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上京したら食べられそうになったからテロを起こしてみた

作者: 凉月

「上京したら食べられそうになったからテロを起こしてみた」

 


プロローグ


 少女は墓地の中に居た。青い瞳に、肩のあたりで切りそろえた銀髪が、墓地という不浄の地で腐った地面を踏みしめている少女に対してひどく場違いな清潔感を与えている。また、その身は動きやすいノースリーブの革の鎧に包まれている。

その後ろの墓石の上にはもう一人少女が、まるで犬がお座りをしているかのような体制で座っていた。黒いロングヘアーに赤い瞳。ここまでは普通の少女だ。だが、彼女の手足のちょうど二の腕と太ももの真ん中あたりかえら先の部分は、黒い毛がびっしりと生え、先端には鋭い爪と肉球がついて、まるで犬の手足のようになっている。さらに、彼女の頭には大きな犬のような黒い垂れ気味の耳が堂々とついていた。

彼女も、銀髪の少女同様、腕のない黒い革の鎧に身を包んでいる。だが、ただ一点、銀髪の少女は腰に剣を帯びているが、彼女は、腰に幅20㎝ほどの革ベルトを巻き、そこに怪しげな魔導書やらなにやらをぶら下げている点だけが違っていた。

彼女たちの目の前には、腐りかけの身体を引きずるようにしてグールが徘徊している。あたりには、ズルズルという肉を引きずるような音と、獣じみたうめき声が満ちている。

 突如、一匹のグールがその虚ろな目で少女たちを捉えた。その瞬間、全てのグールが一斉に少女たちの方を向いた。そして、緩慢な動きで一斉に少女たちに向かって動き出した。

 それを確認すると、銀髪の少女は自らの腰から一本の剣を抜き放つ。飾り気のないロングソードだ。そして、腐った地面を蹴って、銀髪の少女は一気呵成に走り出した。少女は手近なグールに接近すると、走り出した勢いそのままに、グールの腹に剣を突き立てた。グジュッという嫌な音がして、剣がグールの腹を貫通する。

だが、それでもグールは銀髪の少女に襲いかかろうとする。少女は、それを予期していたかのように、鍔元まで腐った肉にめり込んだ剣を、力任せに上に持ち上げた。切る、という県のもっとも基本的な機能によって、また少女のとんでもない力によって、グールは腹部から上を真っ二つに切断された。血は出なかった。代わりに、何とも耳障りな声を上げてグールは地面に倒れこんだ。それを確認すると、銀髪の少女は、次の獲物に向かって走り出した。

今まで墓石の上に座ってその様子を見ていた犬のような少女は、それを見届けると、おもむろに口を開いた。

「チェンジ」

 少女がそうつぶやいた瞬間、犬のような少女の両手が、光に包まれた。そして数秒後、光が張れると、今まで獣の様だった少女の両手が、まるで人間のそれのように変化していた。変化が終わると、少女は、未だ獣の様相を呈している足で器用に墓石の上に立ち上がると、腰のベルトから一冊の魔導書を抜き取った。犬のような少女は、そのまま魔導書を開き、再び何事か唱え始めた。

「ブラック・ドッグ、モーザ・トゥーグの名において命じる。土よ、彷徨える使者をその身に迎えたまえ。リンカーネイション!」

 少女がそう高らかに宣言した瞬間、先ほど銀髪の少女が切ったグールの下に魔法陣が浮かび上がった。そして、上半身を切り裂かれたにも関わらず動き続けていた先ほどのグールが、ボロボロと形を失って土に還ってゆく。

 そうしている間にも、銀髪の少女は敵うぃ切り続けている。端からとどめを刺すのは犬の少女の仕事と割り切っているのか、銀髪の少女は、あるいは四肢を切り落とし、あるいは顔を潰し、と動きを止めることに専念している。おかげで、彼女の通ったあとには、肉の山が築かれ、銀髪の少女自身も、腐った肉がそこかしこにこびりついた状態となっていた。

 

それから数十分後、30はくだらなかった数のグールをすべて切り伏せると、銀髪の少女は剣についた死肉を布で丁寧にぬぐうと、剣を鞘に納めた。その背後では、最後に切ったグールが犬の少女によって土に返されていく。銀髪の少女は犬の少女を振り返ると、口を開いた。

「ったく、なんで俺が毎回毎回こんなことに付き合わなくちゃなんねぇんだよ。めんどくせーったらありゃしねぇ。だいたい、クロ、手前がおとなしくこっちに住んでりゃこんなことしなくてもいいものを」

 銀髪の少女が、その外見からは予想もできないような粗野な口調で犬の少女を罵った。

「うっせぇですね。いつも言ってやがりますけど、手前が墓守のあたしを無理矢理ここから連れ出しやがったのが悪いんですよ。面倒なら、あの時あんなことしやがらなけりゃよかったんですよ。あと、あたしのことクロって言いやがるな! あたしにはモーザ・トゥーグっていうちゃんとした名前がありやがるんですから」

 同じく粗野な口調で犬の少女が返す。

「ハン。何がモーザ・トゥーグだ。手前みたいな子犬、クロで十分だっての。だいたい、あの時も雨に濡れたお前がここに蹲って、捨てられた子犬みたいな目を俺に向けてくるから仕方なく拾ってやったんだろ。あーあー。どうしてあんなことしちまったのかな。犬は三日買ったらその恩を忘れないって言うけど、5年、生前も含めると15年も飼ってやっても一向に恩返しする気配のない犬なんか拾うんじゃなかった」

「だれが、飼われやがりましたか! わざわざ昔も今も友達がいやがらないお前の遊び相手になってやってんだから、そっちこそ感謝しやがれてんですよ。この根暗!」

「だれがだ!」

 少女たちは、いつの間にか近寄ってお互いに睨み合っていた。

「あ?」

「アン?」

 少女たちの頭上では、死肉を漁りに来たカラスが呆れたように鳴いていた。




一章 旅立ち


「ただーいまー」

 墓地から戻った銀髪の少女は、庭でまき割りをしていた老年の男に声をかけた。

「やがれでーす、カール爺さん」

 後ろからついて来ていたクロも気の抜けた声をかける。

「おう。墓地の様子はどうだったフェリエラ?」

 男は作業の手を止めて銀髪の少女ことフェリエラに向き直った。

「うん、やっぱグールが湧いてた」

「そうか、それで、その、お前は、大丈夫だったのか、ほらあそこにはお前の両親も……」

 老人は、フェリエラを気遣いつつも何か言いにくそうにしている。

「大丈夫だよ。俺の親が死んだのは5年も前ことだ。踏ん切りはついてる。それに、こいつを飼い始めてから毎月やってれば否でも慣れるさ」

 そういって少女がかえすと、犬の少女ことクロがうしろで、飼うって言うなとか、文句を言ってくるが無視する。代わりに老人に声をかける。

「つーか、また夕方になってからまき割りかよ。退役軍人とか、ほとんどニートみたいなもんなんだから、その位昼のうちにやっとけよな。どんだけ、物臭なんだよ」

「ふん。本当の物臭はって言うのは、まき割りを面倒臭がってこの秋口の冷え込む時期に一晩中寒さに震えてるやつさ」

 老人は面白くなさそうに返す。

「それもそうか」

 別に本気でカール老人の物臭な性格をとがめていたわけではないので、フェリエラもあっさりと引き下がる。それに、こいつのこんなところを気にしていたら、一日に何十回もこのやり取りを繰り返さなければいけなくなる。

「なーなー、そんな事よりメシにしやがりましょうよ~」

 そんな二人のやり取りにも慣れたもので、二人の後ろから声をかける。

「おう。待っとけ。これが終わったらしてやるから」

 老人のほうも作業に戻りつつそう答える。


 夜、部屋の中では暖炉が木の爆ぜる音を立て、天井では魔法をかけられた拳ほどの大きさのガラス玉が煌々と光を放っている。外ではすっかり寒さの厳しくなった空気が家の周りを取り巻いている。

 そして、テーブルの上には3人分の食事が並んでいる。フェリエラとカールの前にはパンとサラダ、それに肉のスープが並び、クロは漫画などでよく見かける骨付きの肉を犬の左手で押さえて直接かぶりついている。

「そういえば、明日は十五のテストの日だが、どうなんだ?」

 唐突にカールが口を開いた。

「なんだよ、急に。当然バッチリに決まってんだろ。待ってろよ、いい点とって、王都で一旗揚げて手前のしみったれた生活楽にしてやるからな」

 自信たっぷりに答えるフェリエラ。

「我が孫ながら大した自信だな。ところで、クロはどうだ?」

「ん? ああ」

 今までわれ関せずといった感じで肉にむしゃぶりついていたクロが顔を上げる。

「んー、まあ、あたしは人間じゃありやがりませんからね。まあ、適当にやりやがりますよ」

 そういうとまた食事に戻ってしまう。

「そうか」

 カールのその言葉を最後にしばらく会話が途切れる。

「しかし――」

 しばらくして突然カールが口を開いた。

「いい時代になったもんだ。少し前までこんなことは考えられなかったのにな。現王様には感謝してもしきれんな」

 感慨深げにそんなことを言うカール。

 確かに、この国では数年前までこんなことは考えられなかった。約10年前まで、この国は貧困のどん底で喘いでいた。発展著しい医療系魔法に支えられ、国の人口は圧倒的な増加を見せた。それ自体は喜ぶべきことだろう。当時、工業化著しかったこの国にとって働き手の増加は純粋に喜ぶべきことだった。

だが、一方でこの国に十分な農地がないのが大きな問題として立ちはだかった。それは、国を亡ぼしかけるほどの問題だった。

人口が増えたからと言って、それに応じて農地が増えるなどということはあるはずもなく、必然的に食糧は不足した。当初は技術発展でどうにかしようという流れになったが、それで補える分は極僅かでしかなく、多くの人が飢えた。隣国から輸入しようにも、巨大な島が国と化しているこの国には不可能であった。一部の穀類及び加工品を除く多くの食品は海を何千浬と渡る輸送の途中で腐り果てた。

それらの中でも、特に肉類の枯渇は深刻だった。基調な農地を浪費する牧場の面積を増やせるはずもなく、かといって輸入もできない。しかし、人間もタンパク質でできている以上はどうにかしてそれを補給しなければ、成長はおろか身体の維持すらできない。

この様な忌々しき問題を抱えている国に未来などあるはずもなく、国民は絶望し、国は活力を失った。しかし、10年ほど前に転機が訪れた。

現国王の就任である。

内容こそ極秘扱いであるが、国王は、大胆な食糧政策及び人口抑制政策を実施し、食糧問題を打開。次いで、著しい格差があった地方と首都えお中心とする都市部の格差是正のために、さらなる制度を作り上げる。それが俗に『十五のテスト』と呼ばれるものだ。仕組みはいたって単純。地方に住む子供のうち、年に2度ほど、地域ごとに十五歳に達した者を集めて、学力テストを実施する。そして、成績優秀者に対し、首都での一定以上の職への就職を国が保障する。これによって、今までは一次産品しか産出しえなかった地方が、中央から多くの資金や技術、その他諸々を回収できるというわけだ。

これらのシステムにより、国は瞬く間に息を吹き返し、現国王はカリスマ的人気を誇っていると言う訳である。

「……い。おい、ジジイ! 何気持ち顔して感傷に浸ってやがんだよ」

 そこでカールは、フェリエラがこちらを見ていることに気づいた。

「ん、ああいや。お前たちに渡すものがあったんだが、どうしようか迷っていてな」

 バツの悪い思いをごまかすようにしてカールは話題を変える。

「はぁ、くれるんなら迷ってなんかいないでさっさとくれよ」

 フェリエラも、場の空気を壊さないようにあえてそれに乗っかる。今のカールのは、思うところがあって当然のはずだが、向こうが隠そうとすることを態々こちらから根掘り葉掘り聞くこともあるまい。

「ったく、そんな口の利き方しやがらないで、手前はもっと年寄大事にしやがれです」

 それを察しているのか、クロもあえて蒸し返すようなことはしない。

「ふむ。それもそうだな」

 カールはそういうと、席を立ち、一度自室に引っ込んでしまった。フェリエラは、それを目で追いながら、こんな時に贈り物とは何だろうと、思わず考えてしまう。

「もっと、お淑やかになりやがるように大人用の下着とかだったりしやがるんじゃないですか?」

 クロが横から茶々を入れてくるが、その顔面に裏拳を叩き込んで無視する。だいたい、それが本当ならあいつは、どんだけ変態なんだよ。60近いジジイが女物の下着買ってるとこか想像したくもない。

 そんなことを考えていると、今度はクロが、平手を繰り出してくる。だが、手が犬状態なので全く怖くない。むしろ、悠々と受け止めて、肉球の感触を存分に楽しませてもらう。

 そんなことをしていると、カールが戻ってきた。その手には、何やら細長い布袋が握られていた。

「なんだ、それ?」

 あからさまに不思議そうな顔をするフェリエラ。一方で、クロはしきりにフンフンと鼻を鳴らしていたかと思うと、

「古い鉄と木の匂いがしやがります」

 こちらも怪訝そうな顔でそんなことを言った。

「ほう。クロはさすがだな」

 そういい言いつつ、カールは、食卓に戻ってきた。そして、テーブルの上の物を端に寄せると、空いたスペースに袋を載せた。そして、未だに怪訝な顔をしている二人に向かって袋を開けるように促した。

 不審に思いながらも、フェリエラが袋の紐をほどいていくと、そこには一振りの細身の剣があった。柄と鍔は黒く塗られ、鞘は朱に染められている。フェリエラは、それを手に取ると、そっと抜いてみた。すると、鞘の中から、鈍く光る鋼が出現した。全体的に緩い弧を描き、その外側にのみ鋭い刃がついている。しかし、敵を突き刺すことを念頭に置いているのか、鋒だけは両刃になっている。

 一言で言えば、変な剣だった。

「ふふん。どうだ。これぞ我が家に代々伝わる宝刀。銘を『小鴉』という。王都に行く自信があるというなら、最期の選別にくれてやろう」

 偉そうに言うカール。だが、

「えー、こんな変な剣いらね」

 フェリエラは明らかに不満そうだ。

「こんな変な片刃の剣なんかいらねーよ。それだったら俺のロングソードのほうが使いやすそうだもん」

 本気で不服そうな顔をするフェリエラにカールが半ばむきになって返す。

「貴様、1000年の時を知るこの刀を馬鹿にするか」

「いや、馬鹿にも何も、見た目一発恰好悪いし、使いにくそうだし」

 不満顔をさらに歪めながら、ごみでも見るような反応を返すフェリエラ。それを見たカールの顔は、怒りで真っ赤に染まっている。さらに、そのすぐ横で、二人のやり取りを聞いて爆笑しているクロが険悪な空気を高めていく。

「よかろう。そこまで言うなら、お前の剣とどちらが優れているか比べてやろう」

顔を真っ赤にしたカールが、平静を装って立ち上がる。

「え~」

 だが、フェリエラの方は、いかにも不満そうだ。

「いいから立て。そしてお前の剣を抜け」

 そういうとカールは、小鴉を片手に立ち上がる。

「ち、しょうがねーなー」

 あんな細い剣などさっさとたたき折った方が、すぐに静かになるだろうと思ったのか、フェリエラもそれに合わせて立ち上がる。

 お互いが、刀とロングソードを持って対峙ずる。

「撃ち込んでみろ」

 自信たっぷりにカールは言う。

「は? いいのか? この剣で撃ち込んだら、そんなひ弱な剣、折れちまうかもしれねぇぜ?」

 そういって自らの肉厚の剣を誇示して見せるフェリエラ。

「ふん。御託はいいから早くしろ」

 しかし、カールは自信たっぷりの様子で刀を構える。

「そうか……よっと!」

 その言葉を聞いたフェリエラが、突如として掛け声とともに、大上段から剣を振り下ろした。カールは、刀を頭上に構えてそれを真正面から受け止めるような体勢をとった。そして、二つの鋼鉄に塊が甲高い音と共に触れ合った瞬間、一方が折れた。否、一方の剣が、接触した場所から、きれいに切り裂かれていた。しかも、驚くべきことに、切り裂かれたのは、フェリエラの握るロングソードの方だった。

「は?」

 あまりにも予想の範疇を超えた出来事であったため、フェリエラは、言葉を失い、その場に立ち尽くした。

「お――――――!?」

 その横では、未だに椅子に座ったままだったクロが素っ頓狂な声を上げて身を乗り出している。その間にも、カールが得意げに解説を始める。

「どうだ! これが我が家に伝わりし宝刀の威力! 純度99%の鋼鉄より撃ち出したる刀の力! さらに時を経ることによって備わりし破邪の力!」

 刀のすごさを力説するカール。だが、フェリエラにとってそれはただただ火に油を注ぐ行為でしかなかった。

「何しやがんだ! こんクソジジイ!」

「イタッ!」

 フェリエラは、左手で思いっきりカールを殴りつけていた。そして、無残に切り取られた剣の柄とそこに残った刃の残骸をカールの目の前に掲げて見せる。ちなみに、切り飛ばされた方の刃は、フェリエラの足もとでクロが、すげー、などと言いながらいじくっている。

「この野郎、俺の剣どうしてくれんだよ!」

「フン。そんな安物の剣一つくらいどうでもよかろう。そんなものより、こいつがあれば向かうところ敵なしだ」

「うっせ」

「あいた!」

 もう一発殴っていた。

「よくねぇよ! 手前も元軍人なら手に馴染んだ獲物の大切さくらいわかんだろ! つか、クロも嬉しそうに俺の剣いじってんじゃねぇ!」

 怒り心頭といった様子のフェリエラは、カールを怒鳴るついでに足もとにしゃがんでいたクロを蹴りつける。

「何しやがるんです!」

 蹴られた瞬間、今まではただ面白そうに見ているだけだったクロが、フェリエラにパンチを繰り出していた。だが、肉球だからあんまり痛くない。しかし、クロが反撃してきたことが気に食わなかったのか、

「くっそ!」

 フェリエラはそう言うと、剣の柄を鞘に納め、残りの刃を拾い、ついでにカールの手から刀を奪い取って、自室へと引っ込んでしまう。

「剣の一本や二本で、騒ぐとはまだまだだな」

 フェリエラの態度を見ていかにも不服そうな声を上げるカール。

「うーん、でも今のは、ちょっとまずりやがったかもです?」

 一方で若干気まずそうなクロ。

「なんで?」

「いや、だって、あのロングソードって、あんたがあいつにあげやがったものでしょう? あいつ、結構大事にしてやがったみたいですから……」

 それを聞いたとたん、カールは

「ふん!」

 鼻を鳴らして、クロから顔をそむけると、自室に引っ込んでしまう。一人その場に残されたクロは、あきれ顔で、似た者同士でやがりますね、と呟いた。




二章 華やかなる王都


「うわ、すっげー! おい、見ろよクロ! 王都だぞ、お・う・と!」

 数週間後、見事テストにパスしたフェリエラとクロは王都周辺に居た。

 テストをパスした子供たちは、いくつかの村ごとに集められ、近衛師団の兵士が運航する馬車に乗せられ、それに揺られること数週間、ついに、王都の近辺まで来ていた。

 王都の周辺は、王都を中心とした同心円状に周囲数キロにわたって開けた平地となっており、地面には芝が植えられている。また、そこかしこから、王都を守護する近衛師団に所属する兵士たちの訓練に励む声が聞こえてくる。

 さらに、王都自体も、白亜の高い城壁に囲まれた巨大な城壁都市であり、城壁のそこかしこから宮城やら教会やらの豪奢な尖塔が突き出しているのが窺える。

「あー、うん。そうでありやがるみたいですね」

 はしゃぎまくるフェリエラとは対照的に、クロは、どこか居心地が悪そうだ。

「ん? どうしたんだ?」

 フェリエラは、クロのそんな様子が気になって、幾分正気に戻ってクロに向き直る。するとクロは、どこか居心地の悪いような、肩身の狭いような顔をしていた。

「いや、ほら、あたしは一応ブラック・ドッグでありやがりますから」

「は?」

 いまいちクロの言わんとしていることが分からない。

「いや、だから、この国では、ブラック・ドッグは忌み嫌われやがる存在でしょう? だから、ね?」

 何とも歯切れの悪い言い方をするクロ。

「ああ、なんだ。そんなことか。大丈夫だって。俺たちはエリートって認められたからここに居るんだぜ? それに、いざとなりゃ魔法で手足の見た目変えればいいだろ?」

 フェリエラは、クロの肉球を手でもみながらそんなことを言う。

「まぁ……」

 相変わらず歯切れの悪い返事のクロ。フェリエラとしてはそんなことは全く気にする必要ないと思うがのだが、どうもクロは自分の出自を気にしすぎる気がする。

と、そんな事を考えているフェリエラの耳に、突然今まで聞いたことのない音が飛び込んできた。何かが連続で爆発するような不思議な音だった。何事かと思い、その音をたどっていくとそこには、わけのわからないモノがいた。四角く長い胴体、その先っちょから生えた棒の先では何かが高速回転している。そして、胴体の上下を挟み込むようにして設置された二枚の馬鹿でかい板切れ。尻尾の方には短い板切れがT字を逆さにしたような形でついている。また、それらの物は胴体の下側につけられた2つの大きな車輪と1つの小さな車輪で支えられている。

 何の目的であんな奇怪な形をしているのかはフェリエラには皆目分からないが、前と後ろに軍人が乗り込んでいるところから察するに、おそらくは兵器なのだろう。そしてきっと乗り物であるのだろう。今まで徒歩か馬車以外の移動手段を知らなかったフェリエ。ラにとって、それは好奇心を掻き立てられるには十分すぎる代物だ。

「おい、クロ! なんだあれ!?」

 目を輝かせてクロに詰め寄るフェリエラ。

「なんか変な音してるぞ! それに、ブーンってなんか回ってるぞ!」

「あたしがそんなこと知りやがりますかよ! てか、そんな事どうでもいいでやがれ!」

 そういいつつも、クロの目はしっかりと未知の乗り物を捉えていた。ついでに言葉使いも完全に崩壊しているが、今はそれどころではない。

周りを見てみると、同じ馬車に乗っている他の人たちも似たり寄ったりの状態で、知り合いどうし集まって興奮した様子で話している。

「ふん、あれはな、飛行機というものだ」

 すると突然、同乗していた近衛兵が口を開いた。心なしか自慢げな様子で。

「国王様が最近考案されて実現した兵器の一つだ。エンジンとか発動機とか呼ばれる機械で動力を生み出して胴体の先端のプロペラで風を生み、鳥のように翼で空を飛ぶことのできる素晴らしい兵器だ。今聞こえている音はエンジンのものだ。見ていろ、今に飛ぶぞ」

 そういって近衛兵は爆音をさせている飛行機を指さした。フェリエラとクロも視線をそっちに戻す。

 すると、一際エンジンの音が高くなっていく。そして、それが最高潮になった時、それは動き出した。初めはゆっくりと芝生の地面を走り出し、次第に速度を上げていく。そして、それが途轍もない速さに達した時、飛行機は空に浮きあがった。最初は浮いているのかどうかほとんど分からないほどだったが、あっという間に人の背丈を超え、そして大空高く舞い上がって行ってしまった。

 フェリエラは、その一部始終をポカーンと口を開けて見ていた。まさに開いた口が塞がらない状態だった。

「すっげー! おいクロ、今の見たか? ビューンってあっという間に飛んでっちゃったぞ!」

 そして、飛行機が飛び去ってしまうと、すぐに目を輝かせてクロに詰め寄っていき、クロの手を握ってぶんぶん振り回しながら早口にまくしたてた。

「ああ。あんなの今まで見やがったことないですよ!」

 クロも興奮しきった様子で返す。

「こりゃあ首都で働くのがますます楽しみになりやがりますね!」

「ああ。首都ってのはきっと聞いてた以上にスゲーとこなんだな!」

 フェリエラとクロのテンションはもはや最高潮だった。空高く舞い上がり、首都のそびえたつ尖塔の間を飛んで行く飛行機に二人の目は釘づけだった。


 首都に入るとそこは喧噪の坩堝だった。レンガ敷きの大通りの両脇には富裕層の立派な屋敷が立ち並び、大通りのあちこちから伸びた裏通りの周りには庶民の住む一戸建ての家や、アパートが立ち並んでいる。

 また、大通りのあちこちにはカフェや、学術書や刺繍を主に扱っているだろう小洒落た雰囲気の書店が並んでいる。

 一方の裏通りには、出店が立ち並び、市場のような様相を呈してる中を、それぞれ手に買い物袋やそこらで買った食べかけのジャンクフードといったものを手にした人々が行き交い、屋台の店主に声をかけ、値段の交渉といったやり取りを楽しんでいるようだった。

「うはぁ―――――――――――!!」

「やがれっ!!」

 そんな首都の大通りを二人を載せた馬車が進んでいく。

 クロとフェリエラは、今まで見たこともないような人の波、喧噪、巨大な建物にただただ圧倒されていた。

「あ、あれ何でやがりますか!? なんでガラスの壁の向こうに商品を閉じ込めてやがるんですか?」

 他の乗客と一緒に、馬車の荷台から身を乗り出して周囲を見回していた二人だが、不意にクロがある建物を指さして腕をブンブン振り回しながらフェリエラの方に顔を向けてきた。

 見ると、その先には赤レンガ造りの建物で、洒落たガラス張りのドア、その横にはガラスで区切られた空間の中に、バッグやらアクセサリーやらが、通行人の目を引くように綺麗に配置されていた。

「はん。な、なんだ。何かと思えば、あなんただの宝飾店だろ? バッグとか首飾りとか打ってる店だよ(たぶん)」

「はい! 店でやがりますか!? でも、地元の店とだいぶ違いやがりますよ? 店って言ったら、こう、布のやねが付きやがった簡単なテーブルを地面に置いた上に商品並べてやがるやつでいやがりますよね?」

「ふ、ふん。これだから田舎者は。こんなん普通だよ普通。むしろ俺たちの地元の方がおかしいんだって。(俺もこんな立派な店初めて見たけど)」

「は? 何人のこと田舎者扱いしてくれてやがんですか。手前だって今まで一度もあの街から出たことないくせしやがりまして」

「うっせぇ!」

 そういってクロから顔を背けつつも、一向にフェリエラの興奮は冷めそうもなかった。

 相変わらずあたりをきょろきょろと見回す。と、クロから顔をそむけた数秒後、

「うっは! クロ! あれ見ろよ! ガラスの中に料理が入ってんぞ! あれ腐っちまわねぇのかな!?」

 そう叫び声をあげていた。

「いや、あれ食品サンプルでやがりますよ!」

「しょくひんさんぷる?」

 初めて聞く単語にフェリエラが首をかしげる。

「レストランの店先に蝋で作りやがった偽物の食い物を飾りやがるんですよ。そうしやがったら、道を歩きやがってるやつらの食欲が掻き立てれやがるんですよ(って本に書いてありやがりました)」

「は? レストラン……って定食屋ってことか! なんであんなに小洒落てんだよ! 食堂って言ったら、三角巾被ったパーマ頭のババアとヤニ臭いジジイがやってるきったない店のことだろ!」

「どんなイメージでいやがりますか!? そんな偏ったイメージは早急に捨てやがるです!」

 その後も、フェリエラとクロの興奮は一向に収まる気配を見せなかった。その後も、馬車から身を乗り出しては、見慣れない物があるたびに二人ではしゃぎ合っていた。

 と、ふとフェリエラは不穏な空気を察した。道行く人たちが、こちらを横目で窺いながら顔を寄せ合い、何事かひそひそと話しているのだ。フェリエラたちに対して良い印象を持っていないことだけは確かだ。

 フェリエラが顔をしかめていると、隣でクロが青い顔をしていた。そして、そのまま馬車の中に引っ込んでしまう。どうやら自分が非難されていると思ったようだ。

 この国では、いろいろな種類の種族が住んでいる。有名なエルフやドワーフに始まり、

妖精や悪魔、もっとマイナーなところだと、ゾンビのような生ける屍の類(その中でも特に知性を持つ奴ら)も住んでいる。

 だが、ブラックドッグと呼ばれる種族だけは、人間の作った国に住みつつも、忌み嫌われている。

 理由の一つは彼らが少数派だから。どこの世界でも少数派は虐げられ易い。

 二つ目はこいつらが死を運ぶと考えられているから。ブラックドッグの出自は少し特殊だ。他の生物が生殖行為で増えるのに対し、こいつらは死んだ犬から生まれる。

 この国では、新しい墓地を造ると、どういう訳か、最初に埋葬された生物がその墓地を管理する責を負う。つまり、死んだ奴が少し特殊な存在になって復活し、黒魔術師とか、死体好きの変態さんとかから墓を守る。自然災害で地面から出てきちまった死体とか、なんかの要因でゾンビになっちまった奴らを墓の下に戻す。って感じの役割をしなけりゃならなくなる。少なくともそういうことが起こらなくなるまで。

 で、その役目を人に負わせないためにこの国では墓地を新設するときには、最初に犬を埋める習慣がある。

 そうすると、埋められた犬は、みんな一様に黒い毛と赤い目、獣のような手足と耳を持った少女として復活する。

 彼女らが死者をどうこうする魔法に長けてるって言うせいもあるが、まぁ、こんな感じの汚れ役をやってれば悪い噂も立つし、嫌われもする。

 クロが奥に引っ込んで少しは通行人の好奇の目もそれるかと思ったが、今度は違った。一向に収まる気配がないどころか、同じような人が増える始末だ。それに、耳をそばだてると、どうも別のことについて話しているようだ。

「これが今度の……」

「また一段と田舎くさいのを……」

「あんまり、よくなさそうですね」

「先ほどブラックドッグがいたように見えましたが、わたくしそんなものはいやですわよ」

 どうも、これはクロ個人というより、フェリエラたち全員に、田舎から出てきた少年少女立ち全員に対して向けられているようだ。

 その証拠に、会話の内容がクロ個人というよりも、フェリエラ含め、馬車に乗っている子供全員に対するもののようだ。しかも、全く良い内容ではない。

 何となく、フェリエラの背中を嫌な汗が伝っていくような感覚があった。だが、フェリエラはあえてそれを無視すると、馬車の中に引っ込んでクロに声を掛けに行った。

(これからってときに、あんまり変な心配はしない方が良いよな?)

