混沌
村に着くと、騒然としていた。
噴水前の広場に、老若男女が集まっている。
空に響いた“終わりの宣言”。
ざわめきは恐怖と疑念で濁っていた。
「あと一年だって……?」
「嘘だろ……?」
「子どもはどうなるんだ」
「年金は?」
その中心で、村長が声を張り上げる。
「落ち着くのだ! あれが真実とは限らん!」
ざわめきが一瞬弱まる。
「秩序を失ってはならない。欲に溺れてはならない。いつも通り過ごすのだ!」
笑顔の村、カミ村。
その時。
人混みを割って、シンムーが駆け寄ってくる。
「レイ! 大丈夫!? いま村が大変で――」
シンムーは背が高く、声も高いのでよく響くし目立つ。
自然と広場の視線はこちらへ集まる。
そして先ほどで、喧々としていたはずの広場に数秒の沈黙。
言葉が止まる。
視線はオレからおれの背中へ。
眠る美少女。
ざわり。
空気が変わる。
「……おい」
「レイがやりやがったぞ」
「誘拐か?」
「いつかやると思ってたんだよ」
「ちげーよ!!」
あまりの騒ぎに、背中でナギが目を覚ます。
「……ん……?」
シンムーに続き人混みをかき分けて母さんまで出てきた。
「あんたをそんな男に育てた覚えはないのに!」
号泣。
おい。
母さんくらい信じてくれよ。
どんだけ信用ないのだろう。
だが本当に違う、冤罪だ!
疑いを晴らすべく、そして目的を伝えるべく声を張り上げる。
「違うって! 神殿で水汲みしてたら空から降ってきたんだ!」
(苦しいな……)
(世界終わる前に狂ったか)
(空ってww)
小声が刺さる。
その中で――
村長だけが、目を細めた。
「……空から、だと?」
神殿。
高塚。
天竜湖に囲まれ、
洪水でも沈まなかった聖地。
古い伝承がある。
――世界が乱れる時、
天より“光”が降りる。
村長の喉が鳴る。
「もしや……」
ざわめきが止まる。
「伝説の、英雄……?」
一斉にナギを見る。
そして、視線はオレに戻り、
「レイが連れてきたのか!?」
「やるじゃないか!」
「さすが!」
皆、手のひらグルングルンである。
「お前らな!! さっきまで犯罪者扱いしてただろ!」
本当に失礼しちゃうわ!
「まぁレイに女の子を攫う度胸はないか!」
ニヤニヤと師匠がこちらを見て腕組みして太々しく言い放つ。
師匠め、あの人だけこの瞬間を楽しんでやがる。
「いや、あるわ!」
「え? あるの?」
背中から、怯えた声。
しまった。
「違くて、わ、わ」
顔が真っ赤に燃え上がる。
⸻
「と、とにかく! バリントーさんはどこだ!?」
再び、空気が少し重くなる。
村長が目を伏せる。
「それが……」
人垣の外から、低い声。
「わたしは、故郷へ帰る。」
道が開く。
鎧姿の男。
バリントー。
カルプ国に雇われた騎士。
実力で選ばれ、国の武力として契約する戦士。
子どもの憧れ。
かつての、オレの夢。
「わたしは故郷を守るために強くなった。財のために剣を振るった。」
静かな声。
「だが世界が終わるのなら、金に意味はない。」
ざわつく村。
「皆には悪いが……あれは真実だ。」
広場が凍る。
「創造神の声だった。その時が来たのだ。」
現実味が、落ちる。
重い。
逃げ場のない重さ。
バリントーの視線が、ナギへ向く。
「そして……」
一歩、近づく。
「彼女は伝説の英雄で間違いない。」
光を見上げるように。
「守護のオーラが、眩しいほどだ。」
ナギはきょとんとしている。
英雄。
光。
世界を救う者。
オレの背中にいるこの美少女が?
英雄かもしれない背中の彼女は、相変わらず細くて軽くて、いい匂いがした。
普通の女の子だ。
とても英雄には見えなかった。
それからバリントーは、本当に去った。
朝靄の残る村外れ。
南へ続く土道の先に、金属鎧の背中が小さくなっていく。
振り返らなかった。
去る前に、彼は村の四方に魔除けの結界を張った。
剣を地に突き立て、低く詠唱し、淡い光の膜を張り巡らせた。
空気が一瞬だけ震え、
肌を撫でるような圧が走った。
「しばらくは持つ」
それだけ言った。
「皆には悪いが、私は帰る」
誰かが叫んだ。
「裏切り者だ!」
誰かが泣いた。
「騎士様、行かないで!」
だが彼は止まらない。
鎧の音が、次第に遠ざかる。
オレは黙って見ていた。
責められなかった。
守るべき場所があるのなら、
そこへ帰るのは当然だ。
オレだってきっと、そうする。
世界が終わると宣告された村は、
騎士の背中が消えた瞬間、
本当に現実味を帯びた。
“終わる”という言葉が、
急に重くなった。
ーーーーーーーー
村長が咳払いをする。
「バリントー不在となったいま、衛兵たちをはじめとした村人たちで村をまもっていかなければらない。残り1年で世界の終焉というののがうそであってもまことであっても村を思う気持ちを忘れてはいけない」
そう言った。
そしてナギを背負ったオレを指差す。
「騎士なき今、皆忙しい。ナギを連れてきたのはレイだ。世話はお前がせい」
面倒ごとはいつもオレだ。
「はいはい」
そう言いながらも、
背中のナギを落とさないよう、そっと家へ向かう。
落下酔いから回復したのか家に着いた頃には降ろしても歩けるようだった。
家の戸を開けると、
母さんが立っていた。
「なぎちゃーん、いらっしゃい」
さっきまで広場で号泣していたのに、
もう台所からいい匂いがする。
……切り替え早すぎるだろ。
ナギは小さく頭を下げた。
「おじゃまします……」
その声はまだ少し不安を含んでいる。
ぐぅぅ、と小さな音。
一瞬の沈黙。
ナギの頬が真っ赤になる。
母さんが優しく笑う。
「お腹すいたでしょ? 今日はご馳走よ。お風呂も沸かしてあるからね」
食卓には、ローストポーク。
蒸したてのシュウマイ。
