかった。

 毎年祭りの熱狂に当てられる街は華やかな仮装をした人々でいっぱいになり、通りに立ち並ぶお店やビルディングは多様なイベントを開催する。普段は見かけない露店が通りに次々と現れ、平時とは一転して街は異国情緒の趣と熱狂に覆われる。


 しかし、祭りの次の日は惨憺たる有様だった。街には捨てられた容器の残骸が真夏に死んだ蝉のようにあちこちに転がり、酷い時は衣装を脱ぎ散らかしたものやその切れ端、果ては食べられずに捨てられた生ごみのようなものまで転がっていたりする。祭りの後は往々にしてこのような惨状になりがちだが、前日のエキゾチックな祭りの雰囲気と比べると、それはあまりにも惨めな現実だった。


 当時高校の3年生だった僕は、推薦による大学入試を控えており、そのためのネタ作りに必死だった。ボランティア活動というのはそれだけでは面接の武器とするには足りないが、しておいて損するものでもないだろうと僕は見ていた。そのため、僕が祭りの翌日に清掃ボランティアとして参加したのは純然たる善意のためではなく、他ならぬ僕自身のためであった。


 清掃は集まった人々を何グループかに分けて行われた。集まった人々には多種多様な人々がおり、僕の割り当てられたグループの中には作業中に携帯電話を取り出し、ゴミ拾いをしている自分の写真を撮ったりしている人もいた。彼は僕と同じくらいの年代に見えたので、話しかけることに抵抗はなかった。

「何をしているのさ」

 彼はゴミを拾うために装着していた軍手を地面に置いており、携帯で自分を撮影すると再びそれを拾って手に装着し始めた。

「SNSに広めているんだよ。こうして、少しでも他の人に関心を持ってもらうためにね」

 彼は得意げに言ったが、僕には疑問が残った。

 それは作業中に軍手を外して携帯を扱い、それからもう一度軍手を装着する手間をかけることなのだろうか。それなら、事前に文章でも打って告知でもしておけば良いのに、どうしてわざわざ作業中に写真を撮るのだろう。

 これらを率直に尋ねると、彼は嫌な顔をした。

「別にどうでもいいだろ。些細なことだ」


 確かに些細なことだった。僕だって、別に街を綺麗にしたくてゴミ拾いをしているわけではないから、極論彼が怠けていようがどうでもよかった。もし怠ける人がたくさんいたら、僕もそれに乗じていたかもしれない。


 僕らが話をしていると、僕らのグループ内でゴミ袋を持つ係だった女の子が、僕らを睨みつけながら近づいてきた。彼女も僕らと同じくらいの年齢に見えたが、やや背が低く、黒髪の地味な女性だった。

 彼女は無言でゴミ袋を差し出した。中は、露店で販売していた食べ物の容器や、捨てられたお菓子の袋などで半分ほど埋まっていた。

「なんだよ」

 写真を撮っていた彼がぶっきらぼうに尋ねると、彼女は短く言った。

「持って、これ」

 ゴミ袋を持つ係りは作業開始当初ランダムに振り分けられ、途中変更の話も聞いていない。写真の彼は「やだよ」と言って、彼女から逃げるようにこの場を去ってしまった。

 残された僕を、彼女は睨みつけた。

「じゃ、あなた。よろしく」

 そうして、ほとんど押し付けるようにして彼女は僕にゴミ袋を渡した。ゴミ袋の係りは、グループ内が拾ったゴミを受け入れるため、忙しなく移動する。誰かがゴミを見つけたら、彼もしくは彼女の元に気をきかせて駆け寄るのだ。つまり、グループ内で最も負担が大きい。

