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カルボナーラの魔法

作者: 倉永さな
掲載日:2014/12/11

 オレの通学路には今にも崩れ落ちそうなくらいぼろぼろの鳥居のある神社がある。名前を苅菩楢かるぼなら神社という。

 名前の由来は、修行僧が草刈りを熱心にしていたら楢の木がよく生えたことかららしいのだが、意味が分からない。

 確かにこの神社周辺には楢の木が多い。小学生の時は秋になるといわゆるドングリの実を拾いに来ていたけれど、高校生になった今はさすがに拾わない。

 楢の木がたくさん生えた苅菩楢神社だが、鳥居はぼろぼろなのに神社名の入った石碑は毎日だれかが磨いているのかといわんばかりにぴかぴかに光っている。

 神社の前を通る度、朝日に照らされて誇らしげに光っている石碑を見るといつも思うことがある。

 それは。

 ──カルボナーラが食べたい。

 いや、そう思わないか?

 苅菩楢なんて普段書かない漢字でいかにもな顔をしているけど、音にすると『かるぼなら』。カルボナーラに通じるところがあるじゃないか。

 そんなことを思いながら帰宅していると、ぼろぼろの鳥居の向こうから赤い袴を来た巫女さんが──。

「げっ」

 思わずそんな言葉が口から洩れたのは、見知った顔だったからだ。

 しかし、よりによって同じクラスの変わり者と名高い楢原美星ならはら みほしと遭遇してしまうなんて。

 ……って?

 なんであいつ、巫女袴なんて穿いてる?

「いいところに来ました、椎名京介しいな きょうすけくん!」

 楢原は手に持ったホウキをぶんぶん振り回しながらこちらにやってきた。

 しまった。早いところ逃げれば──。

「逃がしません!」

 楢原はそういうなり手に持っていたホウキを……。

「ぐはっ?」

 ホウキがっ! ホウキが宙を舞ったぁ?

 ホウキっていわゆる竹ボウキ。持ち手が竹で、掃く部分は細い竹の枝を束ねたアレである。

 ちょっと待てよ。

 なんでオレ、ホウキを投げつけられて……。

「ぶぼっ」

 投げられたホウキに当たってたまるかと必死に走ったのだけど間に合わず。

 見事にホウキはオレにストライク。鳩尾にホウキの柄があたり、もんどりうつと背中に堅い感触。これはたぶん、あの鳥居だ。かたいけど優しくオレを受け止めてくれたいいヤツだ。

「なっ、なんで……」

 どうしてオレはぼろぼろの鳥居とホウキに挟まれないといけないんだ。

 楢原のコントロールのよさもさることながら、もしかしてこの鳥居がぼろぼろなのは、こいつがいつもこんなことをしているからなのか?

 罰当たりめっ!

 オレをしとめたホウキはぼろりと地面に落ち、ころんと乾いた音を立てた。オレは痛みのあまりにホウキの隣の地面に突っ伏した。

 無念……。

「わたしに付き合いなさい」

 楢原は地面に転がっているオレのところまでやってくるとしゃがみ込み、オレを見下ろしてきた。

 しゃがみ込んだことで袴の裾から見える、見えるぞ!