湯気の立つスープ。
ナギは恐る恐る箸を持ち、
一口。
目が見開かれる。
「……おいしい」
その笑顔。
さっきまで世界の終わりを告げられていた少女とは思えない。
光みたいだった。
かわいい。
本気で。
母さんの視線が刺さる。
「本当に変なことしちゃダメだよ」
「しねーよ!」
(できねーよ)
小声は飲み込む。
ナギはそんなことお構いなしに、
夢中で食べている。
その姿を見ていると、
胸の奥の緊張が少しだけほどけた。
食事を終えると、母さんが立ち上がった。
「ナギちゃん、お風呂できてるよ」
柔らかい声で手を引く。
ぱたぱたと廊下を歩く足音が遠ざかり、
家の中に一瞬、静けさが落ちた。
……風呂か。
オレは妙に落ち着かない気持ちで、
湯気の立つ湯呑みをいじっていた。
それから数十分後。
二階から足音がして、
階段を降りてくる気配。
振り向いた瞬間、息が止まった。
用意しておいた寝巻きを着たナギが、
少し遠慮がちに立っている。
濡れた髪。
首元に残る湯気。
石鹸の匂いがふわりと漂う。
同い年くらいの異性の、
風呂上がりなんて見たことがない。
心臓がうるさい。
目のやり場が、ない。
「あの……」
ナギが胸の前で手を揃える。
「突然来た、よくわからない私に……親切にしてくれて、ありがとうございます。」
お礼を言いにきたのか。
声は少し震えているのに、
まっすぐこちらを見ていた。
なんで、こんなにいい子なんだ。
知らない世界に突然放り出されて。
世界は終わると言われて。
それを救うのはお前だと、勝手に決められて。
普通なら泣き叫んでもおかしくないのに。
オレは、胸の奥がじわっと熱くなるのを感じていた。
そのとき。
椅子の軋む音。
母さんが立ち上がり、
迷いなくナギを抱きしめた。
「いいのよ。何か困ったら、いつでも私たちに言いにおいで。」
包み込むように、
本当に包むように。
母さんは昔から、娘が欲しかったらしい。
兄とオレの男兄弟。
ナギを見て、
きっと胸のどこかが満たされたんだろう。
ナギは一瞬驚いた顔をして、
やがてその腕の中で、小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます。」
今度は少し、涙ぐんでいた。
父さんのほうを見ると、
腕を組んだまま無言で頷いている。
……と思ったら。
目から滝みたいに涙が流れていた。
「父さん……」
何も言わないくせに、号泣してる。
「寝室、案内してあげなさい。」
鼻をすすりながら、低い声で言った。
固まっていたオレは、
慌てて立ち上がる。
「寝室、案内するよ」
我が家は二階建ての戸建てだ。
きしむ階段を上がる。
ナギは後ろを、静かについてくる。
廊下の窓から、月明かりが差し込んでいた。
夜は妙に静かだ。
来客用の部屋の扉を開ける。
白いシーツ。
小さな机。
窓から見える星空。
「ここが部屋だよ。ゆっくり休んで」
それだけ言って、
すぐ戻ろうとした、そのとき。
「レイ」
振り向く。
ナギは少し笑っていた。
「ありがとね、レイ。明日もよろしくね」
胸の奥が、またきゅっと締まる。
「お、おう。ゆっくり休むといい。明日は村を案内するよ。」
ぎこちなく、情けない声。
ナギは小さく頷いた。
「うん。おやすみ」
「、、、おやすみ」
扉が静かに閉まる。
廊下に一人取り残される。
心臓がまだ速い。
今日は本当に色々あった。
オレも疲れているが、休んではいられない
さて、と。
オレには仕事がある。
静まり返った家を抜け、外へ出た。
夜気は冷たく、肺の奥まで澄んでいる。
空には、嫌になるほど綺麗な星。
――世界が終わると言われた夜にしては、
あまりにも静かだった。
石畳を踏みしめながら、噴水前へ向かう。
中央広場。
昼間あれだけ人で溢れていた場所は、
今は月光に照らされるだけの、白い空間だ。
水の音がやけに大きい。
いつもと同じはずなのに、
今日は少し違う。
胸の奥が、ざわついている。
不安というより、
嵐の前のような緊張。
衛兵として、今夜は見回りを強化することになっていた。
「レイ、東側頼む」
同僚のチンパが短く告げる。
声は平静を装っているが、わずかに硬い。
皆、平然を演じている。
市場の裏路地。
花畑へ続く小道。
森へ向かう入り口。
異常なし。
夜は、ただ夜のままだった。
何も起きない。
それが逆に、落ち着かない。
東の森の方角を見つめる。
あの神殿。
ナギが降ってきた場所。
――英雄。
村の期待。
世界の終わり。
創造神。
現実味がない。
「……ほんとに、終わるのかよ」
呟きは夜に溶けた。
2人体制で休憩をとりつつ回した。
やがて、空が薄く白む。
夜明けだ。
鳥が鳴き始める。
パン屋の煙突から煙が上がる。
市場の準備をする音が聞こえる。
何も起きなかった。
世界は、普通に朝を迎えた。
一日が過ぎた。
村は、いつも通りの顔をしていた。
噴水前では子どもが走り回り、
市場では値切り交渉の声が飛ぶ。
花畑では、いつものように花が揺れている。
もしかしたら、
イタズラだったのかもしれない。
誰も口には出さないが、
そう信じたい空気が漂っていた。
カミ村のみんなは、
努めて“いつも通り”を演じている。
秩序を守る。
村長の言葉が、まだ生きている。
でも。
ほんの少しだけ。
笑い声が短い。
視線が、空を確認する。
沈黙が、長い。
そんな気がした。
平穏は戻ったように見える。
けれどそれは、
薄い氷の上に立っているだけだと、
オレは知っている。
――何も起きない一日が、
こんなにも不安だなんてな。
噴水の水面に映る空を見つめながら、
実家で眠っているだろう彼女を思う。
(ナギに村を紹介することになっていたな)
