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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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85話:正妻確定

朝は、刃物のように鋭く、冷たく澄んでいた。


戦場の狂騒も、鼻腔を焼く血の匂いも、すでに冬の先触れのような冷気によって空の彼方へと押し流されている。だが、流されたのは匂いだけだ。この場所によどむ空気は、決して軽くはない。


人が集まる場所。

とりわけ、特権を握る貴族たちの視線が、一分子の妥協もなく交差する場。

臨時に設けられた会議場は、急造の天幕でありながらも、千年の歴史を誇る王国の秩序を完璧にトレースしていた。高位貴族の席は一点の狂いもなく整えられ、家格と序列に従って厳格に並ぶ。


その中央に、不自然な空白がある。


そこに立つべき者は、まだ決まっていない。

いや、正確には――そこに立つ資格を持つ者が、この場には一人もいなかった。


ざわめきは最小限に抑えられている。だが、沈黙の底にある張り詰めた緊張は、誰もが皮膚の裏側で理解していた。


今回の大侵攻。

結果は、完勝。

数字という名の残酷な真実は、それを雄弁に証明している。

損耗率、戦線維持の精度、負傷者の生存率、そして一分子の無駄も排した兵站効率。

すべてが、これまでの王国の戦史を一笑に付すほど、常識を逸脱した「最適解」だった。


だが。

その「最適解」を誰が成したかについては、まだ決着がついていない。


表向きの指揮権は、伝統ある貴族側にあった。

だが実際の運用、戦場の再定義、そして数千の命を天秤にかけた判断のすべては――


一人の男の手によるものだった。


アルト・フェルディス。

準男爵家の二男。名もなき、吹けば飛ぶような存在。

それが、一分子の嘘もない現実。

そして、その「怪物」をどう処遇し、どう定義するか。

それが、今日この場に集まった者たちに課された、最も難解なパズルだった。


「では」


重鎮の一人が、澱んだ口を開く。

老練な公爵。形式と家格を守ることに一生を捧げた、古い時代の番人。

「今回の戦における功績、および今後の体制について……整理を行おう」


その瞬間、場の密度が物理的に変わった。


入口の布が、静かに開く。

音は小さい。だが、場にいた全員の視線が、磁石に引き寄せられる鉄屑のようにそちらへ向いた。


入ってきたのは、一人の女。


アンジェリカ・ラファ・ヴァルクレイア。

公爵家令嬢。王家の血を引く、この国の「正しさ」を体現する象徴。


彼女は、一分子の躊躇もなく、中央の空白へと歩みを進めた。

誰の許可も取らない。誰とも視線を合わせない。

ただ、最短距離で、自らの目的地へと進む。

その揺るぎない足取りに、抑えきれないざわめきが波及する。


「アンジェリカ様……?」

「なぜだ、なぜ彼女がこの場に……」


だが、誰一人として彼女を止めることはできなかった。

その背負っている「覚悟」の重みが、一分子の反論も許さぬほどの威圧となって場を圧していたからだ。


彼女は、そのまま空白の中央に立った。

本来ならば、王族、あるいは救国の英雄しか立つことを許されない、絶対的な位置。

だが、誰も異議を唱えない。いや、唱える言葉を失っていた。


アンジェリカは、静かに全体を見渡した。

一人一人を、順に。一分子の感情も漏らさぬ、冷徹で気高い瞳で。

そして、唇を開く。


「今回の戦について、整理する必要はないわ」


場が、一瞬で凍りついた。

重鎮たちの眉が不快げに動く。だが、彼女の言葉を遮る力を持つ者はいない。


「結果は出ている。一分子の疑いようもなくね」

一歩、踏み込む。

「そして、その結果を導き出したのが誰か。……それも、ここにいる全員が、魂の底では分かっているはずよ」


彼女の視線が動く。

自然と、場の端、壁際の一点へと集約される。


そこに、立っている男。

アルト・フェルディス。

彼は何も言わない。椅子に座ることもなく、ただそこに「機能」として存在している。

いつものように陽気な、しかし底知れぬ眼差し。周囲の混乱など、自分とは一分子も関係のない事象であるかのように、ただ凪いでいる。

だが、その存在そのものが、今やこの場を支配していた。


アンジェリカは、その男の方向をあえて見ない。

見ないまま、鋼の意志を込めて宣告した。


「形式の話をするなら、表向きの指揮は私が執ったことになるでしょう」


ざわめき。否定はできない。公式な記録上は、そうなっている。


「けれど。実際の判断は、一分子の狂いもなく別の人間が行った。……そう、アルト・フェルディスよ」