「──白、か」

 一瞬だけど拝めたそれはオーソドックスな汚れのない白。素晴らしい。

 だらしない笑みを洩らしたことに楢原は気がついたようだ。

「なっ、なにをっ?」

「……いや、なんでもない」

 こいつは変人だが、パンツは別だ。

 ホウキの柄が見事に鳩尾に食い込んで苦しかったけれど、これで相殺にしてやろう。大変素晴らしい。

「今、見たでしょ」

 楢原は気がついてしまったようだ。耳まで真っ赤になり、慌てて裾を押さえているが、すでに遅い。オレはばっちり見たぞ。

 だけど楢原の名誉のためにとぼけることにした。

「なにをだ?」

「ぱ……ぱっ、パンツ見たでしょっ!」

 消え入るような声に思わずくすりと笑った。見たと言ったらどんな反応をするんだろう。

 だけどオレはジェントルマン。

「見てない。白いパンツなんて、見てない」

 しっかりと否定したのだが。

「見てるじゃないのっ! 椎名くんの、馬鹿あああっ!」

 楢原はオレの横にあったホウキを手に取ると、細い枝がついているいわゆる地面を掃く部分でオレの背中を盛大に掃いてくれた。

「いでででででっ」

 陽が沈み始めた傾いた鳥居の前でオレの絶叫が響いた。


     ◇   ◇


 ……なんでオレ、楢原の家のキッチンに立っているんだ? しかも真っ白なフリル付きのエプロンをつけて。

「うわぁ、きょーすけくん、そのミスマッチぶりがすてきです!」

 楢原は学ランの上から白いフリルエプロンをつけたオレを見て、そんな感想を口にした。

 ミスマッチとすてきという言葉は結びつかないと思うんだよな。こいつの言葉のセンスが分からない。 

 いや、そこも問題なんだが、ちょっと待て。

「楢原、なんでおまえ、オレの下の名で呼んでるんだ」

 さっきまで椎名くんと呼ばれていた覚えがあるのだが。

「あらぁ、やだわあ。ダーリンって呼んだ方がいいかしら?」

「……意味が分からない」

「だって、わたしのそのっ! 見たじゃない! もうわたし、きょーすけ以外の人のところにはお嫁にいけない……っ!」

 『くん』づけでもなくなってしまったか。

 楢原は白い頬をまたもや真っ赤にして、小さな手で顔を隠していやいやと身体を揺らした。一緒に長い黒髪がさらさらと揺れる。

 巫女さん姿でそれをされるとかわいらしいとは思うけれど、相手は楢原だ。あまり萌えない。

「…………」

 それにしても楢原よ、おまえはいつの時代の人間だ。

 オレは白いパンツを一瞬だけ目撃しただけだ。手も繋いでない状態なのになんだその言われよう。おまえは幼稚園児か。いや、今の幼稚園児はもっと積極的だな。たまに仲良く手を繋いで歩いている姿を見る。

「断る」

「ふへっ?」

 オレの断りに変な声を上げた後、大きな瞳をさらに見開いてオレを見た。

「う……そ。きょーすけの浮気者! わたしをこんなに好きにさせておいてひどいっ!」

「……は?」

 なんだそれは。

「わわわわわたしのぱっ、パンツを見ておきながら、わたしを捨てるなんて!」

「あの……楢原?」

 なんだその一方的な言い分。

「さっき、わたしの愛を真正面から受け止めてくれたのにっ! ひどいです!」

 真正面から愛を受けた?

 ……嫁に行けないとは言われたが、それは愛の言葉か?

 それとも、こんなに好きにさせておいてというせりふか?