その前に1時間だけ仮眠を取ろう
寝不足のフラフラとした足取り。まるでマリオネットのような姿で家へ帰る。
疲労と睡魔に思考を奪われたオレは、そのまま仮眠のつもりで布団に倒れ込んだ。
気づいたら、朝だった。
いや、正確には――
「レイ! いつまで寝てるの!」
バシン、と遠慮のない一撃が背中に落ちる。
「いってぇ……」
まぶたが重い。
体が鉛みたいだ。
昨夜の見回りの疲れが、今になって押し寄せてくる。
「お疲れね。でもね、ナギちゃん起こして村の案内してあげなさい。あの子、きっと不安なんだから。
知らないことは何よりも怖いものよ。少しでも安心できるように、色々教えてあげなさい。」
母は腕を組みながらも、どこか優しい目をしていた。
「朝ごはんできてるから、呼んできて。ナギちゃんのこと、頼むわよ」
どうやらギリギリまで寝かせてくれていたらしい。
……優しいな、ほんと。
まだ抜けきらない疲労に体を軋ませながら立ち上がる。
でも不思議と、
“ナギのため”だと思うと足が動いた。
……もう好きなんじゃないか?
自慢じゃないがオレはちょろい。
隣の席になった女子を、だいたい好きになってきた男だ。
今回なんて、
空から降ってきた美少女だぞ?
難易度ゼロだろ。
無理やりテンションを上げつつ、ナギの部屋の前に立つ。
コン、コン。
コン、コン。
何度叩くも返答はない。
少し不安になる。大丈夫なのだろうか?
かと言って入っていいものか、、、
もう一度叩こうとしたとき、
「……おはよう……」
扉が開く。
寝癖混じりの髪。
少し眠たげな目。
朝は弱いらしい。
その姿に一瞬、言葉が詰まる。
「あ、ああ、おはよう。飯できてる」
母のいつもより二品多い、気合の入った朝食を囲む。
焼き魚。
根菜の煮物。
香ばしいパン。
そして花蜜のかかった果物。
ナギはひとつひとつ丁寧に「おいしい」と言った。
それだけで、
母の機嫌が天井を突き抜ける。
朝食のあと、約束通り村を案内することになった。
市場へ向かう道すがら、
ナギは昨日とは別人のように明るかった。
目をきらきらさせて、
花屋の前で足を止め、
噴水を覗き込み、
小さな露店にも興味を示す。
「これ、なに?」
「もみじ饅頭だよ。オレの好物」
半信半疑でかじるナギ。
ぱあっと表情が開く。
「おいしい……!」
……かわいすぎる。
口元についた餡を慌てて拭く姿に、
心臓が忙しい。
さらに服屋の前で足を止める。
「入っていいかな?」
目が輝いている。
異国の服が珍しいらしい。
布の質感を確かめ、
鏡の前で合わせてみて、
くるりと回る。
「どうかな?」
「……い、いいんじゃないか」
声が裏返った。
……これ、デートじゃないか?
いや違う。
任務だ。
英雄候補の護衛兼案内だ。
そう、任務。
任務である。
……顔、熱いな。
ふと店の奥を見ると、
母さんがいた。
いつの間に。
ナギの隣で布を手に取りながら、
「それ絶対似合うわよ!」
「ほら、こっちも可愛い!」
と、盛り上がっている。
「娘とこういうことしたかったのよ!」
丸聞こえだぞ。
オレは店の外からその光景を眺めた。
嬉しそうに笑うナギ。
無邪気に服を合わせては照れる姿。
……ただの、可愛い女の子じゃないか。
英雄?
世界を救う存在?
そんな重たい言葉が、
この小さな背中に乗っているなんて、
信じられなかった。
この子に世界の運命を託す?
冗談じゃない。
胸の奥に、昨日とは違う感情が芽生える。
世界の終わりが本当なら。
英雄が本当にこの子なら。
せめて。
せめて、笑っていてほしい。
服屋の窓越しに、
白い光がナギの髪に反射する。
眩しい。
でもそれは、
英雄のオーラなんかじゃない。
ただの、
普通の女の子の笑顔だった。
「レイ、アレなに?」
ナギが指さした先。
青空の真ん中を、ひとりの男が悠々と横切っていた。
椅子に腰かけたまま、足を組み、片手に槍を持っている。
風を切りながら、ゆっくり旋回するその姿は、
まるで空そのものが彼の足場であるかのようだった。
「あー、パトロールだよ。あれはシンムー。衛兵のひとり。空から村の周囲を見張ってる」
「……いや、そうじゃなくて」
ナギは目を見開いたまま、固まっている。
「空、飛んでる」
……ああ、そこか。
ナギにとって異国の文化なのだ、誰でも飛行できるわけではない。きっと飛ぶ人間を初めて見たのだろう。
「どうやってるの?」
その問いに、オレは少し考え込む。
魔法は、この世界では“必然の奇跡”と呼ばれることがある。
奇跡なのに、必然。
矛盾しているようで、でもしっくりくる。
指を曲げるとき、
いちいち仕組みなんて考えない。
呼吸をするとき、
肺の動きを意識しない。
魔法も同じだ。
生まれ持った器に、
生まれ持った流れがあり、
それを“そうだと信じる”だけで世界が応じる。
信じるを超越した必然に昇華することで奇跡は起きる。
だから「どうやって」と聞かれると困る。
「……イメージ、かな」
オレは空を見上げながら言った。
「飛ぶって思えば飛べる。落ちないって信じれば落ちない。そういう感じ」
ナギは首を傾げる。
信じるだけで飛べる世界。
確かに、異様だ。
「オレは飛べないけどな」
そう言って、右腕を突き出す。
拳を握り、掌を上に向ける。
体の奥にある熱を、意識の一点に集める。
「――フレイムオーブ」
宣言と同時に、拳を開く。
空気がわずかに震え、
掌の上に火が生まれた。
丸く、揺らめく、炎の球体。
昼の光の中でもはっきりわかる橙色。
熱が頬を撫でる。
「え、すごい!!」
ナギが身を乗り出す。
「レイすごい!」
その声が、思いのほか真っ直ぐで。
……あ、やばい。
嬉しい。
めちゃくちゃ嬉しい。
これ、初級魔法だぞ?