空気が、極限まで張り詰める。逃げ場はどこにもない。


「なら、結論は一つよ。構造を正しなさい。……結果を出した者が、相応しい位置に立つべきなのよ」


その言葉は、血統と格式を絶対とする貴族社会への、一分子の容赦もない宣戦布告だった。

血でも、門地でもない。

「結果」という名の非情な真理で、世界を塗り替える。

それを、この公爵令嬢が言い切った。


沈黙。

誰も、すぐには反論できない。彼女の背後にあるヴァルクレイアの名が、そして彼女自身の眼差しが、反論を不純物として焼き払う。


その隙に、アンジェリカは最後の一撃を放った。


「私は、ヴァルクレイア公爵家の名において、これを宣言するわ」


ゆっくりと、視線を上げる。逃げない。

「アルト・フェルディス」

名前を呼ぶ。初めて、この公式な場で、一分子の尊大さも交えず、その名を。

「あなたを、本軍の最高戦略責任者として認める」


ざわめきが、爆発した。

「なっ……」

「正気か、アンジェリカ様!」

「準男爵の二男を、軍の頂に据えるというのか!」


当然の反発。だが、アンジェリカは眉ひとつ動かさない。


「そして――」

さらに、場を粉砕する言葉が続く。

「私は、その隣に立つわ」


空気が、完全に止まった。

物理的な意味での静止。

それが何を意味するか、この場にいる老獪な貴族たちが理解できないはずがない。


「……アンジェリカ様、それは……まさか……」


「これは命令ではないわ」

アンジェリカが遮る。一分子の揺らぎもない、確信の声。

「私の……選択よ」


言い切る。

「私は、彼の上に立つつもりはない。……彼の下に入るつもりも、一分子もない」


一歩。

「並ぶのよ」


その言葉は、もはや単なる決意ではなく、世界の新しい「法則」としての宣言だった。

「そして、その関係を公にする。……ヴァルクレイアの正嫡として、ね」


沈黙。

理解が、数拍遅れて追いつく。

これは単なる戦功の評価ではない。ただの役職の付与でもない。

これは、アンジェリカ・ラファ・ヴァルクレイアが、アルト・フェルディスの「対等な伴侶」となることを確定させる、究極の意思表示。


「ヴァルクレイア公爵家は、一分子の妥協もなく、これを支持するわ。……文句がある方は、今すぐ私を、そしてヴァルクレイアの名を否定しなさい」


その一言で、すべてが締まった。

王家直系の分家であり、王国の象徴。その名が保証人となるならば、反論は「王権への反逆」に等しい。

誰も動かない。動けない。


その静寂を確認してから。

アンジェリカは、初めて、壁際のアルトを正面から見据えた。

真っ直ぐに。逃げずに。一分子の誇りを「責任」という名の熱に変えて。


アルトは、その射抜くような視線を受け止めた。

そして、いつものように気さくに、しかし冷徹な一言を返す。


「あはは。評価なんていう非効率なものは、僕にはどうでもいいことだよ、アンジェリカ様」


場が再び、驚愕でざわめく。公爵令嬢の宣言に対し、その態度はあまりにも不遜。

だが、アンジェリカは、わずかに、本当にわずかに息を吐いて微笑んだ。

分かっていたからだ。この男が、そんな言葉で揺らぐような「低次」な存在ではないことを。


「ええ、知っているわ。あなたにとって、私の肩書きも、この劇的な宣言も、一分子の価値もないことくらい」


彼女は、一歩、彼へと近づく。

アルトを、真っ直ぐに、瞳の奥まで覗き込んで。


「……でも、勘違いしないで」

ほんの一瞬だけ、声が微かに揺れる。だが、決して逸らさない。

「これは、公爵家としての義務じゃないわ。……私が、私自身の意志で選んだのよ」


静かに。だが、魂を削り出すように。

「だから、これは評価じゃないわ。……確定事項よ。もう一分子たりとも、覆ることはない」


その言葉で、すべての議論は終了した。

沈黙の中で、誰もが理解した。

この関係は、もはや誰にも侵せない。


アルトは、それ以上何も言わなかった。

否定もしない。手放しで受け入れたわけでもない。

だが、拒絶もしない。

彼にとって、それが最大級の「受諾」であることを、彼女は理解していた。


アンジェリカは、背筋を伸ばした。

その姿は、一分子の欠けもないほどに完全だった。

揺るがない。迷いもない。

かつての、他人を見下すための空虚な「誇り」ではない。

責任を背負い、不条理な隣人の盾となるための、新しい「立ち方」。


その瞬間。

場の誰もが認めた。

血統でも、権威でもなく。

ただそこに立つ「強さ」によって。


アンジェリカ・ラファ・ヴァルクレイアは。

アルト・フェルディスの正妻として、一分子の疑いもなく、そこに君臨した。

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