「どれだ」

 思わず洩れたオレの言葉に楢原はぐいっと身体を真正面から寄せてきた。

「わたしの愛をここで!」

「ぐほっ」

 楢原はホウキの柄を受け止めた鳩尾に細い指を埋め込んできた。ピンポイント過ぎて痛い。

 後ろによろけて楢原の指を身体から離し、痛みにしゃがみ込んだ。

「い……いた」

「やっぱりわたしの愛がそこにありましたか!」

 違うっつーの。

 痛いという言葉が痛すぎて言えなかっただけだ。だから違うと否定したくてもそれさえできない。

「やっぱり式は神前式よね。白無垢姿はいいですわぁ」

 ……勝手に話を進めるなよ、おい。

「高校生で花嫁ってなんだかとてもすてきですわ!」

 痛すぎて反論できないことをいいことに、楢原は暴走していた。

 だれかこいつを止めてくれ。

「日取りはいつがよいかしら」

 壁に掛けられたカレンダーをめくりながら、楢原は鼻歌を歌い始めた。

 なんでもいいからだれか止めろ。オレは楢原にとどめを刺されて動けない。

「次の大安は……と。ああ、それとも友引の日がいいかしら? わたしのこの幸せをお裾分けしてあげたいわ!」

 式を挙げる前に大きな問題があることに気がつけよ、楢原。

 オレは痛みが引くのを辛抱強く待ち、どうにか声を出せると思われるまで回復するのを待って口を開いた。

「楢原、ちょっと待て」

「やだぁ、きょーすけったらぁ。未来の奥様に向かって苗字で呼ぶなんて! 美星って呼んで。みーちゃんでもいいわよ」

「いや……楢原、おまえはいくつだ?」

「もー、やだ。女性に歳を聞くなんて!」

「…………」

 オレの聞き方が悪かったようだ。

「それなら、何月生まれだ」

「きょーすけったら未来の妻のことが気になるのねっ! 積極的っ」

 ……オレは選択を間違ったのか?

「星が美しく見える冬生まれだから、美星よっ」

 知りたくもない名前の由来までついての解説にため息が洩れる。

「ということは、おまえは十五か」

「だからきょーすけったらぁ」

 スルーしよう、スルー。

「おまえはまだ結婚できる年齢ではないだろう」

「籍は入れられなくても、結婚はできますわ!」

 意味が分からない。

「うふふ、うれしいわあ」

 楢原はうれしさのあまり鼻歌だと思われるものを歌い出したのだが、それがなにか分からない。

「ということできょーすけ。ここが今日からわたしたちの愛の巣よ!」

「…………は?」

 楢原の思考がぶっ飛んでいるのは学校で有名な話だ。というより、この地区の人たち全員が知っている事実。

 それにしてもだ。

 あまりにも飛躍しすぎてこいつについていけないんだが。

「きょーすけはお料理できますか?」

 今度はなんだ。

「楢原の家はですね、カルボナーラが主食なんです」

「…………」

「あれ? 本気にしましたか?」

「嘘かよ!」

「嘘です」

「おいっ!」

 といいつつも楢原は寸胴に水をたっぷり……って。なんだか嫌な予感しかしないのだが。

「きゃっ!」

 寸胴には水がたっぷりに入れられていて、それが相当重たいのは想像に難くない。

 そしてだ。

 楢原はそれを軽々と持ち上げ──。

「あぶっ」

 寸胴いっぱいの水はオレの頭に真っ逆さまにかけられた。楢原がびしょ濡れになったらすけすけになるなんて一瞬でも思ったオレが馬鹿だった。

「きゃあ、どうしましょう。きょーすけが水浸しー」

「をいっ、わざとだろう! しかもすげー棒読み!」

 なんだこれは!

 着ていた学ランどころか、下着までびしょぬれ……って。

 どうしたものかと悩んでいると、楢原の手は水に濡れて肌に張り付いているスラックスにまっすぐに手が伸びてきた。オレは驚き飛び退くのだが、水に濡れた服を着ているから思うように身体が動かせない。