子どもでも扱えるレベルだぞ?
それでも、
ナギの目は本気で尊敬しているみたいに輝いている。
「べつに、そんなことない……」
できるだけクールに受け流す。
「耳、真っ赤だよ?」
……バレてた。
ナギがくすくす笑う。
その笑い声は、昨日より軽い。
ちゃんと、生きている音がする。
少しの沈黙のあと、ナギはポケットに手を入れた。
取り出したのは、薄い金属の板。
黒い画面に、割れ目のない滑らかな表面。
「わたし、多分……違う世界から来た」
静かに言う。
「私の世界では魔法なんてないし、こんな文化も聞いたことない」
その板を見せる。
「これ、私の世界で使われてるもの。でも、ずっと圏外。使えないの」
見たことのない道具だった。
魔力の流れも感じない。
ただの、静かな物体。
けれど、不思議と。
「……やっぱりな」
あまり驚かなかった。
どこか、最初からそんな気がしていた。
空から落ちてきた少女。
魔法に驚く目。
どこか、世界と噛み合っていない空気。
「また教えてね」
ナギが顔を近づける。
距離、近い。
近い近い近い。
「う、うん」
……惚れるってこういうことか。
笑ってくれている。
それだけで、胸が満たされる。
世界が終わると言われた初日とは思えないほど、
ナギは今、生き生きとしていた。
――よかった。
心の底から、そう思った。
⸻
やがて、村の西へと歩く。
ナギが辺りを見回して言う。
「なんかこの村、お花が多いよね?家にもあったし、服屋さんにも、道にも……」
ちょうどその問いに応えるように、
視界がひらけた。
「ついたぞ」
西の丘一面に広がる花畑。
色とりどりの花が風に揺れる。
白、青、赤、淡い紫。
花弁が光を受けて透け、
甘い香りが流れる。
ナギが息を呑む。
「……うわぁ」
ゆっくりと足を踏み入れる。
花の波の中に、小さな人影が溶け込んでいく。
「みんなお花好きなんだね」
「この村だけじゃない。この世界では、命あるものは死ぬと一度、花になるって言われてる」
ナギが振り向く。
「花に?」
「そう。命は巡る。枯れるけど、終わりじゃない。種になって、また誰かの命になる」
風が吹く。
花が一斉に揺れる。
まるで、目に見えない呼吸をしているみたいだった。
「だから大切にするんだ。命を」
ナギは黙って聞いている。
やがて、震える声で言った。
「……すてき」
白い花の前でしゃがみ込む。
小さく、凛とした一輪。
「わたし、この花好きかも」
「好きなのを選ぶといいよ。」
ナギの呟きに答える。
「取っていいのかな……?」
遠慮したような雰囲気でどこか困っているようだった。
「むやみに摘むのはよくない。でも、ナギが“好き”って思ったなら、それは意味がある」
「意味?」
「花は、選ばれるのを待ってる。ナギが選んだなら、その花もナギを選んだってことだ」
少しの沈黙。
ナギは、そっと白い花を摘んだ。
そして、くるりと振り向く。
「レイにあげる。いつもありがとう」
「えっ」
時間が止まる。
この世界で、
好きな色の花を一本贈る意味。
それは――
自分を差し出すこと。
想いを、託すこと。
ナギは知らない。
そんなつもりじゃない。
わかってる。
それでも。
「……ありがとう」
手にした白い花は、驚くほど軽い。
なのに、
胸の奥は、重くなる。
この世界で花を一本渡すとき。
それは告白であり、
誓いであり、
“自分そのもの”を差し出す行為。
受け取るということは、
その想いごと受け入れること。
だから軽くは渡せない。
軽くは受け取れない。
風が吹く。
白い花弁が揺れる。
その中心で、
オレは確かに何かを受け取ってしまった。
世界の終わりよりも、
もっと大きな何かを。
白い花を受け取ったまま、しばらく動けなかった。
頭の中で何かが弾けたように、思考が真っ白になる。
昨日から衝撃ばかりだ。
空から少女が降ってきて、
世界の終わりを告げられて、
その少女が英雄だと持ち上げられて、
騎士は村を去り、
そして今――
想いを宿す花を渡された。
寿命が縮んだと本気で思った。
心臓が限界突破している。
震度百。
いや、もはや計測不能だ。
鼓動が耳の奥で鳴っている。
……落ち着け、オレ。
深呼吸をひとつして、
なんとかナギに向き直る。
「よし、一通り案内は終わったかな。どうだった?」
声が少し上ずった気がする。
バレてないことを祈る。
ナギは花畑を振り返り、
空を見上げ、
そしてオレを見る。
「ありがとう!」
ぱっと笑った。
その笑顔は明るい。
まぶしいくらいに。
でも――
ほんの少しだけ、
その目の奥が揺れているのがわかった。
きっと無理している。
昨日、突然この世界に来て、
終わりを告げられて、
救世主だと背負わされて。
怖くないわけがない。
不安じゃないわけがない。
それでも彼女は笑う。
周りを安心させるために。
空気を重くしないために。
……どこまでいい子なんだよ。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
「オレになにができるかわからないけどさ」