 憮然として僕はその女の子を見つめたが、彼女はそんなことお構いなしに作業に戻った。


 ちょうどその時、

「おーい! 袋の人、こっちに来てー!」

 と、グループ内の誰かが呼ぶ声が聞こえたので、僕は慌ててそちらに駆けて行った。結局、作業が終わるまで僕は彼女の代わりに袋の係りを務めた。


*****


 作業が終わった。一堂は互いの労をねぎらい合って各々解散し、主催の人以外はそれぞれの帰途につく。

 僕にゴミ袋を押し付けた彼女も、主催ではなかったらしく、どこへやらへと行こうとしていた。

 その彼女を見つけ出し、僕は文句を言った。

「ちょっと君、あれはどういうことだったんだよ」

 彼女は僕を見つけるとちょっと目を見開いたが、すぐに思い出したように「ああ……」と呟いた。

「私が袋を渡した人ね。あの後、キリキリ働いていたようじゃない。お疲れさま」

 よく抜け抜けとそんなことが言えるなと思った。あの後、僕は彼女に抗議しようかと思っていたのだけど、ひっきりなしにゴミ袋役を呼ぶ声があちこちから上がっていたので、休む暇もなく、ついに切り出すタイミングを逸してしまったのだった。

「どうして僕に袋を押し付けたんだい?」

「どうしてって……」

 彼女は言葉を選ぶように少し考えた。僕らの周りでは次々にボランティアの人が解散し、集まっていた人々の塊が解けつつあった。

「あなたが不真面目だったから」

 その言葉に僕は少し驚いた。写真の彼はともかく、僕に関しては表面上は真面目にやっていたつもりだった。それなのに心の底を見抜かれたみたいで、少し意外だった。

「僕は真面目にやっていたよ」

「本当に?」

 彼女はじっと澄んだ瞳で僕を見つめた。僕よりやや背が小さい彼女は見上げるような形になって、茶色の瞳でじっと僕を射抜いてきた。その瞳は、じっと見つめているとまるでここではないどこかに吸い込まれそうな奥行きを持っていた。

 彼女の茶色の瞳の中で、僕は僕自身によって見つめられていた。

「少し、話をしよう」

 気が付くと、僕はこう口にしていた。彼女はまた少し考えるそぶりを見せた。

「生憎、私はあまり暇じゃないのだけど……」

「あくまで君が僕を不真面目と言い張るならの話さ。無理強いはしない」

 この時の僕は、少しずるかった。ほんのちょっとの言動から、僕は彼女の性質についておおよその検討をつけていた。それは恐らく、頑固であること。何となくそんな気がしたので、きっとこう言えば彼女は反抗したくなるだろうと思った。

 果たして、彼女はこう言った。

「……そうね。あなたがその気なら、私もそれに乗せられるのに吝かじゃないわ」

 彼女は、にっこり微笑んで言った。元来、微笑みとは牙を見せる動物の威嚇行為に由来するらしい。少なくともそんな説もあるようだ。彼女は「乗せられる」と言うことで、僕の挑発的な策略すら見抜いたその上で、僕と対話をすることを選んだのだ。彼女の微笑みはそれを雄弁に伝えていた。ここでも、僕は彼女に一段上を行かれていた。

 そのことにすぐに気が付いて、僕は唇を噛んだ。


*****


 近くの喫茶店に入ると、僕は珈琲を、彼女は冷茶を注文した。

 入ったのは、通りから一本折れた細い道にある小さな個人経営の喫茶店で、光源が小さいせいか店内はやや薄暗かった。

 案内されたのは壁際の小さなテーブル席だったが、近くの壁には質素な額縁に縁取られた妙な絵が飾られていた。恐らく何かの絵のレプリカだろう。全体的に背景が寒色系の色で覆われており、絵の中央には腰布のみを纏った裸の人間が立っている。他にもその付近には腰布だけの男や女が座ったり寝転んだりしている様子が描かれていた。何となく、不気味な絵だった。

「ゴーギャンの絵ね。あんまり好きな作品じゃないわ」

 絵画にちらっと目を走らせ、小さく彼女は呟いた。僕は絵に関しては何も知らないので、黙っていた。


 店内の客は僕らだけで、従業員で見かけるのも若い女性が一人だけだった。席の案内や注文をとるのも全て彼女が行っているようだった。カウンターの奥からは物音がするので、他にも働き手がいることは間違いないだろうけれど。