「おい、なにしてるんだ」

 ぺちりと楢原の手をはたくと、ぷうっと頬を膨らませた。

 だから巫女さん姿でそういうかわいい表情をしてもおまえは残念楢原だ。かわいくともなんともない! ……はず。

「え? このままだと風邪を引くから脱がせて」

「いらん! なにを考えてるんだ!」

「既成事実を作り上げて結婚に持ち込もうとしたのに!」

「……思考がダダ漏れだぞ」

「きょーすけったら超シャイなんだから!」

 呼び捨て確定ですか、そーですか。

 いや、それよりもだ。

 なんで律儀に楢原の戯れ言に付き合っているんだ。とっとと帰ろう。

 濡れたままキッチンから出ようとしたオレの学ランの裾をがしりと掴まれた。

「待ちなさい!」

「……なんだ」

「あの……お願いがあるんです」

 そういって楢原はうるりと瞳にうっすらと涙をためていた。

 これが嘘泣きだって分かっているのにオレは激しく動揺していた。

「……聞ける願いと聞けない願いがある」

 分かっていながらそんなことを口にするオレもたいがい人がよすぎると思う。

 さっきだってこれでずるずるとここに連れ込まれたというのに、学習能力ないな、オレ。

「あの、父は法事で、母は托鉢で今、家にだれもいないんです」

「……楢原、聞いていいか」

「はい、なんでしょう」

「おまえの両親の職業は?」

「わあ、また調査ですか? わたしに興味が出てきたってことですね!」

 ……違うんだが、もう否定するのにも疲れてきたからそういうことにしておいてくれ。

「父は神主で、母は父の手伝いをしています」

「……神主が法事?」

「神主でもあるのですが、僧侶の資格も持っていますし、牧師でもあり神父でもあるんですよ」

「……ちょっと待て。それらは兼任できるのか? それに神父って結婚できないと聞いたけど」

「結婚した後に神父になればいいんですよ」

「……そんな裏技は聞いてない!」

「まあ嘘ですけど」

「嘘かよ!」

「嘘っていうのは結婚した後に神父になるって話ですよ」

「……は?」

「父は神主で僧侶で牧師で神父です」

「いや、だから……」

「ですから、父と母は結婚はしていません。しかもわたしは父と血が繋がってなくて母の連れ子です」

「そ、そうだったんだ」

 楢原は変わっていて変なヤツだけど実は苦労しているんだ。

「これも嘘です」

 また嘘か。

 なんだこの虚構に囲まれた楢原。すべてが嘘になる。

「……今まで話したので本当はどれだ」

「全部嘘で、全部本当です」

「……分かった。オレは帰る」

「それも嘘ですね。きょーすけはわたしの嫁ですから」

「いつからオレが嫁になったんだ?」

「今です」

「だから断ると」

「嘘です」

「…………」

 なんだこいつ。もう意味が分からない。付き合うのに疲れた。

「本気で帰る」

「まあ、待ってくださいよ。なんの手土産もなく帰らせるなんてできませんから」

「……おまえはだれだ」

「楢原美星です」

「…………」

 だれか助けて。

「さて、ここで問題です。ここに肝心の所に穴の空いたバスローブとすけすけパジャマがあります。あなたならどちらを選択しますか」

 そういった楢原の手にはいつのまにか青いバスローブと白いパジャマがあった。

 おまえは奇術師か。

 肝心なところに穴ってなんだ? しかもすけすけパジャマってなんだよそれ。

「なんだその究極の罰ゲームは」

「罰ゲームであるわけないじゃないですかあ。これはわたしへのご褒美です」

「……罰ゲームじゃないか」

 頭から水をかけられたせいで髪の毛から足先までびしょ濡れでそろそろ寒くなってきた。楢原に付き合い続けられないので本気でオレは帰らなければまずい。

「……帰る」

「わー! 待ってください!」

 そういって楢原はびしょぬれのオレに躊躇することなく抱きついてきた。

「ちょ、おまっ」

「これで既成事実ができました。責任取ってくださいね」

 そういって笑った楢原が純粋にかわいいと思えたオレは、なにかの魔法にかかったとしか思えなかった。


     ◇   ◇


 結論としては、魔法ではなく風邪にかかった。


 ──あの日、楢原を押しのけて濡れたまま家に遅く帰ったオレは心配していた母親にしこたま怒られ、そのまま寝込んだ。

 熱にうなされたオレは嫌な夢ばかり見た。そこには必ず楢原がいて、大好きだの結婚しますだの、しかも熱で熱くなっていたオレの手には楢原の小さくて冷たいけれど妙な柔らかさも伴った手の感触なんてやたらリアルなものまで混ざっていて……。