気づけば言葉が出ていた。
「ナギが帰れるように、オレも手伝うから。だから、何かあれば頼ってくれよ」
言いながら、自分で苦笑する。
飛べない。
初級魔法ひとつ。
ただの村の衛兵。
騎士でも、賢者でもない。
世界を救う力なんて、どこにもない。
それでも――
そばにいることくらいはできる。
ナギは一瞬だけ目を伏せ、
そっと袖で目元をこすった。
光が揺れた。
涙だ。
でも次の瞬間、
彼女は顔を上げた。
「ありがと!」
太陽みたいな笑顔。
「頼りにしてるよ、レイ!」
その言葉が、
真っ直ぐ胸に刺さる。
頼りにしてる。
その一言で、
世界の終わりなんてどうでもよくなりそうだった。
……ああ。
オレはこの子が好きだ。
はっきりわかる。
守りたい。
助けたい。
笑っていてほしい。
英雄だからじゃない。
異世界から来たからでもない。
ナギだからだ。
白い花を握る手に、力が入る。
世界が終わるなら、
終わらせなければいい。
変われないなら、
変わればいい。
この子の隣に立てる男になる。
そう強く思った。
空から影が落ちた。
風が渦を巻き、砂埃がふわりと舞う。
「レイー!」
見上げると、シンムーが降りてくるところだった。
いつものように椅子に座ったまま、空から滑るように降下してくる。
着地すると、息を整える間もなく言った。
「村長が呼んでる。二人とも来てって」
オレとナギは顔を見合わせる。
ただならぬ雰囲気だった。
⸻
村長の家へ向かう。
玄関前には、すでに数人の村人が集まっていた。
ざわざわと落ち着かない空気が漂っている。
部屋に通されると、村長は机の前に座っていた。
深く刻まれた皺。
固く結ばれた口元。
そしてその目には、
ただの村長ではない「責任」が宿っていた。
しばらく沈黙が続く。
やがて村長は、
ひとつ大きく息を吐いた。
そして、こちらを見た。
「単刀直入に言おう」
低い声。
「世界のために戦ってほしい」
「……え?」
言葉が理解できなかった。
ついさっきまで、
村を案内して、
もみじ饅頭を食べて、
服屋を覗いていたのだ。
それがいきなり、
世界を救え?
「いや、いくらなんでも無責任すぎないですか?」
思わず声が強くなる。
「いきなりお願いなんて……!心の準備だってあるし、そもそも俺たちの世界を救えって、あまりにも――」
そこまで言った瞬間。
村長の声が、空気を裂いた。
「隣町が滅びた」
言葉が止まる。
「……え」
村長は机の上の紙を持ち上げ、
こちらに向けた。
重厚な刻印。
鯉の滝登り。
カルプ国、王都の紋章だ。
そこには短い文が刻まれていた。
「ダイダラ滅ぶ。世界の終焉は真実。英雄を王都へ」
ダイダラ。
隣町の温泉街だ。
休日にはよく行っていた。
「原因は不明だが……焼け野原だそうだ」
村長の声は重かった。
「世界の終わりの宣言。あれは嘘ではなかった」
ゆっくりとナギを見る。
「ナギ。お前はおそらく、世界を救うために来た英雄だ。王都へ向かってくれ」
そして次に、オレを見る。
「ナギだけを行かせるわけにはいかない。村は人手不足だ。だから――レイ」
指がこちらを指した。
「案内役として同行しなさい」
「……はい?」
頭が追いつかない。
「普通の女の子ですよ!」
思わず叫んだ。
「俺らの世界なんだから、俺らで守ろうよ!責任押し付けて情けないじゃないですか!」
村長は、静かに頷いた。
「……情けない話だ」
そして窓の外を指した。
「空を見ろ」
外へ出る。
見上げる。
空。
青空。
……いや。
違う。
そこには、
亀裂があった。
空そのものに、
細いヒビが走っている。
昨日、
神が終焉を告げたとき、
空は一度割れた。
閉じたと思われていた。
だが――
その傷は消えていなかった。
むしろ。
少しずつ、広がっている。
空が裂けた瞬間。
この世界は終わる。
「……信じられない」
その時だった。
ドンッ!!
扉が乱暴に開いた。
村人が飛び込んでくる。
「ハーゲンが!」
言葉を最後まで聞く前に、
オレは走っていた。
⸻
村の外れ。
結界の境界。
バリントーが結界を張っている。
そのすぐ外。
地面に倒れるハーゲン。
そして――
巨大な影。
ボアオオジシ。
山のような体躯。
黒い鬣。
牙は人の腕ほどある。
こんな魔獣、見たことがない。
ここ数年、
魔物自体ほとんど現れていなかったのに。
衛兵たちが魔法で威嚇する。
だが効いていない。
ハーゲンが逃げられない。
助けないと。
「フレイムオーブ!」
掌に炎を灯す。
振りかぶる。
「火の玉……ストレートォォォ!!」
全力で投げつける。
炎が命中。
《グォッ!!》
巨体が一歩後退した。
しかし次の瞬間、
獣の目がこちらを捉える。
……やばい。
次の標的はオレだ。
巨体が突進してくる。
速い。
想像より、遥かに速い。
「結界に戻れ!!」
シンムーたちがハーゲンを救出する。
その間。
オレが囮。
巨体が迫る。
圧迫感で呼吸が止まりそうになる。
足が動かない。
逃げろ。
逃げろ。
動け。
動け。
……動け!!