 店内は音楽がかかっておらず、窓にもブラインドが降りたままだったので、壁の妙な絵と相まって何だか異界に迷い込んだような妙な気分になった。


 お互いの素性を話すと、彼女は都内の大学2年生で、高校生である僕より少し年上であることが分かった。同い年だと思っていた相手が年上であると発覚して、少し複雑だった。

 敬語を使うべきか一応尋ねてみたけど、彼女は「そんなの君の好きにすればいい」と言ってくれたので、今まで通り話すことにした。無論、そこには以前とは異なった、尊敬とまでは行かないけれどある種の敬意や距離感のようなものが自然と生まれていた。

 また、人を見透かすような彼女の得体の知れない瞳の雰囲気についても、それが年上であるためと仮定することによって、一時的にせよ安堵を覚えた。例え正体が枯れたススキだとしても、得体の知れなさはそのものが持つ以上の魔力をそれに与えるのだ。


「あなたはどうしてボランティアに参加したの?」

 お互いの素性が割れると、彼女はすぐに本題を切り出した。

 彼女の質問に、僕はもう隠さずに事情を伝えた。推薦で有利に働くかもしれない、面接で話すネタにできるかもしれない、などと正直に話すと、彼女は僕が嘘をついていたことにさして怒るわけでもなく、つまり先ほど不真面目でないと主張した撞着に関して突っ込むことなく、納得したように頷いた。

「そんなことだろうと、思ってた」

 今度は逆に僕が尋ねた。

「どうして僕が不真面目だと気づいたのさ? 一応、真面目にやっていたつもりだったのに」

「あなた、おしゃべりをしていたじゃない」

 おしゃべりと言っても短い間の会話だけで、それに僕の他にも知り合いと会話をしている人はいた。それにも関わらずなぜ僕と彼を彼女は見抜いたのだろう? 僕が尋ねると、彼女はお冷を一口飲んで言った。注文品はまだ来ない。

「分かるの。そういうのって」

 それから彼女は話題を逸らすように言った。

「それであなた、高校3年生だってね。どこの大学のどんな学部を目指すの?」


 僕は正直に、自分が目指す所を話した。大学で哲学をやることが僕の目標だった。

 彼女はそれにさしたる感動を示すことなく「ふうん」と相槌を打った。

「哲学ね、じゃあ面接だとそういうこと聞かれちゃうんじゃないの? 哲学的なこととか」

 彼女が笑いながら言ったので、僕も苦笑した。

「そうだね。でも、仮に神の存在証明なんてものを要求されても、僕は即座にそれを蹴って、その場でそれを論破する自信があるよ。まあもっとも、そんなナンセンスな問いをする学校なんてこっちからお断りだけど」

 すると、彼女は途端に真顔になった。瞬時に、何か地雷を踏んでしまったことが分かった。

「そう……まあ、人それぞれだから。仕方ないわね」

 予めきたるべき詰問を避けるような、そんな逃げ腰の雰囲気が初めて彼女から漂ってきた。彼女は明らかに動揺して、何か言いたそうであると同時にまずい話題に転換してしまったことを後悔している様子だった。その動揺具合から、僕は彼女が何らかの信仰を持っていて、僕とは真逆の価値観を有していることを確信した。しかし、当時高校生であったこの時の僕はやんわりと話題を退けるでなく、むしろ積極的に彼女の反感を煽るようなことを言った。この問題はいずれ僕が正面から取り組むべき課題の一つであり、曖昧に逃げることは許されないとこの時の僕は考えていたのだ。

「いないに決まってる。そう、妄想の塊だ。ルサンチマンが生み出した、理性の対極にあるものだよ」

 彼女は僕の執拗な否定を聞くと、露骨に嫌そうにして顔を背けた。

「知ったような口をきくのね。どっかの書物で読んだような言葉を引用して」

「逆にいる根拠はどこにあるのさ? この世界が本当に創造されたと信じているなんて、本当に君は21世紀に生きているの? 君は本当に大学生なの?」

 彼女は顔面を蒼白にして黙ったが、それでも無言で席を立つようなことはしなかった。

「あなたは何も知らないだけよ。真理とかそういうことをじゃない。あなたにとっての、いいえ、信じられない人にとってのそれと私たちのそれとは、決して共有することはできない。だって、あなたたちには必要がないんだもの。必要のないところに真の存在を知ることは難しいわ……もうよしましょう、こんな不毛な話題」