 中に戻ると、クロは床で丸くなって寝転んでいた。壁際に作り付けの横長の椅子がある以外は何にもない広いだけの馬車の荷台だ。人が寝転ぶには十分すぎるスペースがある。

 クロは自分の腕を枕にして、耳も尻尾も全部体にくっつけるようにして、ふてくされた顔で寝っ転がっていた。

 正直に言って可愛かった。本人に言うと怒られそうだが。

「なぁ、気にすんなよ」

「別に気にしてやがらねぇーですよ」

 フェリエラが声をかけるとそんな返事が返ってきた。気にしていないといいつつ声は暗かった。

「あっそ」

 だが、あえてそこには突っ込まない。

「それよりもさ、俺らはどんなところで働くのかな?」

 気楽な調子で聞いてみる。

「んー、あたしらはどうも歓迎されてやがらねぇみたいですからねぇ。どっかの工場に缶詰にされやがるか、お屋敷でメイドとして働かされて『ぐへへ。夜のご奉仕をしてもらおうか』ってなりやがるのが関の山じゃねぇですか?」

 丸くなったまま顔だけこちらに向けてそんなことを言う。声も態度も完全にふて腐れていた。

「いきなりネガティブなこと言うなよ。もしかしたらあそこで働けるかもしれないだろ?」

 そういって今まで身を乗り出していた馬車後方の幌の隙間から外を指さす。その先には立派な建物が並ぶ王都の中でもひときわ異彩を放つ建物が建っていた。

 街の中心に建つそれは、巨大で、街一番の高さで、なおかつ立派な城郭を備える一方で、見るものを惹きつける白亜の威容を誇っていた。

 この国の要である王都の要、つまりは宮城だった。

「は? なに都合のいいこと言ってやがんですか? あんなとこで働けるわけないでやがるでしょう。働けたとしやがっても、せいぜい便所掃除がいいとこでやがりますよ?」

 さっきからそっけない態度を維持しているクロにフェリエラは徐々にイライラしてきていた。

「は? そういうお前は貴族の牝犬奴隷がいいところだろ? エロい調教されちゃって『ご主人様のぶっといお○○○ん、もっろ、わらひに、くりゃひゃい』とか言っちゃってさ」

 ネガティブになるのも分からなくもないが、いい加減うんざりしてきたので意地悪をしてみる。まぁ、こいつがこれだけふて腐れるのには今までに受けた数々の嫌がらせが背景にあるのだが、いつまでもこんな態度を取られてはたまらない。せっかく王都に来たのだから。

「は!? なに言ってくれやがるんですか! あたしがそんなことになるわけないでやがりましょう。むしろ、フェリエラの方がそうなる確率は高くいやがりますよ。あたしと再会しやがった時に大泣きしやがるほどの甘ちゃんでいやがりますからねぇ」

 フェリエラの言葉を聞いた瞬間にクロがガバッっと起き上がった。こいつは下ネタに滅茶苦茶弱いから扱いやすくて良い。こういう時はこれに限る。他にもこいつと組手してる時に寝技に持ち込むと突然気持ち悪い声を出して身体の力が抜けて、それも扱いやすいところだったりする。

「はぁ? なに言ってんだよ?」

 まぁ、そのあとの態度が若干むかつくが。

 フェリエラたちがそんなやり取りをしていると、不意に他の子どもの興奮した声が聞こえてきた。

「なぁ、あれってもしかして!」

「でもなんで!?」

「ばか、それだけ俺たちが期待されてるってことだろ?」

 何事かと思い、クロとフェリエラも他の子ども同様に荷台から身を乗り出して外を見てみる。すると、

「うお!?」

「やがれ!?」

 いつの間にやら、白亜の巨城が目の前に迫っていた。間違いなく、宮城だった。見上げるような高さの城壁に、天を衝かんばかりの尖塔がいくつも聳え立っている。遠目に見たときにもその姿に目を奪われたが、まじかで見ると、その威厳は、もはや開いた口が塞がらないほどのものだった。

「これは、もしかして、あたしら、王宮で働きやがれるんですか?」

 クロはそういって興奮気味にフェリエラの両肩に手をかけてユサユサと揺さぶってきた。

「ちょ、おい、やめろ。何が働けるでやがりますか? だよ。便所掃除が関の山なんだろ?」

 頭を前後に激しく振られながらフェリエラが答える。否定的な答え方をしているが、その声からは喜色がにじみ出ていた。

「いや、あれは物の例えでありやがりますよ! それより、どうなんでやがりますかね?」

 肩から手を放したクロが、今度はフェリエラの両手を激しく上下に振りながら聞いてくる。

「だから、知らねぇって! でも、まぁ、テストを潜り抜けただけあって、思ってたよりも期待されてんじゃねぇか? 俺ら」

 今度はフェリエラも嬉しさを隠さずに答える。馬車がこんだけ近くまで来ているんだから、働ける、働けないに関係なく、少なくとも宮城の中に入るのは間違いがなさそうだ。これで興奮するなって言う方が無理だ。

 そして、興奮するクロとフェリエラを載せた馬車は、宮城の門の中へと吸い込まれていった。




三章 残酷な真実


 なんだ、ここは?

 宮城の中についたフェリエラがまず心に浮かべたのはそんな疑問だった。そこはまるで工場のようなところだった。より正確に言うならば、食肉加工場だ。

 

少し前、フェリエラたちを載せた馬車は、城に近づいて行くと、煌びやかな表門などには目もくれず、城の裏門から城内へと入って行った。馬車はそのまま地下へ続くトンネルのようなところに入って行くと、荷物の集積所のようなところに止まった。そして、そこに待ち構えていた、完全武装の兵士に促されるまま馬車を降り、地下道に設けられた入口の中へと歩かされた。

すると、壁面に張り付いた通路のようなところに出た。

そして、現在に至る。

通路は高い位置にあり、その下に広がる空間がすべて見渡せた。

そこには機械が所せましと並んでいた。ある物は魔法で動き、ある物蒸気力で動いているようだ。だが、そのどれもこれもがある一つの目的にためのものであることは一目でわかった。

巨大な丸鋸を備えた機械、何かをぶら下げて運ぶための鋭いフックが付いたワイヤー。

そして何より、決定的だったのは、そこにぶら下がっているものだ。


それは、加工される途中の人間の肉だった。


明らかに人型をした肉が、血の赤色も生々しく、次々に運搬され、流れ作業的に解体、加工されていくのだ。

また、遥か遠くでは、今まさに、殺されゆく人々がいた。

ある者は血抜きをするために頸動脈を切られ、逆さに吊るされ、かと思えば未だ死に切れずに弱弱しく声を上げる者が生きながらに内蔵を取り出され、皮を剥がされていた。しかも、その誰も彼もが、フェリエラたちと同じ位の歳の少年少女たちなのだ。

工場の中には鉄臭い血の匂いと、人の悲鳴が充満しており、今にも胃の中の物をぶちまけてしまいそうだった。

「これは……なんでやがります……か?」

 隣ではクロは必死に吐き気を堪えつつ必死にフェリエラの手を握っていた。いくら墓守が、死に触れることが仕事とはいえ、これはあまりにも非日常すぎた。

 もはや、人の死とは呼べないような光景が、目の前で繰り広げられていた。

 回りでは他の子ども達がゲェゲェと吐いている。一部の者たちは泣き叫んでいる。さらに少数の者は兵士に詰め寄っていくが、一人が槍の石突で鳩尾を殴られて蹲ると、残りの者もおとなしくなってしまう。

 すると、どこからともなく、また別の子どもの一団がフェリエラたちの一団合流してきた。その顔はみな一様に怯えていた。だが、フェリエラたちの居る一団と違って、皆どこか達観したような顔をしている。

 これは? 一体なんだ?

同じ疑問が再びフェリエラの頭をよぎった時、一人の兵士が前に進み出て、何やら言い始めた。

「諸君! 遠路ご苦労。さて、もう察しがついていると思うが、諸君にはここで死んでもらう」

 さらなる動揺が一気に広まっていった。

「安心したまえ。君たちの死は無駄にはならん。君たちの肉体は王国を支える貴重な蛋白源となる。諸君らはその肉体を持ってして他の人々の肉体を潤し、必ずやこの王国にさらなる繁栄をもたらすだろう。そもそも、この計画の発案者は現国王様であり……」

 ふざけるな! 俺はエサになるために田舎から出てきたってのか? 他の奴らも! こんな、人を食い物にするようなことがまかり通って良いのか? おかしいだろ? 同じ人間だぞ? なのに、なんでだよ? 自分が良ければ他のやつらはどうでもいいってのか?

もはや兵士の話など全く耳に入らなかった。フェリエラの頭の中は、怒りと意味不明さで埋め尽くされていた。

 フェリエラは、自分の手がいつの間にか腰に佩いた刀にかかっているのに気が付いた。同時に、自分が今、青ざめた顔に怒りの形相を浮かべているらしいということにもぼんやりと気づいた。

 その隣では、フェリエラと同じく、感情を恐怖から怒りへと変化させたクロが、腰のベルトに納められた魔導書に手をかけていた。

「なお、諸君らには快適な宿舎が用意されている。あいにくと相部屋だが我慢してくれ。それから、見ての通り、抵抗は無駄である」

 その言葉と共に、周囲の兵士が一斉に得物の石突で床を叩いて見せた。

「は、ふざけるなよ」

「なに?」

 気が付けば、フェリエラはそんなセリフを言っていた。

 同時に、刀を抜き放っていた。鈍い輝きが一閃する。演説をしている兵士の顔面に向かって刃を閃かせた。殺しはしない。ただ顔に傷を作って、隊長格らしき兵士の士気をくじいて、逃げ出すチャンスを作るつもりだった。

 だが、鋼鉄同士がこすれる嫌な音と共に、今まで感じたことのない妙な感覚が手に伝わってきた。

 目の前では、先ほどの兵士が顔を右の頬と左の眉を結ぶ線で鋼鉄製の兜ごと断ち切られ、脳漿と血をぶちまけていた。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。今まで普通に剣を使っている中でこんなことはあり得なかった。

 どう考えてもあのジジィからもらった刀のせいだ。なんでこんなに簡単に鉄を切れたのか気になるところだが、今はそれどころではなかった。

 フェリエラが兵士の頭を切り裂いた瞬間にあたりは混沌に叩き込まれていた。

 あたりには緊急事態を告げる非常ベルが鳴り響き、兵士が笛を鳴らして陣を整える。その一方で、今まで絶望に打ちひしがれていた子供たちが一斉に逃げまどい始めた。

「あー、もう! まぁでもちょうどいいや!」

 そう叫ぶと、フェリエラは敵に躍りかかって行った。子供たちが一斉にもと来た方に帰っていく中、一人だけ反対方向に、兵士がワラワラと出動してくる方に向かって疾走を始めた。

 そんなに広くない通路だ。横にはほぼ逃げ場はない。そんな中をただひたすらに突貫していく。

 それを見た兵士は、前面に槍を持った兵士を展開させる。だが、フェリエラは刀――小鴉で槍を刃だろうが柄だろうがお構いなしに切り刻みながら突っ込んでいく。そして、敵に達すると敵を鎧ごと貫き切り捨てていく。

 その後方ではクロが人間の髑髏と黒い魔導書を持って、呪文の詠唱を始めていた。クロの面前の空間には光で描かれたクロと同じぐらいの大きさの魔法陣が展開している。

「恨み持て死せるものよ。死へと通ずる我が黒妖犬の身を通じて今ひと時その恨みを解放せよ。カース!」

 そう叫ぶや否や、突然兵士たちが苦しみだした。ある者は目から黒い液体を垂れ流し、ある者は身体の表面から沸々と泡が湧き出し、またある者は手足が突然に体の中から粉々にはじけ飛び、あたりは正しく地獄絵図と化した。

「全く、無茶しやがりやがりまして。まぁ、あいつがやりやがらなかったら、自分でやってやがったでしょうから、丁度いいでやがりますけどね!」

 そういいつつ、また別の呪文の詠唱を始める。手もとでは魔導書が独りでにページを繰り、中に書かれた文章の一部を呪文に応じて明滅させている。

「何している! ゲートを緊急閉鎖城!」

 そんな中、まだ正気を保っている兵士が叫んだ。すると、今度は別のベルが鳴り響き始めたかと思うと、工場の出入り口に備え付けられた分厚い鋼鉄の扉が閉ざされ始めた。

「誰か! ここから出してくれ!」

「もう駄目よ! 私たちはここで死ぬんだわ!」

 逃げ遅れた子供たちがフェリエラたちの背後で口々に絶望の言葉を口にする。それを見たクロは、黒い魔導書をベルトに納めると、赤い魔導書を取り出した。

「あめぇーでやがりますよ!」

 叫ぶと、続けざまに詠唱を始める。再び魔法陣の展開が始まる。

「炎よ! 我が許に集いて我が剣と成れ! ファイア!」

 突如としてクロの目の前に直径2mほどの炎の弾が出現する。クロはそれを確かめると、右手の人差し指で他の者たちが群がっている扉を指示した。

「退きやがるです!」

 その瞬間、火の玉がそちらに向かって猛然と飛翔を始めた。それ気づいた少年少女たちが一斉に扉の前から逃げ出した。

 そして、火の玉は鋼鉄の扉に当たると、信じられないような高熱で鉄を蒸発させ、扉に大穴を穿って行く。

 それを見た兵士たちは開いた口が塞がらないといった顔でクロと扉を交互に見ていた。一方の子供たちは、数瞬ののちに我に帰ると、一斉に扉の穴から駆け出して行った。

 フェリエラはクロの活躍を確かめると、改めて自らの敵に向かい合った。無数の兵士と、そこに混じって巨体をさらしている白銀の鎧で身を固めた召喚獣だ。

 兵士は何人いたところで問題ではないはずだ。問題なのは召喚獣の方だ。昔、クロが呼び出した召喚獣と戦ったらボコボコにされた思い出がある。ついでに今回は足もとの工場区画に魔導士が配備され始めていて、状況は悪くなる一方だ。

 まぁ、こんな国の存続にかかわりそうな情報を外に漏らしてもらっては困る、ということなのだろう。だが、そんな事は関係ない。今は何よりも、こんなことが公然と行われていたことが許せなかった。しかも、宮城の地下で、である。俺たちは家畜じゃない。ちゃんとした人間だ。なのに、こんな扱いを受けるなんて。

 最低の気分だった。いっそのことこの宮城を吹き飛ばしてやりたいくらいに。

 フェリエラは怒りに任せて敵に向かって疾駆し始めた。敵は白銀の騎士の格好をした召喚獣が二体。通路をふさぐように横に並んでいる。それぞれ手に巨大なロングソードを持っている。

 フェリエラが接近していくと、リーチに勝る白銀の召喚獣が大上段から一斉にロングソードを振るった。フェリエラは真横に飛んでそれを避ける。壁に着地したかと思うと、すぐさま壁を蹴って通路に戻る。後方では、先ほどまでフェリエラがいた地点が、敵の剣によって大きく削り取られていた。

 それを尻目に、さらに前進していく。と、突然にしたから水の塊が飛んできた。重たい水の塊を横っ腹に食らってもろに吹き飛ばされる。先ほど足蹴にした壁に叩きつけられる。

「っ!」

 声にならないような苦悶の吐息がフェリエラの口から零れた。だが、それでもフェリエラは無理矢理体を起こすと、前進を再開する。これは敵も予想外だったのか、わずかに反応が遅れる。

その隙をついてフェリエラは、白銀の召喚獣へと躍りかかった。両手で刀を持ってフェリエラから見て右手の召喚獣へと真一文字に切りかかる。敵は咄嗟に巨大なロングソードでそれを防ごうとする。だが、小鴉は、鉄同士が擦れて火花を上げることもなく、まるでバターでも切るように巨大なロングソードを両断する。

斬られたロングソードのうち、切っ先の方は地面に向かって落下していくが、床につく前に粒子となって霧消してしまった。

フェリエラはそれを 確かめる間もなく、今度は身を屈めて血を蹴ると、大きく飛び上がった。今度は小鴉を両手で大上段に構えて、剣を両断したばかりの召喚獣を縦にかち割ってやるつもりのようだ。

フェリエラは、跳躍の頂点に達すると落下の速度の自分の体重を乗せて小鴉を振り下ろし始めた。

だが、落下の勢いそのままに敵を両断するかと思われたその時、召喚獣が武器を投げ捨てるや、右手で小鴉を掴んだ。明らかに敵の魔導士の仕業だった。その証拠に召喚獣の手にうっすらと薄緑色の魔法陣が展開している。これで小鴉の切れ味を抑えて掴めるようにしているのだろう。

だが、今はそんなことを悠長に考えている場合ではない。小鴉は押しても引いてもびくともしないのだ。あまつさえ、小鴉はフェリエラの全体重を受けても折れさえしないのだ。普段だったら刀の頑丈さを誇るところだろうが、今回はそうも言ってられない。こうなってしまえば、残る選択肢は武器を捨てるか、このまま武器に固執して敵の的になるかだ。ここで武器を捨てることは今後のことを考えると避けたかったが、今は致し方ない。

そう判断してフェリエラが武器から手を放そうとしたその時、突如として薄緑色の魔法陣がフェリエラの両手を包み込むようにして展開されるた。

「なぁ!」

 嫌な予感を覚えたフェリエラは咄嗟に手を放そうとする。だが、手は指一本動かなかった。どうやら、魔法のよって手と刀を接着されたような状態になってしまったらしい。その証拠に、握りしめた形のまま、手を刀の鍔の端っこまで移動させて抜こうとしてみても、手は全く動く気配がなかった。

仕方がないので、フェリエラが必死の敵の手から小鴉を引きはがそうとしていると、ぬっと召喚獣のもう一方の手が上がってきた。そして、左手で右肩のあたりを殴られた。凄まじい衝撃だった。人間に殴られたのとは比較にならない。右肩が砕けてしまったような衝撃だった。意識が飛びそうだった。このままでは、非常にまずいと分かっているが、痛みのせいで身体が全く言うことを聞かなかった。

「あーもう。何やってやがんですか!」

 いつの間にかこちらに向き直っていたクロが、見かねて援護に回る。

「炎よ! その秘めし力を解き放ちて我が敵を撃ち滅ぼせ。イクスプロード!」

 突如として眼下で大爆発が起こった。足もとの工場区画で突如として爆発が起こり、配備されていた魔導士たちを吹き飛ばしていた。すると、突如として召喚獣が粒子となって消滅し始めた。フェリエラを支えていた召喚獣が消えると、フェリエラは地面に投げ出された。

 フェリエラはよろよろと起き上がると、何とかクロの横まで歩いて行った。その間にもクロが魔法を次々繰り出して敵を牽制する。今までの騒動に際しても未だ陣形の乱れすら見せることのない兵士たちと改めて正対し直した。隣にはクロがいる。

「はん。ボロボロでやがりますね」

 クロがそんなことを言う。だが、その目は決して敵から離さなかった。

「うっせぇ。クロがさっさと援護に来ないのが悪いんだろ」

 こちらも敵から目を離さずにそう答える。フェリエラの右手はだらりと垂れ下がり、小鴉は左手に握られている。

「まぁ、でも、他の奴らは脱出したみたいだし、よくやったよ」

「このぐらい当然でやがります」

 不敵な笑みを浮かべてそんなやり取りをする二人の後ろでは、予備の隔壁が閉まりつつあった。

「さて、行くぜ。さっさとこの胸糞悪い工場をぶっ壊して脱出するぞ!」

「まぁ、手前の身体が保てば、でやがりますがね」

「は、何言ってんだよ。おれは まだまだ戦えるぜ!」

 そういって左手で刀を軽く振り回して見せる。正直に言って、右肩は痛みで全く上がらなくなっていたが、今はそんなことよりも、この工場をぶち壊す方が先だ。

「ハッ! 行くでやがりますよ!」

だが、クロが魔導書を開きフェリエラが突撃を開始しようとした、正にその時、にわかにクロの人間よりはるかに鋭い耳に、少女の声が飛び込んできた。

「ちぃ」

 どうやら何かあるらしいということにすぐにフェリエラも気づき、踏み出しかけた足を止める。

「どうしたんだ?」

 何があったのかクロに問う。

「いや、鈍いやつはどこにでもいやがるもんでやがりますね」

 そういって後ろを親指で示す。フェリエラがそちらの方にさっと走らせると、ほぼ閉じきった予備の隔壁の前に一人の少女が座り込んでいた。

 紫色の瞳に、若干銀色が混ざった艶っぽい鳶色ともくすんだ金色とも判じられない長い髪。年のころはフェリエラと同じくらいだろうが、そうとは思えぬ発達した肢体を薄よF後れたメイド服に収めていた。その顔は絶望に染まり切っており、その口からはひたすらに

「いや……いや……」

 という言葉が繰り返し、繰り返し発せられていた。

「ちっ」

 フェリエラも思わず舌打ちしてしまう。

「クロ! そんなの後だ! 今はとにかくこの工場をつぶす方が先だ!」

 一瞬ののち、きを 取り直したフェリエラはそんなことを叫ぶ。

「はぁ? なに言ってやがんですか? あの娘このまま放っときやがったら死にやがりますよ? 先ずあいつを助けやがりますよ」

 それでも少女の救助を優先するクロに対して、ついイライラして叫び返してしまう。

「お前だって見ただろ! あれを! こいつ一人助けるのと、ここを潰してもっと多くの人を助けるのとどっちが大事だと思ってるんだよ!」

 そう言い切った瞬間、平手打ちが飛んできた。

「ビビッて訳わかんなくなってやがんじゃねぇですよ! フェリエラこそこの状況わかってやがるんですか? 敵がワラワラ出てきてこのままあいつ放っときやがりましたら、あいつは確実にひき肉になってハンバーグですよ! そもそも、目の前の困ってる人をハンバーグにしやがって自分たちの感情を優先しやがりましたら、ダメでやがりますよ! こいつ放っといたら、あたしらが暴れた意味がないでやがりますよ!」

 いつになく真剣なクロの剣幕にフェリエラは完全に飲まれてしまった。

 確かに、ここの工場を壊滅させたいという気持ちがある。それは、きっと自分の中にある怒りの感情のせいだ。だが、確かに自分の感情に流されてあいつを見捨ててしまったらダメな気がする。それでは、人を肉に加工していたこいつらと、同じになってしまう気がする。

「あー、もう! わかったよ!」

 そう言うなり、フェリエラは敵に背を向けて走り出していた。背後ではクロが魔法を使って敵を牽制している。

 それを確認しつつ、フェリエラはへたり込んでいる少女へと駆け寄っていく。

「おい、大丈夫か?」

 肩を叩きながら後ろから声をかけるが、完全に気が動転しているのか、いや……いや……というセリフを繰り返すだけで、全く反応がない。

「ったく」

 いくら声をかけても無駄とだと思い、フェリエラは、刀を鞘に納めて屈みこみ、相手の両肩を掴むと、揺さぶりにかかった。すると、

「きゅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 突如として少女が悲鳴を上げた。

「うるさい!」

 あまりにも突然の出来事だったため、思わず少女を平手で殴ってしまった。だが、その瞬間、衝撃を与えたことがかえって良かったのか、少女が正気に返った。

「あ……」

 短く声を上げたかと思うと、きょとんとした表情で辺りをキョロキョロと見回し始める。そして、一通りあたりを見回した顔が正面を向き、フェリエラと向き合う形になった。それでもはじめのうちは全く状況が掴めていないという顔をしていた。少女はゆっくりと首を右に傾けていき、いっぱいまで行くと今度は左に傾ける。そうするうちに少女の表情がだんだんと事の経緯を思い出していくかのように険しくなっていき、

「あなた方は、確か突然暴れ出した方々ですね! 他の方達はどうなったんですか? ここは一体どこですか?」

 メイドらしい丁寧な口調でフェリエラに食ってかかってきた。

「あーもう。正気に戻ったらすぐにこれかよ」

 そのフェリエラの声を聞いて少女がハッとした顔になる。

「も、申し訳ありません。取り乱してしまいました」

 バツの悪そうな顔でフェリエラに謝ってくる。

「いや。いいさ」

 その顔のあまりのしおらしさに、フェリエラも我知らず矛を収めていた。

「それより、立てるか?」

 そう言いつつフェリエラは先に立ち上がると、少女に手を差し伸べた。

「申し訳ありません」

 品の良い、いかにも良いとこのメイドさんらしい表所になると、少女はフェリエラの手を取って立ち上がり、フェリエラとならんで立った。

「あの、それで、できれば状況をお教え頂けないでしょうか?」

 その間に、先ほど棚上げにしてしまった問について少女が再度聞いてくる。

「ん? ああ、そうか。えっと、俺らが暴れたとこまでは覚えてんだよな?」

 再度刀を構えながらフェリエラが応じる。

「はい」

「そっか。残念ながらここはまだ宮城の地下だよ。他の人たちは俺たちとあんたを除いて逃げた」

「そうですか」

 少女が暗い顔で返事をする。また正気を失うんじゃないかとフェリエラが少し焦り始めたその時、突如として黒い物体が飛んできて、轟音と共に着地した。

「正気に戻りやがりましたか」

 黒い物体ことクロが少女に向かって話しかけた。だが、その身体の前面には魔法陣が展開していて、絶え間なく魔法を放ち続けている。フェリエラはクロが来たのを確認すると少女を置いて、再び敵に切り込んで行った。

「はい。ご迷惑をおかけしました」

 少女はそう言うと、クロに向かって深々と頭を下げた。

「そんなことより、手前はなんか 武器使えやがらねぇんですか?」

「武器? ですか?」

 突然のクロの質問に少女がきょとんとした顔をする。

「そうでやがります。今は一人でも多く人手が欲しいでやがります」

「そう、ですね」

 少女は思案するような顔でしばらく顎に指をやっていたかと思うと、ややあってくちを 開いた。

「そう、ですね。銃なら多少は心得がございます」

「銃、でやがりますね」

「はい」

 少女のその言葉を聞くと、クロは左手をベルトに回すと、新たな魔導書を抜き取り、呪文を唱え始める。

 すると突然、空中の何もない空間に三つの光の塊ができたかと思うと、銃がと革製の弾薬入れ、腰につけるタイプのホルスターがそれぞれひとつずつ現れた。それらはやがて重力に従って床に落ちた。

 回転式の弾倉を備えた黒鉄色のライフルで、例えるならリボルバー拳銃のライフルバージョンというべきものだった。

「どうでやがりますか」

 クロが自慢げにいましがた自分が出現させたものを指さす。対照的に少女はいたって冷静にそれらを見据えた。

「魔導士の方でしたか。リボルビングライフルですね。ありがたく使わせて頂きます」

 少女はそういうと、屈んで、床からリボルビングライフルと弾薬入れを拾い上げた。

 その瞬間、少女の様子が一変した。キッと目が据わったかと思うと、先ほどまでの穏やかで品の良い表情から一転、眉間に深い皺が刻まれた。そして、それこそ鈴を転がすような、という形容がそれこそピタリと当てはまるようなさっきまでの声からは想像もできないようなドスの効いた声を放った。

「ッチ! リボルビングライフルと使えないもん出しやがって! これじゃ両手で撃てねぇじゃねぇかよ!」

 クロは開いた口が塞がらなかった。あんぐりと大口を開けて思わず少女のことを凝視してしまう。ついでに、敵と斬り合っているフェリエラまで何事かとこちらに顔を向けていた。だが、少女はそんなことはお構いなしに、汚いことば を穿き続ける。

