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異端の白球使い  作者: R.D
準決勝への準備

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約束と決起

 準決勝まであと僅か。


 その事実は、高坂選手との激闘で体力の限界を感じた私にとって、そして、未知の強敵たちと対峙しなければならない私たちにとって、貴重な猶予期間を与えられたことを意味していた。


 その日の練習が終わり、他の部員たちが帰り支度を始める中、部長とあかねさん、そして私は、いつものように部室の隅に集まっていた。


 外は既に薄暗く、部室の中も蛍光灯の明かりだけが頼りだ。窓から吹き込む夜風が、昼間の体育館の熱気を少しだけ冷ましてくれる。


「…しかししおり。お前のあの高坂戦の粘り、本当に凄かったな。正直、お前があんな泥臭い卓球もできるなんて、思ってもみなかったぜ。」


 部長が、ラケットケースを磨きながら、しみじみと言った。


 その声には、純粋な称賛と、私の新たな一面に対する驚きが込められている。


 私は、ペットボトルのお茶を一口飲み、静かに答える。


「私だって最初から異端者だったわけではありません、粘るのは得意だったんです」


 過去の事を少しだけ、なぜか話してしまった。


 そんなものは必要ない、私は努めて分析的に続ける。


「…それにあの状況下では、それが最も合理的な選択だったと分析しました。私の体力パラメータと、高坂選手の精神的耐久値を考慮した場合、短期決戦よりも、むしろ相手の予測を裏切る形での長期戦が、勝利確率をわずかに上昇させると判断したためです」


 努めて話す分析的な口調。


 しかし、その声の奥には、ほんの少しだけ、あの激闘を乗り越えたことへの、人間的な安堵感のようなものが滲んでいたかもしれない。


「もう、しおりちゃんったら、またそんな難しそうなこと言って!」


 あかねさんが、楽しそうに笑いながら私の隣に座る。


「でも、本当にすごかったよ!見てるこっちがハラハラしちゃった!特にあのデュースからのラリー、息するのも忘れちゃったくらい!」


 彼女の言葉には、一点の曇りもない、仲間への賞賛と信頼が溢れている。


「…部長も、第二ゲームで相手の挑発に乗り、冷静さを欠いた場面がありましたが」


 私は、部長の方へ視線を向け、ほんの少しだけ口角を上げた。


 ――それは、皮肉とも取れる、しかしどこか親しみを込めた、最近私が見せるようになった表情。


「あの時のあなたの思考ルーチンは、著しく非効率的で、勝利という目標達成においては、限りなくマイナスに近い変数として作用していましたね。私がタイムアウトを取らなければ、敗北確率は90%を超えていたと分析します」


 私の、遠慮のない、しかし的確な指摘。


 以前の私なら、決して口にしなかったであろう「毒舌」の片鱗。


「うっ…!そ、それは…あの時は、お前のことまで馬鹿にされて、頭に血が上っちまったんだよ!」


 部長が、顔を赤らめながらも、どこかバツが悪そうに、しかし私の言葉を否定せずに受け止めている。


「だが、お前の一言で目が覚めたのも事実だ。それに、お前が『決め球、盗みましたよね?』なんて挑発してくるから、やらざるを得なかっただろうが!」


 彼は照れ隠しのように、少しだけ声を荒らげる。


「ふふっ、でもあの時の部長先輩、本当にかっこよかったですよ!しおりちゃんのアドバイス?活?で、人が変わったみたいに強くなって!」


 あかねさんが、楽しそうに二人のやり取りを見ている。


 この、少しだけくだけた、そして温かい空気。


 それは、以前の私の「静寂な世界」には存在しなかったものだ。そして、その空気が、決して不快ではないことを、私は認識し始めていた。


 お前には不必要だ。


「…さて、次の準決勝ですが」


 私は、空気を変えるように、本題を切り出した。


「私の相手は、月影女学院の幽基未来選手。あかねさんの情報によれば、『変幻自在のカット』と『時折見せる鋭い攻撃』、そして『相手の精神を消耗させる』特殊なプレースタイル。データは依然として少ないですが、非常に厄介な相手であることは間違いありません」