 彼女は、それからも長らく血の気を失った顔でそっぽを向いていた。その様子を見て、僕は初めて自分の頑なな態度の過ちに気づいた。

「ごめんなさい」

 彼女は横眼でチラッと僕を見て言った。

「心底そう思っているわけではなさそうな顔ね。ボランティアの時も、そんな顔をしていたわ」

 彼女の機嫌が崩れたことで、僕らの間には長い夜のような沈黙が訪れた。その合間に若い女性店員が珈琲と冷茶を運んできて、静かに僕たちの間に置いた。けれど僕らはどちらも、それを手元に引き寄せた後は手を付けようとしなかった。

 

 カップの外側に水滴が付着し始めた頃になってようやく、彼女はその一滴を指で拭って、ぽつりと呟いた。

「自分がなんでも知っているとは思わない方がいいわ」

 今度は僕が言葉を抑える番だった。彼女の言う通り、これは不毛な話題に過ぎない。

 僕は珈琲を一口飲んだ。とても苦くて、舌が痺れるようだった。それでも、この感覚はこの暗いお店と話題によく似合っているような気がした。もう一口、飲んだ。


「君はまだ高校生だもの。結論を早める必要はないわ。世の中には秩序立った側面と、そうではない混沌の側面とがある。君は秩序の側面しか知らないだけよ」

 それはずるいと言いたかった。確かに僕は今、毎日高校に通って推薦の論文対策と面接の練習、さらに通常入試に備えて普通の受験勉強も平行して行っている。それは、規則正しい秩序に満ちた世界だった。解き方があり、正解があって、始まりがあり、終わりがある。

 僕は秩序の世界にいるのだろうけど、それを理由に議論を閉じられてしまっては、僕の立つ瀬がない。


 彼女はゆっくりと冷茶を口に運んだ。彼女は睫毛が長く目を伏せると可憐に映ったが、それよりもこちらと視線が合った時に見据える茶色の瞳の方が魔力があった。彼女はその瞳で何を見、何を感じているのだろう。

「私があの時あなたを注意したのは、なにも会話をしたからじゃないわ。写真を撮っていた彼と同様、君のそんな考え方が、何となく伝わって来たからよ」


 僕は何も言わなかった。何となく、彼女とは見えている世界が違うように映っていることが分かったからだ。彼女はその茶色の瞳で僕を見るけれど、僕はその中に映る世界について理解することができない。共有することはなおさら遠かった。

 しかしもしかしたら、この不可解さと分からないという感覚そのものが、彼女の示す混沌の一部なのかもしれないとふと思った。まるでロシアの人形の中に入っている人形のように、彼女は重層的に世界を捉えているのかもしれない。


 僕はいつの間にか長い間自分の考えに没頭していたみたいだった。はっと気づくと、彼女は目の前の僕を見て微笑んでいた。それは「話をしよう」と持ちかけた時に見せた挑戦的な笑みではなく、もっと温かく含みのある笑みだった。

 何だかばつが悪くなった。

「どうしたの?」

「いいえ、何でもないわ」

 しかしその後も、彼女は微笑みの表情を崩さなかった。やはり僕には、彼女の言動はさっぱりだった。冷茶を半分ほど残したまま、彼女は立ち上がって言った。

「私、もう行かなくちゃ。時間がないのは本当なの。君は?」

 かぶりを振った。もう少し、ここにいたかった。

「そう。お代は私が払っておくからいいわ。……遠慮しないで。私から君へのお勉強代としてあげる。受験、うまくいくといいわね。応援してるわ」

 彼女は鞄を肩にかけると、「それじゃあ」と言って、去っていった。彼女がいなくなると、不思議と辺りの静寂が目立つようになった。彼女の話声はそんなに大きいものではなく、どちらかと言えば黙っている時間の方が長かったのに、何故か急に静かになったような気がした。



 すぐ傍の壁を見ると、青い絵画が再び目に入ってきた。彼女は画家の名前を口にしていたが、具体的な名前は忘れてしまった。良く見ると、絵画の下辺にあるプレートに小さく絵のタイトルが刻まれていた。

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

 絵には、そのようなタイトルが付けられていた。



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