突進。
ギリギリで横に転がる。
しかし。
牙が、腹を抉った。
バゴォッ!!
衝撃。
体が宙を舞う。
世界が回る。
地面。
空。
地面。
そして、静寂。
気づけば、倒れていた。
体が動かない。
視界が霞む。
血の匂い。
腹を見る。
抉れていた。
血が溢れている。
地面が赤い。
耳鳴り。
音が遠い。
呼吸だけがうるさい。
(やべ……死ぬかも……)
力が抜ける。
ここで終わりか。
巨体が、また近づく。
「だめぇ!!」
遠くから声。
黒い髪が視界に入る。
「……ナギ?」
ナギが立っていた。
オレの前に。
守るように。
「な……にして……」
声が出ない。
ボアオオジシが突進する。
ナギごと吹き飛ばす気だ。
「きゃあ!」
ナギが手を突き出す。
次の瞬間。
轟音。
地面が爆ぜた。
砂煙。
静寂。
……生きてる。
ゆっくり目を開ける。
視界の先。
ボアオオジシは、岩肌まで吹き飛ばされていた。
巨体は横倒しになり、動かない。
絶命している。
ナギはその場に立ち尽くしていた。
自分の手を見つめている。
震えている。
自分の力に、
自分が一番驚いているようだった。
やがて気づき、
こちらを見る。
「レイ!!」
駆け寄ってくる。
甘い香りがした。
(いい匂いだな……)
そう思った瞬間。
意識が途切れた。
⸻
⸻
⸻
戦場の中でオレは立っていた。
火薬の匂い。
焼けた土の匂い。
血の匂い。
空を見上げる。
空は、真っ二つに裂けていた。
黒い亀裂が世界を切り裂いている。
風が唸る。
遠くで悲鳴が聞こえる。
ふと気づく。
自分の手が、何かを掴んでいる。
重い。
ゆっくり持ち上げる。
それは――
人間の頭部だった。
生首。
血が滴る。
その顔は。
誰かに似ている気がした。
⸻
⸻
⸻
「うわぁぁぁあっ!!」
体が跳ね起きた。
心臓が暴れている。
全身が汗で濡れていた。
だが。
さっきまでの土の匂いはない。
代わりに。
木の香り。
見慣れた天井。
木目の梁。
……自室だ。
思考がゆっくり戻ってくる。
どうやら夢を見ていたらしい。
よく思い出せないが、
とにかく最悪な夢だった気がする。
でも。
悪夢を夢だと認識した瞬間、
少しだけ得した気分になる。
不思議だ。
いい夢だと、
「夢だったのかよ!」って損した気分になるのに。
悪夢は逆。
夢でよかったーってなる。
夢は悪夢の方がお得なのかもしれない。
共感してくれる人、いるかな?
そんなことを考えていると、
聞き慣れた声がした。
「レイ!」
ベッドの横。
ナギがいた。
目が合う。
身を乗り出して顔を近づけてくる。
「大丈夫?」
ここでようやく思い出した。
ボアオオジシ。
腹を抉られた。
……死にかけた。
オレは生き延びたらしい。
きっとシンムーたちが運んでくれたのだろう。
ナギは真剣にこちらを見ている。
顔が近い。
すごく近い。
目を合わせられない。
顔が熱い。
きっと真っ赤だ。
だがそれを悟られないよう、
できるだけクールに聞いた。
「……何があったんだ?」
ナギの後ろで椅子に座っていたシンムーが答えた。
「ナギちゃんが魔物倒したんだよ。あとレイの傷も治した。ハーゲンも無事」
ああ、そうだった。
ナギがボアを吹き飛ばしたんだ。
恐る恐る脇腹を見る。
……綺麗だ。
あれだけ抉れていたのに。
跡すらない。
(なんということでしょう……)
心の中でナレーションが流れた。
村長の言った通りだ。
ナギは本当にすごい力を持っている。
英雄なのかもしれない。
だからといって。
「じゃあ世界のために戦ってくれ」
なんて言う気にはなれない。
「えっと……ナギ」
オレは頭をかいた。
「ありがとう。助かった」
ナギは目を伏せた。
そして、自分の手を見つめる。
「……本当みたい」
小さく呟く。
「私が英雄かもしれない」
声が震えていた。
「私には……人を救う力があるの」
怖いのだろう。
自分の力が。
そしてナギは顔を上げた。
「レイ」
「私、村長さんの話受ける」
「何言ってんだよ」
思わず体を起こす。
少しよろけた。
シンムーが肩を貸そうとしたが、
手で制した。
ナギの前に立つ。
「ついさっきまで戸惑ってたじゃないか。無理する必要ない」
ナギは静かに言う。
「わからないからこそ、知りたいの」
真っ直ぐな目。
「この力の意味」
「私がここに来た意味を」
その瞳には覚悟があった。
おっとりしているのに。
芯が、驚くほど強い。
……すごい人だ。
同時に思う。
守りたい。
でも。
その必要はないのかもしれない。
彼女はもう、強い。
それでも。
助けになりたい。
放っておけなかった。
「じゃあオレも行く」
ナギが目を見開く。
「案内役として」
ニヤリと笑う。
「道、知らないだろ?」
世界の終わりへ向かう旅。
でも。
一人じゃない。
「村長のところへ言いに行こう」
二階の自室から一階へ降りる。
食卓の方へ向かうと、母さんがこちらに気づいた。
「レイ!」
椅子を引く音を立てて立ち上がり、駆け寄ってくる。
「大丈夫かい!?ナギちゃんとシンムーがあんたを運んでくれたんだよ!」
肩や腕を触りながら体を確かめる。
「お礼したのかい?」
かなり心配させてしまったようだ。
母さんは昔から、こういう人だ。
どこまでも母親。
「うん、ちゃんとしたよ」
オレは少し笑って答えた。
「あ、そうだ。母さん」
ちょうどいい。
今言うべきだと思った。
「オレ、ナギとカルプ国に行く」
母さんの動きが止まった。
「……え?」
世界の終わりの宣告の話は、もう村中に広がっている。
村長がナギを王都へ向かわせると言ったことも、きっと知っているはずだ。
それでも。
母さんは少しだけ黙り、
