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星の雨降る日に

作者: 狸寝入り

―――その日は雨。小さな粒の雨。


 彼がその少女に出会ったのは、冷たい雨の日だった。

 人気のない住宅街の道すがら、傘も差さずに立つ少女が目の端に映る。

 随分前、ニュースで梅雨入りの報道があった。それから雨の日が多くなった。それでも季節的にはもうすぐ梅雨明け。

 今年の梅雨の、最後の頑張りなのか今週は特に雨が多いらしい。連日降っている雨は今日で3日目。

 暑くなり始めていた気温は嘘のように、今は上着を羽織って丁度よい。だが、少女が着ているのは薄手の洋服だった。

 塾帰りの少年は、少女を見かけて自然に近付いていた。


「ね、君。どうしたの? 傘もないし、それにそんな格好じゃ風邪をひいてしまうよ?」


 少女は少年の声に反応して、ぼんやりとその顔を見上げる。


「必要ないの」


 雨の音に消されてしまうような、か細い声で少女は答えた。


「どうして? 傘がないなら貸してあげようか? 僕の家はここから近いし」


 少年は、少女の虚ろな瞳に心配になった。

 しかし、彼の提案を少女は首を振って断る。


「必要ないの」


 同じことを繰り返す少女。

 少年は眉を下に下げて、そっかと呟いた。


「それじゃ、ひとりで帰れる? それとも親御さんと連絡とれるのかな?」


 空を見上げれば黒い底なし沼が見える。

 今日は雨降り。星も見えない、暗い夜空。

 ひとりで少女を帰すのは、どうしてか気が引けた。


「大丈夫」


 少女はそれだけ呟いた。 

 彼女は動く様子がない。少年は仕方がないと思いながら立ち去った。


「親御さんがお迎えに来てくれるのだろう」


 彼はそう思うことにして、少女に背を向けた。


―――次の日も雨。昨日よりも激しい雨。


 少年は今日も塾帰り。差してる傘は安物のビニール傘。

 通り道は昨日と一緒。

 住宅街に通りかかったとき、少女のことを思い出した。

 道を同じように歩く。

 居るわけがない。そう思いつつも、何故か彼は少女がそこに居ることを確信していた。


「……いた」


 かくして少女は今日もまた立っていた。

 傘も差さず、本降りの雨の中でひとりだけ立っている。

 変わったのは服装だけ。

 昨日は白の服。今日は黒の服。


「大丈夫?」


 少年は知らぬうちに問いかけていた。

 

「……大丈夫」


 少女は声をかけられたのに、彼には一瞥もくれずに小さな声で答える。


「君は何でここに立っているの?」


 少年の問いに、少女は今日は初めて視線を彼に向ける。


「雨だから」


 少女の答えに少年は、そっかと答えた。

 

「はい、これ」

 

 少年は差していた傘を少女に差し出す。

 傘を差し出された少女は、それを見ながら首を傾げる。


「これは?」

「どうぞ、安物だけどね」


 少女は傘に視線を向けて、上から落ちてくる雨粒が弾けていく様が見える傘を見つめた。

 そうして、ゆっくりと傘を受け取る。


「……ありがとう」


 少女は礼を言いながらも、視線は傘の上で弾ける水から外さなかった。


「どういたしまして」


 傘を渡した少年は、ゆるりと微笑んでから走って帰る。

 走り去る姿に水飛沫が舞った。


―――今日も雨。しとしとと降る弱い雨。


 少年は今日も住宅街を通る。

 少女は今日もまた立っていた。

 儚げで、消えてしまいそうな彼女。まるで幻のように存在の薄い少女。

 だけど今日の彼女は傘を差していた。昨日少年が渡した傘。透明で空がよく見える傘。

 少年は同じように声をかける。

 

