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準男爵家の二男だが、合理で戦場を支配したら公爵令嬢と侯爵令嬢に選ばれた件  作者: 慈架太子


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83話:対等条件

夜は、どこまでも静かだった。


戦が終わった後の静寂は、決して魂の安らぎではない。血の匂いと絶叫が空気に溶けて消えたあとに残るのは、ただの無機質な「空白」だ。風が吹くたびに、瓦礫の隙間から細かな砂が鳴る。その乾いた音だけが、この場所がまだ現実に存在し、時間が進んでいることを証明していた。


臨時の野営地の外れ。灯りは一分子の無駄もなく最小限に落とされ、兵士たちは泥のような疲労に沈んでいる。


その中で、一人だけ、彫像のように立っている影があった。


アンジェリカ・ラファ・ヴァルクレイア。


公爵家令嬢。王家の血を引く、この軍の象徴。

かつては誰よりも高い階梯に立ち、誰よりも遠くを見下していた女。

だが、今は――違う。

彼女は自らの意思で、一分子の躊躇もなくこの場所に来た。


アルト・フェルディスの元へ。


焚き火の前。男はいつも通り、石のように座っていた。

無駄な動きはない。疲労を表情に出すこともない。ただ静かに、瞳の奥で次の局面を整理している。その姿を見て、アンジェリカは一瞬だけ、本当に一瞬だけ足を止めた。


それだけで、自分が変わったことが分かる。

以前の自分なら、迷いなく近づき、命じていただいたろう。迷うという非効率な行為そのものが、存在しなかったのだから。

だが今は違う。一分子の重みを噛みしめ、自らの位置を確認する。


「……話があるわ」


声は、驚くほど静かだった。


アルトはゆっくりと顔を上げる。視線が合う。

それだけで、逃げ場が消える。彼の瞳は、一分子の感傷も挟まずに相手を測る、冷徹な物差しだ。


「聞いている。一分子も漏らさずにな」


短い返答。変わらない、何一つ。

その絶対的な不変が、逆にアンジェリカの呼吸をわずかに乱した。

だが、もう止まらない。ここまで来て、退くという選択肢は彼女の計算には存在しない。


「私は――」


言葉が、わずかに詰まる。一分子の沈黙。

それでも彼女は、アルトの射抜くような瞳から目を逸らさなかった。


「私は、あなたに守られるつもりはない」


風が止まる。瓦礫の鳴る音も消え、焚き火が爆ぜる音だけが周囲に響く。

アルトは何も言わない。ただ、聞いている。

それでいい。これは、許可を求める甘えではない。


「誤解しないで」

アンジェリカは、言葉を一つずつ積み上げていく。

「私は、弱いままで寄りかかる気はないわ。救われるためにここにいるわけでも、騎士道の幻想を追っているわけでもない」


言葉が、冷徹に整っていく。

これは即興の感情ではない。ここに来るまでに、彼女が己の内側で何度も繰り返した演算の結果だ。


「私は、自分で立つ。自分で判断し、自分で結果を引き受ける。……一分子の余地もなく、責任を負う側になる」


一歩、踏み出す。焚き火の光が、彼女の横顔を赤く照らす。


「あなたの隣に立つのなら――その条件は、対等よ」


はっきりと、言い切った。


沈黙。

アルトは、ようやくその乾いた唇を開く。


「対等、か。あはは、面白いことを言うね」

声は気さくだが、その奥にある温度は一分子も上がっていない。

「対等条件。それは一分子の誤差もない『能力』の合致を指す言葉だ。わかっているのかい?」


「ええ。わかっているわ」

迷いはない。

「私は公爵家の人間としてではなく、一人の指揮官、一人の人間として立つ。あなたの上でも、ましてや庇護される下でもない」


視線を外さない。逃げない。

「利用されるつもりもないし、依存するつもりもないわ」


一拍。


「ただ――同じ場所に立つ。それだけよ」


アルトは、しばらく黙っていた。

評価している。感情の揺れではなく、構造の強度で彼女を測っている。それが分かるから、アンジェリカは一分子の動揺も見せずに待った。


やがて。


「無理だな」


即答だった。


アンジェリカの眉がわずかに動く。だが、以前のように激昂することはない。

「……理由を聞かせてもらえるかしら? 一分子の疑いもなく納得させて」


声は崩れていない。だが、内側では、誇りが静かに鳴動した。


「対等というのは、最初から用意されている席じゃない。結果で決まるものだ」

アルトは淡々と告げる。

「条件ではない。ましてや、君の美しい宣言で書き換えられるものでもないんだよ」


焚き火の火が揺れる。

「同じ場所に立つなら、同じだけの結果を出しなさい。一分子の不足もなく、僕と並ぶだけの成果を。……違うかな?」


それだけ。余計な言葉はない。

だが、その事実は岩のように重い。あまりにも単純で、逃げ道がない正論。

アンジェリカは、一瞬だけ目を伏せた。

理解している。この男は、拒絶しているわけではない。

――試しているのだ。


「……なるほど。あはは、最高にあなたらしいわね」


小さく息を吐く。そして、再び顔を上げる。

「つまり、結果で証明されるまでは、対等ではないと。私の言葉は、まだただのノイズだということね」


「そうだね。一分子の重みもない、ただの期待値だ」

即答。迷いがない。


それでいい。

アンジェリカは、わずかに笑った。皮肉でも、嘲笑でもない。自らの中に生まれた新しい軸を確かめるような、納得の笑みだった。


「厳しいわね。あなたは」


「現実だ。最高にハッピーな真理だよ」


「ええ、もう嫌というほど知っているわ」


一歩、さらに近づく。距離が詰まる。焚き火の熱が肌を刺す位置まで。

それでもアルトは動かない。一分子の動揺も見せずに、彼女という事象を見つめ続ける。


「なら、証明するしかないわね」

アンジェリカは言う。はっきりと。

「結果で、対等を証明する。ヴァルクレイアの名ではなく、私の出した数字で」


その目は、もう迷っていなかった。

かつての、他者を見下すための空虚な誇りではない。

自分をこの戦場に立たせるための、血の通った「責任」という名の軸。


「あなたのやり方で、あなたに勝つ。……一分子の隙もなく」


一拍。


「そして、その上で――」


言葉が、止まる。ほんのわずか。

だが、今回は逃げなかった。


「その上で、同じ場所に立つわ」


アルトは黙っている。だが、その沈黙は否定ではない。

「機能」としての彼女が、どこまで出力を上げられるかを見極めるための、静かな観察だ。


アンジェリカは理解する。だから、最後の一歩を踏み出す。

「私は、あなたに守られるつもりはない」


もう一度、繰り返す。今度は、意味が違う。


「でも――」


呼吸を整える。


「背中は、預ける。……これは、私の選択よ」


静寂。焚き火の音だけが、草原に響く。

それは依存ではない。弱さの露呈でもない。

「対等」という不条理な理想を現実に変えるための、彼女なりの信頼の提示だった。


アルトは、初めて視線をわずかに変えた。一分子だけ、瞳の奥に宿る氷が溶ける。


「……いいだろう。最高にハッピーな挑戦状だね」


短く、返す。それだけ。

だが、それで十分だった。


アンジェリカは、それ以上何も言わなかった。

言葉はもう、必要ない。これはまだ、告白でも完成された関係でもない。

だが、もう後戻りはできない位置に、彼女は自ら進んで立ったのだ。


対等条件。

それは平穏な関係の始まりではなく、

地獄を共にするための、一分子の妥協もない「覚悟」の提示だった。

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