「……父さん呼んでくる」
そう言って奥の部屋へ向かった。
しばらくして、父さんと母さんが食卓に並んで座った。
いつも通りの席。
だけど空気は、いつもと違う。
オレは二人の前に座る。
そして、事情を説明した。
村長の話。
ナギが英雄かもしれないこと。
王都へ向かうこと。
そして――
「……というわけで、ナギとオレは村を出る」
言葉を区切る。
「世界を救えるかもしれないから」
少し息を吸う。
「行くよ」
沈黙。
父さんは腕を組み、目を閉じていた。
母さんはオレをじっと見ている。
やがて母さんが口を開いた。
「……そう」
声が少し震えていた。
「いつ帰ってこれるの?」
オレは正直に答える。
「わからない」
母さんはゆっくり頷いた。
そしてオレの手を取る。
その手は、少し震えていた。
「無事に帰ってきてね」
瞳には涙が溜まっていた。
まるで、永遠の別れみたいな顔だった。
……でも、無理もない。
世界は終わるかもしれない。
帰ってこれる保証なんて、どこにもない。
それでも。
終わりを受け入れてここで一緒に散るより。
オレたちは、終わりを止めに行く。
大好きな人たちのいるこの世界を守るために。
「母さん、父さん」
胸が少し詰まる。
それでも言った。
「いつも心配ばかりかけてごめん」
もし。
これが最後になるかもしれない。
そう思ったら。
今まで言わなかった言葉を、ちゃんと伝えたくなった。
オレは昔、カミ村で一番の戦士候補と言われていた。
魔法も一番早く覚えた。
修練場でも負け知らずだった。
でも――
成長するにつれて、力が伸びなくなった。
いわゆる、早熟だった。
後からみんなに追い抜かれた。
気づけば夢を諦めていた。
成人の儀で職業を与えられる時。
戦士なんてやめようと思っていた。
楽な道を選ぼうと思っていた。
でも。
あの日。
父さんは村長のところへ駆け寄った。
「レイはやれます!」
「きっと立派な騎士になります!」
必死に言っていた。
父さんは。
オレよりもオレを信じていた。
本人はもう諦めていたというのに。
嬉しかった。
同時に。
情けなかった。
あの姿は、ずっと心に残っている。
だから、もう少しだけ頑張ろうと思えたんだ。
「父さん……あの日……」
声が詰まる。
あれ?
涙が止まらない。
「村長に……」
言葉が崩れる。
「ありがどぅ……」
父さんが目を開けた。
その目にも涙が溜まっていた。
父さんは、まっすぐオレを見て言った。
「必ず帰ってきなさい」
短い言葉。
でも、それだけだった。
最後まで、オレの決断を尊重してくれた。
「うん」
オレは頷く。
「ありがとう」
ふと後ろを見る。
ナギが少し気まずそうに立っていた。
自分のせいで巻き込んだと思っているのだろう。
母さんはナギを見ると、優しく笑った。
「ナギちゃん」
ナギが顔を上げる。
「困ったらなんでもレイに言いなさいね」
そして母さんは、またこちらを向く。
「レイ」
「約束しなさい」
真剣な顔。
「必ず帰ってきなさい」
一呼吸置いて、
「そしてナギちゃんを守りなさい」
ナギの方が圧倒的に強い。
それはもう分かっている。
でも。
そういう意味じゃない。
ナギの苦しみを。
少しでも軽くしてやれ。
そういうことだと思った。
母さんは続ける。
「ナギちゃんはいい子だよね?」
ナギが戸惑いながら頷く。
母さんは優しく笑った。
「なんでいい子かわかる?」
「それはね」
「ナギちゃんを育てた人が、大事に大切に育てたからなんだよ」
その言葉は、胸に深く刺さった。
忘れないでおこう。
そのあと。
オレたちは立ち上がった。
父さん。
母さん。
オレ。
そしてナギ。
みんなで肩を抱き合う。
「行ってくる」
母さんが涙を拭きながら笑う。
「出発は明日?」
「うん、村長にも一言いってから行くよ。」
「朝ごはん、ご馳走用意するね!」
母さんは気丈に振舞ってくれた。
嬉しさと寂しさ。2つの感情が湧き出てくる。
オレは心の中で誓った。
必ず帰ってくる。
その日の夕方。
オレはナギを修練場へ呼び出した。
夕日が山の向こうに沈みかけている。
誰もいない修練場は、静かだった。
木製の人形。
地面に残る剣の跡。
使い込まれた木柵。
ここは、子どもの頃から何度も通った場所だ。
ナギは少し緊張した様子で立っていた。
「レイ……」
申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんね。私に付き合わせちゃって」
オレは首を振った。
「ナギ」
「言いたいことがあったんだ」
ナギは首を傾げる。
「何?」
オレは木刀置き場から二本の木刀を取った。
一本をナギに投げる。
ナギは慌てて受け取った。
「え?」
不思議そうな顔。
オレは木刀を肩に担ぐ。
そして言った。
「オレと戦え」
ナギの目が丸くなる。
「……え?」
「勝負だ」
オレは少し間を置いて続けた。
「オレが勝ったら」
ナギをまっすぐ見る。
「英雄なんてならなくていい」
ナギの目が揺れた。
「逃げよう」
「……え?」
「この村から出て、どこか遠くへ行こう」
「オレが手伝う」
「戦わなくていい」
ナギは困惑していた。
でも、すぐに首を振る。
「そんなわけにはいかない」
少し強い声。
「私がやれば、みんな助かるの」
「だから……逃げるわけにはいかない」
交渉決裂。
オレは肩をすくめた。
「そっか」
木刀を構える。
「じゃあ――行くぞ」
次の瞬間。
オレは地面を蹴った。
一直線に斬り込む。
もちろん本気ではない。
寸止めのつもりだった。
「きゃあ!」
ナギは目を閉じて身を伏せる。
木刀がナギの肩を捉える――
はずだった。
ガンッ!