「あ? 何間抜けな顔してこっち見てんだよ。このクソ犬が! そんな顔してる暇があんならもう一丁同じもの出しな! どうせ両手じゃまともに撃てねぇんだから」

 クロは、何が起こっているのか理解できなかった。先ほどまであんなに上品だった少女と、今目の前で自分を罵っている少女が同一人物だとはどうしても思えなかった。

「おい! 聞こえてんのか!?」

 我を忘れていたら少女に怒鳴られた。

「やがれ!」

 思わず先ほどと同じように銃を空中の出現させてしまう。

 少女はそれを手に取ると、両手にライフルを持つと、両手を同時に振り下ろした。すると、弾丸の装填機構が働いてライフルがちょうど弾倉の部分で折れて、弾倉の尾部があらわになる。そこには一丁につき六発の弾丸が装填されていた。

「よし」

 少女はそれを確認すると、ガシャンッとライフルを元に戻した。そして、

「おい、そこの刀振り回してる脳筋バカ! 退きやがれ!」

 そう言うなり引き金を引いてた。

「え!? うわ! ちょぉ!」

 両手でライフルを構えると、少女は轟然と弾を撃ち出し始めた。

「おらおらおら! 編隊くんでる変態兵士どもが! 邪魔なんだよ! さっさと死体に変態しやがれ!」

 銃声がほとんど一発分に聞こえるような 猛射だった。一方の敵は、顔を覆わないタイプの鎧を着けている者はその眉間を、回まで覆うタイプの鎧を着けている者は、視界を確保するための穴から目を、性格に射抜かれていた。

「ふん!」

 弾倉の中の弾を十二発すべて撃ち尽くした少女は両手の銃を弾倉のところで折ると、弾倉から真っ赤に焼けた薬莢を排出した。合計で十二もの薬莢が床に当たってカラカラと場違いに澄んだ音を響かせる。だが、少女はそんなことお構いなしで、クリップを使って一瞬のうちに再装填を終わらせると、再び猛射を開始した。

「おい! そこの脳筋バカ侍とゾンビ犬!」

「は!?」

「やがれ!?」

 撃ちながら少女はなおも暴言を吐き続ける。ここは少女の暴言に対して文句の一つも言うべき場面なのだろうが、少女のアマリの迫力に圧倒されてしまい、二人とも言葉が出てこなかった。

「愚図愚図してないで退路の啓開! 急げ!」

「お、おう?」

「やがれ?」

 少女の迫力に押されて何となく予備の隔壁が閉じてしまった出口の前に立つクロとフェリエラ。

「なぁ、あいつ、放っといても大丈夫だったんじゃねぇの?」

 そこに立ち尽くしたまっまフェリエラはあきれ返ってクロに話しかけた。

「いや、確かにに銃を持たせやがったらああなりやがりましたが、放っといても大丈夫でやがったとは限ら……」

 クロも抑揚の抜け落ちたような間抜けな声で返事をしてくるが、その途中で遮られてしまう。

「おい! そこのゴミ二匹! 喋ってねぇでさっさと行動しやがれ!」

 すさまじい銃声が轟く中、どうやったらそんなことができるのか謎だが、少女はこちらの会話を聞きつけたようだ。

「お、応」

「や、やがれ」

 フェリエラとクロは顔を見合わせると、再び予備の隔壁と向かい合った。

「クロ、任せてもいいか?」

「まぁ、いいでやがりますよ」

 どうにもあの少女にリズムを狂わされている気がしてならないが、言っていることは向こうの方が正しいのだ。取りあえずはこの隔壁を破ることだけを考えなければ。

 クロは再び赤い魔導書を構えると、呪文の詠唱を始める。金色の魔法陣が展開を開始する。

「ファイア!」

 先ほど一枚目の隔壁を穿った時と同じ魔法だった。近くに居るだけで火傷してしまいそうな超高温の火の玉が隔壁を蒸発させていく。

 辺りには鉄の蒸気がもうもうと立ち込めている。フェリエラとクロの姿はその蒸気に覆い隠されてしまう。

「おい、クロ!」

「分かってるでやがります!」

 絶好のチャンスだった。この蒸気に隠れて完全に敵を撒けるとは思わないが、少なくとも逃げるのが少しは楽になるはずだった。

「そこの銃手、こっちきやがるです!」

 そうクロが叫んだ。その瞬間、猛射の間から、少女がチラッとこちらをの様子を理解したのか少女はくろの要求に対して逆に要求を突き付けてきた。

「犬! 敵前面を爆破だ!」

「は? ったく人使いが荒いでやがりますね!」

 そう言いつつもクロはすぐに詠唱を始める。

「イクスプロード!」

 そして、少女の要求通りに敵の前面を爆破する。最前列の兵士のちょうど足の下を爆破されたせいで、敵は多数の負傷者と爆炎で大パニックだった。

 それを見届けて少女がこちらにやってきた。いや、正確には飛んできた。足で軽く床を蹴ると、信じられないような高さまで舞い上がった。飛んでいる姿はとても優美で、ふわりと、優雅な所作でフェリエラとクロの前に着地した。

「ボケッとすんな! うんこ共! さっさと逃げるぞ!」

 だがその口からは信じられないような罵詈雑言が飛び出してくる。

「おい、いい加減にその口の利き方やm……」

 我慢できなくなったフェリエラが文句を言いかけた時、兵士たちの慌てた声が聞こえてきた。

「魔導士隊と銃手隊は前へ。準備でき次第撃ち方はじめ!」

 どうやら蒸気に隠れているフェリエラたちを遠距離から攻撃するつもりらしい。

「逃げやがりますよ」

 まだ何か言いたげな顔のフェリエラに対してクロが逃げるように促す。フェリエラはちっと舌打ちを一つすると、極力金属の蒸気を吸わないように口元を押さえながら出口に向かって走り出した。そのあとを少女とクロの順に続けて走り出した。


 蒸気の煙幕を抜けると、そこには敵は全くいなかった。非常ベルがけたたましく鳴り響き、非常事態を知らせる赤色の回転灯が点灯しているだけだった。後ろからは金属の蒸気を切り裂いて銃弾と魔法が飛んで来ている。

「ラッキー! 今のうちに行くぞ!」

 フェリエラはそういうと通路を出口に向かって一気に駆けていく。来る時に馬車から降ろされた集荷場みたいなところまでは歩いて五分の距離だ。このまま走ればほんの数分で生ける。このままいけば何とか逃げ切れるだろう。

 だが、現実はそう甘くはなかった。フェリエラたちが集荷場についた瞬間、待ち構えていたかのようにそれは姿を現した。

巨大な泥の手足、顔には呪術用の目が一つだけ埋め込まれている。そいつは馬車5台が楽に発着できる広さと高さを備える地下トンネルをふさぐようにして立っていた。

「ちっ!」

 フェリエラは舌打ちすると、刀を構えた。

「厄介なもん出しやがりまして!」

「あ? でっけークソ垂れてんじゃねぇぞ!」

 あと来たクロと少女もそれぞれ武器を構える。

「おい、クロ。アレなんだ? あんまりいいしないぞ?」

 目の前の物が何なのかだいたいの予測はついていたが、それでも一応クロに聞いてみる。

「ゴーレムでやがりますね」

 魔導書を構えて真剣な面持ちのクロが返す。

「やっぱりか。で、倒し方は?」

「ゴーレムは結構作り方のバリエーションがありやがりますが、こいつは土人形の目の位置に核になりやがる目、胸に人骨、口にemethの字を書きやがった羊皮紙を入れやがったタイプでやがります」

「そんなことはいいから倒し方教えやがれ、ゾンビ犬!」

 いきなりゴーレムについて解説し始めたクロにイラついたのか、少女が声を荒げた。

「倒し方は、有名なのはemethをmethにしやがるか、文字全部を消しやがるか、羊皮紙を口から出しやがるかでやがります」

 クロの言葉を聞きながらフェリエラはゴーレムの口のあたりを見てみる。だが、そもそも床から口まで四メートルはありそうだ。とてもじゃないが、やってられない。

「他は?」

 再びクロに聞いてみる。

「しいて上げやがるなら、心臓代わりの骨を取り出しやがることでやがりますが、もっと無理でやがりますよ?」

「いや、だから、術者を倒すとか、いつもグール相手にやってたみたいに天に返すってのはできねぇのか?」

 期待していたのと違った答えが返ってきたのと、状況が合わさって、ふぇりえら はついついクロを責めるような口調になってしまう。

「無理でやがります。あいつは自立しやがってるタイプでいやがります。魔導士倒したところで止まりやがらねぇです。それに、あいつは元々生き物じゃねぇでやがりますから、リンカーネイションみたいなのも無理でやがります!」

 今回は本気で余裕がないのかクロの声も若干怒気を孕んでいる。

「つまり、正攻法しか無いってことか!」

 そういうなりフェリエラは一気に駆けだした。狙いはゴーレムの足だ。こんだけでかいのがいくら広いとはいえトンネルの中に居るのだ。足までは手が届かないだろう。刀を袈裟切りに構えて突撃していく。だが、その考えが甘かったことがすぐに思い知らされる。

 ゴーレムはフェリエラが突っ込んでくるのを見るや否や、手を振り上げて、フェリエラを叩き潰しにかかってくる。当然、トンネルの中にゴーレムが手を振り回せるだけのスペースなど存在しない。振り上げた手で天井を削りながらフェリエラを叩き潰しにかかってくる。

「っと!」

 フェリエラは慌てて崩れてくる瓦礫とゴーレムの手を避ける。その後ろでは、フェリエラに気を取られているゴーレムに少女が銃を射かけ、クロが魔法を放っている。だが、どちらも効果はないようだ。銃では威力が足りないし、魔法は、対策が施してあるのか、敵に当たる直前にかき消されてしまう。

「まずいでやがりますよ! こいつ相当出来る魔導士が作りやがったもんでやがりますよ! 魔法対策も万全でやがります」

 クロが悲鳴に近い叫びを上げる。

「あ? うるっせぇよ、犬が! てめぇの取り柄は魔法じかないんだからこのクソの塊何とかしやがれってんだよ!」

 相変わらずの猛射を続けながら少女が返す。だが、実際のところあまり打つ手はなかった。敵の魔法防壁は完璧に近いし、フェリエラや少女の物理攻撃では圧倒的に威力が足りない。それに、何よりもまずいのは、敵が見境なく暴れ回っていることだ。さっきからそこらの壁や柱をお構いなしに攻撃に巻き込んんでいる。このままではいずれトンネルが崩れて大量の土砂が流れ込んでくるだろう。あるいは、それが敵の狙いかもしれない。

「っち。負担がでけぇーでやがりますから使いたくなかったんでやがりますが、仕方無ねぇでやがりますね」

 そうつぶやくと、クロは一冊の魔導書を取り出した。いや、それは正確には「書」ではまかった。確かにそこにあることはわかるのだ。だが、それは恐ろしく透明なのだ。見た目が、ではない。存在が、だ。確かにそこにあるのだが、限りなくそれに注意を向けなければ存在していることが認識できない。そんな存在だった。

「フェリエラと悪口女、こっちきやがるです」

「どうしたんだ?」

「あ?」

 クロは二人をこちらに呼び寄せる。

「このくそ忙しいのなんだよ」

「ゾンビ犬、クソ垂れてる暇があるなら攻撃しやがれ!」

 二人から抗議が返ってくる。だが、今はそれを気にしている場合ではない。

「早くきやがるです!」

 二人を一喝するクロ。いつにない迫力に二人は敵の攻撃を躱しつつクロのところまでやってくる。

「二人ともあたしの身体に掴まりやがるです!」

 不思議な存在感の魔導書を手にしたクロが言う。それを見て、フェリエラは瞬時に状況を把握した。

「おい、クロ! それ死にかけるからあんまり使いたくないんじゃ無かったのかよ? つか、使うならもっと早く使えよ!」

 クロを問いただしつつ、クロの方に手を掛ける。クロを挟んで反対側では、少女が銃をホルスターに納めて、両手でクロの腕をギュッと抱きしめるようにしている。

「あの、一体これから何をなさるのでしょう?」

 いつの間にか最初の口調に戻った少女もクロに問いかける。

「デュフッ」

 だが、最初にクロが発した声は気持ち悪い笑い声だった。

「は? 何こんな時にキモイ笑い方してんだよ」

「あの……」

 この状況で何事かと、フェリエラと少女は頓狂な声を出してしまう。フェリエラはクロと組手をしているときに何度も聞いたことのある声だったが、まさか今のこの状況で聞くことになるとは思わなかった。おかげで少女の口調のことなど頭から拭き飛んでしまう。

「は! Σ(。д。) な、何でもねぇでやがります。この状況じゃああんまり贅沢も言いやがれないですからね」

 我に返ったクロが慌てて言い繕う。

「それより、もっとしっかり捕まりやがるです」

「っち。分かったよ」

「あの、これには何の意味があるのでしょう?」

 少しイラついているフェリエラとすっかりしおらしくなってしまった少女がクロの言うとおりに、身体を押し付けるようにしてクロに掴まる。

「デュフフ。は! Σ(。д。) 行くでやがりますよ!」

「おい、だからその笑いは何だよ!」

「あの、あの……」

 相変わらのクロの奇行に二人が声を上げるが、クロは完全に無視する。そして、目の前でゴーレムが暴れる中、朗々と詠唱を始めた。

「在るようでいて無く、無いようでいて在る。神羅万象の死と生を司るものよ。遍く世界を支配する翁よ。我に汝が神聖なる力の一部を貸し与え給え。キル・ザ・クロック!」

 クロがそう唱えた瞬間、世界が明らかに変わった。

 三人の目の前では相変わらずゴーレムが暴れているが、振り合上げた腕を天井にめり込ませたまま完全に止まっている。さらに奇妙なことに、そこから零れ落ちる天井を支える構造材が落下の途上、空中で静止している。

「相変わらずとんでもないな」

「あの、これは一体……」

 今までになんどか 見たことがある光景だが、フェリエラは思わず感心の声を上げてしまう。

 一方で少女は完全に戸惑い切っている。

「ハァ……ハァ……くっ」

 このとんでもない現象を引き起こした張本人のクロはといえば目の前でゴーレムが静止した瞬間から、息も絶え絶えで、汗を滝のようにかいて俯いている。

「おい、クロ! 大丈夫か?」

 心配したフェリエラクロの顔を覗き込むようにするが、クロは顔を上げると目でそれを制した。

「だ、大丈夫でやがりますよ。それ……より、これは5分が限界でやがりますからさっさと行きやがりますよ」

 相変わらずつらそうな顔でそう絞り出した。できれば今すぐにでもこの魔法を解除させてやりたいが、そうもいかない。解除した瞬間にまたあのデカブツの相手をしなければならなくなってしまう。

「あ、あの、これは一体どういうことでしょうか……」

 周囲の異常な様子と、クロのただならぬ雰囲気に不安を覚えたのか、クロを挟んで反対側に居る少女が同じ質問を繰り返す。

「え、ああ。これは……まぁ、簡単に言うなら時間停止、かな」

 つらそうなクロに代わってフェリエラが答える。

「そ、そうで、やがります。ッハァ、あたしに触れてやがるもの以外の時間を止めやがりました。あたしから……体を放すと、あんたの時間も、止まりやがるからこのまま……行きやがるですよ」

 そういうとクロはゆっくりと歩き出した。それにつられるような形でフェリエラと少女も歩き出す。

 周囲に見えるものはことごとく時間が停止していた。通路から駆け出してきた兵士が走っている格好のまま空中で静止していたかと思うと、急いでいたのか、ぶつかった兵士同士がまさに倒れこもうとする形で止まっている。

 フェリエラと少女が回りの様子に気を取られていると、不意に、腕に重さを感じた。何事かと思って視線をクロの方へと向けると、そこには今にも死にそうな様子のクロがいた。かなり限界に近いのか、いつの間にか隠していた本来の姿に戻ってしまっていて、犬の手足や、耳が露わになってしまっている。それでもクロは魔導書を落とさないように両手で挟み込んでいるが、自力で歩くだけの力すら出ないらしく、フェリエラと少女にズルズルと引きずられてしまっている。

「あ、あの、これは……」

 フェリエラが心配そうにクロの様子を見ていると、少女の方から怯えたような声がした。

 しまった、とフェリエラは思った。俺はクロの存在に慣れているが、他の人はそうではない。基本的にこの国ではブラックドッグは死を運ぶふきつな存在として扱われる。その部落ドックが自分と肩組んで歩いていて気味悪がらない人間はこの国には基本的にいない。

「あ、あ~っと……」

 どうにもバツが悪く、フェリエラはその先の言葉を続けることができない。だが、少女はすぐに顔を引き締めると言った。

「いえ、何でもありません今は急ぎましょう」

 そう言ってくろ とフェリエラを引きずるようにして歩き出した。

「あ、おい」

 フェリエラもそれに引きずられるようにしてクロを支えながら歩き出した。


 夜、その屋敷の中ではそこかしこに設置されたガス灯が淡いオレンジ色の光を放っていた。田舎では、いつもクロが魔法で灯りを灯していたが、今はそのクロが弱り切ってしまっているし、屋敷中に立派なランプがあるのだから、それを 使わない手はない。

「う~、頭が、目の奥が、ガンガンしやがるです」

 屋敷の中の意思何時では目に濡れタオル当てたクロがベッドの上に横たわっていた。その手足は相変わらず元の半分が犬のものになってしまっていて、右手は目の上に置いた濡れタオルに添えられている。

 あの後、フェリエラたちが城から脱出する際に、少女が思わぬ活躍をした。クロの時間停止魔法は5分しか持たないが、少女は来たときと同じ道をたどって外に出ようとするフェリエラを引き留め、別の道へと入って行った。すると、いくらもい行かないうちに外へと出たのだ。来る時は馬車で地下を結構な距離走ったが、少女の案内に従っていくと、すぐに地上へと出られた。

 しかも、都合のいいことに、底は城の裏側だった。調理場や洗濯場などが立ち並んでいるスペースの庭のようなところに出た。そこでは、みすぼらしい格好をした下男や下女たちが時折建物から出たり入ったりして忙しく立ち働いている様だった。

 フェリエラたちは、そこから裏門と通って城を出ると、夜になるまで街中に潜伏し、再び少女の案内に従って、闇にまぎれてこの屋敷にたどり着いた。

 屋敷自体は、レンガ造りで面積も大きく、かなり立派な物だったが、何年も使われていないのか、全体的にすすけていた。だが、中に入ってみると、中はしっかりと手入れが行き届いており、清潔そのものだった。

 そして、フェリエラたちは少女に案内されるままに屋敷の一室に通され、クロの看病を一通り終えて、今に至る。

「で、状況を説明してもらおうか?」

 フェリエラは部屋の中にあるテーブルから椅子を持ってくると、クロにも聞こえるようにベッドの脇で少女と差し向って座ると言った。聞きたいことは山ほどあった。

 なぜ、少女は城の抜け道を知っていたのか。それ以前に、なぜクロを見ても怖がらなかったのか。この屋敷は何なのか。そもそも少女は何者なのか。なんであんな風に銃を持った瞬間に凶悪になるのか。そして、あの城の地下で行われていたことは何だったのか。

「はい」

 フェリエラの問いに、覚悟を決めたかのような硬い声で少女が応じる。

「まず、わたくしの名前はクー・シーともうします。以後よろしくお願いします」

 いかにも育ちのよさそうな礼儀正しい所作で一礼するクー・シーと名乗る少女。フェリエラとクロもそれぞれ自己紹介をする。

「次に、お二人はどこからおいでになったのでしょうか?」

 説明する、と言いつつ全く関係の無さそうな質問がかえって来てしまい、クロとフェリエラは答えに窮してしまう。だが、少女から答えるように促されて訳が分からないながらも答える。

「俺もクロも、北の辺境にある村の出身だよ」

「そうですか」

 それを聞くと少女は少し思案気な顔をした後再び口を開いた。

「では、お二人の知っているこの国に関する情報は、10年前まではこの国は貧困、特に食糧不足にあえいでいましたが、現国王の就任によってそれは一気に改善。また、地方の優秀な少年少女を中央で活躍させるための制度ができた、という物でしょうか?」

「ああ」

「そーでやがります」

 あまりにも当たり前のことを言い出す少女に対して、今更何を言うのだろうと思ってしまう。クロも同様なのか、タオルをずらして、フェリエラの方を見てくる。

「そうですか」

 そこで少女は一旦言葉を止めた。そして、たっぷりと間をおいてから、重々しく切り出した。

「その制度は、実はこの国の食糧事情を解消するための棄民政策です」

「は!?」

「やがれ!?」

クー・シーの口から飛び出したあまりにも予想の範疇から飛び出した言葉に、フェリエラとクロは自らの耳を疑ってしまう。

「なに言ってんだよ? 棄民政策って、あのテストが? 俺たちが王都に来たことが!? もしかして今日見た光景に関係あるって言うのかよ!?」

 気づけば、半ばクー・シーに食ってかかるような体勢になっていた。

「ちょっと待ちやがるですよ! 現国王は田舎じゃすこぶる評判が良かったでやがりますよ? 国王のおかげで国が良くなったって。そんな人が、そんな政策しやがるわけないでやがりましょう!?」

 クロもベッドから身を乗り出すようにしてクー・シーに迫る。

「いえ。事実です」

 少女はあくまで淡々と答える。

「現国王が就任した時にはこの国の食糧問題は手のつけようがありませんでした。増え続ける人口、不足する農地。特に農地の使用効率の悪いに肉類の生産は絶望的でした。そんな時、国王は思いついたのです。将来に亘って役に立つ見込みがなく、ただ食糧を食いつぶすだけの子どもを処分し、その肉を食糧とすれば良いのではないか、と」

 クー・シーの口から飛び出したあまりにも衝撃的な言葉に、フェリエラとクロは、言葉を発することもできず、ただただ口をパクパクとさせるだけだった。

「この試みは大成功しました。肉類の食糧事情改善。それに伴う牧草地の農地への転作。これによる野菜や果樹の生産増。この国は、この事実上の棄民政策によって持ち直しました」

 少女が話し終わった後、場には重苦しい沈黙だけが残った。壁に設置されたガス灯へガスが送られる音と炎が燃え盛る音さえも聞くことができるほどの沈黙だった。

「ちょっと、待てよ! おかしいじゃねぇか。お前が言うには役に立たないやつを処分するってんだろ。だったらなんでテストでいい点とった俺たちが殺されなきゃならねぇんだよ!」

 その沈黙を破ったのはフェリエラだった。全く信じられない、いや、信じたくない話を聞かされ、今度はクー・シーの胸ぐらを掴んで完全に食ってかかってしまう。

「まだあるぞ! 国ぐるみでこんなことしてるってんなら、なんで村の大人たちは知らない風だったんだよ? 普通少しは情報が入ってくるもんだろ! あと、お前は何なんだよ! 役に立たない人間がこんなでっかい屋敷に居るっておかしいだろ! それに、お前はなんでクロを怖がらないんだよ! 何もかもどうなってるんだよ!」

 クー・シーの服を掴んだまま一気にまくし立てる。だが、怒りは収まらなかった。

「おい、クロ! お前もなんかないのかよ!」

 だが、クロは、クー・シーの話の途中から黙りこくってしまい、フェリエラが声を変えても沈黙を保ったままだった。

「順を追ってお話しましょう。全ては、今お話しした政策が関係しているのです」

 再び場を沈黙が支配しかけたとき、不意に服を掴んだままのフェリエラの手にクー・シーの手が添えられた。そこで熱が醒めたフェリエラはクー・シーから手を放すと、よろよろとクロが寝ているベッドに腰を下ろした。フカフカのベッドの感触が、今はやけに気持ち悪く感じる。クー・シーは、フェリエラがベッドに座りなおすのを確認すると、ゆっくりと話始めた。

 そうですね、事の発端はもう今から40、50年ほど前のことです。そのころ、科学技術的な面でも、魔法技術的な側面でも、医療が大きく発展した時代がありました。そのころの発見で有名なのが、お二方もご存じの通り、青かびから見つかった抗生物質です。

いえ、今はそんなことはどうでもいいですね。話を戻します。

当然、その医療革命はもてはやされました。確かに、医療の進歩は素晴らしいことなのですが、それが思わぬ副産物をもたらしました。

 それは、死産と新生児死亡率の低下です。言い方は悪いですが、この革命以前はそこそこの新生児死亡率があったために、この国の人口は一定に保たれてきました。意外な顔をされていますが、これは事実なのです。

ですが、これが急激に減ってしまいました。そこで何が起こるかといえば、当然人口の急激な増加です。そして、この国は四方を海に囲まれた島国です。農地を増やすにも、食糧を他国から輸入しようにも限界がありました。すると何が起こるか。

そうです。お二方の言うとおり、食糧難です。ですが、死亡率が下がった最初の世代が成人するくらいまではまだよかったのです。まえまで100食べていた物を90にすれば全員が90にありつける程度のものでしたから。ですが、増えた世代が低い死亡率のもとで子供を産むようになると、そうはいきませんでした。増えた人々がまた大量に子供を産む。ネズミ算です。もちろん、王政側も何もしなかったわけではありませんが、いくら一人っ子政策などをしようと無駄でした。

 人口はあっという間にふえ、飢餓はいよいよ深刻になってきました。ですが、前王はお優しい方だったようなので、棄民政策はとりませんでした。かといって、国民全員でいつまでも飢えているわけにはいかない。

 そこで現れたのが現王です。現王は、前王とは違った考え方をお持ちの方でした。

 そこで先ほどお話したような政策をとったのです。ですが、単純に『役に立たない子供』を餌にする、というだけでは政策は成り立ちません。そこで、初期には政策に反対する者を始末するための法整備を実施し、首都からは反対派を一掃しました。

 そして、いよいよ政策の実施です。まず、首都では出来の悪い、ごく潰しの子供を処分することとしました。首都以外では、ここがこの制度のよく考えられたところだと思いますが、反対派の一掃が完璧ではなかったため、クーデターを防ぎつつ中央からの支配を簡単にするために、頭の良い者や、影響力の強い豪族の子どもを殺すようにしたことです。これによって、この制度はある程度以上の効果を得ました。

 そこでクー・シーが一旦口を閉じる。フェリエラは、その話の内容のあまり、途中から吐き気と、身体が宙に浮いているような感覚を堪えるのがやっとになっていた。隣を見るとクロも蒼白な顔で上半身を起こした格好のまま、布団をギュッと握りしめて俯いている。

「一つ、教えやがれです」

 クロがうつむいたまま口を開く。その声は、何かを堪えるかのように震えていた。

「あたしたちが普段食ってやがった肉の、どこまでが人肉でやがりますか?」

 それを聞いた瞬間、鈍った頭にさらにけりを入れられた気がした。確かに、そういう政策があるということは、自分達もそれを口にしている可能性が高いわけである。フェリエラは自分の手を、何か汚らわしい者ものでも見るかのように見つめた。

「そうですね。わたくしもそこまで詳しいわけではありませんが、市場経済の中で出回っている肉の8割前後が人肉だと聞いたことがあります。ただ、やはり人肉は安物とみなされたり、忌み嫌われる傾向がありますので、魔法で保存して、地方に優先的に運ばれるそうです。従って、王都で出回っている肉は4割ほどが人肉で、あとは従来通りの獣肉、地方では猟師の方がとったもの以外は基本的に人肉だそうです」

 それを聞いて、フェリエラはもはや吐き気が抑えられなかった。立ち上がってトイレに行くことすらできず、ベッドに向かってえづいてしまう。だが、口からは何も出てこなかった。代わりに酸っぱい味が口いっぱいに広がる。それを尻目に、クー・シーが話の補足をする。

「ちなにみに、田舎の大人たちの間ではこれは周知の事実だそうです。選別が終わった後でこのことについて教えられるそうです」

 冷静に話し終えるクー・シー。クー・シーの声を最後にあたりを沈黙が支配する。クロとフェリエラの頭の中では今のクー・シーの話がグルグルと回っいて、話をする気になれない。

