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異端の白球使い  作者: R.D
県大会 女子準決勝

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先行投資

 かつてないほどの情報的アドバンテージを相手に与えてしまっているという現実が、重く私の肩にのしかかる。


 サーブ権は未来選手。彼女は表情一つ変えず、静かにサーブを放った。


 それは、私のフォアサイド、ネット際に短く、そして強い下回転がかかった、セオリー通りのサーブ。


 しかし、今の私には、その「セオリー通り」が、逆に罠のように感じられた。


 彼女は、私がこのサーブに対してどのようなレシーブを選択するのか、そのデータを収集し、そして私の思考のパターンをさらに読み解こうとしている。


(…このゲーム、もはやポイントを取りにいくのは得策ではない。私の既知の戦術は、全て彼女の予測の範囲内。ならば、このゲームは、彼女の「異質さ」の正体を解明するための、データ収集フェーズへと完全に切り替える。このセットを失うことは許容範囲。それよりも、彼女の未知のパラメータを、一つでも多く引きずり出すことの方が、最終的な勝利確率を高める上で合理的だ。)


 私の思考は、瞬時にその結論に至った。


 表情は変えない。


 しかし、私の内なる目的は、もはやこのゲームの勝利ではなく、その先にある完全なる勝利のための情報収集へとシフトしていた。


 私は、ラケットをスーパーアンチの面に持ち替え、そのサーブに対し、あえて、彼女が最も予測しやすいであろう、単純なナックル性のプッシュを、彼女のバックサイド深くに、しかしコースは甘く、返球した。


 それは、まるで「さあ、あなたの得意な攻撃で打ち込んできてください」とでも言わんばかりの、誘い水のようなボール。


 未来選手は、その甘いボールに対し、一瞬だけ、私の意図を訝しむかのような、ほんの僅かな躊躇を見せた。


 しかし、すぐに、彼女のフォアハンドから、あの「攻撃的なカット」――強烈な下回転をかけながらも、直線的で鋭い軌道を描く――が、私のフォアサイドへと放たれた。


 私は、そのボールに対し、無理にカウンターを狙わず、裏ソフトの面で、あえて平凡なブロックで対応する。


 ボールは、再び幽基選手の打ちやすい位置へと返っていく。


(…やはり、あの攻撃的なカット。回転軸は、通常の下回転カットとは明らかに異なる。ラケット面への食い込み方、そしてボールをリリースする瞬間の手首の角度。何か、特殊な技術が介在している可能性が高い。そして、彼女は、私が繋ぎのボールを返すと確信している)


 未来選手は、私のその単調なブロックに対し、今度はバックハンドでさらに回転量の多い、そしてコースも厳しいドライブを、私のバックサイド深くに叩き込んできた。


 私は、そのボールに追いつけない。ポイントは幽基選手へ。


 静寂 3 - 8 幽基


 しかし、私の心に焦りはない。


 むしろ、彼女の「異質さ」の断片が、少しずつではあるが、私の分析モデルに取り込まれていくのを感じていた。


 続く幽基選手のサーブ。


 私は、レシーブで、あえて様々な球種、様々なコースを試す。


 時には、わざと甘いボールを送り、彼女がどのような「攻撃」を選択してくるのかを観察する。


 時には、私の「異端」な変化球を少しだけ見せ、彼女がそれに対してどのように「対応」し、そしてその対応が「メモ通り」なのか、それとも彼女自身の「アドリブ」なのかを見極めようとする。


 ポイントは、確実に未来選手へと流れていく。


 静寂 3 - 9 幽基


 静寂 3 - 10 幽基

 控え場所のあかねさんの顔が、もはや絶望に近い色に染まっているのが気配で分かる。


 部長も、腕を組み、厳しい表情で私を見つめているだろう。


 彼らには、私がこのゲームを「捨てている」ように見えるのかもしれない。


 しかし、私の脳内では、膨大な量のデータが処理され、幽基未来という選手の「異質さ」の輪郭が、徐々に、しかし確実に形作られつつあった。


 彼女のサーブの癖。


 レシーブの選択パターン。ラリー中の得意なコース。


 そして何よりも、あの「異様な変化」を生み出す打球の、僅かな予備動作と、インパクトの瞬間のラケット角度。

 最後のポイント。未来選手のサーブは、私のフォアサイドに鋭く切れ込んできた。私は、それを裏ソフトでブロックし、ネットにかける。


 静寂 3 - 11 幽基


 セットカウント 静寂 0 - 1 幽基


 第一ゲームは、一方的なスコアで終わった。


 しかし私は、ベンチに戻る足取りの中で、決して敗北感だけを感じていたわけではなかった。


 このゲームで失った11ポイント。それは、私にとって、幽基未来という未知の強敵を解明するための、極めて価値のある「投資」だったのだ。


(…データ収集完了。彼女の「異質さ」の正体、その一部は掴んだ。そして、私の作戦メモが読まれているという確証も得た。第二ゲーム、ここからが、本当の戦いだ)


 私の瞳の奥に、冷徹な分析者としての光と、そしてそれを覆すための異端の閃きが、静かに宿り始めていた。

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