「ああ、あの『謎のカットマン』か」


 部長も表情を引き締める。


「お前のアンチがどこまで通用するかだな。普通のカットマン対策だけじゃ、厳しいかもしれねえ」


「はい。彼女の『異質さ』は、単にカットが上手いというだけでは説明がつかない、何か別の要因が絡んでいる可能性があります。それこそ、ボールの回転や軌道そのものに、通常ではありえないような『揺らぎ』や『変化』を生み出す、特殊な技術や感覚を持っているのかもしれません」


 私は、幽基選手のプレースタイルについて、これまでの分析と仮説を述べる。


「対策としては、まず、彼女のカットの回転量と変化のパターンを、試合の序盤で徹底的に見極めること。そして、安易な強打は避け、私の得意とするアンチラバーでの変化と、裏ソフトでの攻撃を、より予測不能なタイミングとコースで組み合わせる。彼女が『時折見せる鋭い攻撃』に転じてくるタイミングを誘い出し、そこをカウンターで狙うのも有効でしょう。ただし…」


 私は、そこで一度言葉を切った。


「彼女の『精神を消耗させる』という点が、最も警戒すべきポイントです。私の体力的なハンデを考えると、長期戦は避けたい。しかし、彼女のプレースタイルは、必然的にラリーを長引かせる。そのジレンマをどう克服するかが鍵となります」


「しおりちゃん…」


 あかねさんが、心配そうに私の顔を見る。


「そして、部長。あなたの準決勝の相手、尾ヶ崎選手ですが」


 私は、今度は部長へと視線を移す。


「あかねさんの情報と、これまでの彼の勝ち上がり方から分析するに、彼は非常に粘り強く、そして精神的にタフな選手である可能性が高い。サーブも多彩で、特にバックハンド主体の安定したラリー展開を得意とし、相手のミスを誘うのが上手いタイプと推測されます。あなたの得意なパワープレイを、いかに封じてくるか、あるいは、あなたの精神的な揺らぎを誘ってくるか、注意が必要です。」


「…ふむ…、いやらしい卓球してくるってことか」


 部長が苦々しげに呟く。

「確かに、そういうタイプは一番やりずれえ。力でねじ伏せようとしても、のらりくらりとかわされちまうからな」


「はい。彼に対しては力押しだけでは厳しいでしょう。むしろあなた自身が彼の土俵、つまり粘り強いラリー戦の中で、いかにミスなくそして効果的にポイントを重ねられるかが重要になります。それこそ、あなたがかつて後藤選手との試合で見せたような、あるいはそれ以上の『泥臭い』とも言える粘り強さと、戦術的な駆け引きが求められるでしょう。相手の僅かな隙を見逃さず、そこを確実に突いていく。そして何よりも、最後まで諦めない精神力」


 私は、部長の持つ根に育っている王道の強さを引き出すような言葉を選ぶ。


「…はっ、お前にそこまで言われちゃ、やるしかねえな」


 部長は、不敵な笑みを浮かべた。


「あの伝説のプロみてえに、ってわけにはいかねえかもしれねえが、俺なりの『泥臭さ』で、必ず勝って決勝に行くぜ」


「うん!私も、二人を全力で応援するから!」


 あかねさんが、力強く宣言する。


 部室の蛍光灯の明かりが、私たちの顔をぼんやりと照らしている。


 外はもう完全に暗く、静寂が辺りを包んでいる。


 しかし、この小さな部室の中には、三つの確かな闘志と、そして仲間への信頼という、温かい「熱」が満ちていた。


 私は二人の顔を交互に見つめ、そして静かに、しかし確かな意志を込めて言った。


「…ええ。部長も、私も、そしてあかねさんも。それぞれの戦い方で、明日の準決勝、そしてその先にあるものに挑みましょう」


 そしてほんの少しだけ、口元に笑みを浮かべて付け加えた。


「どんなに状況が悪くなっても、どんなに相手が強くても…泥臭く、粘って、粘って…最後まで、諦めないこと。それを、ここにいる全員で、約束しましょう」


 その言葉は、以前の私からは決して出てこなかったであろう感情のこもった、そして仲間との「約束」を求める言葉だった。


 部長とあかねさんは、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに力強く頷いた。


「「おう!/うん!」」


 三人の声が、暗い部室の中で、力強く重なり合った。


 私たちの「静寂な世界」と「熱い世界」が、今、確かに一つになろうとしていた。

お読みいただき、ありがとうございました。


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