 しばらくして、ふとフェリエラの頭に疑問がわいた。

「なぁ、そういえば、クー・シーの正体についてまだ話してもらってなかったよな?」

 最初に聞いておいて、動揺したせいですっかり忘れていた。

「これは申し訳ありませんでした」

 クー・シーが頭を下げる。どうやら本人も忘れていたっぽい。

「そうですね、一言で言うなら、わたくしは、貴族主義が基本のこの王都で代々海軍の陸戦隊部門の師団長を務めるような家柄であるシー家の一人娘、ですかね」

「海軍? 海なのに陸でやがりますか?」

 どうやら調子を取り戻したらしいクロも話に加わる。

「ええ。そうです。この国の軍は表向き海軍と陸軍、さらに近衛軍に分かれています。ですが、陸海軍については、40年前の技術革新以来、海軍が機械、陸軍が魔法を専門とする軍。といった様相になっているのです。前王が、普段機械に囲まれている海軍なら適当だろう、と機械部門の兵器研究を海軍に任せられ、当時から魔法装備の拡充に力を入れていた陸軍に魔法部門を任せられたのが始まりのようです。以来、陸海という区別ではなく、機械と魔法という区別になりましたが、名前だけはまえのまま残っているのです。そういえば、王都周辺の飛行場はご覧になりましたよね? あそこで空を飛んでいた飛行機は海軍のものです。最近では海軍が空を飛ぶようになりました」

 さっさと軍の名前を変えればいいのに、という突っ込みがフェリエラの頭をよぎるが、今は置いておく。

「クロ様の正体を知っても驚かなかったのは、軍では魔力が人一倍強いブラックドッグは兵士として重宝され、別段珍しくないからです」

「で、その 海軍のお偉いさんの娘がなんであんなとこに居たんだよ? この立派な屋敷だってお前のうちのものなんだろ? それなのになんで?」

「はい。確かに、この家はわたくし達一族のものです。ですが……」

「王都で反乱を起こして取り潰しになりやがった」

 クロがクー・シーの言葉を捉えて続ける。

「……はい、そうです」

 クー・シーは少し意外な顔をした後でうなずいた。

「王都でシーって言う苗字。海軍。薄幸の一人娘。これだけ情報がそろえば嫌でも思い出しやがりますよ。丁度あたしがブラックドッグになったころ、クーデターを企てた不届きな一族が居たってニュースになってやがりましたからね」

「クロさまの方はご存じだったようですね。そうです。わたくしの父と母は現体制に、カニバリズムに否を唱えて革命を起こそうとしました。当時それなりの数の人々が両親の許に集いましたが、結果は失敗。両親はすぐに処刑され、当時11歳になるかならないかだったわたくしは食糧になることが決定し、食べごろになるまで小間使いとして貴族の家を転々としていました」

「銃器の扱いに精通してやがったのもそこが原因でやがりますね? だいたい、一般的にはまだまだ現役の部類に入りやがるリボルビングライフルを旧型呼ばわりしやがって、おかしいと思いやがったです」

「はい。その通りです。あ、性格が変わってしまうのはお恥ずかしながら生来のものです」

 性格が変わる、とはたぶん銃を持った時の言葉使いの変化のことだろう。どうやら自覚はあったらしい。それならそれでもうちょっとどうにかすればいいのに。

「それで、皆さまはこれからどうするおつもりですか?」

 クー・シーが話を先に進める。

「どうって?」

 しかし、フェリエラはいまいち言わんとしていることが理解できずにくびを かしげてしまう。だが、その隣ではクロが神妙な顔をしている。

「わたくし達は今、この国の存在そのものを脅かす存在になっているのです。仮に海を渡ってた他国でこのことを公言すれば、この国は人権保護のから当然に他国から革命軍が派遣されるでしょう。また、国内でひそかに同士を募れば、それなり以上の規模の革命組織を作ることも可能でしょう。ですが、それを国が放っておくと思いますか? そうです。わたくし達は今や一級のお尋ね者です」

 そういうことか。確かに、国外にはそんなに力が強くないとは言え、国際組織もある。国内は、といえば、当然すべての国民が今の制度に賛成しているわけではないだろう。当然不満を持っている人もいるはずだ。そこに、俺らのリアルな証言が加われば、一大テロ組織の出来上がりだ。

「そうは言いやがりますが、国外逃亡は船を使いやがりますし、税関もありやがります。国内で活動しやがるってのも、シー家の反乱の時は、2万人規模の人たちが奮起しやがったのに、あっさり鎮圧されやがったって聞きます。正直、どっちも遠慮しやがりたいですね」

 クロが相変わらず眉間に皺を刻んだ神妙な顔で言う。

「はい。ですから、皆さんにこうやって意見をうかがっているのです」

 クー・シーの言葉を最後に、もう何度目かしれない沈黙が中りを支配する。クロもクー・シーも黙り込んでしまう。

 だが、フェリエラは、二人がある一つの単純な解を見落としている気がしてならなかった。

「あのさ、そんな事考えずに、王様ぶっ殺したらどうだ?」

「は?」

「はい?」

 フェリエラの言葉に、クロとクー・シーがそろって頓狂ば声を出す。

「いや、だから、王様殺せば革命は成功で、逃げ回らなくてもいいんじゃないかってこと」

「無茶言いやがるんじゃねぇですよ! 王様殺したところでそう簡単にどうにかなるもんじゃねぇでやがりますよ。第一、宮城に警備がどんだけ厳しいと思ってやがるんですか? 仮にも一国の主でやがりますよ!?」

 クロが激しく反駁する。だが、以外にもクー・シーは、フェリエラに賛同的だった。

「いえ。意外とどうにかなるかもしれませんよ?」

「だろ?」

 賛成を得られてフェリエラのテンションが若干上がる。

「クー・シーまで何言ってやがるんですか!」

 クロは当然猛反対する。だが、クー・シーは、冷静に状況を分析していく。

「いえ、クーデターの究極目的は、結局のところ現在の権力者からそれを奪うこと。平和的なものにしろ、武力的なものにしろ、そこは変わりません。そして、この国にはもちろん現体制に無くなられては困る人もいますが、それ以上に無くなることを望んでいる人がいる。王を殺した後に、立ち回れば、何とかなるのではないでしょうか。よしんばうまくいかなかったとしても、対外的に告発文を前もって送っておけば、他国からの援助が機体できます。あとは、宮城の警備さえどうにか出きれば……それに、現状ではほかに良い考えが思い浮かびません」

 そこまで聞いて、クロはしばらく熟考していたかと思うと、

「分かったでやがります。多数決には従いやがります」

 と、未だに眉間に皺を刻んだままそういった。




閑話 食事の章


「うっはぁ―――――――――――。これなんでやがりますか?」

 巨大な食堂の巨大なテーブルに並んで座ったクロとフェリエラ。目の前には田舎では一度も見たことのないような高級料理が並んでいる。しかも、二人の心情に配慮してか、ほとんどが魚介類を中心としたものだ。エビといえば川で取れるザリガニが当たり前の二人の前にロブスターが並んでいるのだ。クロはすっかり興奮して隣のフェリエラをガクガクゆすっている。

 クロからの同意を得られた後、クーから食事にしようといわれた。昼間のごたごたですっかり疲れ切っていた二人は二つ返事でうなずいた。ちなみに、クー・シーからの要望で彼女のことは今後クーと呼ぶことになった。

 で、そのクーはといえば、今まさに厨房から戻ってきたところだ。驚くことにここに並んでいる料理はすべてクーが作り上げたものだ。

「ク――――――――――!すごいでやがりますよ! こんなおいしそうなもの初めて見やがりましたよ!」

 すっかり興奮してしまったクロが、今度はクーに抱き着きに行く。

「いえ。シー家の娘たるものこのくらいのことができなくてどうします」

 一方のクーはというと、クールぶってかっこつけていた。

「セバスチャーン」

 クロはクロで、調子に乗って変な呼び方でクーのこと読んでるし。

「本当は、遥か東の島国の心が詰まった『ドンブリ』という料理を用意したかったのですが、あいにく米が手に入りませんでした」

 そういって、クーが自分の席に着く。なんだろう、今のクーはタキシードを着せたらシルバーのナイフとかフォークでマフィアをボコボコにできそうな気がする。

 もちろん食事は絶品だった。




閑話 入浴の章


「うわ! すごいなこれは!」

 食事を終えたあと、交代で風呂に入ることになった。くじ引きの結果、フェリエラが一番最初に入ることになった。

 で、服を脱いで浴室に足を踏み入れてびっくり。金ぴかだった。全部が。いや、脱衣所に踏み込んだ瞬間から、完全にお金持ち臭がしてたんだけど、これには驚いた。湯船、床、天井、壁すべてが金だ。しかも、叩いた音の感じからして金箔じゃなくて、タイルそのものが金だったり、湯船そのものが金だったりするようだ。思わず、どっかの世界で元は鉄道の歌なのに金ぴかの湯船の宣伝に使われてる歌が口をついて出てきそうになる。というか、実際に出ているのかもしれないが、今はそれどころではない。

 眩しすぎる。洗面器は銀だし、水道の蛇口とかシャワーヘッドなんかはプラチナだ。風呂に変態が入ってきてもシャワーヘッドで撲殺できそうな重厚感がある。

 取りあえず、傷つけないように気を付けないと。




閑話 就寝? の章


 深夜、フェリエラとクロ、クーの寝ているベッドルームでうごめく影が一つあった。

三人は、順番に入浴を済ませた後、同じベッドルームで寝ることにした。もし、誰かに襲われた時に対処しやすいように、ということだ。一応お尋ね者なわけでもあるので。

そして、今三人は馬鹿でかいベッドの上に川の字になって寝ている。右からクロ、フェリエラ、クーの順番だ。

そんな状況の中、今まさに、右端のクロが身を起こそうとしていた。

さぁ、深夜の百合ん百合んタイムでやがりますよ。ここからしばらくは、不肖このあたし、クロがお伝えしやがるですよ。

うっはぁーー二人ともよく寝てやがりますねぇ。しかも、時々寝息の合間に「んっ」とか小さく言っちゃったりなんかしやがりまして! 

これはもう、僕の中の雌ライオンが「がおぉぉぉ」ってなっちゃうよ!

まぁ、この前やったゲーム(R=18)の主人公(♀)の物まねはさておき。

本当にたまらないでやがりますね! 普段はフェリエラが寝静まった後におっぱいモミモミする程度で我慢してやがりましたが、いかんせんボリュームが足りないでやがりますからね。でも今日は……ウィナー、クー・シー! 

寝ているクーの上半身を起こして右手を持ち上げる。ついでにビッグウィナークロ! とか小声で言いながら自分の右手を天高く突き上げる。

おっと、疲れと深夜のせいでおかしくなってやがるテンションに身を任せてる場合じゃないでやがりますね!

しかし、生地の薄いパジャマ越しに見て確信しやがりましたが、

クーの胸はDカップ! 

間違いないでやがります! 昼間はこれで抱きつかれやがったせいで、つい変な声あげやがってしまいましたし。

でも残念。同じDでもあたしには一歩及ばず。

まぁ、Aでペッタンのフェリエラよりはずっとましでやがりますが。

普段はフェリエラの胸や股間をprprとか、あたしと二人で貝合わせとかしかできないでやがりますが、良いでやがりますね、3人! 一気に幅が広がりやがります!

っと、興奮してる場合じゃねぇでやがりますよ。まずは、

「風よ。安らかなる眠りを彼らにもたらし給え。シルフィード」

二人の寝顔がより幸せそうなものへと変化する。

これで良し。強力な睡眠魔法でやがりますからね。処女膜でもぶち破らない限り置きやがりませんよ。ついでにあたしの手足を人型にしやがりましてっと。これでいいでやがります。

さて、先ずは脱いでもらいやがりましょうかねぇ!

一人で脱がすのは大変でやがりますからここはひとまず、風の力でも借りやがりましょうかね。本当は自分で脱がせる方がワクワクしやがりますが、結構重労働でやがりますし。

「風よ……」

 呪文を唱えて二人に集中する。そして、あたかもピアノを弾くかのような繊細な手つきで操り人形でも動かすように空中で手を動かす。

 先ずは、二人のブラジャーを御開帳でやがりますよ。

 ……ふん。フェリエラは相変わらずシンプルな奴つけてやがりますね。まぁ、これはこれでいいでやがりますけど。

 ……ふぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉ! これは、クーのは! 没落したとはいえさすがお嬢様! フリフリの可愛いのつけてやがりますよ!

 これは、ぜひ一度モミモミしておかねば!

 いざ、参らん!

 仰向けに寝ているにも関わらず、しっかりと自己主張しているクーの胸に、おっぱいに手を近づけていく。そして、揉む! あぁ、柔らかい! 何がってそりゃぁ、クーのおっぱいでやがりますよ! 何これ! 布が上質なせいで感触を全く阻害しないでやがります!これは、素晴らしい!

 さて、ゆっくり楽しみたいところでやがりますが、本番はここからでやがりますよ!

 次は、みなさんお待ちかね、下、行くでやがります!

 慎重に、ゆっくりと、ズボンを下ろして下着姿にしやがるですよ。

 と思いきやここでまさかの手が滑ったぁー。ズボンどころかパンツまで一気に下ろしてしまいやがりました!

 うん、誰が聞いていやがるわけでもないのに言い訳してもしょうがないでやがりますね。まぁ、狙い通りでやがりますね。

 先ずは、裸の二人も良いでやがりますが、脱ぎたてパンツ行くでやがります! 二人のパンツをズボンから外して、っと。

 いざ、参らん!

 先にフェリエラから行くでやがりますよ! 今日は変えの服一式昼のごたごたで無くしやがりましたからね。きっと濃厚な香りがしやがるはずですよ。

 す~は~。す~は~。

 ヤバいでやがります。鼻血出そうでやがります! 取りあえず感想を深くは言いやがりませんが。

 次、クーのでやがります。さぁて、お嬢様のパンツの匂いはどんな感じでやがりますかねぇ!

 す~は~。す~は~。

 はぁ。とってもいい感じの女の子の匂いがするでやがります。これは、被るしかないでやがりますね!

 こう、両手で広げてっと……あぁ今まさに、クーのお股があたしの顔に当たってやがるです! あーもう、服邪魔! 自分の服も脱ぐでやがります! なんか、パンツかぶって服脱いでると、変態になった気分でやがりますね。これだけで昇天できそうでやがりますが、先に進むでやがります!

 再び指を空中で動かす。すると、今度はクーの身体が浮き上がって、ついでにフェリエラとクーのブラを半脱ぎにして苺を露出させて、そのままフェリエラの上に覆いかぶさるようにして着地する。

 貝合わせキタ――――――――――――!!

 思わず合掌して拝んでしまいやがりました。人って言うのは、神々しいものにはついつい手を合わせてしまいやがるものなのでやがりますね!

 全く、女の子同士の方がこんなに素敵なのに、フェリエラはどうして男なんて言うきったねぇ肉バイブのことなんか話題に出しやがるんですかねぇ。しかもあたしが考え事してたり、落ち込んでたりしてる時に追い打ちのように。これは、普段の態度に対するお仕置きが必要でやがりますねぇ!

これはもう、濃厚に絡んでもらうしかないでやがりますね! そうと決まれば!

三度フェリエラとクーの身体を操る。そして、二人のくちびるを重ね合わせて、ついでに舌を突っ込んで、クチュクチュさせる。

これは、ヤバいでやがります! 本格的に興奮してきやがりました! ということで。

いざ、参らん!

フェリエラとクーのところにクロが飛び込もうとしたとき、

「ん…………んん?」

「う……ん……ん?」

 フェリエラとクーが次々に目を醒まし始めた。どうやら、はしゃぎすぎたらしい。

「ちょっ! マズいでやがります! 早く睡眠魔法を……」

 慌てて服と一緒にベッドの下に投げ捨ててしまった魔導書を探す。だが、手遅れの様だった。

「ん?……んん!?」

「ん?……なんれすの!?」

 二人が完全に覚醒した。くちびるを離す二人。あ、唾液の橋ができてとってもエロいでやがりますよ。

「は? なんでオレ裸なんだよ!?」

「あら、わたくし、もどうして裸でフェリエラ様の上に……」

 二人そろって状況を確認する。そして、これまた同時にクーのパンツをかぶって魔導書を持った全裸のクロに視線を向ける。笑顔が、怖いでやがります。こっち来んなでやがります。二人で一人に向かって拳を向けるのは良くないでやがりますよ。ちょ、ちょ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

 そこから先の記憶はないでやがります。




閑話休題 朝食の章


「街に出るんでやがりますか?」

 顔をあざだらけにしたクロがクーとフェリエラよりも遅れて朝食の席に着いたところで、クーが唐突に切り出した。

 昨夜の出来事が出来事なだけに今それを見てもざまぁみろとしか思わない。

「でも、唐突にどうしたんだよ? お尋ね者の俺らがそと なんか出たら危ないだろ?」

 そんなことよりも、自分で作ったスープとパンをむしゃむしゃやってるクーに意識を戻す。

「いえ、皆さまも一度この王都がどのようなところか知っておいて頂いた方が良いかと主まして。今後、昨日の方針で活動するにも、別の行動をとるにしても」

 パンを上品に千切って食べていた手を休めてクーが返事をする。確かにそうかもしれないが、だからと言ってお尋ね者がおいそれと外おw歩いても大丈夫なのだろうか?

「その点ですが、エロ様の魔法でどうにかならないでしょうか?」

 さらっとクロのことエロとか言った。どうやらクーも昨日のことをまだ根に持っているらしい。

「そうでやがりますねぇ……何とかならないことも……無いでやがりますよ」

 とうのクロはクーから冷たい目で見られて若干興奮している。今後しばらくはこいつに近づかない方が良いかもしれない。ついでに、今までのこいつに対する評価も改めよう。

 ともあれ、方向性は決まった。




四章 王都


 クーのうちのから出て、広大な庭の出口についていたこれまた巨大な門扉をくぐるtお、底は閑静な住宅街だった。

 狭くもなく、かといって広くもない道の両側には宅地がきちんと整備され、整然と家が並んでいる。とは言っても、その家一つ一つが結構な大きさを誇っているが。それらの家の庭に生えている木が晴れ渡った秋の午前中の日差しを受けていい感じの陰を通りに落とし込んでいる。

 その中を三人並んで歩いてゆく。三人とも普通の格好でさ、さらに武器を携帯しているが、外出する前にクロの魔法を使ったから、三人は他の人からは全くの別人に見えていて、武器も見えていないはずだ。

 ここまで気持ちいい陽気だと、このまま普通に近所をブラブラ散歩したい気分になってくる。

「あの、お二人とも、人通りの多いところの出る前に王都について少しお話ししておきたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」

 一緒に歩いていたクーが話しかけてくる。もちろん、大切なことなので是非もない。

「では、この王都の大まかな地理についてお話させていただきます。王都は宮城を中心と下歳です。宮城から伸びる8本の道が目抜き通りとなっていて、王都の端まで続いています。通りの名前はそれぞれ宮城から見た方角に対応しています。例えば、南なら南大通り、南東なら南東大通り、という感じです。

さらに、宮城を中心として、同心円状に、宮城の近くから王族や高位の貴族、宮城から離れたところに庶民街や、所得の低い方々の住む場所があります」

意外と単純な構造で驚いた。つまり、目抜き通りの名前と、周りの雰囲気で自分の居る場所と、目的地の方向が分かるようになっているのだ。というか、目抜き通りが宮城まで続いてるんなら、そこをさかのぼってけばあっさり宮城にたどり着けるんじゃないの。

「で、なんで今そんな話しやがったんですか? まさか、通りをさかのぼって宮城に背も混む算段を付けるため、とかじゃねぇでやがりますよね?」

「はい、もちろんです。それができれば、とっくに革命は成功しているはずです。それを させないために、お話したんです」

 口に出さなくてよかったと思う。

「いいですか、全ての大通りには、宮城の前に大規模な関所が設けられています。そこを 突破することはまず不可能です。それに、王都周辺部の人の出入りが激しいところと違って、王都周辺の貴族街は、普段あまり人の出入りが。ありません。そこをキョロキョロしながらうろついていれば、当然近衛兵か警察を呼ばれます。ですから、一応貴族街であるこの周辺でも振る舞いには注意してください。それから、あまりバカな考えは起こさないでください。昨日の無茶っぷりから考えると、これだけは言っておきたかったんです」

 若干端かしい思いをしつつも、返事をする。まぁ、これは偵察みたいなものなんだし、気を抜いて王都を観光する気分でいればそんなに問題ないのかもしれない。

 などと考えているうちに、いつの間にか目抜き通りまで来ていた。さっきの住宅街は、にぎやかなところから少し離れたところにあったようだ。

 そこは、今まで歩いていた住宅街とは打って変わった活気に満ちていた。宝飾店や飲食店、大型の食料品店、市場のような小さい店が集合しているところ、玩具や釣り具といった各種趣味のための店、種々多様な店が軒を連ねていて、道行く人々も連れと楽しそうに何事か話しながら歩いてゆく。

 昨日も見た、華やかな王都の姿があった。まるで、昨日の出来事など夢だったといわんばかりの姿だった。

「うっはぁーー!やっぱりすごいでやがりますね!」

 それを見たクロが、注意された直後であるにも関わらず歓声をあげる。だが、フェリエラもそれを注意するどころではなかった。田舎とは全く違う街の様子に目を奪われ、やはり歓声をあげてしまっていた。

「おお二人とも。落ち着いて下さい。故郷とは違うとはいえ、あまりはしゃがれると迷惑になってしまいますよ?」

 クーが笑顔でかつ上品に注意する。いかにも貴族といった感じの優雅な所作だった。しかも、周りの目を気にして、田舎から遊びに来た地方貴族の親戚、といった感じで注意してくRあたり、クーの有能さを感じる。

「でも、やっぱりこれ見たらやっぱり、こうテンションが上がるって言うか」

 だが、そんな事よりも、目の前で輝いている王都の街並みを見てみたいという気持ちの方が今は強かった。クーの注意などほぼ頭の中を素通りだ。

「そう慌てないでください。そのために来たのですから。ふふ。そうですね、先ずはお二人の好きなところから見て回りましょうか」

 相変わらず余裕の笑みでフォローを入れるクー。本来なら抑えるべきなのだろうが、ここはクーに甘えさせてもらう。ということで遠慮なく希望を口に出す。

『くぁwせdrftgyふじこlp;@:』

 クロと被った。どうやら同じことを考えていたらしい。

「あらあら、お二人とも。そんなにあわてなくても時間はたっぷりありますよ?」

 相変わらずの調子でクーがフォローする。あんまり迷惑をかけてもいけないから、ここは順番に希望を言ってみる。

「魔法道具屋」

「レストラン」

 最初のはクロだ。案だけ騒いでいて、結局マニアックなところに落ち着いたみたいだ。俺のは、まぁ、あれだ。王都に入った時に見かけてどんなもんか気になってたんだ。

「そうですか。では、クロ様の方を先にいたしましょう。まだ昼食の時間には早いですから。クロ様の方が満足されましたら、わたくしの案内で王都を見学したのち、レストランで昼食ということでどうでしょうか?」

「いいぜ」

「いいでやがりますよ」

 特に反対する理由もないので賛成する。だが、クロの後に観光おw挟んだのはどういうことだろうか。クーなりの意図がありそうだから、今は特に突っ込まないでおくが。


 クーの案内で10分ほど歩くと、そこにはいかにもな店があった。外観はそこまでおかしなことはなかったが、入ってみると、とにかくすさまじかった。クロと一緒に田舎のこの手の店には行ったことがあった。そこですら胡散臭く思ったが、ここはそれ以上だ。

 魔導書とか、儀式用の短剣やら水晶やらはまだよかったが、その他がとにかくすごい。

 先ず店主、分厚いローブを着こんでおまけにフードを深く被って顔を完全に隠している。夜に出会って、黒魔術師だ、とか言われたらあっさり信じそうな感じだ。

 そして商品。用途のわかるものも半分くらいあったが、それ以上に訳の分からない物が満載だった。用途が分からないどころか、東方式龍の髭とか、そもそも本物かも怪しい。ドワーフの鉱山直送鉄鉱石とかは、なんで置いてあるのか理解できない。

 どうやらそれはクーも同じで、店の怪しい物コーナーでただただフェリエと一緒のめうぃ丸くするばかりだ。しかし、そんな中をクロだけが元気いっぱい動き回っている。しかも時々、

「お兄さん、この東方式竜の髭まけてくれない?」

 なんていう声が聞こえてくる。というか、そんなものん買うな。


「いやーいい仕事してますねぇ」

 しばらく後、クーとフェリエラは、大量のアイテムを買い込んでホクホク顔のクロを連れて王都の通りを歩いていた。どうやらかなり良い物が変えたらしい。

「ふふ。いいものがそろいました?」

「おう、でやがあります」

 クーがクロに話しかけると満面の笑みで返事をする。

「そうですか。では、今度はわたくしの番ですね」

 そういうと、今度はクーがクロとフェリエラを引っ張るようにして歩き出す。

「それはいいんだけどさ、一体どこ行く気なんだ?」

 わざわざ偵察(?)の時間を使ってまでクーが見せたいというからには、なにか意味があるのだろうが、いまいち分からない。まさか、この下水道、宮城まで続いているんです、とか言うつもりじゃないだろうな。

「ついて来ていただければわかりますよ?」

 だが、などと相変わらずの笑顔で言うばかりで、皆目見当がつかない。


 分からないままクーの案内に従っていくと、そこは所謂スーパーマーケットというやつだ。田舎にはなかったから知らないが、生活必需品を幅広く扱う店、らしい。

 いよいよこんなところに連れてこられた理由が分からない。

「おい、なんでこんなところに連れてきたんだよ?」

「そうでやがりますよ」

 どうやらそれはクロも同じらしい。

「ついて来ていただければわかります。それから、くれぐれも騒がないようにお願いいたしますね?」

 そう言って二人に念押しするクー。心なしか、ここに来てから顔が若干引き締まったように見える。

 店の入り口から迷うこと無く、歩いていくクーについていく。どうやら、見せたいもの、とはこの中の一コーナーらしい。

 そして、クーの足が止まったのは、肉のコーナーだった。それを確認した時、フェリエラの眉間には深い皺が刻まれていた。昨日の不快感が思い出される。

 クーは、二人がついて来ているのを確認すると、ゆっくりと、氷が敷き詰められ、さらに魔法によって冷たく保たれてい居る商品ケースに近づいて行く。フェリエ達も、恐る恐るそれに続く。

「こちらを、ご覧ください」

 そう言ってクーが指さしたのは、その中でもある種類の肉が並ぶ一角だった。クーの指の先には、人肉が並んでいた。綺麗に梱包され、ラベルが付けられている。そのラベルには『雌人胸肉 100g 198リル』『雄ドワーフ もも肉 100g 58リル』などと書かれている。

 それを見た瞬間、吐きそうになった。今までこんなものは見たことなかった。今まで肉といえば、牛や鳥しか売っているのは見たことがなかったが、これは……それに、昨日の阿鼻叫喚の地下工場が思い出される。半死半生のまま加工されてゆく人々。それが今、こうやって堂々と並んでいるのだ。新鮮なピンクとも赤ともつかない色も、ただただ吐き気を誘うだけだ。

 これは、一体なんだ? これが人? まさか。こんな小分けにされて、梱包された姿が人? こんなの、もはや人でも死体ですらない。これは、もはや肉塊だ。こんなもの、死とすら呼べない。人間の死は、もっと、尊厳のあるもののはずだ。

「クー! これはなんでやが、ふがぁ……」

 どうやら、クロも同じことを考えたらしく、クーに声を荒げてクーに食って掛かろうとする。だが、慌てたクーに口を押えられる。

「クロ様、騒がないようにと言ったではありませんか」

 そして、周りをうかがうクー。どうやら、ここではこうやっていちいち騒ぎ立てる方がおかしいらしい。

 そんなことをしていると、女性客が一人、こちらにやってきた。こちらを少し気にしながらも、人肉が並ぶケースの中を物色し始めた。しかも、ドワーフはやすけど肉が硬いし……雌人の肉は美味しいけど値段が……などとブツブツ言い始めた。あまつさえ、それらを実際に手に持って品定めし始めたのだ。ここでは、これが普通の光景なのだろう。その様子は、普段フェリエラが買い物をする様と全く変わらなかった。

 だが、フェリエラは、我が目を疑った。傍から見れば、その様子は普通の買い物だ。だが、その人が勝っているのは、人なのだ。それも、食べる為に買っている。

 今すぐに、暴れ出したい気分になった。だが、ここで感情のままに行動すれば、今度は自分が切り分けられてあの棚に並ぶ番だ。ここは、押さえなければならない。必死に感情を押さえようとするが、自然と手を自分の爪の跡が掌に残るほど強く握りしめ、歯を割れるほど強くかみしめていた。

 その隣では、クロが今にも噛みきそうな顔をしている。一人冷静なままのクーが、その場を収めるために、言った。

「皆さま、そろそろ昼食の時間です。おいしそうな肉を眺めていたら、お腹がすいてしました。そろそろ行きませんか?」

 怪しまれないために言ったのは分かっている。だが、フェリエラはクーの言葉にすら納得いかない気持ちを覚えてしまう。


 店を出て、レストランに向かう。少し前までは楽しみだったが、今は全く違う感情しか湧いてこない。店の前に並んだ、蝋で作った料理のイミテーションを見ても、もはや気持ち悪いという感情しか湧いてこない。今まで普通にこなしていた 行為が急に、忌避すべき存在のように感じられるようになってしまった。

