Rの悲劇
思えばいつもいつも、私のものを奪われていたような気がする。
姉は華やかな人だった。
母ゆずりの落ち着いた茶髪に、整った綺麗な顔。父のように穏やかながら、強気な笑みがとても似合って。貴族の娘だというのに、外で走り回っている方が好きで。とても活発で。少し早めに社交界に出ても、学校に通っても、どこに行っても人気者だった。
私は姉のことが好きだった。
強気なところも目立つけど、優しかったから。
姉も私もまだ幼かった頃、姉は私の手を引いて外へ飛び出した。父と喧嘩をしたらしい。
二人は仲が悪かったから、姉の八つ当たりを受けるのはいつも私。父の八つ当たりを受けるのも、私。
私は二人ともが好きだった。だからいつも、黙ってうつむくだけだった。
そうすれば、二人とも気が済むまで八つ当たりができるから。殴られることはないし、私が罵倒されるわけでもなかったから、何も感じなかった。
連れ出された先で、姉は泣いた。私はいつものように黙ってうつむいていた。
日が暮れて、両親と使用人が探しに来ても姉は泣いていた。すると、両親も使用人も、姉と私を見て、私を責めた。どう責められたのかはよく覚えていない。ただ、どうして巻き込まれた私が責められるのか、幼心に不思議に思った。
それでも私は姉のことが好きだった。
姉が社交界に出る頃、姉は私が母からもらった髪飾りを貸してとねだった。どうしても気に入ってしまったらしい。
その頃の私は髪が長くて、母は黒く鬱陶しい私の髪をまとめるために髪飾りを与えてくれた。
とても大切なものだったから、と断ろうとすると、母がその髪飾りを姉に貸していた。私のものだから、なんて言えなかった。
どうせ一日で返ってくるからと無理に納得して、夜会へ出掛ける姉を笑顔で見送った。
髪飾りが返ってくることはなかった。
それでも私は姉のことが好きだった。
私が社交界に出る頃、姉は私と一緒にいてくれると言った。私のことが心配だったらしい。
賑やかなところが苦手な私のことを思って言ってくれているのはわかったけれど、私は父と一緒にいたかった。
その頃から姉と父の仲は本当に悪くなっていて、父も姉に構うことがなくなっていた。
私は父と、父の知り合いの貴族方に挨拶がしたかったのだけれど、姉は私の手を引いて、令嬢方のところへ引っ張っていった。姉は私のことを思っての行動だった。けれど私は姉のように綺麗じゃない。令嬢方に遠まわしに馬鹿にされた。独身の貴族方に人気のあった姉。仲がいいと思っていても、令嬢方の嫉妬を買う。
私はじっと黙って聞いた。それから夜会が更に嫌いになった。
それでも私は姉のことが好きだった。
姉が家を出ると決めた頃、姉は私に家を継げと言ってきた。
私と姉しか子供のいなかった我が家は、女の身でも爵位を継ぐ許可をもらっていた。もちろん長女である姉が継ぐ。そこを、私に継げと言ってきた。
正直、こうなることはわかっていた。
姉は父に反抗するために、近頃は勉強をしなくなっていた。反対に私は、父について家のことを、貴族界のことを学んでいた。
予想はできていた。できていたけれど、衝撃はあった。
ああ、姉はこんなことまで私に押し付けるのか。自分だけ好き勝手やって、嫌なことはすべて私に押し付けるのか。家を継ぐことはいい。街を治めることも、いい。
私はただ頷いた。姉は花が咲くように笑った。ありがとう、大好きよ、と言った。
それでも私は姉のことが好きだった。
両親が事故で死んでしまった頃、姉は私の前に現れた。私が十六で、姉が十九だった。
爵位を正式に継ぎ、家の運営に、街の運営に、王家への奉仕にと忙しくしていた私は、姉が帰ってきたことを嬉しく思った。少しは手伝ってくれるのでは、と期待した。
姉は、私の婚約者とともにやってきた。
とても幸せそうな表情で、私の婚約者と腕を組んでいた。
姉は言った。婚約者と一緒にいることが幸せだと。婚約者のことを心底愛していると。
婚約者は言った。姉のことを幸せにしたいと。姉のことを心底愛していると。
信じられなかった。姉が出家して修道女になったのと同時に婚約をした相手だった。政略結婚だったけれど、この人となら静かに暮らせそうだと思っていた。
