出発
いつもより早く目が覚めた。
昔からそうだ。遠足やイベントの前日は普通に眠れるくせに、朝だけやたら早く起きる。しかも目はぱっちりで、寝起きも悪くない。
緊張しているからだろうか。
けれど体に疲れは残っていない。コンディションは悪くない。
さわやかな朝だった。
昨晩のうちに旅の荷造りは済ませてある。あとは着替えるだけだ。
ベッドから降りると、一階から暖かな気配がした。母さんだ。
毎朝、誰よりも早く起きて朝飯を用意してくれる。
小さい頃から感謝していた。
大人になって、自分が親になった姿を想像してみると――あんなふうに家族に尽くせるだろうか。
感謝に、尊敬が混じるようになった。
自然と足が動き、いつも通り階段を降りる。
「あら、早いね!おはよう!眠れた?」
少し驚いた顔で、それでもいつも通り声をかけてくる。
「うん、おはよう」
同じやり取り。
同じ朝。
――なのに、どこか違う。
「お弁当作ったから持っていきなさい。あんたの好きなおにぎらずもあるよ。ナギちゃんの分もね」
「まじか!ありがとう!」
母さんは、いつも通りでいようとしてくれている。
そんな空気が、少しだけ伝わってきた。
昨日、全部言葉にした。
だからもう、余計なことは言わない。
「ナギちゃんは?」
「見てくる」
二階へ上がる。朝の空気は少し冷たくて、静かだった。
ちょうどナギが部屋から出てくるところだった。
――思わず、目を奪われる。
ピンクを基調にした軽装の戦闘服。胸当てと最低限の鎧。前が短く、後ろが長いスカート。大きなリボンと揺れるポニーテール。
可愛さと動きやすさを両立した装い。
そして何より――似合いすぎている。
(やば……)
一瞬で顔が熱くなる。
見すぎた、と気づいて慌てて視線を逸らした。
「……なに見てるの?」
上目遣いで、疑うような視線。
「いや!部屋、ちゃんとしてるなって……あと、それ、置いてくのか?」
誤魔化すように言う。
ナギの部屋は綺麗に片付けられていた。布団もきっちり畳まれている。机の上には、この世界に来たときの服が丁寧に置かれていた。
「来た時より綺麗にして返すの、基本でしょ?
この服は荷物になるし、置かせてもらおうかなって。帰るときにまた持っていくよ」
明るい声だった。
聞いているだけで、少し安心するような声。
「母さんが弁当作ってくれた。ナギの分もあるぞ」
「ほんと!?やった!」
ナギはすぐに一階へ降りていった。
……ほんと、いいやつだ。
それから荷物を持ち、家を出る。
玄関の外には父さんがいた。
「気をつけてな」
短い言葉。
続いて母さんが顔を出す。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
「いってきます」
いつもと同じ言葉なのに、少しだけ重かった。
村の門へ向かうと、人だかりができていた。
見送りだ。
「ナギちゃん!気をつけて!」
「似合ってるよー!」
「かわいい!」
「美しい!」
……全部ナギ宛てだ。
「オレにはないのかよ!」
思わず文句が出る。
そのとき、背中をぽんと叩かれた。
振り返るとシンムーがいた。
「レイ、気をつけてなって師匠から。オレからも同じだ」
……あいつ、わざわざ言わせたのか。
不器用だけど、ちゃんと気にしてくれてるらしい。
門の前には村長がいた。
「ナギに渡すものがある」
渡されたのは、古い紙だった。
「選ばれし英雄。
英雄は神器を手に取るべし」
村長は続ける。
「神器は神の作りし物質。この世の理すら無視する力を持つ。
そして――神器は一人につき一つ。手にした瞬間、その者と融合する」
なるほど、いかにもって話だ。
そう思っていると、ナギが眉をひそめた。
「ねえ……これ、“神器”って書いてある」
……え?
その瞬間。
紙が、光った。
白く、神聖な光。太陽とも灯りとも違う、異質な輝き。
思わず目を細める。
やがて光が収まると――
ナギの手の中には、綺麗な一枚の紙が残っていた。
さっきまでの古びた紙とは別物だ。
村長が咳払いをする。
「……その紙も神器であれば、旅の役に立つだろう」
なんだこの空気。
「いい手紙が書けそうだな!」
とりあえず言ってみる。
周りは苦笑いだった。
ナギの武器は紙。
神が作った紙。
……役に立つ、よな?
「レイよ、お前にもある」
村長は今度は大剣を差し出した。
鞘に収まったそれの柄には、鯉の滝登りの刻印がある。
「これを、あいつに渡せ」
……お使いかよ。
最後まで雑用扱いだな。まあいいけど。
こうして、旅は始まる。
目的地はカルプ王国、王都。
オレの役目は、英雄――ナギをそこまで導くこと。
門を出た、そのときだった。
ナギが足を止めた。
「……ねえ、レイ」
視線の先――空。
青の中に、不自然な線。
まるでガラスに入ったヒビのように、世界そのものが割れている。
「……昨日より、広がってる気がする」
小さな声。
オレは答えられなかった。
そう見える気もするし、変わっていない気もする。
けれど――
確実に、そこにある。
あのヒビが完全に裂けたとき。
この世界は、終わる。
「行こう」
それだけ言って、前を向く。
もう、止まれない。
風が、ひとつ強く吹いた。