 さらに、この店はイミテーションの横に、『当店で使用している肉はすべて獣肉です』という注意書きまでご丁寧に添えられている。なぜだか、それを見ただけでも、無性に嫌な気分になった。だが、それ以上に、あんなものを見た後でもちゃっかり腹を空かせている自分が一番嫌だった。

 そんなフェリエラの気持ちなどわれ関せずと言った感じで、クーはさっさと店内に入ってしまう。いつまでも入口に居ても仕方がないので、フェリエラも後に続く。

 店内は、フェリエラの知るものとは全くの別物だった。床は良く磨かれたチーク材で、その上に清潔なテーブルクロスを敷いた机がならんでいる。給仕の案内に従って席に着く。

 そして、メニューを眺める。しかし、空腹なはずなのに、全く注文する気になれない。

「お二人とも、何になさいますか?」

 また気を利かせてくれたのか、クーが問いかけてくる。だが、今の気分では、肉や魚なんで、とても口にする気になれない。

「サラダ。それに野菜スープにパン」

 だが、何も食べない訳にもいかない。

「あたしもそれにしやがります」

 クロも、うんざりしたような顔でフェリエラに同調する。

「分かりました」

 クーは、あくまで笑顔で、同じものを三人分注文した。


「クー、ちょっとイイでやがりますか?」

 食後、少しは落ち着きを取り戻したところで、クロが改めてクーに話しかける。

「はい? なんでしょう?」

 クーは、それを多少は予期していたのか、食後のコーヒーを飲むながら応じる。

「クーは王都よりも田舎の方が人肉の流通量が多いって言ってやがりましたが、あたしは今まで田舎であんな風に堂々とあれが売られてやがるのなんて、見たことねぇでやがります。これはどういうことでやがりますか? それに、クーは残った人には選別が終わった後で事実が伝えられるっていってやがりましたけど、あれじゃあ子供にも筒抜けでやがりますよ?」

 頭が混乱していて気付かなかったが確かに、クロの言うとおりだ。田舎で人肉が売られているのなんか、生まれてから一度も見たことが無い。それなのに、出回ってる量はいなか の方が多いという。それに、クーが言うには、選別が終わってからこのことについて知らされるそうだが、これじゃ筒抜けもいいところだ。

「順番に、お話します」

 相変わらずの優雅さで答える。

「まず、選別が祝った後に事実が知らされると言いましたが、それは田舎だけのことです。王都や、一部の大都市では、このことは、幼子ですら知っています。そうやって事実を知らせることで、より優秀な人材を育てようということです。優秀なものには約束された将来を、出来の悪いものには死を。これ程効果的な教育もないでしょう?」

「ちょっと待てよ。優秀な人間育てるためなら、別に地方でだった同じようにやっても良いんじゃないのか?」

 クーの説明を聞く限り、これでは地方と田舎を分ける理由がない。

「ですから、昨日もお話した通り、いくら優秀な現王といえど、その支配力は国中余すところなく行き届いている訳ではありません。特に田舎では、現王に反感をもつ者も多いです。そんな中で、優秀な人材だけを残すシステムを田舎になで適用すればどうなるかは、火を見るよりも明らかです。かといって、地方にも同じことをして、反乱を押さえるために優秀を王都に集めれば、今度は王都に住む貴族からの反感を買ってしまいます。ではどうするか。簡単です。田舎では優秀な人を殺せばいい。ここまでは昨日お話した内容ですが、田舎で優秀な人を殺すにしても、それを見つけ出すのは容易ではありません。そこで、この制度を利用するのです。なにも知らない子供に試験を受けさせ、潜在的に高い能力を秘めている子供を見つける。そして、残った子供への見せしめとして、見つけた子供は肉にする。もちろん、大人にはこれに協力するような義務が課せられています。違反すれば、今度は自分たちが肉にされてしまいます」

 そこでクーは、喉を潤すためにコーヒーをすする。フェリエラは再び腹の底から嫌なものが込み上げてくるのを自覚した。聞けば聞くほど良くできた制度で、虫唾が走る。王都には現王に協力的な者だけがいる。支配の行き届かない田舎では、抵抗したくてもできないようにする。革命に必要なのは、実行部隊以上に、優秀な頭脳だ。

「田舎で肉が売られているのを見たことが無い、というのも当然です。そもそもが間違っているのです。人肉が売られているのを見たことが無いのではなく、人肉しか売られているのしか見たことが無いのです。人間なんて単純なものです。幼いころからそれが牛肉だと言い聞かされれば、それは間違いなく牛肉になる。言ったではないですか、田舎で売られている肉はすべて人肉だと」

 そこでクーは言葉を切った。その、にわかには信じられない内容の話に、いや、信じたくない内容の話に対して、反感と怒り、気持ちの悪さが湧いてくる。この内容を認めてしまうなら、自分の身体は、そのほとんどが、他人でできていることになる。

「は? そんなのおかしいだろ。だいたい、梱包にはしっかり牛とか鳥とか書いてあったんだ。それがどうしてそうなるんだよ」

 本当はある程度察しはついている。だが、これだけは絶対に認めたくなかった。自分達だけは大丈夫だという希望に、すがりたかった。

「偽装、でやがりますね」

 だが、いろいろな者を必死にこらえたような顔で言うクロ。そんなことは分かっているが、答えは聞きたくなかった。

「はい。そうです」

 相変わらずの、ここまで来ると感情が欠如しているのではないかとさえ思わせるような優雅な口調で、クーが答える。

「プラシーボ効果にファントムペイン。人間なんて、思い込みで病気が治りやがったり無いはずのものが傷みやがったりする生き物でやがります。そこに、生まれたときからそう刷り込まれれば、勘違いするな、という方が無理でやがります」

 クロの冷静な分析。もはや感情が抑えられなかった。どうしようもない、怒りとも嫌悪ともつかない感情。それが、はけ口を求めて、暴れ回っている。

「は! こんなこと、あってたまるか! だいたい、さっきから淡々としゃべりやがって! どうせあれだろ、こういって俺たちを怖がらせようとかって言うつもりなんだろ」

 ダメだと分かっていても、単なる八つ当たりだと分かっていても、もう止まらなかった。こうして何か叫ばずにはいられなかった。

「そうですか。淡々としていますか。では聞きますが、幼いころから落ちこぼれ即ち死という恐怖に震え、処刑の日取りが決まっている11歳そこそこの娘が怯えと貴族社会特有の虐待に耐えながら、それでも表面上はニコニコとしながら働くことがどのようなことか、フェリエラ様は想像ができますか?」

 クーにまたもや淡々と言い返される。その、妙に迫力にある言葉に、黙り込んでしまう。クーは、きっと今自分が味わっている以上のつらい思いがあったのだろう。それこそ、この程度のことは普通に語れるようになるほどの。そう思うと、スーッと怒りが引いていき、冷静さが戻ってきた。

「それから、フェリエラ様、あまり目立つ行動はなさらないようにお願いいたします」

 クーに蒼言われて回りを見ると、すっかり注目を集めていた。気づけば、自分はいつの間にか椅子から立ち上がっていた。


 その後、食事を済ませた三人は、今度は目抜き通りを下町から宮城まで歩いてみることにした。とは言っても、今居る所よりもさらに宮城に近い上級貴族が住む地区には立ち入れないので、そこは外から眺めるだけになるが。

「すごいな、これは」

 実際にそれを眺めて、フェリエラの口をついて出た感想はそれだった。王都は宮城を頂きとする丘のような構造に、つまりは宮城から下町に向かって緩やかな下り坂のような構造になっている。しかし、上級の貴族街は、さらに一段高くなっているのだ。

 下町と下級の貴族街との間には、目抜き通りに関所のようなものがあるだけで、比較的自由なのに対して、そこは地面自体が今いるところよりも数メートル高くなっているのだ。しかも、その淵に街自体を囲むようにして高い壁が設置されていて、そのところどころに、矢倉のような見張り所が設置されている。恐らく、王都に来た時に見えた尖塔はこれだろう。

「よくこんなところから脱出できやがりましたね」

 これはきっと昨日宮城から逃げて来た時のことを言っているのだろう。ここまで厳重な警備だと、昨日のことが不思議でしょうがない。

「いえ、クロ様は気絶していらっしゃいましたから覚えていらっしゃらないでしょうけど、昨日は普通に門から出てまいりました」

 そう、なんと昨日は宮城を抜けた後、堂々と門を通って出てきたのだ。いくら人通りに少ない夜とはいえ、クーのこの行動には度胆を抜かれた。

「は? なんでそんなことしやがったんですかっていうか出来やがったんですか?」

 フェリエラの気持ちをクロが代弁する。

「実のところ、この上の地区へ入ることはかなり難しいですが、出るのは簡単なのです。基本的にあの中には上級貴族とその関係者しかいません。ですので、出ていく人は基本的にそう言った人とみなされ、よほど変でない限りは出ていく人を止めることはありません」

 なるほど。だから通れたのか。だが、あれは結構危ない行為だったのだろう。昨日は、クーも緊張しているように見えた。

「ですので、ここから宮城に行くのは不可能です」

 クーの言葉に、クロがうなずく。フェリエラとしては、この切れ味抜群の刀を武器にここから攻め込んでも良いような気がしたが、それを言った瞬間に他の二人に止められた。

 次は下町に向かってみる。これ以上貴族街に居たところで、どうしようもなさそうなので、特にあてはないが、王都を歩き回ってみることにした。

「そういえばフェリエラ様、その東国の刀、かなりの業物のようですが一体どこで手に入れられたのでしょうか?」

 街を歩いていると、クーが何とはなしに話しかけてきた。

「昨日も兵士を鎧ごと切り裂くという荒業をやってのけていらっしゃいました。そのような業物は王都でもほとんど出回らないほどの希少品のように思われますが?」

 クーとしては、少し気になった程度のことだったのだろう。だが、改めて言われると、こいつを渡した時のカールの意図が、また違った意味をとってくるようにフェリエラには感じられた。

「ああ。これはジジイにもらったんだよ。王都に行く祝いだって。その時は素直にそのままの意味で受け取ったけど、今となればあの時のジジイの言葉がまた違った意味に聞こえてくるな」

「と、いいますと?」

「決まってんだろ? そんなもん。気休めだよ、気休め。孫娘を食肉として送り出すことの罪悪感を薄める為さ。あんなに良い物渡したんだから、きっと逃げ出して生きてるってね。要するにあれだ、軍隊では銃殺するときに一人だけ銃に火薬だけを詰めるんだろ? 自分のは弾が入ってなかったって思い込んで安心するために。それと同じだよ」

「それは……そんなことは無いと思いますが……」

 クーがフォローするが、その声も自信がなさそうだ。あのクソジジイ! こんなもんわたすくらいなら初めっからもっと別のことすればいい物を。

「どうでやがりますかねぇ」

 そこにクロが口をはさむ。

「あ?」

「その刀、柄のところに九字と呪文が彫ってありやがりますよ?」

「柄? 九字?」

 言われて刀の柄の部分を確認するが、鮫の革の上に糸が撒いてあるだけで、文字なんてどこにもない。それに、九字ってなんだ?

「ぞこじゃなくて、その下の金属の部分でやがります。九字っていうのは、東方の魔術みたいなもんでやがります。九つの漢字って言う文字からできてる呪文を唱えることで力を得たり邪を祓ったりすることでやがります。呪文はあたしが普段使ってやがるものみたいなもんでやがります。こいつの場合は『我名小鴉。我祓者厄災也。』って書いてあって、彫り付けて刀に力を与えてやがるみたいでやがります」

「なんでそんなとこに書いてあることが分かるんだよ?」

「魔力を帯びてやがるから見えやがりますよ。そいつが付いてるってことは、かなり 強力な刀でやがりますよ。カールは本当にフェリエラにこの刀で何かやりやがって欲しかったのかもしれねぇでやがりますよ?」

「は? 知るかそんなこと。こんなもん渡すぐらいなら、てめぇで反乱でも起こせってんだよ」

「そうは言いやがりますが、向こうには向こうの事情がありやがるのかもしれんぇですよ?」

「ふん」

 クロがそんことを言ってくる。あまり認めたくないが、これ以上この話をしても無駄な気がする。それに、話しかけてきたクーが、すっかり困ってしまっている。ここは、話題を転換した方がいいだろう。

「ところで、ここはまたずいぶんと賑やかなところだな?」

 クーに話を振ってみる。だが、ここら辺の賑やかさが気になっていたのも本当のことだ。

「はい。ここは王都の外側にありますから、人の出入りが盛んなんです。定期的に各地から商人がやってきて店を出しますし、ここは庶民街ですから、それを楽しんでいる人が多いようです」

 なるほど。だから午前中の騒がしいけれどもどこか品の良かった街と比べて、お祭り騒ぎのような賑やかさをしているわけだ。

「人のでいりが盛んってことは、ここら辺は王都のへの出入りが自由でいやがるってことでやがしますか?」

 クロがそんなことを聞く。確かに、これだけ騒がしければ、そこもアバウトなのだろう。

「ええ、その通りです。ここはこの国の経済特区のようなものですので、基本的に人の出入りは自由です。身分の確認を行うのは、下級の貴族街空になります」

 『経済特区』というのはよくわからないが、要するにお金と物をスムーズに流すために、その障害となることはしたくないということなのだろう。

「よろしければ、王都の周りにでてみますか?」

 もちろん、でないなどということはあり得ない。クロと二人で、二つ返事で賛成する。逃げる為でなく、何かヒントを探すためだ。

 王都の周りは、一面しばで覆われた平らな地面が何キロも続いていた。まるで広い公園か何かのようだ。だが、公園と違うのは、芝のそこかしこにかまぼこのような建物が並び、その前に見たことがない(正確には一度だけ少し見たことがある)機械が並んでいる。確か飛行機というものだ。

「どうですか、お二人とも。飛行機が飛んでいるところはもうご覧になりましたか?」

 クーが、どこか目を輝かせて言う。どうやら、クー自身にとっても、飛行機は珍しいもののようだ。

「クーはこんなに近くに住んでやがるのに、飛んでるところ見たことねぇんでやがりますか?」

 クロもそれに気づいたらしく、不思議そうに聞く。

「残念ながら、あまりないです。飛行機は普段事故が起こった時に被害を出さないように、王都の上は飛びませんから」

「そうでやがりますか」

 そんなやり取りをしている三人の近くに、一機の飛行機がやってくる。クーとクロの目も、話の途中からそれに釘づけだ。フェリエラもそれに見入ってしまう。どうやら飛行機は三人乗りらしい。一番まえが操縦する人の席なのだろう。真ん中は良く分からない。そして、一番後ろはなぜか後ろ向きに席が付いているが、機体の一番後ろに取り付けられた厳つい銃を見て納得した。あれは多分攻撃のためだ。後ろに向かって銃を撃つためだろう。でも何のために? そんなことを考えていると、一度フェリエラたちの近くで止まっていた飛行機が動き出した。初めはゆっくりと、次第に速く。そして、最後には、浮いた。ふわり、とまるで鳥のように浮いたのだ。飛行機はそのまま走り続けると、空高く舞い上がって見えなくなってしまった。あれは、宮城よりも高く飛んだのでは ないだろうか。

 ふとそこで、フェリエラは自分の思考が気になった。何か、今自分は大事な発見をした気がする。宮城よりも高く飛ぶ飛行機を見て……宮城よりも……

「これだ!」

 思わず叫んでいた。

「なんですか?」

「どうしやがったんですか?」

 クーとクロが怪訝な顔でこちらをうかがう。まわりの目もあるので、フェリエラは二人と顔を寄せ合うようにして、耳打ちする。

「だから、こいつで宮城のてっぺんから侵入できるんじゃないかと思って!」

『ああ!』

 二人も声をそろえて驚く。だが、すぐに反論が来る。

「ですが、やはり不可能です。ここは軍の最新鋭機材がそろっているんですよ? それを盗むなど不可能です」

「いや、ほら、そこはクロの魔法で警備を眠らせるとか?」

「無理です。何人の人がいると思っているんですか?」

「夜ならどうでやがりますか?」

 意外なことに、クロはこれに乗り気なようだ。

「夜なら人が少ないんじゃねぇでやがりますか?」

「いえ、ですが、魔法で眠らせるなど、非現実的です」

 クーは家が軍事関係者だからなのか、かたくなに反対する。軍の機材管理の厳しさをその 身を持って知っているのだろう。

「出来やがりますよ? 夜は本来寝る時間でやがりますからね。睡眠魔法は昼間よりずっと簡単に発動できやがりますよ? それに、今日魔法屋でたらしい魔導書を手にいれやがりましたし」

 だが、クロは自信満々だ。というか、あいつはいつの間にそんなもの買ってたんだ? 良くあんなところで買い物する気になったもんだ。

「ですが……いえ、ここは一度家に戻って話しましょう」

 取りあえずの方向性が決まった。


「他に方法思いつかねぇんでやがりますし、あたしはいいと思いますよ?」

 クーの屋敷に戻ってテーブルに付くなり、クロは言う。

「ですから、不可能です」

 クーは、相変わらず反対のようだ。

「なんでだよ? そんなに盗むの大変なのか?」

 ここまで反対するのには、訳があるんだろう。

「いいですか、わたくしの両親がまだ健在だっ頃も、飛行機はありました。今よりも小規模でしたが、将来的な機体は大きかったです。父が言うには、飛行機は夜の間は格納庫と呼ばれる小屋にしまわれて、扉に施錠するそうです。仮にうまく侵入できたとしても、そこからどうやって外に出すのですか? 第一、この中に飛行機を操縦出来る人がいるのですか?」

『あ……』

 言われて気づいた。確かに、浮かれて完全に見過ごしていたが、初めて見た物を飛ばせる訳がない。いつもはそんなこと見過ごすはずのないクロも忘れていたあたり、相当せっぱつまっていたんだろう。

 だが、これだけはどうにもならない。よしんばうまく飛行機を盗めたとしても、飛ばせないのでは意味がない。騒ぎを起こして捕まって終わりだ。

「お分かりいただけましたか?」

 クーがやっと理解してくれたかというような顔で溜息をつく。だが、フェリエラとしてはこの魅力的な案を捨てきれない。何か、無いだろうか。この海軍関係者のクーですら見落としているような方法が……ん? 海軍関係者? 確か、クーに父親は結構なお偉いさんだったはず……

「クー!」

「はい!」

 突然のフェリエラの叫び声にクーが思わず背筋を伸ばす。

「父親の書斎ってあるか?」

「なんでやがりますか、急にプライベートなこと聞いたりなんかしやがって?」

 クロもクーもいまいち分かっていないようだ。そこで、今思いついたことを説明する。

「いや、だから軍のお偉いさんだった父親の書斎ならなんかあるんじゃないかと思って!」

「それはそうですが……」

「なるほどでやがります」

 早速、クーを説き伏せて書斎に向かう。クーがどこからか持ってきた鍵で扉を開けると、そこには、壁一面を本棚で埋め尽くされた、いかにもな部屋があった。部屋の中には、本棚の他には机が一つあるだけだ。

「ここを探すのは、骨が折れそうでやがりますね」

 クロがつぶやく。だが、やらない訳にもいかない。ここでうまいことマニュアルでも見つかれば、いうことはないのだが。

 早速、クロと二人で探し始める。クーは、相変わらずこの計画に反対なようで、部屋の隅で本を椅子代わりにしてこちらを見ている。

 本棚に入っている本を取り出し、一冊一冊内容や、間に何か挟まっていないかなどを確かめる。だが、どれもこれも陸での兵法の本や、海戦に関する本、小説ばかりで、一向に目当ての物は見つからない。しかも、兵法書はどれもこれも嫌がらせのように分厚い。十冊も確かめると、腕がプルプルしてくる。

 隣では、クロが魔法を使って本を出し入れしたり、開いたりしている、本人はいたって涼しい顔だ。ここは、クロに任せて一旦休憩しよう。部屋も隅で座っているクーに話しかけてみる。

「クー」

 名前を呼びながら隣に腰を下ろす。

「なんですか?」

「はじめは革命案に乗り気だったのに、どうしてそんなに頑なに飛行機には反対するんだ? クーだって、ただただ捕まるのを待つのはいやだろ?」

「それはそうですが、わたくしは内実を知っている分、成功するとは思えないのです。4,5年前の時点ですら、王都周辺に飛行場は3か所ありました。今はもっと多いはずです。いくらクロ様と言えど、そこに勤務している人全てを眠らせることは不可能でしょう。それに、宮城の周りに対策が施してないとは考えられません。どう考えてもむりです。もっと他の方法を探るべきです」

 クーの言うことは尤もだ。すぐに追手が来るだろうし、宮城に乗り込むのも難しいかもしれない。でも、

「そうかもしれないけど、俺は、この方法でやりたいよ。現状ではこれ以外に方法がないし、将来見つかる保障もない。それに何より、俺は、あんな行為、一秒でも早く終わりにしたい。あんな行為、どんな理由があったって許されることじゃない。それに、俺たちが早く革命すれば、助かる人だって大勢いるはずだ。クーみたいにさ」

 そこで言葉を切る。クーが、思案気な顔をしたからだ。きっと、クーは、自分のことを振り返っているのだろう。俺からは想像もつかないような、壮絶な数年間を。

「そう、ですね。大勢の人が、助かるのなら、やるべきですね。それに、これ以上こんなばかげた行為を続けさえる訳にもいきません。わかりました」

 どうやら、乗り気になったようだ。他人には自分と同じ思いをしてほしくない。そう思うほど、つらい数年間だったのだろうか。

「フェリエラさま、机の引き出しを探ってみてください。重要書類はその中に入っていると思います」

「おう。分かった」

 早速、クーの言うとおりにしてみる。鍵がかかっていたが、これはクーも持っていないらしい。仕方がないので、壊させてもらう。

 中には、整理された書類がぎっしり入っていた。古い軍の配備計画書や演習の計画書、部下の人事記録が多い。そんな中、フェリエラは、ある一つの本を見つけた。表紙には『飛行科学校教科書』のタイトルと共に、赤いスタンプで『見本』と押されている。どうやら、目当ての物を見つけたらしい。

「あった!」

「やがれ!」

「!」

 これと、その他いくつか 見つけた役立ちそうな物を持って、元の部屋に戻る。見つけたのは教科書と、昔の宮城の警備計画書だ。たぶん、クーの父親が責任者になった時のものだろう。警備の配置自体は変わってしまっているだろうが、宮城の内部を知るのには十分役に立つ。

 先ずは、三人で教科書を見てみる。中には、飛行機の動かし方が事細かに書かれている。これによると、飛行機は基本的に三人で動かす物らしい。一番前の席に座る人が操縦と前方の飛行機に対する攻撃。真ん中の席は、魔法や兵器を使った地上攻撃と地上との交信。一番後ろは、銃を使って真後ろの飛行機を撃退する役目らしい。すると、必然的に役目は決まってくる。

「取りあえず、クロは真ん中だな」

「そうでやがりますね」

「ええ」

 三人の中で、魔法が使えるのはクロだけだ。ここは他の選択肢が無い。残るは前と後ろだ。

『クーは後ろでいいな(でやがりますね)』

 クロと同時に言っていた。

「な、なぜですか? ここはそう言ったものに慣れているわたくしが前ではありませんか?」

 クーは反対なようだが、銃を持った後のバーサーカーぶりを見ていると、クーに前を任せる気にはなれない。機体の前にも銃が付いているらしいし。あの性格が変わったクーの操縦する飛行機に乗るなんて、自殺と同じだ。第一、俺は銃なんか撃てない。

 クーがすっかり凹んでいるが、ここは話を先に進める。そのうちもとに戻るだろう。

「で、次は宮城のなか、か。警備計画図見る限りじゃあ、すっげぇ複雑な構造してるな」

 宮城の見取り図に兵の配置が書き込まれた図を見ると、まるで迷路みたいな構造をしている。恐らくは襲われた時の対策なのだろう。しかも、これを見る限り、結構な数の近衛兵の詰所がある。それぞれの部屋はせいぜい10人くらいしか入れないだろうが、それがかなり狭い感覚で存在しているのだ。たぶん、それぞれの部屋は連携をとるため、通信用の電話か何かで結ばれているのだろう。これでは廊下を歩くだけで位置がすべての兵に伝わってしまう。

「ここはずいぶんと警備が厳重でやがりますね」

 クロが、その中でも特に重点的に警備されているところを見つける。最上階のようだが、まさか、ここが王の部屋なのだろうか?