 それがものすごく嫌で、意地になって気合いで熱を下げてやった。それでも回復するまで三日もかかった。

 朝、目が覚めて熱を計ると平熱だったので、あの嫌な夢が夢であることを早いところ確認したくて学校に行くことにした。

「京介、もう大丈夫なの?」

 心配性の母に手を振り、大丈夫だとアピールしたのだが。

「こんななんの変哲のない見た目の上に取り柄のない息子なのに、あんなかわいい子が惚れるなんて、世の中って分からないわねえ」

 悪かったな、なんも特徴のない面白味に欠ける息子で。

 いや、それよりも。

「京介が寝込んでいるときに毎日お見舞いに来てくれた子がいるのよ。えらくかわいくて、名前は確か……」

 オレはその先を聞きたくなかったので頭を振り、家を飛び出した。


 学校に行くと、早速悪友どもに囲まれたあげく、全員から盛大につつかれた。

「なにするんだよ!」

「くっそ! リア充め! 爆発しろ!」

「……は? なにがリア充だ? オレは熱で寝込んでたんだぞ!」

「いやいや、なにをおっしゃいますか、きょーすけ様。毎日、楢原がお見舞いに行っていたそうではないか」

「…………」

「楢原は言動はおかしいが、美少女だからいいじゃないか」

「よくないだろ」

「贅沢な悩みだな!」

 さんざんにうらやましい、いいなといわれたが、なにがいいものか。

 相手は楢原だぞ?

 この年になって花や鳥に話しかけるのもどうかと思うが、まだそれがかわいく見えるような行動を当たり前のようにするヤツだぞ? 教室の椅子や机に話しかけるのがデフォルトで、銅像と会話をするような変わり者だぞ?

 苦労する未来しか思い描けないだろ。

 しかもだ、脱がすために水を頭からかけてくるようなヤツだ。痴女だぞ、痴女。

「そんなに楢原がいいのなら──」

「きたっ!」

 そういうとオレの周りに集まっていた奴らは散っていった。これは見事な蜘蛛の子を散らすような光景……。

「きょーすけ!」

 振り返らなくても分かる。この声はすべての元凶である楢原。

「わたしの看病のたまものですね!」

 そういうなり、楢原は思いっきり後ろからオレに抱きついてきた。

「うわっ!」

 まさか飛びつかれるとは思っていなかったので、楢原もろともべちゃっと惨めに床に倒れ込んだ。前面は見事なまで床と接触したのでとても痛い。反面、背後には柔らかな感触。

「もう、きょーすけったら積極的なんだからあ」

 積極的もなにも、襲ってきたのはおまえだろうが。

 という言葉も出ないほど痛い。しかも背後には楢原が乗っかっている。大変苦しいけれど、身体を動かすと楢原がバランスを崩して床に落ちて下手したら怪我をしてしまう。

 だからオレは耐えたのだが、楢原は一向に降りてくれない。

 そればかりか。

「ふふっ、きょーすけの匂いっ」

 といって背中を匂ったり、あまつさえ首筋や耳元まで匂い始めた。

 ちょっとそれ、くすぐったい!

「なっ!」

 止めさせようとしたが、声にならないどころか息が詰まって気が遠くなってきた。

 これならばもう一日、家で寝てれば──。


     ◇   ◇


 左側には妙な温もりがあった。それはとても柔らかくて、しかも激しく密着されていた。

 なんだこれ?

 ……目を開けたら恐ろしい結果が待っていそうで怖いのだけど、確認しないのも怖い。

「きょーすけ、起きてるんでしょ?」

 耳元で甘ったるい声。嫌というほどそれが楢原だということが分かってげんなりした。

「もう放課後だよ?」

 ……放課後?

「ね、帰ろ?」

 朝、登校してからこちらの記憶がないのだけど、どういうことなのだろうか。

「病み上がりなのに無理させちゃってごめんね」

 謝罪の言葉になにが起こったのか思い出した。

 そうだ。

 登校して教室に入って……。

「でも、きょーすけが激しいからいけないんだよ?」

 おい。

 激しいってなんだ。

 襲ってきたのはおまえだろうが。

「椎名くん、大丈夫?」

 しゃっとカーテンが引かれた音がして、明かりが入り込んできてまぶしさにくらりとした。

「せんせー、きょーすけのここ、元気だからだいじょーぶ!」

 楢原がここと言った場所がどこかオレにはすぐに分かったのだが。

 なっ、おまっ! 見るんじゃない!

