情報差
ついに同点。
彼女の「異質さ」の前に、最初は翻弄されたが、私の「異端」な分析と、模倣、そして変化が、徐々にそのベールを剥がし始めている。
しかし、幽基選手の表情は、依然として変わらない。その静かな瞳の奥に、ほんのわずかな、しかし確実な「何か」が宿ったように見えた。
それは、まるで、私の思考パターンを読み解き終えたかのような、冷たい確信の色。
…まさか。
サーブ権は幽基選手へ。
彼女は、静かに、そして私にはほんのわずかに口元に笑みを浮かべたように見えた――サーブを放った。
それは、私の作戦メモの中で、「対カットマン用の秘策」として、ごく最近追記したばかりの、特殊な回転をかけたロングサーブの「弱点」を的確に突くような、非常にいやらしいコースへのショートサーブだった。
私がまだ誰にも話していない、そして実戦で試したことすらない、まさに「秘策中の秘策」のその対策。
「…っ!」
私は、完全に虚を突かれた。そのサーブは、私の思考の、まさに死角だった。
レシーブは、力なくネットにかかる。
静寂 3 - 4 幽基
(…間違いない。私の作戦メモは、完全に彼女に筒抜けだ。そして、彼女はそれを、この試合で私を精神的に追い詰めるための、最大の武器として利用している)
絶望ではない。しかし、底知れない不気味さと、そして、見えない敵への明確な怒りが、私の内側で渦巻き始める。
続く幽基選手のサーブ2本目。
今度は、私がアンチラバーで最も処理しにくいと分析していた、サイドラインぎりぎりを狙う、回転量の少ないロングサーブ。
これもまた、私のメモに記した「要注意サーブ」そのものだった。
私は、必死にアンチで対応しようとするが、ボールは無情にもサイドを割る。
静寂 3 - 5 幽基
(…ここまで的確に、私の思考と戦術を読まれている。これは、単なる偶然ではない。彼女は、私の「次の一手」を知っている)
私の背筋を、冷たい汗が伝う。
この試合は、もはや単なる卓球の試合ではない。私の思考そのものが、見えない敵によって丸裸にされ、そして弄ばれているのだ。
サーブ権は私へ。
スコアは3-5、2点のビハインド。
私は、あえて作戦メモにも記した、私の得意とするナックル性のショートサーブを、彼女のフォアミドルへと送り込んだ。
彼女が対策してくることを、百も承知の上で。
案の定幽基選手は、それを待っていたかのように、迷いなく踏み込んできた。
そして放ったのは、極めて攻撃的な、回転を無視したかのような、直線的なフリックだった。
コースは、私のフォアサイドぎりぎり。
それは、まさに私の作戦メモに記した「このサーブに対する有効なレシーブの一つは、回転を無視した強打系のフリック」という記述と完全に一致する対応だった。
(…やはり、読んでいる。私の思考、私の戦術、その全てが彼女の手の内にある)
私はその鋭いフリックに対し、咄嗟に裏ソフトの面でブロックの体勢に入る。しかし、ボールは私のラケットに当たる寸前、僅かに軌道を変え、エッジボールとなって私のコートの端を掠めていった!
静寂 3 - 6 幽基
「しおりちゃん、大丈夫!まだいけるよ!」
ベンチのあかねさんの悲痛な声が聞こえる。
部長も、厳しい表情で何かを叫んでいる。
しかし、今の私には、その声は遠い。
目の前の、幽基未来という存在。
彼女は、ただの「異質」なカットマンではない。
彼女は、私の思考を読み、私の戦術を弄び、そして私の心を折ろうとしている、明確な「敵」
続く私のサーブ2本目。
私は、もはや何を出しても読まれるのではないかという、負の思考のループに陥りかけていた。
しかし、それを振り払うように、私は高橋選手の得意とした、強烈な横下回転サーブを、未来選手のバックサイドへと送り込んだ。
これは、メモには詳細な対策までは記していなかったはずだ。
未来選手は、そのサーブに対し、一瞬だけラケットの角度に迷いを見せた。
…! 少しは効果があるか…?
しかし、彼女はすぐに立て直し、強引に、しかし確実に、回転量の多いツッツキで私のフォアサイド深くに返球してきた。ボールは甘く、チャンスボール。
…もらった!
私は裏ソフトに持ち替え、スマッシュを叩き込もうと踏み込んだ。
だがその瞬間、未来選手の体が、私のスマッシュコースを完璧に予測したかのように、僅かに移動したのが見えた。
そして、私の放ったスマッシュは、彼女の差し出したラケットに、まるで吸い込まれるようにブロックされ、私のコートのオープンスペースへと、静かに、そして正確に返ってきた。
静寂 3 - 7 幽基
(…私の攻撃パターンすらも読まれている…?いや、これは…私のスマッシュのコースが、彼女の予測しやすい単純なものだったということか…?あるいは、彼女は、私の思考の「癖」までをも分析している…?)
この状況で私はどう戦う?私の「異端」は、この情報的劣勢を、そしてこの心理的圧迫を、覆すことができるのか?
私の戦いは、今、本当の意味で、未知の領域へと足を踏み入れようとしていた。




