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iSEKAi

作者: てっち

自分の思想を反映したショートショートです。

大真面目な異世界転移モノだと思って読むと120%後悔します。

「この豚ァ! とろとろ歩いてんじゃねぇよ、邪魔だ!」

 休み時間、トイレに向かって廊下を歩いている僕の背中に、唐突に過剰なベクトルが加えられる。

 柄の悪い同級生に後ろから蹴られたのだと気付いたのは、僕の体が冷たい床に叩き付けられた後だった。

 それ程までに、僕は反応が鈍い人間だった。身体の大きさもそれに一役買っているのだろう。

 僕には須真虎(すまとら)開牙(かいが)という名前があるが、ここ1年以上、同級生からその名前を呼んでもらった記憶が無い。

「お前はそこで肉にされるのを待ってろよ、豚!」

 そう、代わりに使われるようになった呼称が『豚』だった。

 言わずもがな、縦に短く横に長いこの肉体がその由来だ。

 おかげで中学生活の1年目からいじめの標的にされ、2年生になった今もそれは変わっていない。


 ――いい加減、この世界で生きるのもつらくなってきた。


 今僕の背中を蹴飛ばした男子生徒の隣では同じく同級生の女子が歩いている。

 この2人はどうやら恋人同士らしい。

 勿論、この女子生徒も僕に助けの手を差し伸べてくれるということもなく、汚らしいものを見るような視線を一瞬投げかけてくるだけだった。


 ――畜生、僕だって異世界に行ければ女の子にモテモテになれるはずなのに……!


 こんな感じで、仲良くしてくれる同級生が全くいない僕は、小説――とりわけ、異世界転生とチートをテーマにした小説を読むのが学校でのほぼ唯一の楽しみだった。

 そして、読む度に思う。「自分もああやって異世界に行けたらいいのに」、と。

 そういう小説では、異世界に飛ばされた主人公は、異世界で生まれた少女達とハーレムを築いたり、そんな少女達と共に『勇者』と呼ばれる連中と戦ったり――。

 少なくとも、僕みたいにどの異性からもまともに相手されないなどという状態には無い。

 主人公に移入することによって限りない充足感を得られるこの小説というものに、僕は心底感謝していた。



 トイレを済ませ、教室に戻った後でそういう小説を読んでいると、次の授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。

 確か次は古典の授業だったはずだ。

 鞄の中から授業に使う教科書類を取り出そうとする。

 …………無い。

 探しているものが鞄の何処からも出てこない。

 机の中も探るが、そこにも存在しない。

 後ろのロッカーには体操服ぐらいしか入れていないからそこに入っていることはまず有り得ない。


 ――盗られた!?


 どうしよう……既にチャイムは鳴ってしまっている。教師も間もなくここに来るだろう。

 周りをよく見ると、クラスメートの何人かがこちらを見ながらクスクス笑っている。

 あれが盗んだ犯人と見て間違いないだろう。


 問い質すつもりでその場で立ち上がった――のが、丁度古典教師が教室に入るのと重なった。

「どうした、須真虎? まだ起立の号令はかかってないぞ?」

「あ、あの……」

 間が悪い、とはこのことか。運の悪さでも僕は見放されているらしい。

 その間に古典教師は教壇まで移動していた。

 結局、僕の口から出たのは――

「あの……教科書、忘れました……」

 すると、教壇の上から溜息一つ。

「はぁ、またか。今年に入ってから一体何度目だね?」

 古典の教科書を盗られたのはこれが初めてではない。というより、古典に限った話ですらない。

 大抵は授業が終わった後でひょっこり変な所から見つかるのだが。

「幾ら何でも気が(ゆる)みすぎじゃないかね? 話があるからこの授業の後で職員室に来なさい」


 ――ああ、遂に職員室に呼び出される羽目になってしまった……。


 さっきからひっそり(わら)っていた同級生が、それでも必死に声を出すのを堪えているのが見える。

 言ってやりたい、「こいつらが盗んだんです」って。

 でも、僕はそんな勇気は持ち合わせていない。教師がいる前で、証拠も何も無い生徒と問い詰めるような勇気は。

 どうせ本人達の手元でなく全く別の場所に置いて――或いは捨てて――あるのだろう。

 この手の連中がそういう所だけは頭が回るということを、僕は散々思い知らされている。


 必竟(ひっきょう)、僕は教科書を欠いたまま授業を受け、その後で古典教師に連れられて職員室に行くことになった。



「――で、なんでそう何度も教科書を忘れる? 真面目に授業を受ける気はあるのか?」

 職員室で、僕は教師から問い詰められる。機嫌の悪そうな視線と共に。

 僕の教科書を盗った連中よりは真面目に受ける気があるというのに、どうして僕だけがこうして怒られないといけないのだろう。

 失意の底にあった僕の目から、涙が零れ始める。

「真面目に授業を受ける気があるのかと訊いてるんだ。泣いてたって何の解決にもならんぞ?」


 ――どうして。どうして、僕ばかりがこんな目に。


 最早、今すぐに……今すぐにでも、僕は異世界に飛ばされたい。

 こんな場所、もう1秒だっていたくない。この世に未練なんて微塵も無い。


 ――早く! 早く僕を異世界に連れてってよ!


 涙を流しながら、僕の願いは唯それ一つだった。


 大昔に「奇跡というのは起きるのはでなく起こすものだ」と言った者がいる。

 多分、それは本当だったんだろう。


 ふと、職員室の床に異様な文様が出現し、そこから眩い光が放たれる。

「な、何だ!?」

「ちょっと、何も見えないんだけど!?」

 一瞬でパニックに陥る職員室で、僕だけが冷静だった。

 きっと僕の願いを聞き届けてくれた異世界人が、本当に僕を自分の世界へ連れていってくれるんだ、と。


 泣き笑いの表情のまま、僕は一瞬気を失った。



 次に意識を取り戻した時、僕は王室と思しき場所に立っていた。

 眼前には、玉座に腰かけている壮年の男女が1人ずつ。

 きっと王国の王と王妃なのだろう。異世界転生小説を数多く読んできた僕にはそう察することが出来た。

「よく来た、勇者よ。儂は――」

 玉座の男性――王が、僕に何故か日本語で語りかける。

 のだが、途中からその言葉が聞き取れなくなっていく。

 彼の口が動いているのは確かのはずなのに、その言葉がうっすらとしか届かない。

 少し遅れて、彼らの姿が僕の視界でぐにゃりと歪む。

 あれ……何か、おかしい。さっきから、指一本……動かせない。

 次第に頭が痛くなってくる。どうなっているんだろう。

 やがて、立っていられるだけの力すら失い、受け身を取ることすら出来ずに玉座の床に倒れ伏した。

 取り戻したばかりの意識が急激に遠くなり、頭痛を感じる神経すら薄らいでいくのが分かる。

 死を目前にして、漸く僕は悟った。


 ――この世界には……酸素が無いのか……。だ、誰か…………助け……て…………。


 この異世界の人間は酸素でない、全く別の気体を使って呼吸をする人種だったのだ。

 元の世界では通じていた当たり前が、異世界では一切通用しない。僕はそれを死を以て学んだのだった。

 何故異世界なんていうものに憧れてしまっていたのか、今となってはこれっぽっちも分からなくなっていた。


 大昔に「奇跡というのは起きるのはでなく起こすものだ」と言った者がいる。

 ……そんなもの、大嘘だった。


 こうして僕は、後悔と絶望をその身いっぱいに刻み込んだまま死を迎えた。

 そして、この世界での「死」が魂も含めた一切の消滅であることを示すことには(つい)に気付かなかった。


 ――――――――。

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