 これは男の生理現象だ!

「楢原さんもあんまり彼氏に無理させないのよー?」

「はぁい」

 ……おいっ、いつからそんな仲に……。

 また気絶してよいか?


     ◇   ◇


 狸寝入りしていることがバレ、オレと楢原はセットで保健室から放り出された。

 楢原は現在、オレの腕にしがみついて真横を一緒に歩いていた。

 正直、周りの目が痛い。

 ちなみにこの状況になるまでにオレは何度も楢原を振り払ったのだが、それでもめげずに楢原はしがみついてきた。十回目辺りで根負けしたオレは楢原にされるがまま。

 しかもだ。

 こんなに拒否してもめげずにすがりついてくるのを見て、さすがに気が引けたのだ。

 オレも人がいいというか、楢原に流されているというか。

「きょーすけ、今日はごめんね」

 腕にしがみついた楢原は甘ったるい声で謝ってきた。

「お詫びに、カルボナーラを作ってください」

「……は?」

「作ってあげたいのは山々なのですが、わたしが料理をするとそれはもう、筆舌に尽くしがたいモノしか」

「……オレも作れないぞ」

「大丈夫です。わたしが教えますから」

 もうわけが分からない。

「それにですね、今日も父は法事に出掛け、母は説教の旅に出ているのです」

「……おまえんち、でたらめだな」

「そうですか? おかげでわたしは昨日からなにも食べていなくて」

「は?」

「申し訳ないと思ったのですが、きょーすけのお弁当をいただきました。すてきなお弁当でした」

 ……まあ、夕方まで寝ていたから食べてもらった方がよかったのかもしれないが。

「きょーすけの使ったお箸で間接キッスまでしてしまいましたから、きょーすけ以外の人とは結婚できない身体に」

 ほんと、でたらめすぎる。


 そしてぐいぐいと楢原に引っ張られ、今日もあのぼろぼろの鳥居をくぐって楢原家へ。

 本当に家人は留守のようで、人の気配がなかった。

「ただいまですー」

 楢原はそう口にして家へと入り、台所にオレは連れて行かれた。

「まず、鍋にお湯を沸かしてください。パスタを茹でましょう」

 先日と同じ白いレースのエプロンを無理矢理着させられ、台所に立っているオレ。

 流されすぎてるという自覚はあるけれど、ちょっとだけ楢原がかわいそうだと思って付き合うことにした。

 寸胴にたくさんの水を入れ、コンロに乗せて湯を沸かす。

「お湯が沸くまで、ベーコンを切りましょうか」

 楢原は大きな冷蔵庫から大きな豚を取りだしてきて……。

「って、豚っ?」

「はい。これを塩漬けにしてベーコンに」

「や、ちょっと待て。ベーコンって作るのに何日もかかるよな? それにそれ」

「ぶひーっ!」

「おわっ! 生きてる!」

 冷蔵庫に入れられて冷えていたから動かなかったけれど、外に出てきて温められ、豚がいきなり動き出した。

「おわっ!」

「ダメです! 待ちなさい!」

「楢原、追いかけなくていい」

「でも!」

「生きた豚をさばけないぞ、オレ」

 楢原は豚を追いかけるのを止め、オレを見上げてきた。

「……そうなんですか?」

「高校生が豚をさばけるか!」

「……大人になったらさばけるようになりますか?」

「なるかーっ!」

「そうですか。父はさばいてましたが」

「おいっ! 神主!」

「にして坊主で神父で牧師です」

「や、だからそんなでたらめがあるかーっ!」

 もう、なにこれ。

「……とりあえずだ、失礼して冷蔵庫を漁らせてもらうぞ」

「荒らすのならわたしを」

「さーって、と」

 もー、無視だ、無視。楢原に付き合っていたら夜が明ける。

 しかし、カルボナーラなんて作ったことがないから材料はなにか知らない。

 ポケットからスマホを取りだしてカルボナーラのレシピを調べるとしよう。

