情報格差の逆用
インターバル終了のブザーが、重苦しい空気の漂うコートに響き渡った。
私は、あかねさんの不安と期待が入り混じった視線を感じながら、静かにコートへと戻る。
第一ゲームは、私の戦術と思考が完全に読まれ、一方的な敗北を喫した。
しかし、私の心は折れていない。
むしろ、この絶望的な状況こそが、私の「異端」をさらなる高みへと押し上げるための、最高の燃料となる。
(…幽基未来。あなたは、私の作戦メモを読み、私の思考を分析したつもりでいるかもしれない。しかし、それは、あくまで過去の私。そして、あなたが読んでいるのは、私が『読ませたかった』情報に過ぎないとしたら…?いや、そうではない。あの情報は確かに私の思考の一部。だが、人間は、そして私は、常に進化し、変化する。あなたのデータは、今この瞬間から、急速に陳腐化していく)
私の口元に、ほんのわずかな、しかし確かな冷たい笑みが浮かぶ。
サーブ権は幽基選手。
彼女は、第一ゲームと全く変わらない、静かで、掴みどころのない雰囲気でサーブを放った。
それは、やはり私の作戦メモに記した「要注意サーブ」の一つ、私のバックサイド深くに、回転量の少ないロングサーブ。
私を台から下げさせ、彼女の得意なカットの展開に持ち込もうという意図が見える。
そして、彼女は、私がこれをスーパーアンチで処理し、回転のないボールで返球してくることを予測しているはずだ。
しかし、私は、そのサーブに対し、ラケットをアンチラバーの面に持ち替えない。
裏ソフトの面のまま台に鋭く踏み込み、そのロングサーブのバウンドの頂点を、コンマ数秒早く捉え、コンパクトながらも全身のバネを使った、強烈なバックハンドドライブを、未来選手のフォアサイド、オープンスペースへと叩き込んだ!
それは、まるで男子選手のような、圧倒的な速攻。
私の小柄な体格からは想像もつかないような、鋭い一撃。
「なっ…!?」
未来選手の表情が、初めて明らかに驚愕に歪んだ。
彼女の予測モデルの中に、この場面で、私が裏ソフトだけで、しかもこれほどまでに攻撃的な速攻を仕掛けてくるという選択肢は、存在しなかったのだろう。
彼女の体は、そのボールに全く反応できない。
静寂 1 - 0 幽基
(…成功。彼女の思考の前提、「静寂しおりはアンチラバーでの変化を多用する」という固定観念、それを利用する)
続く未来選手のサーブ2本目。彼女は、明らかに動揺していた。
先ほどの私のバックハンドドライブの残像が、彼女の思考を混乱させている。
放たれたサーブは、先ほどよりも僅かに甘く、そしてコースもミドル寄りに入ってきた。
私は、そのサーブに対しても、一切ラケットを持ち替えない。
裏ソフトの面のまま、今度はフォアハンドで、その甘いサーブを、台から出ると同時に強烈なトップスピンをかけて打ち抜いた!
ボールは、未来選手のラケットを弾き飛ばさんばかりの勢いで、コートの隅へと突き刺さる。
静寂 2 - 0 幽基
「し、しおりちゃん…!?アンチは…?」
ベンチのあかねさんが、驚きと困惑の声を上げるのが聞こえる。
(…持ち替えを封印することで、相手の予測モデルをさらに混乱させる。彼女は、私がいつアンチに持ち替えるのか、あるいは持ち替えないのか、その判断に思考のリソースを割かざるを得なくなる。そして、その迷いこそが、私の速攻をさらに効果的にする)
サーブ権は私へ。
私は、ここでもラケットを持ち替えない。裏ソフトの面のまま、構える。
未来選手は、私のその姿を、信じられないといった表情で見つめている。
彼女の異質な卓球は、私のこのあまりにも大胆な戦術変更の前に、その対応の糸口を見失いつつあった。
私のサーブ。
それは、模倣でも、トリッキーな変化サーブでもない。
ただ、シンプルに、回転量の多い、そしてコースの厳しい、裏ソフトからの下回転ショートサーブ。
未来選手は、それをカットで返してきた。
しかし、そのカットは、第一ゲームで見せたような、生きているかのような変化はない。
ただ、下回転をかけて返すだけの、平凡なカットボール。
私の「裏ソフトオンリー」の速攻に、彼女の思考が完全に追いついていない証拠だ。
私は、その甘いカットボールを、見逃さない。
一歩踏み込み、裏ソフトのフォアハンドで、強烈なドライブを、未来選手のバックサイドへと叩き込んだ!
静寂 3 - 0 幽基
私の「異端」は時に、最も単純な「王道」の顔をして、相手に襲いかかる。
そしてそのギャップこそが、相手の思考を破壊する、最大の武器となる。