「こんばんわ」


 少女は彼の方にゆっくりと視線を向ける。


「……こんばんわ」


 ぼうっとした虚ろな瞳。まるで底抜けの夜空そのもの。

 どこまでも続く穴のような暗く黒い瞳。


「今日もいたんだね」

「そう。今日もいた」


 少年は不思議と少女の眼を怖いとは思わなかった。

 それよりもどこか引きつけられるような気持ちになる。


「今日は何をしたの?」

「雨を見ていたの」


 少年はまた、そっかと答えた。


「はい、これ」


 彼は背中のバッグから、飴玉をひとつ差し出した。


「これは?」

「どうぞ、飴だよ」


 少年が笑いかけると、少女は不思議そうな顔をする。


「これが、雨?」

「違うよ、飴だよ」


 発音の違いに少年はクスリと笑い声を漏らした。


「飴?」

「そう、飴」


 少女は差し出された飴をじっと見つめてから、ゆっくりとそれを受け取った。


「……ありがとう」


 飴から目を離すことなく、少女は礼を言った。


「どういたしまして」


 少年はそう言って、いつものように帰って行った。


―――今日は晴れ。雲が多い、けれど晴れ。


 少年は住宅街へ向かう。

 けれど少年はなんとなく思っていた。


「今日は、いない」


 雨が降っていないから。

 少女は今日はいないようだった。


「いないんだ」


 少年は持ってきていた飴をひとつ、口に含みながら家へと歩いた。


―――今日は雨。霧雨のような流れる雨。


 住宅街で少年は、少女を見つける。


「今日は、いた」


 少年の口元が自然と緩む。

 無意識のうちに彼は、少女と会うのが楽しみになっていたらしい。


「こんばんわ」


 少年が笑いかける。


「……こんばんわ」

 

 少女はどこか悲しそうに応える。


「どうしたの?」


 少年が心配そうに尋ねる。

 少女の虚ろな瞳が、初めて揺れた気がした。


「……別に」


 素っ気ない彼女。でも、初めて視線を地面に逸らした。

 

「何かあった?」


 少年が問いかけるが、少女は何も答えない。

 彼は、そっかと呟いた。

 少女はその言葉にびくりと肩を震わせる。


「……今日で、最後」


 彼女はそれだけ、小さく小さく呟いた。


「最後?」


 少年が首を傾げる。


「今年はもう、終わり。次はまた来年になるの」


 少女はつまらなそうに、けれど悲しそうに空を見つめた。

 少年はしばらく沈黙したあとで残念そうに、そっかと答えた。


「はい、これ」


 少年はバッグから、遊び道具を取り出した。

 プラスチックの容器に液体が入っている。そして、プラスチックの輪がついた小さな棒がひとつ。


「これは?」

「どうぞ、シャンボン玉が作れるよ」


 少年は晴れの日でも少女に空を見て欲しかった。

 だから、空に向かって飛んでいく綺麗な水の膜を思い出した。


「シャボン玉?」

「そう、綺麗なんだ。空に向かって飛んでいくんだよ」


 空に向かって飛ぶ。少女はその言葉に目を見開いた。

 虚ろな瞳に光が映る。


「……ありがとう」


 少女は遊び道具を見つめてから、少年に目を向けてお礼を言った。


「どういたしまして」


 少年は心からの笑顔で答えた。


「それじゃ、また来年」

「……また来年」


 少年と少女は互いに手を振って、別れた。


―――今日は晴れ。雲ひとつない、快晴。


 少年は住宅街を通る。

 そこに少女はいない。前と同じ、人気のない道。夜の暗いだけの道。

 今日、梅雨明けのニュースが流れた。今年の梅雨は昨日でおしまい。

 少年は黙って住宅街の道を通る。


「―――――とう」


 何かが聞こえた気がした。

 振り返れば、目の前にいっぱいのシャボン玉。

 たくさんの綺麗な水の膜。

 それが、空に上がっていく。夜空の月明かりを反射して、星のように輝いて。

 そうして全部が一辺に割れた。


「雨だ」


 シャボン玉が割れて、雨が降る。

 きらきら光を反射した、星のような雨。

 少女が初めて笑った気がした。


「また、来年」

 

 少年は笑みを浮かべる。

 さっきまで暗かった道が、途端に明るく見えたような気がした。 

少しいつもとは違う雰囲気の物を書きたいと思って書いた短編でした。

なんだか書いていて、自分でも変な感じになったなとか思った作品です。

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