姉も婚約者も、とても幸せそうで、私に対して申し訳ないとは欠片も思っていないようだった。
私はただ黙ってうつむいた。二人はそれを結婚の許可だと思ったようだ。もうどうでもよかった。
それでも私は姉のことが好きだった。
姉の結婚式の日、私は決心した。
姉が私に似合うと言った、血のように真っ赤なドレスを着た。
姉が私に似合うと言った、誰も彼もを見下すような笑みを浮かべた。
姉が私に似合うと言った、長い真っ黒な髪を美しく結い上げた。
濃く見えないような、けれど私とは思えないほど綺麗に化粧をして、黒く高いヒールを履いた。
いつもとは違う派手な格好の私を見て、姉は祝福していると思ったのだろう。あの、花が咲くような笑顔を見せてくれた。
婚約者だった男は、私を見てはっとした。
この格好は、姉が似合うと言ってくれた格好であると同時に、婚約者だった男に似合うと言われた格好でもあった。
結婚式の間、私の婚約者だった、姉の結婚相手の男は、終始気まずそうにしていた。
二年後、姉は未亡人となった。
それでも私は姉のことが好きだった。
姉のことも私自身のことも落ち着いた頃、私は結婚した。私は二十、相手は二十六の侯爵だった。
やはり政略結婚だったけれど、互いの利害が一致し、細かく結婚後のことを取り決めてからの結婚だった。だから苦しくも悲しくもなかった。
互いに干渉しない、表向きは仲睦まじい夫婦だった。私が彼の邸に住むことはなかったし、彼が私の邸に住むこともなかった。定期的に私が彼の邸を訪れるだけだった。
それでも私は、それが幸せだった。彼と会話することはあまりなくとも、彼なら信じられる気がした。 結婚という契約を違えることはないと信じられそうだった。
信じられる可能性は、姉によって摘み取られた。
私と彼との仲が少し良くなって、私が彼の邸に住み始めてしばらくして、私は王家の命で地方へ出掛けた。
初めて人を殺した。私はたくさんの人を殺し、悪魔と罵られた。
王家の命は、内乱を鎮圧することだった。
罪のある人間も、罪のない人間も、男も女も子供も老人も、皆殺した。それが王家の命だった。
私の手は血に塗れ、右腕はもぎ取られ、長い真っ黒な髪に血と死の匂いがこびりついた。
そんなところを彼に見せたくなくて、髪をばっさりと切ってしまった。腕はどうにもならなかったけれど、彼ならわかってくれるだろうと思っていた。
私が彼の邸に帰ると、出迎えてくれたのはそこにいるはずのない姉だった。
どうして腕がないの、どうして髪を切ってしまったの、とにかく疲れているだろうから湯浴みをしたらすぐ休みなさい。
姉が私に抱き着いて何か色々と言っていたけれど、何を言っているのか聞こえなかった。
どうしてここにいるの、と声がかすれるのがわかった。
姉はあの花が咲くような笑みを浮かべて、言った。
侯爵様が、呼んでくださったのよ。彼はとっても素敵ね。彼と再婚したいくらいだわ。
笑えなかった。姉なら、彼を振り向かせることくらいできるだろう。私たちの間に愛などないのだから、なおさら。
恐ろしかった。結婚に憧れることも、結婚に執着することも、夫婦であるという自覚もなかったけれど、幸福を感じられたのは確かだった。取られるのは、嫌だった。
けれど、もう遅い。遅れて出迎えてくれた彼は、私を見るなり眉をひそめた。
それは、私の髪を鬱陶しいと言った母と、私に嫌味を言った令嬢方と、私を悪魔と罵った者と、同じ目だった。
ああ、もう彼と姉との間には、私が築けなかったものが築かれているんだ。また姉に取られてしまったんだ。
私は苦しくなって、息ができなくなって、そっと笑顔を浮かべた。あの、誰も彼もを見下したような笑顔を。
血の匂いがこびりついた真っ黒な喪服と髪、なくなった右腕。
できるかぎり冷たい笑みを浮かべれば、姉は恐怖で肩を震わせ泣いた。
彼は崩れ落ちそうな姉を優しく支え、汚いものを見るように私を睨んだ。
私は彼に何も言わず邸を出た。懐かしい我が家を改装し、街に壁を作り、街を変えた。
姉を思い出させるものをすべて撤去した。我が家は姉の部屋をなくし姉が気に入っていた庭をがらりと変えた。閉鎖的で排他的だった街を、さらに暗くした。
私は姉が嫌いになった。
今思えば、私はもうずっと、姉が嫌いだったのかもしれない。