「そこは王の部屋ですね」

 クーが復活した。

「宮城は謁見の間も王の居室もすべて最上階に在るそうです」

「てことは、飛行機で一気にここに飛び込むってことか」

「まぁ、そうなりやがりますが……」

「おそらくは上手くいかないでしょうね。妨害もあるでしょうし」

「じゃぁ、どうするんだよ?」

「最悪強行突破です。突入してしまった後はもうどうにもなりませんから」

 腕に自信があるとはいえ、どうにも心もとない話である。とはいえ、突入した後は本当にそうする以外にない。こればかりは上手いこと最上階に生けるように願うばかりだ。

「ところで、飛行機はどうやって盗みやがるんですか?」

「それですが、クロ様はどの程度の範囲のどのていど の人を眠らせることが可能なのでしょうか?」

「範囲、でやがりますか……昼間の飛行場くらいの広さなら余裕でやがりますよ」

 意外と広範囲をカバーできるらしい。

「それで、効果のほどはどうなのでしょう?」

「効果でやがりますか……新しい魔導書なら、昨日クーとフェリエラに掛けたやつの十倍ってところでやがりますかね」

 一瞬、クーとフェリエラが冷たい目でクロを見る。

「そ、それでどうしやがるつもりなんでやがりますか?」

「そう、ですね。場所は昼間の飛行場が良いでしょう。クロ様も広さを把握していらっしゃいますし。方法は、フェリエラ様、その刀は鉄を切れるんですよね?」

「え? お、おう」

 唐突な質問に一瞬戸惑うも、敵を鎧ごと切り裂いたことを思いだしてうなずく。

「でしたら、手筈はこうです。まず、夜になるまで待って、クロ様の魔法で飛行場に詰めている軍人を眠らせる。そして、フェリエラ様の刀で格納庫の扉もしくは鍵を壊す。そして、三人で機体を滑走路に引き出す。これなら大した音も出ませんので、しばらくは追ってがかkることもないでしょう」

 クーの言うとおりだった。これならクロの魔法で格納庫を壊したりするよりはましだろう。

「で、いつやるんだ?」

 今のところ、計画が通りにいけば特に準備する物もない。武器は三人分あるし、それ以外に必要な物といえば、あとは他国に告発文でも送りつけることくらいだろう。

「今夜です」

『は?』

「いえ、今日街に行ったときに、いつもより警備が増強されていました。このままでは古今のいつ捜索の対象になるか分かりません。それに、乗りかかった船です。早ければ早いほどいいでしょう」

「ま、理に適ってやがりますね。グズグズしてたら、死ぬだけでやがりますし」

「それもそうか」

 ということで、決行は今夜と決まった。

「では、それまでに告発文を送ってしまいましょう」

『おう!』




五章 王との対峙


 夜、そろそろ日付が変わろうか言うころ、秋の草原特有の虫時雨のなか、三人は昼間の飛行場に居た。

 告発文は夕方のうちに、クロの魔法に乗せて送ってある。あとは、うまくいくことを祈るばかりだ。

「そろそろ始めるか」

 フェリエラの言葉に、クーとクロが頷くそして、クロが詠唱を始める。

「風よ。その腕に抱きて苦悩せし者どもの安楽をもたらし給え。イクス・シルフィード」

 クロが新しい魔導書を手に持って呪文を唱えると、何か目に見えない力場のようなものが拡がって行くのがフェリエラにもぼんやりと感じられた。魔法については素人のフェリエラですらこうなのだから、よほど強力な魔法なのだろう。

 しばらくして、魔導書をにらんでいたクロが顔を上げる。

「ふぅ。これでいいでやがりますよ。今この魔法が届く範囲の人間で起きていやがるのはあたしたち三人だけでやがります」

「では、あそこに見える格納庫を目指しましょう」

 事前に決めてあった通りに、一番近くの格納庫を目指す。もう見つかる心配はないとはいえ、一応身を低くして音を出さないようにして滑走路を横切り、格納庫を目指す。

 格納庫は、意外と大きかった。滑走路の反対側から見たときは、それほどに感じなかったが、高さが10m位で、幅に至っては25m以上あるだろう。なので、当然扉も大きければ、それについている鍵もでかい。だが、今はなんなこと言ってい場合ではない。刀を鞘から抜くと、正眼に構える。そして、僅かに振りかぶると、巨大な南京錠めがけて、振り下ろした。

チュインっという何とも言えない音がしたかと思うと、あっけなく刀は鍵を通り抜けた。そして、数拍遅れて、鍵が地面に堕ちる。後ろでは二人が小さくガッツポーズしている。フェリエラは、改めて刀を見る。意識してみると確かにこれはとんでもない刀だった。

「何ボーっとしてやがんですか。扉開けるの手伝いやがるです」

 クロに言われて刀から目を離す。見れば、クーとクロが格納庫の扉に取りついていた。フェリエラは刀を納めると、二人の手伝いに向かった。

 苦労して重い扉を開けると、そこには6機ほどの飛行機が並んでいた。どれもこれも軍用らしく、地味な色に塗装されている。見とれている時間もないので、三人で一番手前にあった機体に取りつく。車止めを外して、翼の部分をおして滑走路に引き出す。離陸する方向に機体を向けたところで再び車止めをして機体を止める。

 すると、早速クーが乗り込んで確認を始める。

「燃料は……入っていますね。機銃弾は……やはりありませんか……三丁すべて」

 ブツブツ言いながら一通りの確認を済ませると、クーが機体から降りてきた。

「すぐにでも飛べますが、機銃に弾丸がありません」

「別に、それくらいいいんじゃねぇの?」

 どうせ飛ぶ距離なんかたかが知れている。銃が使えないところで問題はないだろう。

「いえ、わたくしは弾を運んでくるべきだと思います」

「あたしもそう思いやがりますよ。何が起きるか分からないんでやがりますから、しっかり準備しとくべきでやがります」

 だが、クーとクロは反対のようだ。二人の言うことは確かに尤もだ。ここは時間を優先させたいが、軍人はすべて眠らせてあるし、そんなに問題ないだろう。

「分かったよ。で、その弾はどこにあるんだ?」

 ここは二人の言うことに従うことにする。

「おそらく、あの建物の中だと思います」

 そう言ってクーが指さしたのは、煌々と明かりが灯っている、軍人の詰所だった。問題がないのは分かっているが、侵入するとなると、若干緊張する。

 詰所の扉を開くと、そこには二人の軍人がいた。書類仕事をしているところに魔法を食らったのか、二人ともペンを持ったまま顔面から書類にダイブしている。

「こちらへ」

 そのわきを物音をたてないようにそぉっと通ってさらに建物の奥へと入って行く。すると、目の前に鋼鉄製の分厚い扉が現れた。どうやら、弾薬は事故の時被害を減らすためにこの中に入れられているのだろう。

 もう一度刀に手をかけて、今度は居合抜きの容量で扉についた鍵を切り裂く。鍵を壊した扉を開くと、涼しく保たれた室内に木箱が並んでいた。その一つのふたを開けて見ると、金属製のベルトで繋がれた弾がギッシリ入っていた。

「これのようです。一人一つ持ってください」

 クロと二人でうなずいて、箱についた麻縄の背負紐を両肩に通す。すると、肩にずっしりとした重みが伝わってきた。たぶんこれ一つあたり30㎏はあるだろう。それをクーは軽々と運んでいく。ここに来て、クーの意外な一面を見た気がした。

 弾を持って飛行機まで戻ると、クーが手際よく銃に装填していく。コクピットに銃尾が突き出した機首の二丁。後部の一丁。それぞれ弾を専用のケースに折りたたんで入れて、端を銃に取り付ける。これで準備はすべて整った。

 早速、三人で乗り込む。事前に決めた通りにフェリエラが一番前、クロが次。最後がクーだ。

「で、ここからどうすればいいんでやがりますか?」

 三人が座った段階で、クロが聞く。座ったはいいが、全く動き出す気配がない。

「えーっと。教科書によれば……」

 操縦法は覚えたが、最初にどうすればいいか、までは覚えていなかった。教科書を開いて確認する。

「機体のエンジンの右側面のカバーを開いて……」

「って、それ誰かが降りやがらなきゃじゃねぇでやがりますか」

 その通りだった。これならもう少し早めに確認しておけばよかった。

「で、誰が降りやがるんですか?」

「それは、俺以外の誰かだろう。一応操縦士なんだから」

「じゃあ、クー、じゃんけんしやがりますよ?」

 と言ってクロが後ろを向いた瞬間、いつものクーと違った声がかえって来た。

「あ? てめぇがやれよクソ犬! それともこのわたくしにやらせるってのか?」

 だめだ。しっかりと機関銃に握りしめてた。

「ううー。分かったでやがりますよ。あたしが行きやがりますよぉ」

 クロが泣く泣く降りていく。その間に、クーには銃から手を離してもらう。

「で、カバー開けやがりましたけど、どうすればいいんでやがりますか?」

 エンジンの横に立ったクロが聞く。

「えー、次は、翼のところについてる棒を引っ張り出して」

「これでやがりますね」

 クロが右の翼に固定されていた直角に二回折れ曲がった変な棒を取り出す。

「それを、開いたカバーの奥にある慣性起動装置に差し込む」

「ん? んん?」

 クロが悪戦苦闘しながらも何とか差し込む。

「次に、操縦士のエナーシャ回せ、の合図でクランクを回す」

 書いてある通りに、クロに合図を送る。クロは、それを聞いて棒を回し始めた。すると、何とも言えない変なおとと共に、プロペラがゆっくりと回り始めた。

「エナーシャを回す作業は重労働なので、基本的に二人で行います」

 教科書にはそう書いてあるが、手伝わない。昨日の夜襲ってきたことの罰としてちょうどいいだろう。

「ちょ、手伝い、ハァハァ、やがるです」

 クロが何か言っているが、無視する。

「プロペラの回転数がおよそ80回転以上になったら、操縦士は、コンタークト、と合図をだします。その合図を聞いたら、今度は別の人が慣性起動装置よりもさらに機体に近いほうに在るカバーを開いてクラッチをつなぎます」

 もちろん手伝わずに合図を出す。クロは、素早く棒を引き抜いてカバーを閉めると、今度は別のカバーを開いた。

「操縦士はそれに合わせて、電路開閉スイッチを押して、電路を開きます」

 回りを見ると、すぐにスイッチは見つかった。クロがクラッチをつなぐのに合わせて、そのスイッチを『開』の方向に変える。

すると、突如として、エンジンが動きしめた。エンジンは、2、3回白い煙を噴き出すと、その後は安定してプロペラを回している。

「最後に、操縦士は、右手を頭上に掲げて、ゆっくりとその手を前から後ろに動かします。機外の人は、それが見えたら車止めを外します」

 だいぶ息が上がっているクロにトドメを刺すつもりで、合図を送る。クロは、何とか車止めを外しにかかる。すると、機体がゆっくりと動き始めた。それを確認したクロが、真ん中の席に戻ってくる。

 フェリエラは、改めて前を向くと、昼間覚えた手順を思い出す。まずは、機銃の試射をする。スロットルレバーについている引き金をグッっと握りこむ。すると、突如として二門の機関銃が弾を吐き出し始めた。頼もしい振動が伝わって来る。曳光弾が混ぜてあるのか、夜空に向かって綺麗な線が二本伸びていく。

「ちょ、何してやがるんですか!」

 驚いたクロが身を乗り出して止めようとするが、元々これ以上撃つつもりはない。それに、これはきちんと説明通りにやっただけだ。

「フェリエラ様、それはやる必要はありません。それに、銃声で敵が来る可能性も大きいですから」

 正気に返ったクーが注意をしてくるが、どうせクロの魔法でみんな寝てるんだから問題はない。

「へーき平気。どうせみんな寝てるんだから」

 だが、フェリエラがそう言った瞬間、けたたましいサイレンの音が鳴りだした。

『あ!』

「フェリエラ様、早く発進を!」

「あー、もー! バカやってないでさっさと行きやがるです!」

 にわかに飛行場が活気づく。これは確かに、グズグズしている場合ではない。フェリエラは、教科書にあった手順を一つ一つ思い出してゆく。飛び立つには、最初にスロットルを全開まで開いて、加速する。フェリエラがスロットルを開いてゆくと、それに合わせて、エンジンの唸りが高まってゆく。飛行機は、その音に同調するかのように、徐々に速度を早めてゆく。

 そして、今まで経験したこともないような速度に達した時、尾輪が浮いた。背後で二人の歓声が聞こえるが、今はそれに構っている余裕はない。

覚えた通りに、操縦桿を握った右手を徐々に手前に引く。ここでミスをすると、即墜落するらしいので、気が抜けない。だが、そんなフェリエラの心配をよそに、飛行機はついに、ふわりと浮きあがった。生まれて初めて感じる浮遊感が三人を包み込む。後ろからは、今まで以上の歓声が聞こえる。

フェリエラは、そのまま操縦桿を軽く引き続け、どんどん空高く昇って行く。

『フェリエラ、これ、本当に浮いてやがりますよ!』

『これは……素晴らしいです』

 どこからか二人のくぐもった声が聞こえる。どうやら、水上艦と同じように声伝管でもついているのだろう。フェリエラも、高度を十分にとって機首を宮城の方に向け終わり、少しは余裕ができてきたので、機体の横や、下を見てみる。

 そこには、王都の明かりが拡がっていた。太陽の眩しい灯りとも、月の優しい灯りともまた違う、魔法やガス灯が入り乱れた暖かいオレンジ色の光だ。その灯りの数だけ、人々が息づいているのだ。今まで自分たちもあのなかに居たのだ。だが、中に居ては決して気付けない明るさだ。フェリエラはそれに目を奪われ、声を上げていた。

 だが、それも長くは続かなかった。突然、まばゆい白色の光がしたから伸びてくると、何か探すように空を動き回り始めた。そして、フェリエラたちの飛行機を下から照らし出すと、それはそこでピタリと動くのをやめた。

「見つかった!」

 焦ったフェリエラが機体を左右に旋回させるが、光はそれにぴったりとくっついてくる。

『サーチライトです! 敵がきます。注意してください!』

 クーの怒鳴り声が声伝管越しに伝わってくる。かと思うと、突然下から巨大な火の玉が飛んできた。きっと、ファイアの魔法だ。

『ちっ!』

 それを見るや否や、クロが魔導書を取り出す。声伝管越しに、詠唱の声が伝わってくる。

『土よ! その硬き身をもて我らが盾となり、怨敵から我らの身を守り給え。ディアマスガード!』

 唱え終わると、透明の力場が機体の下方を包み込む。そして、けたたましい音と共に火の玉がそこに衝突する。だが、機体には衝撃や爆風どころか、火の粉すら飛んでこない。

『すごいです!』

 クーの賛辞が聞こえてくる。フェリエラとしては、素人運転のところにあんなものが命中しなくて心底良かったと思う。

 フェリエラが一人胸をなでおろすとした時、あらたん異変が起こった。明らかに、エンジンの音が多いのだ。

「なんだ?」

 さっきからずっと自分の飛行機のエンジン音は聞こえている。だが、それとは聞こえ方が異なる音が、複数聞こえるのだ。

『後方より敵複数! 撃ってきます! 左右に方向舵を操作して避けて!』

 クーの警告にしたって、咄嗟にフットバーを右に踏み込む。すると、今まで機体のあった空間を曳光弾が走り抜けていく。

「助かった。ありがとな」

 フェリエラは声伝管に向かってクーにお礼を言う。だが、かえって来たのはすでにあのモードになったクーの声だった。

『反応がおせぇんだよ! へぼ操縦士! 避けたらさっさと次の行動に移りやがれ!』

 どうやら反撃のために銃を握ったらしい。その証拠に、弾を装填するガシャンという音が聞こえてくる。

『次が来る! 上昇からの宙返り! さっさとしろ! このクソビッチ!』

 この際言葉使には目をつぶる。言われるままに操縦桿を目いっぱい引いて、宙返りをする。機体はどんどん上下が逆さまになっていき、ついに完全に上下が反対になった。肩のベルトに全体重がのしかかる。下を見ると、丁度敵の飛行機がフェリエラとすれ違おうとしていた。敵の操縦士と目が合いそうになった瞬間、クーが轟然と銃を撃ち放っていた。その銃撃は、無慈悲なまでに正確に敵の3人の乗組員とエンジンを撃ち抜いた。飛行に必要な物を一挙に失った敵機は、黒煙の尾を引きながら墜落していく。

 それを眺める間もなく宙返りを終えると、丁度敵機の真後ろに出た。フェリエラは、クーに言われるまでもなく、機銃の引き金を引いていた。信じられないほどの勢いで弾丸を吐き出す機銃の振動が伝わってくる。発射された弾丸は、まっすぐに敵へと吸い込まれていく。そして、数瞬のうちに大量の弾丸を浴びた敵は、よろよろと高度を落としていく。

「よし!」

 二機を一瞬のうちに葬り去り、歓声をあげる。だが、敵はまだまだ居るようだ。

『うーん、まだ結構残ってやがりますねぇ』

 声伝管の向こうからクロの声が聞こえてくる。その声がどこか嬉しそうなのは、気のせいじゃないだろう。たぶん、新しい魔法でも試すつもりだ。

『雷よ! 我が槍となりて敵を貫け。サンダーボルト!』

 クロが呪文を唱えた瞬間、辺りを眩い雷光が満たしていく。そして、轟音とがしたかと思うと、敵が雷に撃ち抜かれて墜落していく。貫かれた敵の飛行機は、原型をとどめないほどバロボロだ。

『これは、なかなかにエグイ威力してやがりますね』

「嬉しそうにいうな!」

 振り返ってみると、今まで後ろについていた敵は、もはや影も形もなかった。本当に、ご愁傷様としか言いようがない。

『おい、こら口からくせぇクソ垂れてる暇があったらさっさと宮城目指しやがれ!』

 てきを 追い払って一安心、と思ったら、今度はクーに罵られた。本当に、この性格の変わりようは勘弁して欲しい。

「分かりましたよ」

 しかし、言っていることは尤もなので、再び最速で宮城を目指す。相変わらずサーチライトが下から飛行機を照らし出している。そのせいで、飛行機の腹が白くなり、まるで空を泳ぐ魚のようだ。これで、しばらくは安心して飛べるだろう。

『? 硝煙の匂いがしやがるです』

 だが、フェリエラのそんな期待は、すぐに裏切られる。クロがそれを嗅ぎつけた瞬間、空を割く音と同時に、至近の空間で何かが爆発した。しかも、その破片がかなりの勢いで機体に命中する。

「あっつ!」

 その破片の持つ熱量に、思わず悲鳴を上げてしまう。どうやら、破片は燃えているようだ。

『なんでやがりますか!』

 クロも同じように破片を浴びたのか、パニックになっている。

『対空砲です!』

 唯一クーだけが、それの正体を知っているようだ。衝撃で銃から手を離したのか、正気に返ったクーが叫ぶ。

「対空砲?」

『なんでやがりますか?』

 だが、危ない物には違いないだろうが、そもそもそれが何か分からない。

『対空砲は飛行機を撃ち落とすための大砲です。命中率を高めるために、時限式で大量の散弾を撒き散らします』

 さっきの燃えながら飛んできたのは、どうやらこの散弾らしい。これは、すこしマズい気がする。こんなことを話しているうちに、次から次へと対空砲の弾が飛んでくるし。

『とにかく、フェリエラ様は機体を動かして狙いを定まらせないようにしてください。クロ様は先ほどのようにガードを!』

 クーが必死に叫ぶ。言われなくても、こんな物に当たりたくはないので、機体をジグザグに動かそうとする。フェリエラは、操縦桿を左に傾けて目いっぱい手前に引く。機体はすぐにその動きにこたえて左旋回を開始するが、一歩遅かった。機体が動き始めたその時、機体のすぐ右わきで、砲弾が炸裂した。激しく機体が揺さぶられる。三人の悲鳴が響き渡る。右側の主翼は、大量の散弾に貫かれて穴だらけになっていた。胴体の部分にも、いくつもの穴が開いている。だが、フェリエラはそれ以上の変化を感じていた。

 操縦桿の効きがおかしいのだ。明らかに、左右方向の効きが鈍っているのだ。旋回の角度も明らかに緩くなっている。何が起こったのかと思い、機体を見渡してみると、右のエルロンが根こそぎ持ってかれていた。どうやら、砲弾はエルロンの近くで炸裂したようだ。このままではまずい。万が一もう一方のエルロンも持っていかれたら、確実にコントロール不能になる。

「クロ! ガード! 早く!」

 クロに機体を守るように催促するが、返って来るのは今やってやがります、という返事だけだ。

『フェリエラ様、2時と11時の方向! 対空機銃!』

 今度はいつの間にか近づいていた宮城の庭園から、幾筋もの曳光弾の帯が伸びてくる。まるで、シャワーか何かのように、地面から空に向かって伸びてくる。

「クッソ!」

 急いで機体を動かすが、機銃弾は正確にこちらの動きを追ってくる。いくら機体を動かそうとも、火線が全く離れない。

「クロ!」

 後ろのクロに呼びかけるが、詠唱する声が聞こえるだけだ。

「あーもう!」

 クロがディアマスガードを発動させるまで何とか当たらないようにしようと機体を動かし続けるが、ついに火線に捕まってしまう。2、3回連続して機体に衝撃が走る。フェリエラは目をつぶって悲鳴を上げてしまう。

 衝撃が収まってから目を開けると、目の前ではエンジンが濛々と黒煙を吹きあげていた。

『ディアマスガード!』

 その時、クロが魔法を発動させて敵の追撃を防ぐ。だが、エンジンは今にも止まりそうだ。

「クー! これマズいぞ! どうすればいい?」

 焦ってクーに聞く。その間にも、機体は少しずつ下がり始める。

『慌てないで宮城へ! たとえエンジンが止まってもしばらく滑空できるはずです!』

 クーも焦っているのか、声に説得力がない。だが、今はそれに従うしかない。操縦桿を引いて、機体を何とか立て直す。クロの魔法で守られているおかげで今度は操縦に専念できる。機体は、黒い尾を引きながら宮城の上部へと飛んで行く。すると、今度は宮城の壁面に備えられた機銃が打ち上げてくる。ディアマスガードのおかげで、弾が中ることはないが、フェリエラは、こちらから撃ち返していた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 叫びながら機銃を撃ちまくる。機銃すべてをこれで黙らせることなどできないが、少なくとも突入する地点の周辺だけでも、機銃を黙らせておきたかった。

「クロ! 魔法で衝撃吸収!」

 飛び込む寸前、まだ何とか動いているエンジンの鞭打ちながら、クロに魔法で衝撃を和らげるように言う。

 すぐさま、新たな魔法の詠唱が始まる。だが、そのせいでクロの集中が途切れたのか、雨霰と飛んでくる弾のうちの何割かが、魔法の盾を貫通し始めた。胴体や翼が次第に形を失っていく。だが、奇跡的に三人に当たる弾は無い。早く突入しなければ、いつ蜂の巣にされてもおかしくない。しかし、その思いとは裏腹に、さらに弾を受けたエンジンがついに停止する。宮城はすぐ目の前だ。後は、祈るしかない。

 そして、その時は来た。轟音と、瓦礫、砂埃と共に、宮城の中に滑り込んでいく。


 けたたましいサイレンが鳴り響いている。目を開けると、辺りは瓦礫の山だった。フェリエラの身体は、飛行機を操縦していた時の姿勢のままで、操縦席に座っている。急いで操縦桿から手を離して、五体満足なのを 確認する。

「二人は!?」

 自分の身体が何ともないことを確認すると、急いでベルトを外し、二人の無事を確かめに行く。機体は、翼や車輪がもぎ取られ、頭を切り落とした魚のような有様になっていた。

「クロ!」

 機体から這い出し、真ん中の席に座っているはずのクロの名前を呼びながら中をのぞく。すると、そこにはクロがいた。返事がなく、クタッとしていることから、気を失っているのだろう。

「おい! 大丈夫か? クロ!?」

 ベルトを外してクロの肩を揺さぶりながら呼びかける。すると、

「いっつぅぅぅぅぅぅ!」

 クロが眉間に皺を寄せて痛がる動作をする。

「どうした! 足でも挟まれたか?」

 急いでクロの様子を詳細に確認しようとする。だが、続くクロの声がそれを遮った。

「あー、これは完全にイッてやがりますね。フェリエラが優しくキスしてくないとあたし死にやがるかもしれませんね」

 どうやら無事のようだ。こいつはひとまず放っておいて、クーの様子を確認しに行こうとした時、何かが飛行機から這い出すのが見えた。

「クー?」

 立ち上がったその何かに、呼びかけてみる。

「はい。お二人とも、大丈夫ですか?」

 それはクーだった。擦り傷があちこちにあるが、無事なようだ。

「よかった。大丈夫か?」

「はい。フェリエラ様も、大きな怪我がないようで、何よりです」

 そう言いつつクーが持っていたハンカチでフェリエラの顔をぬぐう。どうやら、フェリエラ自身も、擦り傷だらけのようだ。

「うー、今回一番の功労者のあたしにフェリエラが冷たいでやがります」

 そんなことをしていると、クロも、飛行機の残骸から這い出してきた。

「クロ様もご無事で」

 クーがクロの顔もハンカチでぬぐう。

「それより、ここはどこだ?」

 辺りを見回すと、白い大理石でできた廊下のようだ。壁には、所々装飾品が飾られている。

「突入すると時の建物の見え方からして、最上階から3、4階下がったところだと 思います」

 クーが懐から地図を取り出しながら言う。

「そして、この廊下の感じからして、おそらくこのあたりかと」

 辺りの様子をうかがいながら、クーが地図の一点を指さす。そこは、玉座などがあるところの真下、宮城の中央部分のある階だった。一応玉座には近いが、階段の配置からして、かなりの遠回りを強いられそうだった。

「これは、結構大変そうでやがりますね」

 地図を覗き込んだクロが言う。確かに、この距離を敵を排除しながら進むのは骨が折れるだろう。

「それより、急ごうぜ。ここまで来たら、もう行くしかないんだし」

 そういって、二人を促す。機体から自分たちの武器や、使えそうな物を回収すると、その場を後にする。

「クー、それ重くないんでやがりますか?」

 歩き出してすぐ後、クロがクーに怪訝な顔を向ける。

「はい。20㎏しかありませんから」

 何のことかというと、クーは今、飛行機の後ろに積まれていた機銃を担いでいるのだ。しかも、クロお手製のリボルビングライフル二丁とその弾までしっかり持っている。

「それに、弾がまだ200発以上残っています。活用しなければもったいないですよ」

 確かにその通りかもしれないが、いくらなんでも、それでは動きがだいぶ制限されて大変だろう。

「いや、でも、流石にそれはおいていったほうがいいでやがりま……」

 クロがクーを心配して下ろすように言ったとき、唐突にクーがクロに向かってライフルを向けた。そして、一気に両手のライフル全弾、計12発を撃ち尽くす。

「な、な?」

 驚いて声も出ない二人に向かって、弾を装填しつつクーは、あの声で言い放った。

「グダグダうるっせぇよ、メス豚どもが! ブヒブヒ啼いてる暇があるならさっさと敵を倒しやがれ!」

 二人の背後では、4人ほどの敵がと倒れている。それを合図に、一斉に敵が出てくる。どうやら、詰所の前だったようだ。壁に目立たないように設置された扉が開いている。

 フェリエラは、刀を抜き放つと、敵めがけて駆けていく。背後からは、銃声と、詠唱の声が聞こえてくる。

 刀を構えて突っ込んでいくと、先頭の敵数人がフェリエラに切りかかる構えを見せる。フェリエラは、刀を構えなおして、それを受けようとする。だが、それは叶わなかった。小鴉が、刀が、鋭すぎたのだ。切り結んだ瞬間に、相手の剣を切り飛ばしてしまったのだ。面食らう相手をよそに、フェリエラは冷静に敵刀を突き立てる。低い体勢からの逆袈裟切りだ。相手の身体が鎧ごと切り裂かれる。返す刀で、別の敵に袈裟切りをお見舞いする。

 そのフェリエラの後ろでは、クーの呪文が完成するのが聞こえる。

「パワーアップしたあたしの魔法を見やがるです! 炎よ! その秘めし力を解き放ちて我が敵を撃ち滅ぼせ。イクスプロード!」

 クロが言い終わるや否や、突然敵の鎧と剣が、内側から爆裂した。

「どわっち!」

 フェリエラは慌てて身を翻らせてそれを回避する。

「どうでやがりますか! これぞ新たな魔導書で強化されたあたしの魔法でやがります」

 これは、強化と行っていいのかどうか微妙だが、あえて突っ込まずにそっとしておく。クロによって装備どころか真っ裸に剥かれた兵の許に、銃を構えたクーがやってくる。

「よう、クソ共! てめぇらも便所のクソみてぇに畑にまかれてぇか?」

 そういって、片方のライフルで窓を指す。ここは地上数十階の高さだ。この高さから落ちたらまず助からない。哀れな兵士たちはただただ首を横に振るばかりだ。

 その後、降伏した兵士たちを詰所に中に入れて縛り上げる。ついでに、偽の情報を流させておけば十分時間が稼げるだろう。その証拠に、階段を登り切って次の階に到達しても『いまだに追手は来ない。

「これ、いつまで歩き続けやがるんですか?」

 次の階に到着した時に、クロが聞く。

「まだまだです。階段はフロアの端と端にありますから」

 地図を見せながらクーが言う。そこには、今いるところのちょうど反対に次の階への階段が書き込まれていた。これは、骨が折れそうだ。

「遠いでやがりますね」

「ま、でも敵がいないだけましだろ?」

 偽情報のせいで、兵士は未だに下の階を探し回っているはずだ。

「フェリエラ、そんな事言ってると敵が出てきやがるですよ?」

 くろがふざけてそんなことを言うが、流石にそんなことは無いだろう。

「まさか。ここの天井が異様に高いからゴーレムでも出てくるってか?」

 そう言ってフェリエラが笑ったとき、重い足音がしてフロア全体が振動した。

「なにしてくれやがるんですか!」

 クロがフェリエラのエリを掴んでガクガクと前後にゆする。

「あ、ははははは……」

 そんなことをしているうちにも、だんだんと足音が近づいてくる。しかも、一つではなく二つあるようだ。一つは前、もう一つは今登ってきた階段からだ。

「ち! フェリエラ、階段の方は任せやがりますよ!」

 言うや否や、クロが魔法の準備にとりかかる。廊下の向こうからは、ゆっくりと、巨体が歩いて来ていた。

 フェリエラは急いで後ろを向く。すると、そこにはちょうど階段を登ってくるゴーレムがいた。少し前かがみになって、階段を十段飛ばしくらい感じでノッシノッシと登ってくる。これは、早くどうにかしないと激しくマズい気がする。

「ぬおりゃぁぁぁぁぁぁぁ!」

 先手必勝とばかりに刀を抜くと、床を思いっきり蹴って相手の右肩に刀を叩き込む。元が泥でできているせいなのか、ゴーレムの右手は肩から千切れて床に落ちた。その横では、銃弾を左肩に集中的に叩き込んだクーが、左手を切断していた。

 だが、相手は痛覚はおろか、生きてすらいない人形だ。それで止まることはなく、フェリエラめがけて右足を繰り出してくる。咄嗟に、刀を縦に構えて左手で背を支えて受ける体制を作る。足が刃にふれた瞬間、フェリエラを凄まじい衝撃が襲う。一応、刀で足を切ることはできたものの、これは一度にぶつけられた何トンもの土を刀で受ける行為と同じだ。当然、フェリエラ自身にゴーレムの足が当たって吹き飛ばされる。

「!! あ……」

 声にならないこえがフェリエラの口を付いてでる。フェリエラは宙を舞って、床に叩きつけられた。

「このヘタレ剣士! 床でオナッてる暇があったらさっさと立ちやがれ!」

 そこに、追い打ちのようにクーのけりが飛んできそうになる。フェリエラは慌ててみw起こした。

 ゴーレムはすでに、切り落とした腕を再生させていて、何事もなかったかのようにそこに立っていた。やはり、口か胸を攻撃しないとどうしようもないようだ。

 再び刀を構えて立ち上がる。ここは、比較的狙いやすい頭を潰すべきだろう。それに、東部には弱点が二か所もあるのだ。クロははっきりとは言っていなかったが、目が核になっているならそこも十分に狙う価値がる。

「クー、援護しろ! ゴーレムの足を片方落としてくれ!」

 そう言って駆け出す。

「クーじゃねぇ! クー様どうかこのヘタレをお助け下さい、だ。このオナ中メス豚剣士が!」

 背後ではクーが暴言を吐きながらも、しっかりとゴーレムの右足を切り落とす。フェリエラは、バランスを崩したゴーレムの首めがけて刀を振った。まるでチーズでも切るかのような手応えがしたかと思うと、首はあっさりと切れた。幅が途轍もなく広い肩の上から、ゴロンと首が転がり落ちる。すかさずそれをクーの方に蹴り飛ばすと、装填を終えたクーが、器用に目玉をライフルで撃ち抜いた。フェリエラも、ゴーレムの肩を蹴って頭に追いすがる。そして、頭に追いつくと、それを細切れにした。