 検索をかけるとすぐに作り方が見つかった。しかもご丁寧までにも動画で作り方まで紹介してくれていた。

「わあ、美味しそうです」

 いつの間にかオレの背中からのぞき込んでいる楢原。背中に当たる胸の感触が残念なのはこの際、仕方がないとしよう。

「卵とベーコン、チーズに黒胡椒か」

「カルボナーラって炭焼き職人って意味なんですよ」

「そうなのか?」

「そうなんですよ。この苅菩楢神社も昔は炭焼き職人がよく訪れたんです」

 なんだかこじつけではないかと思ったが、少し淋しそうな表情をした楢原を見て突っ込めなかった。

「楢の木で作った炭は高級品なんです。神様の前には高級炭が山のように盛られ、わたしたちは裕福に過ごしていたんです」

 壊れそうな鳥居しか知らないけれど、この苅菩楢神社の敷地は確かに広い。昔はそうだったのかもしれないが、今は見る影もない。

 しんみりした空気の中、オレは動画を思い出しながらカルボナーラを作ることにした。

 幸いなことに冷蔵庫内には必要な材料はそろっていた。

 スパゲッティを茹で、ベーコンを炒め、茹であがったスパゲッティと混ぜ合わせた。あらかじめボウルに用意しておいた黄身とチーズの液の中に入れ込み、混ぜ合わせると余熱でいい感じに火の通ったカルボナーラの出来上がりだ。

 皿に盛りつけ、仕上げにカルボナーラの名の由来になった炭焼き職人の手についた炭の欠片が落ちたかのような黒胡椒をかけると出来上がりだ。

 オレと楢原は台所にあるテーブルで並んでカルボナーラを食べた。

「……美味い!」

「すごい、すてきです! とっても美味しい! わたしをこれ以上、惚れさせるとは、きょーすけも罪な人です!」

 どうやら逆効果だったようだ。

「明日も作ってくださいね」

「や……いや、それなら、うちに来て食えばいい」

 思わずそんなことを言ってしまったが、オレの口、どうしたんだ? 熱でやられたか?

「ほんとですか?」

「え……と」

「分かりました! わたし、明日からきょーすけのお母さまに料理を教わります!」

 ……墓穴を掘ったことに気がついたが、うれしそうに笑う楢原が純粋にかわいく見えて、まあいいか、なんて。

「カルボナーラの魔法ってあったんですね」

「……カルボナーラの魔法?」

「はい。本当は好きな人に作って食べさせるのですが、わたしがさらにきょーすけに惚れてしまったということは、きょーすけもわたしのこと、好きだったんですね」

「…………」

「きょーすけ、大好きです!」

 そういって楢原はカルボナーラまみれの唇でオレの頬にぶちゅーっと口づけてきた。

「うわっ!」

 オレは驚き、椅子から転げ落ちた。

「ふふっ、かーわいいっ」

 そう言うからにらみつけてやろうとふと見上げると、

「……白」

「きゃっ!」

 楢原は慌ててスカートの裾を押さえてにらみつけてきた。しかしぜんぜん、迫力なし。

 今度はもろに見てしまったし、まあ、楢原もそのうち飽きるだろう。

「ま……パンツ見たし、楢原さえよければ結婚してやってもいいぞ」

「ほんとですかっ?」

 つまらない男の自覚はあるので楢原もそのうち飽きるだろうと付き合ってやることにしたのだが、飽きるどころか執着されてしまうのをこのときのオレは知らなかった。

「ふふっ、きょーすけ、離しませんよ」

 そう宣言した楢原の胸はやっぱり残念だが、まあいいか。

「ごちそうさま。それじゃ楢原、また明日」

「明日ではないですよ」

「は?」

「さ、おうちに帰りましょう!」

 いつの間にか楢原の背には大きなリュックがあった。

「さあ!」

「うわあああ!」

 楢原に引きずられ、オレは帰宅の途についた。


【おわり】

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