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異端の白球使い  作者: R.D
準決勝への準備

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異端の代償

 その日の部活中だった。


 体育館の隅で、数人の他校の選手らしき生徒たちが、こちらを見ながらヒソヒソと何かを話しているのが見えた。


 そして、その中の一人が、明らかに私に聞こえるような声で言った。


「あれが県大会ベスト4静寂だろ?なんか、エグい勝ち方するって有名だよな」

「相手の心折るまで徹底的にやるってマジ?」

「小学生みたいな体格だ、卑怯な方法でしか勝てないんだろ」

「うわー、関わりたくねータイプ」


 その言葉を聞いた瞬間、隣で練習していた部長の肩がピクリと動き、その表情が険しくなった。


 彼がラケットを握る手に、ギリ、と力が入るのが分かった。最近、私に関するこういった「悪評」が、彼の耳に入るたびに、彼は明らかに不機嫌になり、そして何かを堪えるように押し黙る。


 それは、かつて風花さんが受けた誹謗中傷の記憶が、彼のトラウマを刺激していることの証左だった。


 練習が終わり、部室に戻る途中。


「…しおりちゃん、大丈夫?さっきの、気にしないでね!」


 あかねさんが、心配そうに私の顔を覗き込んできた。彼女の大きな瞳は、私への気遣いで揺れている。


「…問題ありません、あかねさん。ああいった種類の音声データは、私のパフォーマンスに影響を与える変数としては、既に処理済みです。」

 私は、いつも通りの平坦な声で答える。事実、他者の評価や悪意は、私の勝利への意志を揺るがすものではない。


 むしろ、それを燃料にして、より冷徹に相手を分析し、打ち破るだけだ。


「処理済みって…しおりは強いね…。でも、部長先輩、すごく怒ってたみたいだったよ。最近、ああいうのあると、すっごくピリピリしてるっていうか…」


 あかねさんの言葉に、私は頷く。


「部長は、一度この流れを経験しているのでしょう、心配するべきは私ではなく部長の事だと思います」


 そこへ、少し離れた場所でラケットを片付けていた部長が、苛立ちを隠せないといった様子で私たちの元へやってきた。


「…しおり。お前、本当に気にしてねえのか?ああいう奴らの、根も葉もない噂話とか、悪意のある陰口とか」


 その声には、怒りと、そして風花さんの件を彷彿とさせるような、やるせない痛みが滲んでいた。


 私は、そんな部長の顔を真っ直ぐに見つめ、そして、ほんの少しだけ、口元に皮肉とも諦観ともつかない、微かな笑みを浮かべた。


「…部長。私は、県大会の試合で、対戦相手の思考を読み、予測を裏切り、時にはその得意技を模倣し、そして最終的にはその心を折ることで勝利を重ねてきました」


 一度言葉を切る、私の勝ち方はきっと周りから見れば残酷に映るだろう。


「私の卓球は、他者から見れば異端であり、あるいは『冒涜的』と評されるものでしょう。それは、客観的な事実です。そして、そのような勝ち方をした人間が、ある程度の反感や悪評を買うのは、統計的にも、そして論理的にも、至極当然の帰結と言えます」


 私の声は、どこまでも冷静で、淡々としていた。


「なっ…!お前、それを分かってて、あんな卓球してんのかよ!?」


 部長が、信じられないといった表情で私を見る。


「勝利という結果を得るためには、最も効率的で、最も合理的な手段を選択する。それが私の基本方針です。その過程で、相手選手のプライドや戦意を『踏みにじる』形になったとしても、それは予測可能な副産物に過ぎません」


 そう、私は勝利のためなら、何でも犠牲にできるし、踏みにじれる。


 お前にはそれがお似合いだ。


「そして、その副産物に対する第三者からのネガティブな評価もまた、当然受け入れるべきデータの一つです。これくらいの悪評は、想定の範囲内であり、むしろ、私の戦術が効果的に機能している証左とさえ分析できます」


 私のその冷徹で、そしてある意味では真理を突いた言葉に、部長は一瞬言葉を失ったようだった。


 彼の顔から、怒りの色がすっと引き、代わりに、呆れと、そして何か理解を超えたものを見るような、複雑な表情が浮かぶ。


「…お前ってやつは…本当に…」


 彼は、それ以上言葉を続けられず、大きくため息をついた。


 しかしその表情には、先ほどまでの鬱陶しそうな苛立ちは、少しだけ和らいでいるように見えた。


 私のこの「割り切り方」が、彼のトラウマからくる過剰な反応を、少しだけ鎮静化させたのかもしれない。


「しおりちゃん…」


 あかねさんが、心配そうな、しかしどこか私の言葉に納得したような、複雑な表情で私を見つめている。


「でも、やっぱり私は心配だよ。しおりちゃんが本当は傷ついてないかなって…」


 その言葉に、私の胸の奥で、ほんのわずかな、しかし確かな「何か」が揺れた。


(…あかねさんのこの感情は、論理では説明できない。しかし、不快ではない)