 クロはemethをmethに、などと言っていたが、それどころではない。ここまでやればさすがに動きは止まるだろうと思い、着地したフェリエラはゴーレムを振り返る。すると、ゴーレムは今まさに溶けて土にもどって行くところだった。

「よし、クロの援護に!」

 そう言ってフェリエラがクロの方を向いたとき、クロは余裕の表情で魔法アイテムがつけられた極太の革ベルトを探っているところだった。

「クロ! 何やってんだよ!」

「え? ああ。丁度いいでやがります。フェリエラたちもパワーアップしたあたしの魔法をとくと御覧じろ」

 そう言いつつ、クロは何か鉱物のような物と、新しい魔導書を取り出す。しsて、鉱物を持った右手を前に突き出して、詠唱を始める。

「炎よ! 今一度この深遠なる地の力を秘めしものに集いてその太古の強大な力を顕し給え! エクスファイア!」

 唱え終わるのと同時に、クロが鉱物を空中に放り投げる。すると、鉱物はみるみる炎を纏って巨大な火の玉になる。しかも、それは今までクロが使っていたファイアの魔法とは比べ物にならないような熱量と光量を誇っていた。

 そしてクロが後ろからその火の玉を押すような動作をすると、それはこちらに向かって歩いてくるゴーレムに向かって轟然と飛翔し始める。凄まじい熱を撒き散らしながら、それはゴーレムに命中した。その瞬間すさまじい蒸発音がしたかと思うと、辺り一面を水蒸気が覆った。

「あつ!」

 フェリエラは両手で顔を覆って悲鳴を上げる。火傷しそうなほどの熱が、一気に押し寄せてくる。

 次第に水蒸気が晴れてくると、フェリエラは目を開けた。すると、そこにはもはやゴーレムの姿はなかった。どうやら跡形なく蒸発したらしい。そして、さっきまでゴーレムの居たところに、クロが立っていて、何かを拾い上げている。

「流石ドワーフの鉱山直送鉄鉱石! すさまじい威力でやがりましたね!」

 どうやらさっきの魔法の核になった物を拾っているらしい。そこに、もう一つの人影が走りこんでいく。

「この、ゾンビ犬! そんな魔法はあるなら最初から使え! あと、使うなら一言言え!」

 クロはクーに文句を言われながら叩かれていたが、今回はクーに賛成なので助けない。あと、ドワーフの鉱山直送鉄鉱石の使い道が分かってしまった。つか、いつの間にそんなもん買ったんだよ。

「撃ち方はじめ!」

 その声と同時に、廊下に銃声が響き渡る。三人は、咄嗟に壁に張り付いて回避する。音だけを動かして弾が飛んでくる方を見ると、いつの間にか土嚢を積み上げて簡易トレンチが組まれている。そこにはしっかりと機銃が据え付けられて、こちらを狙っていた。どうやら、ゴーレムの陰に隠れて準備していたようだ。

 数丁の機関銃で、壁や床の大理石が次々と削られていく。このままでは、すぐに弾が命中するだろ。

「あめぇですよ」

 だが、クロがすぐさま反応する。ディアマスガードの呪文を素早く唱えて、無敵の盾を素早く出現させる。フェリエラたちの周囲に着弾していた弾が盾に弾き飛ばされて行く。ひとまずはこれで安心だ。あとは、このまま敵のところまで進むなり難ありして敵をかたずければ良い。

「王都の眠りし英霊よ。今再び現世の現れその力を振るい給え」

 どこからか微かに詠唱が聞こえてくる。

「クロ、これお前か?」

 まさかとは思うが一応クロに聞いてみる。

「あたしじゃねぇでやがりますよ?」

 やはり違うらしい。ということは……前方を確認すると、トレンチの奥に数人の人物が立っている。しかも、手に何やら本を持っている。

「おい、あのゴキブリ野郎ども魔導書持ってやがるぞ!」

 普段銃を扱っていて目がいいせいか、クーがその本が何かを正確に言い当てる。

「レイジング」

 呪文を唱え終わると、丁度トレンチと三人の間に、群青色の鎧に前進を包まれた二人の騎士が姿を現す。その顔は、甲冑に覆われていて読めないが、明らかに異質な光を目に湛えていた。

「馬鹿が! あんなとこに呼び出したら自分たちの弾丸で穴だらけだ!」

 クーが叫ぶ。だが、そんなことを仮にもプロの兵士がするわけがない。呼び出された二つの甲冑は、その鎧で弾を完全に弾いている。わざわざ自分たちから離れたところにあれを呼び出したには、弾いた弾が撃ってる本人に当たることを警戒したからだろう。

「鎧付きのゴーレム?」

 フェリエラは、その異様な鎧の正体について、クロに尋ねる。

「違うでやがります。あれは召喚獣の類でやがります。この場合は、過去の英霊を使役してやがります」

「つまり、あの臆病なビチグソ共は、銃を防がれることを見越して銃で足止めしておいてあれで潰そうって腹なんだろう」

 クロの言葉をクーが引き継ぐ。クーの言葉を裏付けるかのように、二体の鎧はゆっくりとこちらに迫っていた。

「クロ、魔法であいつらどうにかできないのか?」

 こちらは銃で足止めされているから、刀で切りかかるわけにもいかない。だからと言って、銃では全て弾かれてしまうので、クーもどうしようもない。

「無理でやがります! ディアマスガードを発動させながらあれを倒すレベルの魔法なんて使えねぇでやがります!」

 最強の盾だけあって、それだけ負荷も大きいのだろう。クロの様子からして、本当に他の大技との併用は無理そうだ。

「じゃあどうすんだよ?」

 かといって、このままではいつかクロの魔法が途切れた時に、潰されるか、撃たれるかしてしまう。

「クー、ここからあの機銃撃ってるやつを潰せやがりますか?」

「あ、誰に向かってもの言ってやがんだよ? 出来るに決まってんだろ?」

 だが、クロは何か考えがあるらしく、クーにそんなことを聞く。今更銃手を撃ったところで状況が打開するようには思えないが。

「じゃ、撃ちやがれです!」

「うるせぇよ! 盾作るしか能のないポンコツが!」

 言うなり、クロが突然ディアマスガードを解除した。

「あ、何するんだよ!」

フェリエラは慌ててクロにすがるが、振り払われる。

「じゃまでやがります!」

そうしている間にも、クーは正確に敵銃手の頭を撃ち抜いていた。そして、一時的に銃撃が止むなか、クロは、別の魔導書と、金色に光る一本の長い紐を取り出していた。

「遥かあずまの遠国に住まいし龍よ! その住処たる雲海より我が前に姿を現し給え! ドラヘスクラーヴェ!」

 クロがそう言い終わると、辺りを真っ白な光を包み込んだ。敵も味方も、とてもじゃないが目を開けていられない。そして、なぜか肌が粟立つような、そんな光だった。

 光が収まると、そこには竜がいた。それも、巨大な二足歩行のトカゲといった風情の龍ではなかった。東方式の、手も足もない、だが、雲海に住まい、雷雲を呼び、その咆哮で世界を震わせるという、龍がそこに居た。緑色の鱗に金の体毛。黒曜石よりもさらに黒い瞳。全てが、伝説そのままだった。

 ただ、それは少し小さかった。丁度宮城の廊下に収まるくらいのお手頃サイズだ。珍しく失敗したのかと思い、クロのほうを見ると

「まぁ、この広さならこんなもんでやがりますかねぇ」

 とか言っている。しかも、意図的に加減したらしい。しかし、ご家庭サイズの龍でも効果は抜群のようだ。まるで蛇に睨まれた蛙のように、敵は完全に動きが止まってしまっている。

「流石東方式竜の髭! 効果抜群でやがりますね!」

 クロがそれを見て歓喜する。また一つ、不思議アイテムの使い道が分かってしまった。本物だったのかとか、いつの間に買ったんだよ、とか言いたいことはいろいろあるが、とりあえず突っ込まないでおく。

最初に動いたのは敵の方だった。二体の鎧が前進してくる。後ろでは別の兵士が銃に取りついて銃撃を再開しようとする。

 それを見たクロが合図を送ると、龍が動いた。鎧のうちの一体の肩に噛みつくと、それをやすやすと食いちぎってしまう。鎧はたまらず身をよじる。その時に、鎧の中身がチラっと見えたが、そこからは、干からびた人間の身体の一部が見えた。改めて、魔法の出鱈目さを実感する。

 だが、フェリエラのそんな思いをよそに、戦いは続く。銃撃はクーの狙撃によって完全に食い止められ、戦いはもはや、魔術合戦と化していた。

 竜が肩を食いちぎっている間に、無事な方の鎧が龍に切りかかる。その手には巨大なロングソードが握られている。

「そんなもの、効きやがらねぇですよ!」

 クロが余裕の表情で叫ぶ。その言葉通りに、龍は鎧の剣を弾く。

「龍よ、その身に纏いし雷を解き放て!」

 クロが命じる言葉に合わせて、龍の周囲で先ほどのような眩い光が爆発する。再び肌が粟立つような感覚が襲う。どうやら、先ほどの光は雷だったようだ。

 フェリエラの目に、敵が光に飲まれるのがぼんやりと見える。雷が収まると、鎧のそこかしこに焦げ跡を作った敵が立っていた。それでも敵は、龍に襲いかかる。こんな状態でも動けるとは、英霊だけあってタフなようだ。しかも、今度は敵が攻撃を仕掛けてくる。敵の魔導士が何か呪文を唱えると、二体の鎧が持つ二振りの剣が、不気味な黒い光を帯びる。そして、それは真っ直ぐに龍に振り下ろされた。

 その瞬間、それまで全く攻撃を寄せ付けなかった龍が、悲鳴にも似た叫びを上げる。龍は身をくねらせて敵の剣から脱する。見ると、龍の背には、二つの深い傷が刻まれていた。それを見たクロが、こちらを横目で見る。そして、何か袋のような物を投げてよこした。その顔は、最初ほどの余裕を失っている。

「二人とも、その袋に鉄製の物を全部入れやがるです」

 そう言ってクロも金属製の物をこちらに放り投げる。

「あ? ふざけてんじゃぇねぞ!」

「いいから早く!」

 クーの罵りにも動じずに、激しい声で言う。訳が分からないが、ここはとりあえずクロの言うことに従っておく。

 フェリエラたちが武器を含めた金属製品をしまうのを確認すると、クロは後ろに来るように手招きする。フェリエラたちがクロの後ろに行くと、クロは反攻するべく、呪文の詠唱を開始した。クロの前の空中には金色の魔法陣が展開され、眩い光を放っている。

「東の雲海に住まう龍よ! 世界を震わすその雷の咆哮を解き放ち給え! ライデン!」

 クロが命じると、龍が、咆哮した。しかも、タダの咆哮ではない。口に雷を湛えて、それを解き放ったのだ。あまりの威力に目も耳も圧倒され、一瞬のうちに酒井から色も音も消えてなくなる。フェリエラの肌を刺すような刺激が襲う。伝説に違わぬ、龍の最強の咆哮だった。意識まで塗りつぶされそうなほどの、圧倒的な力の奔流だった。

 感覚が戻ってくると、敵は消え去っていた。恐らく、跡形なく蒸発したのだろう。それどころか、廊下の外壁が消し飛び、外が見えている。さらにはあまりのエネルギーのために、床が溶けてガラス化していた。金属製品を外させたのは、この途轍もない威力の電撃を食らわないようにするためだったようだ。

「どんなもんで、やがりますか!」

 クロが勝ち誇ったような、それでいて疲れたような声を上げる。そして、龍の顕現をやめる。その瞬間、床に膝をついて、肩で息をする。

「クロ? 大丈夫か?」

 クーと二人で、急いでクロを支える。

「大丈夫でやがりますよ。それより、先を急ぎやがりますよ?」

 そういって、クロがよろよろと立ち上がり、自分が外したものを袋のなか から取り出す。あまり大丈夫そうじゃぁないが、ここでもたついていて再び敵を集める訳にはいかない。

「そうですね。先を急ぎましょう」

 クーとフェリエラは、頷き合って、武器を着け直す。

「しかし、派手にやったなぁ」

 壁が薄い外壁と部屋の扉は完全に吹き飛んでいるし、壁にあった装飾品は焦げ跡すら残っていない。

「へへ、どうでやがりますか!」

 クロが床にできたガラスを足で突きながらいう。その足もとからは、カーンという澄んだ音が聞こえてくる。よく見れば、大理石の下にある建物の構造材が透けている。本当にばかげた威力をしていたようだ。

「お二人とも、お早く」

 武器を装備しなおしたクーが言う。確かに、見惚れている場合ではない。

「おう」 

 そういうと、フェリエラはクロに肩を貸して歩き出した。床がガラス化しているために歩きにくいが、詰所まで全部破壊したせいか、この回ではもう敵が出てくることなく階段までたどりつけた。

その階段も、建物の中心に向かって取り付けられていなかったら、クロのせいで消し飛んでいただろう。さっきの雷は、どうやら廊下を一直線にかけぬけた後、突当りの壁を突き破ってどこかに飛んで行ったらしく、目の前には大穴があいている。

「クー、あとどのくらい登ればいいでやがりますか?」

 だいぶつらいのか、クロがクーに残りの距離を聞く。

「そう、ですね。恐らく次か、その次が最上階だと思います」

 突入した時の位置と図面を比べながら、クーが答える。どうやら、終わりが近いらしい。フェリエラも、自然と全身に力が入るのを感じた。

三人は、慎重に階段を登っていく。他に人の気配はなく、辺りには三人分の足音が響いているだけだ。

「静かでやがりますね」

 あまりの静けさに耐えられなくなったのか、クロがポツリと呟く。

「クロが敵を全部吹っ飛ばしたんじゃねぇの?」

 フェリエラも応じる。できればこれ以上の戦闘は勘弁してほしい。

「いえ、流石にそんなことは無いと思いますが」

 クーだけは、二人の軽口を否定する。

「そろそろ次の階です。敵に注意してください」

 いつの間にか、次の階が近づいていたようだ。クロとフェリエラは、クーの警告に従って身構えると、慎重に様子をうかがった。

 だが、予想に反してそこには一人の敵も居なかった。今までの階と同じように、白い廊下が続いているだけだった。いや、正確には、廊下の中ほどに5、6人の人物が立っていた。その人物達は、全身を黒いローブのようなものに包み、顔は目深に被ったフードに隠れて見えなかった。そのせいで、人物たちの性別すら定かでなかった。彼らはこちらに何かしてくるわけでもなく、ただユラユラと頼りなげに立っているだけだ。三人は警戒を解かずに階段から廊下へと進み出ていく。

「なんですか? あれは?」

 クーが最初に疑問を口にした。敵であるのは状況的に間違いなさそうだが、彼らからは敵意が全く感じられないのだ。姿形こそ、黒魔術師のようだが。

 そこでフェリエラはハッとする。まさかと思い、クロの方を向く。その視線に気づいたクロが言う。

「そうでやがります。こいつらは多分黒魔術師でやがります」

 どうやら当たったらしい。だが、当たったからと言って、状況は変わらない。フェリエラは実際に黒魔術師を目にするのは初めてなのだ。どう対処したらいいのかなんて、分からない。それはクーも同じらしく、戸惑いを顔に浮かべている。普通の敵なら、とっくにクーが銃弾を撃ち込んでいるだろうが、果たして黒魔術師相手にそんなことして良いのか迷っているのだろう。クロは黒魔術を扱えるが、それを専門にしているわけではない。それでも対処法ぐらいは知っているだろうが、今は、

「まずいでやがりますよ。あたしは今魔法なんてほとんど使えやがらねぇですよ」

 そう、クロは先ほどの戦いで消耗しきっていて、と手も大技の魔法を出したりできる状態ではないのだ。ちょっとした魔法ならまだ使えるのだろうが、身体に負担を掛けない範囲で使える魔法と言えば、せいぜい紙に火をつけるくらいだろう。そんな人間ライター(笑)なんか、とても役には立たない。

 フェリエラたちが立ちすくんでいると、突然黒魔術師に集団が動き出した。さっきまでの頼りない様子からは想像もつかないような機敏さで魔導書を取り出すと、詠唱を始めたのだ。五人分の詠唱が、不気味な圧力をこちらに放ってくる。

『恨み持て死せるものよ。死へと通ずる我が黒の身を通じて今ひと時その恨みを解放せよ』

 それは、聞いたことがある魔法だった。クロが時々使っているものだ。確か、これを浴びた対象は身体がグズグズに溶けて腐り落ちていくはずだ。

「おい、クロ! 何とかならねぇのかよ!」

 フェリエラが必死にクロに縋り付くが、クロは魔導書を取り出そうともしない。

「無理でやがりますよ! こいつを防ぐレベルの魔法なんて、今発動できるわけねぇでやがります!」

 そう言って、クロがフェリエラの方を見る。その顔には焦りが浮かんでいたが、ふと、何かに目を止めると、これだ! というような顔をした。

「フェリエラ!」

「なんだよ!」

 突然名前を呼ばれた。そんなことより、さっさと今の状況をどうにかしてもらいたい。

「その刀でやがりますよ!」

「刀?」

「そう。刀を構えて、その刀に刻まれてた言葉を唱えやがるです!」

「なんでだよ? こんな物飾りだろ?」

「いいから!」

 そのクロの鬼気迫る様子に、フェリエラは刀を鞘から抜いて構えると、クロが言っていた言葉を思い出す。

「我が名小鴉! 我災厄を祓う者なり!」

 フェリエラがそう唱え終わった瞬間、刀から、何か見えない力場が拡がって行く。

『カース!』

 その時、敵も呪文を完成させる。すると、フェリエラの手に刀が何かにぶつかり押し戻されるような感覚が伝わってくる。

「やっぱりでやがりますか」

 クロがむねを撫で下ろしながら言う。

「何がですか?」

 クーが半分呆気にとられたような顔で言う。フェリエラの方は、刀を支えるのに必死なのと、訳分からなさで頭がいっぱいになっていてそれどころではない。

「いや、おかしいと思ってやがったんですよ。普通刀に刻む文字はもっと戦闘的な、それこそ敵を滅ぼすためのものが多いでやがります。でも、小鴉はなぜか呪術的なものでやがりました」

「つまり、どういうことですか?」

「あの刀は元々ああいうやつらとの戦いを前提にして作られやがったってことでやがります」

 クロがクーに向かって解説をしていく。フェリエラはそれを聞きつつ、だったらもっと早く言えよと思ってしまう。おかげで死ぬとこだった。

「まぁ、あたしのカンが当たって良かったでやがりますね!」

 フェリエラはクロを思いっきり蹴っていた。

「何しやがるんですか!」

「カンとかふざけんなよ!」

「いいじゃやがりませんか! 最終的には助かったんでやがりますから!」

 まぁ、もっともではあるが、やっぱり納得いかない。

「それより、次はどうすればいいのですか?」

 見かねたクーが間に入ってくる。クーの言う通り、いつまでもここで立っている訳にもいかない。

「ここから撃ちましょうか?」

 そう言って、腰のライフルを指さす。だが、クロは首を振る。

「試してもいいでやがりますが、無駄でやがると思いますよ?」

 そう言ってクロはコインを一枚取り出すと、それを敵に向かって投げた。すると、コインは一定以上の距離を飛んだ瞬間、一瞬のうちに腐って消え去った。金属が腐るなどということはあり得ないが、そうとしか表現しようがなかったのだ。飛んでいたコインの色が一瞬のうちにくすんだかと思うと、空中でボロボロと崩れ出したのだ。これでは、弾を撃ち込んだところで結果は同じだろう。

「ではどうするんですか?」

 クーが必死に聞く。このままでは、いずれ敵に押しつぶされる。こうしている間にも不気味な呪文がこちらに届いてくる。そして、廊下の床から何かが現れた。それは、緩慢な動きで床から湧き出してくると、肉を引きずる音をさせながらこちらに向かってくる。

「グール!」

 それは、フェリエラが良く見知った相手だった。王都に来るにあたってカールに引き継いできたが、今まで散々相手をしてきたモンスターだ。だが、その数が多い。廊下を埋め尽くしているのだ。しかも、まだまだ床から這い出して来る。放っておけば、肉の重みで押しつぶされるだろう。しかも、グールは元々腐っているようなものなので、こちらと違って廊下を自由に歩き回れる。

「クロ、これマジでヤバいぞ! どうすんだよ!」

 刀を構えたままクロを振り返る。だが、クロもあまり余裕はなさそうだ。

「そんなの、あたしが知る訳ねぇでやがりますよ! その刀にでも聞きやがるです!」

「刀!?」

 この状況と疲れで、クロがついに発狂でもしたのだろうか。

「発狂なんかしてねぇでやがりますよ! その刀が退魔のものなら、なんか、こう、頭に呪文かなんか浮かんでくるはずでやがりますよ! それに、そんな東方の骨董品の使い方知る訳ねぇでやがります!」

 クロが使い方を知らないものなど、魔術に感じて素人の俺が知るわけない。それでも、やらなければやられる。フェリエラは、刀に意識を集中して、何となく頭に浮かんでくる言葉を口に出す。

「遥かなる昔、桓武に力を与え鴉よ。我が前に姿を顕し、その神なる力を我に分け与え給え」

 そう、フェリエラが言い終わると、どこからともなく鴉の鳴き声が聞こえた。

「な、なんでやがりますか!?」

「これは……」

 クロとクーが驚いてあたりを見回す。だが、フェリエラは微動だにしなかった。なぜか呪文を唱えている途中かえら、こうなることが分かっていた。

 突然二羽の鴉が突然空中に現れると、その鴉たちは真っ直ぐにフェリエラのもとに向かっていく。一羽は、フェリエラのもつ小鴉にまとわりつくように飛んだかと思うと、黒い炎となって、フェリエラの刀に宿った。小鴉は今、真っ黒い炎を表面に纏っている。

 もう一羽は、そのままフェリエラの頭上を旋回していたかと思うと、太刀に姿を変えた。全長1mほど。全体を漆で仕上げられた黒い鞘と柄で覆われている。

黒漆太刀こくしつのたち

 フェリエラはそれを左手で受け止めると、頭に浮かんだその刀の名を呟いた。左手で黒漆太刀の柄を持つと、フェリエラはそれを鞘から引き抜いた。普通の剣よりも暗い色をした鋼で出来た刀身が光に照らされる。それは、反りの一切ないまっすぐな太刀だった。

 フェリエラは、両手に得物が握られると、右手の小鴉を振り抜いた。小鴉は黒い炎の軌跡を残して右から左へと振るわれる。すると、今までのしかかっていた重圧が霧消するかのように消えていった。どうやら、小鴉が敵のカースを打ち消したようだ。敵に同様が拡がる。その隙に、フェリエラは猛然と前進し始める。左手の刀を構えて、圧倒的な質量を持つグールの群れへと切り込んで行く。走りながら、フェリエラは黒漆太刀で敵を両断していく。フェリエラに切られた敵は、壊れた身体でしつこく地面を這い回ることもなく、溶けて消えて行く。

 それを見た敵が、新たな魔法を放つ。何か、得体のしれない黒い塊がフェリエラめがけて飛んで行く。速度はそれほど速くないが、本能が触れてはならないと警告を鳴らすような禍々しさがそれにはあった。フェリエラは、右手の小鴉を構えると、今度は直接それを切り払った。黒い塊は、小鴉に真っ二つにされた後、刀身の炎が燃え移り、まるでそれに食われるようにして消え失せてしまう。

 敵が明らかな同様を見せる。そこに、フェリエラが接近していく。敵はワタワタと逃げようとするが、動揺していてうまくいかない。フェリエラは左手の刀を構えると、それを黒魔術師たちに向かって振るった。敵を次々に切り捨てていく。

 最後の敵を切ると、フェリエラは小鴉を鞘に納めた。ゆっくりと、炎を消すようにして小鴉を鞘に納めていく。納め終わると、今度は黒漆太刀を空中に放り投げた。すると、また二羽の鴉が空中に現れ、すぐにどこへともなく飛び去って行った。それを見届けたフェリエラは、その場に座り込む。

「あ~疲れた」

 そこへ、クロとクーの二人が駆け寄ってくる。

「すごいでやがりますよ! まさかあんなことできやがるなんて!」

「さすがです。フェリエラ様」

 口々にフェリエラを称賛する。

「ん、まぁな。何となくだけどな」

 何となく、面はゆい思いをしながら応じる。

「それより、さっさと行こうぜ!」

 照れ隠しのために、そう言ってフェリエラは勢いよく立ち上がった。


そこにあるのは大理石の廊下と装飾品、そして廊下の突当りにある巨大なドアだけだ。フェリエラが敵を倒した後、階段を登るとついに最上階にたどり着いた。ここには、全く敵の気配がなかった。

「クー、あれか?」

 フェリエラは階段から廊下の様子をうかがいながら、そのドアを指さして聞く。その声がやけに大きく響く。

「はい。地図とも一致します。あの奥が王の居室のようです」

 本当に、ここで最後のようだ。何とか、たどり着けた。三人は、慎重に廊下へと踏み出した。

 相変わらず三人の足音だけが廊下に響き渡る。この階は、他と違って詰所の扉らしきものが見当たらない。王がそういう物を嫌ってでもいるのだろうか。それでも、妙な緊張感が中りを支配し、三人の頬を冷や汗が伝う。他の二人の呼吸音まで聞こえてきそうなほど静かだった。これだけ静かだと、逆に罠だと思えるが、引き返したり半に躊躇したりしていれば、それだけ危険はます。もはや進むしかない。

 しかし、そんな三人の思いとは裏腹に、あっさりとドアの前までたどり着けてしまう。ドアは、3mはありそうなかなりの大きさの物だった。木で出来ていて重苦しい雰囲気を纏っているが、物理的にも重くて頑丈そうなドアだ。

「ついに、きやがりましたか」

「いえ、まだこれからですよ」

 クロとクーがその扉を前にして息をのむ。

「それより、早く開けようぜ」

 だが、この扉の向こうこそが本番なのである。三人が、扉にてをかけて開けようとした時、突如として廊下に声が響く。

「総員、前進! 撃ち方はじめ!」

 その声を合図に、廊下の大理石の壁が開いたかと思うと、一斉に銃を構えた兵士が出てくる。今しがた三人が上ってきた階段からも、一斉に敵があふれてくる。

 慌てて三人は身を伏せる。どうやら敵は、三人をここに追いつめてから一気に排除するつもりだったようだ。

「土よ!」

 クロが慌てて呪文を唱えると、三人の前に高さ50㎝ほどの土の壁が出現する。これで一応は敵の弾を防げるが、このままではいずれ押し潰される。敵の数があまりにも多すぎる。たとえこのまま王の部屋に飛び込んだとしても、間違いなくやられる。しかも、クロは戦いで疲弊しきっている。フェリエラはフェリエラで、さっきの活躍は相手が黒魔術師だったからこそだ。退魔の力はただの人相手には通じない。人相手には普通の刀でしかない小鴉だけではこの数の銃を相手には戦えないだろう。唯一戦えるのはクーだが、流石に一人では荷が重すぎる。ここに来て、最大のピンチだった。

「お二人は中へ! ここはわたくしがくい止めます」

 その時だった。クーが小声で二人に促した。

「なに言ってんだよ!」

「そうでやがりますよ! あの数を一人では無理でやがりますよ! ここは三人でなんとかしやがるですよ!」

 クーの無茶な提案に、クロと二人で反対する。

「いえ。それこそ現実的ではありません。ここで三人で粘っていても、敵は次々にやってきます。そのうちやられてしまうでしょう。それよりは、王を殺すことに力を傾けるべきです」

「でも……」

 納得できないフェリエラにクーがさらに言い募る。

「いいですか、王の殺害が成らなければ、近衛兵はほぼ無尽蔵にやってきます。ですが、王を殺してしまえば、彼らは止まる可能性がある。そちらの方が生き残れる可能性が高いのです。ですから、ここでわたくしが敵を止めている間にお二人は中へ」