見えない壁に弾かれた。
「……え?」
オレは目を瞬く。
もう一度。
振る。
ガンッ!
また弾かれる。
三度。
四度。
結果は同じ。
ナギに攻撃は届かない。
目に見えない壁が守っている。
最後に、最速の一撃。
フェイントを入れて斬り込む。
ガンッ!
やっぱり弾かれた。
その瞬間。
ナギが驚いて手を伸ばした。
「きゃあ!」
その手がオレの頬をかすめた。
次の瞬間。
衝撃。
景色が吹き飛んだ。
気づけば、オレは地面を転がっていた。
空が見える。
頬がヒリヒリする。
ナギの勝ち。
分かっていた。
でも。
ここまでとは思わなかった。
オレは立ち上がる。
「……本物だな」
ナギは慌てて駆け寄ってきた。
「ご、ごめん!大丈夫!?」
「大丈夫」
服の砂を払う。
「次は魔法だ」
「え?」
オレは言う。
「この前教えただろ」
「魔法はイメージを具現化するって」
ナギは少し考えて頷いた。
「うん」
「じゃあやってみろ」
ナギは両手を前に出した。
集中する。
空気が震える。
そして――
現れた。
巨大な炎の球。
オレは目を見開く。
太陽みたいな火球だった。
「……は?」
規格外。
明らかにフレイムオーブじゃない。
村の魔導師でもこんなの作れない。
ナギは首を傾げる。
「え、すごい?」
そして次の瞬間。
「あれ?」
困った顔。
「これ……どうすればいいの?」
嫌な予感がした。
「待てナギ」
しかし。
火球は前へ飛んだ。
ドォォォォォン!!
轟音。
爆炎。
衝撃波。
煙が上がる。
しばらくして視界が晴れた。
修練場は――
半壊していた。
木柵が吹き飛び、
人形は真っ黒に焼け、
地面には巨大なクレーター。
オレはしばらく無言で立ち尽くした。
ナギが恐る恐る聞く。
「……怒られる?」
オレは空を見上げた。
夕焼けが綺麗だった。
「……明日出発だしな」
ため息。
「師匠には置き手紙だ」
ナギが申し訳なさそうに言う。
「ごめんね」
オレは笑った。
「帰ってきたら謝ろう」
修練場に、夕暮れの風が吹いていた。
壊れた木柵が軋む。
地面には焦げ跡。
ナギの放った巨大なフレイムオーブの爪痕だ。
修練場は半壊していた。
オレはその惨状を見渡して、頭をかいた。
「……師匠、怒るだろうな」
ナギは申し訳なさそうに肩をすくめる。
「ご、ごめんね……」
「いや、いいって。
どうせ明日出発だし」
オレは腰をかがめて、折れた木刀を拾う。
その重さを、手のひらで感じた。
さっきの勝負。
結果は分かっていた。
でも、あれで確信した。
ナギは本物だ。
英雄。
世界を救えるかもしれない力を持っている。
オレとは、まるで違う。
「……ナギ」
「ん?」
夕焼けの中でナギが振り向く。
その顔はまだ少し不安そうだった。
オレは少しだけ視線を逸らす。
こういうの、苦手だ。
でも。
言わないといけない気がした。
「さっき言ったけどさ」
「?」
「助けてくれて、ありがとう」
ナギの目が丸くなる。
「ボアオオジシの時」
オレは笑った。
「普通に死ぬとこだった」
ナギは一瞬黙ったあと、小さく首を振った。
「……違うよ」
「え?」
「レイがいたからだよ」
夕焼けが、彼女の横顔を赤く染める。
「レイがハーゲンさん助けようとしたから、
私……あの力、出せたの」
ナギは自分の手を見つめた。
まだ少し震えている。
「だから……」
ゆっくり顔を上げる。
「私の方こそ、ありがとう」
風が吹く。
壊れた修練場の木片がカラカラと転がった。
オレは鼻の奥が少しだけツンとした。
「……そっか」
それだけ言う。
それ以上言うと、なんか変な空気になりそうだったから。
空を見る。
夕焼けの向こう。
遠くの空に、細いヒビが走っている。
世界の傷。
あれが広がれば。
本当に終わるのかもしれない。
「なあ」
「うん?」
「怖い?」
ナギは少し考えた。
そして正直に言った。
「うん。怖い」
それから少し笑う。
「でも」
オレを見る。
「一人じゃないから」
その言葉は、思ったより胸に響いた。
オレは軽く肩をすくめる。
「まあな」
木刀を地面に立てて、寄りかかる。
「案内役だからな」
ナギが笑う。
「頼りにしてる」
その言葉に、少しだけ胸が温かくなった。
オレは修練場の出口へ歩き出す。
「よし」
背中を向けたまま言う。
「明日、早いぞ」
「うん」
「寝坊すんなよ」
「しないよ!」
その声を聞きながら、オレは歩く。
村の道。
見慣れた景色。
この村で一生を終えると思っていた。
夢なんて諦めて。
適当に生きて。
それでいいと思っていた。
でも。
今は違う。
主役じゃない。
英雄でもない。
でも――
それでもいい。
オレは案内役だ。
英雄の隣を歩く役目。
世界の終わりへ向かう旅。
好きな子の謎。
空の亀裂。
すべての答えを探す旅。
オレは歩き出す。
脇役として。
でも、自分の意思で。
世界の終わりに向かって。