 それはまだ名前のない、新しい種類のデータ。


 私の「静寂な世界」に差し込む、温かい光。


「…ありがとうございます、あかねさん。ですが、大丈夫です」


 私は静かに、しかしほんの少しだけ、以前よりも柔らかい声で答えた。


「私には、私の戦い方がありますから」


 その言葉は、部長とあかねさんを完全に安心させるものではなかったかもしれない。


 しかし、私の内なる「何か」が、ほんの少しだけ、彼らに向かって開かれ始めた瞬間だったのかもしれない。


 そして、その「何か」は、準決勝という大きな舞台を前に、私の中で静かに、しかし確実に、育ち始めていた。


 部活の自主練習も終わりに近づき、私が自分のバッグから、幽基未来選手対策のためにまとめた作戦メモを取り出そうとした時、その存在がないことに気づいた。


 それは、数枚のルーズリーフに、幽基選手の過去の試合のデータ分析、想定される戦術パターン、そしてそれに対する私のカウンター戦術のシミュレーション結果などを、私自身の手で詳細に書き込んだものだった。


 あかねさんが集めてくれた情報も、このメモを元にさらに深く分析し、追記していた。まさに、私の「対幽基未来戦術」の頭脳そのものと言える。


(…ない。どこにも)


 私は、バッグの中身を全て出し、部室の自分のロッカー、卓球台の周り、考えられる全ての場所を冷静に、しかし内心の焦りを押し殺しながら確認する。


 しかし、どこにも、その数枚のルーズリーフは見当たらない。


「どうした、しおり?何か探し物か?」


 私のただならぬ様子に気づいた部長が、声をかけてくる。


「…私の、幽基未来選手に関する作戦メモが、見当たりません」


 その声は、自分でも驚くほどに、感情を抑え込んでいるにも関わらず、微かな動揺を含んでいた。


「なに!?お前がまとめた、あの詳しいやつか!?」


 部長の顔色が変わる。


「最後に見たのはいつだ?誰か、部室に出入りしたやつはいたか?」


 あかねさんも、血相を変えて駆け寄ってきた。


「しおりちゃんの作戦メモって…!あれ、すっごく大事なやつだよね!?私も、昨日見せてもらったけど、あんなの相手に渡ったら…!」


 私たちは、その日の部活が終わる時間ギリギリまで、部室の隅々、体育館、そして私が立ち寄った可能性のある全ての場所を徹底的に捜索した。


 しかし、結果として、私の作戦メモは、どこにも見つからなかった。


(…紛失?あるいは…盗難?あかねさんのノートの一件が頭をよぎる。あの時と同様、これもまた、何者かによる意図的な行為である可能性は…、目的は、私の戦術情報の窃取。そして、その情報が、幽基未来選手側に渡るリスク……)


 私の脳は、最悪の事態を想定し、その影響をシミュレートし始める。背筋に、冷たい汗が流れるのを感じた。


 想定が甘かった、もっと厳しくリスク管理をすれば予測できたはずだ。


「くそっ…!誰だ、こんなことすんのは…!」


 部長が、怒りを露わに壁を殴りつける。その音は、静まり返った部室に虚しく響いた。


 彼の怒りは、単にメモがなくなったことに対してだけではない。


 それが、私の努力を踏みにじり、そしてチームの勝利を脅かす行為であることに対する、純粋な憤りだった。


 あかねさんは今にも泣き出しそうな顔で、私のそばに立ち尽くしている。


「ごめんね、しおりちゃん…私、何も気づかなくて…」


 私はそんな二人を前に、努めて冷静に、しかしその瞳の奥には、これまでにないほどの冷たい怒りと、そしてそれを上回る闘志を燃やしながら言った。


「…まだ、諦めるのは早計です。メモが外部に流出したという確証はありません。そして、例え流出したとしても、私の戦術の核心は、私の頭脳の中にあります。明日、新しいメモを作成します。盗難を前提とした、メモを裏切る予測不能なものを」


 しかし、私のその言葉とは裏腹に、心の中では、見えない敵の存在と、その巧妙な手口に対する警戒心、そして、自分の情報管理の甘さに対する自己嫌悪に近い感情が渦巻いていた。


 あかねさんのノート、そして私の作戦メモ。これは、単なる嫌がらせではない。明確な「敵意」と「目的」を持った、計画的な攻撃だ。


 そして、その攻撃の主が誰なのか、私にはまだ、確たる証拠はない。


 ただ、あのクラスの中心的な女子生徒の、計算されたような笑顔と、その周囲に漂う不穏な空気。


 それが私の思考の中で、不吉なパズルのピースのように、カチリと音を立ててはまりかけているような、そんな予感だけがあった。


 無意識に、私は二人を鼓舞するように話していた。


「二人とも、よく分からない誰かの取り巻きが言っていたじゃないですか、『卑怯な方法でしか勝てないのだろ』と」


 私はきっと冷たく笑っていたのだろう。


「…しおりちゃん」


「…お前…そうだな、お前がそんな奴に負けるわけないか」


 準決勝まで、あと数日。私の戦いは、卓球台の上だけでなく、その外でも、既に始まっていたのだ。

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