「でも、無理でやがりますよ!」

 クロのその言葉を受けて、クーが身に着けていた物を床に置く。

「ライフル二丁に弾が多数。機銃一丁に弾200発強。これだけあれば、しばらくは戦えます。それに、家の倉庫にあった手榴弾をいくつか持ってきてあります」

 そういって、クーが背負っていた銃と、最後に丸い鉄の塊を幾つか置く。

「手榴弾?」

 最後の単語だけ聞いたことがなかったため、フェリエラが鸚鵡返しに聞く。

「こう使うのです」

 言うなり、クーが鉄の塊の上の方についていたピンを抜いて、それを敵に投げつけた。

「お二人とも、耳をふさいで下さい」

 訳が分からないながらも、言われるままに耳をふさぐ。すると、直後に爆発が起こった。耳を劈くような爆音と、敵の悲鳴が聞こえてくる。

「これだけのものがあればわたくしは大丈夫です。お二人は中に」

 言いながらクーが笑う。

「でも……」

 言いよどむフェリエラ。だが、そこにクロの声が重なる。

「そうでやがりますね。こんだけあれば、大丈夫そうでやがりますね」

「はい」

 そういって、クロはこちらに這ってくる。

「おい、何いってんだよ!」

 フェリエラはなおもクロを止めようとするが、問答無用でクロに襟首を掴まれた。

「いいから、行きやがりますよ!」

 そして、グイグイと引っ張られる。しかし、このままクーを置いていくわけにもいかない。フェリエラは、クロの手を振りほどこうとする。

「あーもう。いいからさっさと行きやがりますよ!」

 だが、クロはそれをものともせずにフェリエラを引きずって行く。

「クロさま」

 それを見たクーが、相変わらずの笑顔で言った。

「ありがとうございます」

 そして、クー銃を手に取ると、暴言を吐きながら反撃を開始する。ここに来て、フェリエラもおとなしく二人に従う。やはり、ここは早く王を殺すのが良いのだろう。

 フェリエラとクロは、重い扉を開くと、ついに王の部屋へと入って行った。


 部屋の中は、意外とすっきりしていた。規則正しく並んだ天井までの高さがある本棚と、机、卓上ランプがあるだけだった。間部の一面にさらに億へと続く扉がある。たぶん、ここは執務室で、そのさらに奥が私室なのだろう。

 フェリエラとクロは、警戒しながらあたりを見回す。今のところ、何の変哲もない部屋である。

「ここにはいないのか?」

 フェリエラがつぶやいたとき、唐突に本棚の隙間から人が現れた。その人物は、ラフな格好をした女性だった。栗色の髪を肩より少ししたで切りそろえた、苛烈という表現が相応しい顔をした女性だ。フェリエラは、咄嗟に刀に手を掛ける。

「メイド、でやがりますか?」

 クロが聞く。だが、返ってきた答えは意外な物だった。

「メイド? はっ! この時間にこの部屋にメイドが居る訳ないだろう。私はシュトルツ・グラオザーム。この国の主だ」

 その瞬間、フェリエラは刀を抜き放っていた。魔法とガス灯が入り混じった光を反射して、刀は鈍く輝いている。

「お、女でやがりますか!」

 しかし、その横ではクロが驚愕を露わにしている。フェリエラ自身も、内心では驚きを隠せなかった。王の名前くらいは聞いたことがあったが、中性的な名前だし、そもそも性別なんて気にしたこともなかった。クーも『王女』ではなく『王』と言っていたし。それに、何よりもあんな残虐な行為を行えるなど、頭がぶっ壊れた男に違いないと決めつけていた。

「王? 本当にお前がこの国の王だっていうのか?」

 予想外の容姿をしていたのと、この状況においてあまりにもあっさりとその素性を明かした女性に、フェリエラは不審の居ろを露わにする。

「そうだと言っている」

 女性が少しイラついたような声で言う。

「影武者でも、気を利かせたメイドや妾が王をかばって嘘をついているのではない。私こそが、この国の王だと言っている」

 それをきいて、フェリエラはクロと頷き合うと、叫んだ。

「覚悟!」

 そう言って刀を振りかぶる。その瞬間、シュトルツは持っていた本をフェリエラに投げつけた。反射的にフェリエラはその本を切り裂く。一瞬、宙を舞う紙がフェリエラの視界を奪う。それでも、シュトルツに向かって切りかかっていく。しかし、フェリエラの耳に届いたシュトルツの一言が、その動きを止める。

「またか……」

 シュトルツは、この状況下において、うんざりしたような深い溜息と共に、そんなこと を言った。この状況ではおよそありえないような発言に、数瞬、その動きを止めてしまう。

 すると、その隙に王が、こちらに近寄って来る。そして、フェリエラの刀の背を素手で押さえると、そのまま力をかけて、刀の切っ先床に突き刺してしまう。

「な? な?」

 そのあまりの意味不明さに、フェリエラは刀を抜くことすらできない。

「貴様らか! 夜中に人のうちを荒らし回っている不届き物は!」

 しかも、シュトルツは二人を怒鳴りつけてくる。もはや、頭が真っ白になる寸前だった。こういう場面では普通シュトルツが泣いて命乞いしたり、警備の兵を読んだりする場面のはずだ。なのに、この状況はなんなんだ?

「それで、要件はなんだ?」

 あろうことか、王は机の角に腰を下ろして、机上に置いてあった紙とペンを手にすると、フェリエラたちに質問をしてくる。始末だった。

「お、お前、この状況わかってやがるんですか?」

 ついにクロが口を開いた。

「状況? メス餓鬼テロリスト二人が深夜に私の部屋に来た。それがどうした? それより、お前たちの方が状況を分かっているのか? 近衛兵に完全に包囲されているんだぞ?」

 クロに対して、変わらず苛烈で厳しいこえで返す。確かに、マズい状況なのはどっちもどっちだろう。

「でも、なんでそれが要件を聞ことになる?」

 フェリエラは、何とか床から刀を引き抜いて鞘に納めると、聞いた。手は、いつでも居合抜きができるように柄にかけておく。

「は? なにを 言っている。私はこの国の王だぞ? この国の民を治め、よりよい方向に導く義務がる。そのためならば使える物や者は何でも使う。それに、貴様らのような輩を排出したのは私の責任でもある」

 この状況にはそぐわない、まるで正義の使者が悪者に向かって言うようなセリフだった。

「ふざけるな! 何がよりよい方向に導く、だ。そんなこと言って時間稼ぎをするつもりなんだろ!」

 フェリエラが叫ぶこの状況においては、そんな言葉信じられ訳がなかった。

「ほう。ではよかろう。もし貴様らの言い分が尤もなもので、私を納得させることができたならば貴様らを一切罪には問わない」

 そういうと、王は持っていた紙になにかを書き始めた。そして、書き終わるとそれをクリップボードに挟んでこちらに投げてよこした。

 フェリエラがそれを受け取ると、そこには今言ったことがきちんと証文として記されていた。

「本当で、やがりますね?」

 クロが問う。

「もちろんだ」

 シュトルツが早くしろという感じで言う。その手には、新たな紙が握られている。

「じゃぁ、言うぞ?」

 あまりにも意外な展開ですっかり混乱した気持ちを抑えるために呼吸を整え、大きく息を吸い込んで、フェリエラは、言った。

「この国で大々的に行われている人肉を食糧にする行為をやめろ!」

 フェリエラが言った瞬間、王が顔につまらなさそうな表情を浮かべる。

「チッ! またこの手の輩か」

 フェリエラは、その反応に狼狽する。どうやら、この手のことを言われたのは初めてではないらしい。

「で、貴様はそれをやめてどうするというのだ? もはやこの国においてそれは欠かせない産業だぞ? 食肉から肥料まで、食糧生産全てのものにかかわっている。それをやめてどうするというのだ? まさか、この国の3億にものぼる全ての人間が等しく飢えればいいとでも言うつもりか? まさか。そんなことはできない。私はこの国を支えねばならん。それに、貴様らの世代はその制度をかなり深く受けているはずだ。それを、何を勘違いしているのか知らないが、いきがるのも大概にしろ! 貴様らは、そんな事をして本当にいいと思っているのか?」

 その世間知らずの子どもを諭すような口ぶりに、思わず叫んでしまう。

「いいと思ってるのかだって? そっちこそ、食人なんて行為が許されると思っているのか!?」

 だが、シュトルツは一切動じない。それどころか、こちらに質問を重ねてくる。

「ほう。そこまで言うからには、きちんとした根拠が示せるんだろうな? 感情論などという下らないものを抜きにした、根拠を」

 まるでこちらを詰問するような態度に、フェリエラは思いつくままに言っていた。

「そんなの、倫理的に間違ってるからに決まってるだろうが!」

「倫理? ではその倫理とは何だ?」

「それは……」

 逆に問われて、フェリエラは言いよどむ。この行為が倫理にもとる行為であることは感情的に理解できる。しかし、いざ問われると、答えられなかった。

「人間として守るべき規範のことか?」

「そ、そうだよ!」

 王自らの答えになかば便乗するようにして答える。

「ふん。下らんな。では、貴様は高々年間数万の人間を生かし、それによって数十万の餓死者が出ることは倫理に則ったこういだというのか?」

 フェリエラは、即答できなかった。食人のような残虐な行為は確実に行ってはならないことだ。そもそも、あんなもの、人間のやるべき行為ではない。あんなことをしなくても、何とかする方法は絶対に在るはずだ。

「そうだ。あんなこと、絶対に間違ってる。あんな風に人を殺すなんんて、絶対に駄目だ!」

「貴様は、人を殺すことが倫理にもとるというのだな?」

「そうに決まってるだろ!」

「ならば、この制度をやめることで死ぬであろう数十万人に関してはどうだ? もし実際にそうなれば、そいつらはお前は殺したのと同義じゃないのか? 人を殺すことが悪だというならば、それこそ私が今やっていること以上の悪じゃないのか?」

「そんなわけ、ないだろ」

 シュトルツの発言は明らかに間違っている気がする。行為の善悪は、決して数だけで決まらないはずである。戦争でも、死んだ人間の数で善悪は決まらない。それと同じはずだ。

「それは間違ってやがります!」

 今まで黙っていたクロが、口を開いた。

「なぜだ?」

「そんなの、理由なんてねぇでやがりますよ! だいたい、感情抜きに死を語るなんて無理でやがります!」

「まぁ、そういう場合もあるだろう。だが、今貴様らが相手としているのは、感情などと言う曖昧なものは一切通じない社会だ! そこにはいろいろな人間の感情が働いている。そこでは感情など、一瞬のうちに踏み砕かれるぞ! だいたい、貴様はブラックドックだろう? さしずめそこのメス餓鬼がお前の飼い主か? だったら、貴様らは身をもって知っているはずだ。感情などではこの世の中はどうにもならないということを!」

 それを聞いた瞬間、フェリエラは顔をしかめてしまう。王の台詞で、いやな過去を思い出してしまう。変なことをされても、今までクロと一緒に居たのは、正に王の台詞が関係あった。

 フェリエラが生まれた日、両親は一匹の犬をもらってきた。同じ日に村で生まれた犬だった。真っ黒な大型犬の子どもで、両親はその犬をクロと名付けた。フェリエラは、犬と一緒に成長していった。

 フェリエラが3歳になる頃には、クロはすっかり成犬の大きさになっていた。おぼろげな記憶の中で、フェリエラはこの頃の自分が、クロの温かい背中に乗るのが大好きだったのを覚えている。

 その後、フェリエラはクロと一緒に成長していった。フェリエラは元々活発な性格ではなく、どちらかというと内気な性格だった。そのせいで友達はいなかった。それどころか、悪戯好きな子供にいじめられることもあった。だが、それでもフェリエラは、クロがいたからよかった。友達が居なくてもよかった。過去のフェリエラにとっての唯一の友達は、クロだった。そんな風にして、フェリエラは10歳まで育った。

 しかし、村を襲った流行病がその状況を一変させることになる。フェリエラの住んでいる無ある地方を中心に猛威を振るった病のせいで、村では大量の死人がでた。さらに、フェリエラを一つの不幸が襲う。フェリエラの両親が死んだのだ。墓に入りきらないほどの死人が出る中で、フェリエラの両親が死ぬこと自体は良く考えれば仕方のないことだったのかもしれない。だが、10歳の子供にそんなことを考えるような余裕などあろうはずもない。結局フェリエラは、祖父であるカールの許に引き取られることになった。両親が危篤状態になってから死ぬまでの数日間、フェリエラは完全にこころを鎖してクロを抱いて過ごしていたという。

 しかし、さらに不幸がフェリエラを襲う。村の墓があふれたのだ。あまりの死者の多さに、墓が満杯状態となった。

 当然、新しい墓を作ることになったが、ある問題が起きた。生贄にする犬が、いなかったのだ。この国では、最初に墓に入ったものが墓守となるが、その負担を人に負わせないようにするために犬を最初に埋葬する。その犬がいなかったのだ。フェリエラの飼っていたクロを除いて。

 両親が息を引き取ったばかりのフェリエラから犬を取り上げることははばかられるが、やらなければどうしようもない。そこで、フェリエラとクロが引き離されることになった。

 当然フェリエラは泣きわめき、やめるように訴えたが、そうもいかない。犠牲を望む村の人々の手によって、クロは引き離された。

 一個人の感情など、社会や大勢の人の前では無意味なのだ。どんなに感情に訴えようと、無駄である。

 まして、今相手にしているものは村などとは比べ物にならないほど大きなもの、国だ。感情などさしはさんではいけない。

 では、なぜ食人という行為はいけないことなのだろう。

「そもそも……」

 フェリエラが思い悩んでいるところに、王が畳みかける。

「そもそも、倫理などというものは倫理などという物は自分が他人から危害を加えられないための方便にすぎん。『俺はお前に危害を加えないからお前も加えるな』基本はそこだ。それにいろいろな下らん理由を付け足して、あたかもそれが素晴らしいものであるかのように見せているだけのことだ。そして、それが広まれば広まるほど、自分が死ぬ確率が減る。それだけのことだ」

 フェリエラは反論できなかった。いくら田舎とはいえ、有名な倫理思想ぐらいは学ぶ機会がある。だが、今まで学んだたいていの思想が、それで説明できてしまうのだ。でも、やっぱり、認められない。理由は上手く言えないけれども、シュトルツのいうことは間違っている。なのに、うまく反論できない。

「やっぱり、そんなのはおかしい! お前は、間違っている! そもそも、人を殺すなんて可哀そうだろうが!」

「ここに来てそんな下らんことを言うか! 貴様はまだそんなこともわかっっていないのか!?」

「そんなことってなんだよ!」

「いいだろう。貴様の小さい脳でもわかるように説明してやろう。例えば、ここに猟師がいる。そいつは、可哀そうだから、という理由で動物を捕らなかった。そしてその猟師は飢えて死んだ。お前はそいつのことをどう思う? 倫理に則って行動した立派な奴だと思うか? 例えば、ある農夫がいる。そいつは、可哀そうだという理由で、芽を出したばかりに畑の作物の間引きを行わなかった。結局作物は育たずに、農夫は飢えた。お前はそいつのことをどう思う?」

 シュトルツがまるで生徒に諭すかのように言う。もちろん、答えはNOだ。そんな奴はただのバカだ。

「でも、それは極端すぎる。俺たちは、動物や植物じゃぁない」

「ほう。貴様は人間以外の動物は殺してよく、人間は殺してはいけないということか?」

「そうだ」

「ならば、その根拠を示せ。人間と動物はどこが違う? 言っておくが人間も動物だぞ」

 人間と他の動物の違い。そんなもの、決まっている。人間には理性がある。他の動物は、理性なんか持たない。でも、人間には、それがある。だからこそ、他人に同情できるし、このような行為を否定することもできる。それこそが、最大の違いだ。

「そんなの、人間には理性があるけど、他の動物にはないからだろ?」

「理性のあるなしで決まるのか? だったら、そこの犬はどうだ? 例えば、こいつがまだこうなる前に誰かがこいつに悪戯して殺してしまったとしよう。それは許されないか?」

「そんなの、もちろん許されるわけないだろ?」

「ほう。理性のない犬畜生だぞ? 貴様は今理性のない者なら殺しても良いと言った。それもだめなら、貴様は獣を食うことすらできなくなる。それでは、生きていけないぞ?

 シュトルツの言葉に、思わず頭を抱えそうになる。考えれば考えるほど、良く分からなくなっていくのだ。

 今目の前の人物がやっていることが間違っているのは分かる。だが、考えれば考えるほど深みにはまって行ってしまうのだ。どうしても、相手を論破することができない。それどころか、むしろ相手の方が正しいような気さえしてくるのだ。

「さっきから聞いてれば、無茶苦茶行ってんじゃねぇでやがりますよ」

 クロが、また口を開いた。

「そんなの、理論がどうのっていう問題じゃぁねでやがりますよ! だいたい、さっきから人の揚げ足とるようなことばっかり言いやがって、これじゃぁ全然だめでやがります。いいでやがりますか。お前のやってることは完全なる悪でやがります! それでもまだ、変なこと言うなら、この城の地下に行ってその目で死んでく人たちを見てきやがるです!」

「地下で見てこいだと? そんなこと、とっくの昔に済ませたに決まっているだろうが。貴様は今までのはなしの流れでまだそんなことを言うか?」

「うるさいでやがります! だいたい、手前はこんなことして良心がとがめないでやがりますか!?」

「良心、か。貴様は、そんなもの後付けの物が何の役に立つというのだ?」

「良心が後付? 何言ってやがるんですか! そんなわけないでやがります!」

「貴様こそなにを 行っている。そんなことは当たり前のことだろう。良心など、教育によってあとから刷り込まれたものにすぎん。例えば、貴様はなんでひとを 傷つけてはいけないと思う? 誰かからそう教えられたからではないのか? もし、教えられなかったら、貴様の中にそのような価値観が存在したと思うか?」

「だ、黙りやがるです!」

 フェリエラは、クロが叫ぶ中黙り込んでいた。考えれば考えるほど、分からなくなっていくのだ。もちろん、この国で行われている行為は間違っていると今でも思う。でも、なぜだ? 王の言うように、確かな理由がないのだ。自分が考えられる理由には、そのどれも穴がある。一方で当てはまるが、一方で当てはまらない。理論的な説明など、できない。

 しかも、今このように思う自分の感情すらも、後付の物だったらどうだ? 俺はのこの感情は、本当に自分の物なのか? 誰かの、都合のいいように刷り込まれたものじゃぁないのか? だとしたら、俺は何なんだ? 分からない。

「フェリエラ、フェリエラも何とか言いやがるです!」

 そのとき、クロが突然フェリエラに話を振った。だが、それどころではない。そんなこと、気にしている余裕はない。フェリエラは、自分自身が何か黒いものにからめとられて、くらい海の底に引きずり込まれていくような、そんな感覚に襲われていた。精神が許容量を超えそうになっている。もはや、何も考えずに暴れ出したいような気持でいっぱいだった。

「ちょ、何ブツブツ言ってやがんですか! もういっそのこと、こいつを始末しやがるですよ!」

 クロがガクガクとフェリエラのことを揺さぶる。

「だいたい、お前の悪事はもうすでに世界に知らしめてありやがりますよ! グダグダ言ってないで、おとなしくしやがりるです!」

 しかし、王はその来るの言葉にも動じない。それどころか、懐から一通の封筒を取り出した。

「ほう。ならばこれをやったのはお前たちか?」

「な……」

 それを見た瞬間に、クロが言葉を失った。それは、確かに今日の夕方に書いたものだ。クロの魔法に乗せて他国に飛ばしたはずなのに、なぜそれがここにあるのか。

「なぜこれがここにあるのか、と言いたい顔だな。それは簡単だ。違法な魔法による郵送など、取り締まっているに決まっているだろうが。しかも、今日の日暮ごろ引っかかてきたこいつは中身が中身だったからな。普段はそんなものの検閲などやっておらんが、これは私のところに回されてきたということだ」

 王は手に持った封筒をヒラヒラと、見せびらかすように動かして見せる。

「で、でも、手前が危機的な状況にありやがるのは変わりないでやがります。フェリエラ、良くでやがりますよ!」

 再びクロがフェリエラに呼びかけるが、やはり返事はない。

「ふぇりえら?」

 クロが不安そうに名前を呼ぶ声を最後に、部屋を妙な沈黙が支配する。あたりには、扉の外から聞こえてくる銃声とクーの罵声、そしてフェリエラの暗い声だけがしている。しばらくその沈黙が続いたとき、唐突に王が笑い出した。

「ふはっはっはっはっはっは! どうした、ブラックドック! それに、そちらのお嬢さんも! まさか、精神でも病んだか?」

シュトルツの声がやけに大きく聞こえる。

「ちょ、さっきからどうしやがったんでやがりますか! おかしいでやがりますよ?」

 クロが、フェリエラのほうを 向いて両肩に手を添えて言う。フェリエラの顔を覗き込むと、その目は虚ろな光をたたえていて、焦点が合っていなかった。

「本当に大丈夫でやがりますか?」

 クロが、こちらを覗き込んで何事かを言っているのを、フェリエラはぼんやりと見ていた。さっきから聞こえるシュトルツとクロのやり取りや、外から聞こえる銃声も耳障りなだけだ。

「本当にどうにかなってしまったようだな」

 うるさい。

「そ、そんな事ねぇでやがりますよ!」

 うるさい!

「だったらちょうどいい、そこの犬でも殺してみたらどうだ? ショックで正気に戻るかもしれないぞ?」

 五月蠅い!

「しっかりしやがるですよ!」

 クロがフェリエラをガクガクと揺さぶる。その瞬間に、フェリエラの中で何かが弾けた。

 俺に触るな!

「ああああああああああああああ!」

 気づくと、フェリエラは叫びながら刀を抜いていた。しかも、その刀は、クロを両断するような軌道で振るわれていた。

「な!? いきなり何しやがるんですか!」

 慌ててクロが飛び退る。刀は危ういところで空を切る。

「意外と早く堕ちたな。全く根性のない」

 黙れ、黙れ! 心の中でフェリエラはそう繰り返す。もう、何も考えたくなかった。頭の中がゴチャゴチャだ。変になりそうだった。自分に触れる者すべてを壊したい、そんな感じだ。

「あああああああああああああああああ」

 再び刀を振るう。今度はクロにではなく、シュトルツに向かってだ。こいつさえ、いなければ、俺はこんなにも迷うことはなかったのだ。だが、軽くいなされてしまう。

「おいおい、八つ当たりか? 元々はお前たちが始めたことだろう?」

 そう言って、シュトルツは立ち上がると、持っていたペンで刀を受け流す。三度、フェリエラは獣のような声を上げる。

「勘弁してくれよ。勘弁してくれよ。近所迷惑だろ?」

 シュトルツのその余裕ぶったこえが、余計にフェリエラの神経を逆撫でる。何度も何度も、刀を振り回す。そのたびにシュトルツは、ペンで受け流したり、僅かに身体を動かすだけでかわす。

「おー、怖い怖い」

 そう言いながら、華麗にフェリエラの攻撃を捌いて行く。いくらフェリエラがまともな上代ではないとはいえ、シュトルツのの動きは尋常なものではなかった。それでも、フェリエラは刀を振り回してシュトルツを追いかける。シュトルツが小刻みにステップを踏みながら移動するため、部屋の中は滅茶苦茶になっていく。机の天板が二つに割れ、壁に収まっていた本が切り裂かれて、紙が宙を舞う。

 そんな中、シュトルツが急にはげしい動きを見せる。今までよりも、回避の動きが大きいのだ。フェリエラの刀を避ける一瞬前、フェリエラに正対して仁王立ちしたかと思うと、フェリエラが刀を振るのを見たとたんに大きく身を躱した。

「ほれ、これでどうだ?」

「え?」

その後ろには、クロがいた。何が起こったのか分からないというように、口を開けてぽかんとしている。フェリエラに残っていた正気が警鐘を鳴らす。刀はクロの頭を直撃するコースだ。マズいと思うが、遅すぎる。刀を止めることなどももうできない。フェリエラは何とか刀の機動をクロからそらそうとする。

だが、刀はクロの右肩を直撃していた。肉を切り裂く慣れた感覚が手に伝わってくるのと同時に、刀はあっけないほど簡単にクロの肩を通り抜けていた。

クロのぽかんとした顔を背景に、切り飛ばされた腕がクロの身体を離れて飛んで行くさまがフェリエラにスローで知覚される。切り口から血が噴き出すところまでも鮮明に見える。

『うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』

 フェリエラとクロは同時に悲鳴を上げていた。一方は痛みから。一方はショックから。

 クロの肩口から溢れた血が、フェリエラの顔面を直撃する。クロは肩口を押さえて倒れこむと、その場でのたうち回り始めた。フェリエラの手から刀が滑り落ちる。もはや、刀を握ることすらできなかった。フェリエラの中に僅かに残った正気の部分が、消し飛んでしまう。前進をクロの地にまみれさせて、呆然と立っていることしかできなかった。

「今度は完全に心が折れたかな?」

 シュトルツの言葉など耳に入らない。フェリエラは震える手を律して、何とか顔の前まで手を持ってくる。震える自分の手には、クロの血がべったりと付着している。それはまるで、フェリエラを責め立てているかのように感じられた。それを 見て、フェリエラはもう一度叫び声を上げた。だが、それで何が変わるわけでもない。

 なぜだ。なぜだ? なぜだ! なぜだ!?

 同じ問が頭の中でグルグルとまわる。だが、何に向かって問いかけているのかも、何について問いかけているのかも、どうして問いかけているのかも、どうしてこの問いなのかもふぇりえ鰓には全く分からない。ただ、なぜかその問いが頭の中を支配する。

 早く何か行動を起こさなければと思う物の、さっきのやり取りのせいか、身体が動かないどころか何をすべきか思いつきすらもしない。ただただ、自分のてを 見つめながら同じ問を繰り返すことしかできなかった。

 そこへ、シュトルツが近づいて来た。そして、フェリエラの耳元に口を近づけると、言った。

「お前のせいで相棒が大変なことになってるな」

 大変なこと? クロが? 確かに、目の前で血を流して苦しんでいる。

「早くどうにかしないと大変なことになるぞ?」

 大変なこと? その通りだ。早く何かしなければ、死んでしまうだろう。でも、何をすればいい?

「何をすればいいか? 簡単なことだ。今そこでのたうち回ってるお前の相棒の傷口、そこに口を付けて相棒の肉を食ってやれば良い」

 食う? クロの傷口を、食べる? そうかそうすれば良いのか。なんだ、簡単なことじゃないか。どうして、思いつか無かったんだ。

 フェリエラは跪くと、血の海と化した床を這いまわっているクロを捕まえた。そして、がっちりとその身体を掴むと、抱き起した。蒼白なクロの顔がフェリエラの顔に近づく。その顔は、自分自身の血液にまみれて、ほとんどが赤く染まっている。

「ふぇり……えら? 何、しやがるきで……やがりますか?」

 クロが何か言っている。しかし、それはもはや問題ではない。フェリエラは、傷口を押さえているクロの手をはぎ取る。

「ちょ、ダメで……やがりますよ」

 クロが弱々しく抵抗する。しかし、フェリエラはそれをものともせずに、クロの傷口に見入っていた。

 そこにあるのは、紛うかたなき肉だった。普段フェリエラが猟師からもらって食べている獣肉と全くことなるところがない、肉だった。

 フェリエラはそれから目を離すことができなくなっていた。そして、徐々に口を寄せていく。

「やめ、やがる、です」

 クロの絶え絶えの言葉など意に介さずに、クロの熱気が感じられるほどに口を近づける。濃い鉄と肉の匂いがフェリエラの鼻を衝く。普段であれば、そんな事は無いはずなのに、今は、それが無性に食欲をそそる匂に感じられた。

 フェリエラは、口をあけ、ゆっくりとクロに齧りついた。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 その瞬間、クロが今までの弱々しさからは想像もできないような大声で悲鳴を上げる。だが、フェリエラはそのままクロから一口分の肉を齧り取ると、ゆっくりと咀嚼し始めた。血の味が口いっぱいに広がる。

 だが、もはやフェリエラに嫌悪感はなかった。フェリエラにとって、それはもはやただの食事と変わりがなかった。口に含んだ肉を、咀嚼していく。

「掃吐き出しやがるですよ……」

 苦痛にゆがんだ顔でクロが言う。

吐き出す? どうして? 人は食べなければ生きていけないんだ。それをなぜ吐き出さなければならない? 今食べているのがクロだからか?

「ダメでやがりますよ……そんな、ことしちゃぁ」

 クロが、諭すように言う。

「そんなことして、傷つくのは、フェリエラの心で、やがります、よ?」

 それを聞いたとき、なぜかフェリエラは涙が流れてくるのを自覚した。

 そうか、結局は、心の問題だったのだ。人間を食物にすることに抵抗があったのは、結局は良心の問題なのだ。それを抜きにして、考えていたから、言い包められてしまったのだ。でも、やっぱり、それだけじゃどうしようもないこともある。

 フェリエラの心に、一つの疑問が浮かぶ。その疑問に、答えなんかないであろうことはわかっている。でも、どうしても、考えてしまう。

 結局、俺はどうすればよかったんだ、クロ?

〈了〉


初投稿です。以前、とある賞に応募した落選作。面白かった、もっとこうした方が良い、など感想を頂けるとすごくうれしいです。

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