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異端の白球使い  作者: R.D
準決勝への準備

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卓球用品店

 マシン練習を終え、私は額の汗を拭いながら、ラケットを丁寧にケースにしまおうとしていた。


 準決勝を控え、入念な準備は不可欠だ。


「よう、しおり」


 不意に、背後から部長の声がかかった。彼も練習を終え、汗を拭いながらこちらへ近づいてくる。


「さっきのマシン打ち、見てたぜ。相変わらずエグい球打つな。だが…お前のその裏ソフト、だいぶ跳ねなくなってきてるんじゃねえか?ドライブのキレが、いつもよりほんの少しだけ、鈍い気がしたんだが」


 彼の指摘は的確だった。私自身も、ここ数日の練習で、主力である裏ソフトラバーの反発力が若干低下しているのを感じていた。


 シートの摩耗によるものだろう。


「…はい、部長。ご指摘の通り、ラバーの弾性が限界に近いと分析しています。交換時期ですね」


 私が答えると、彼は「やっぱりな」と頷いた。


「お前みたいな特殊な戦い方するやつは、用具のコンディションが命取りになるからな。どこか、いい店知ってんのか?」


「…行きつけの専門店があります。今日、この後、新しいラバーを調達しに行く予定でした。もしよろしければ、ご案内しますが」


 私の提案に、部長は一瞬意外そうな顔をしたが、すぐにニカッと笑った。


「お、そりゃ助かるぜ!俺も、グリップテープがヘタってきてたところだ。ついでに見繕いてえ」


「私も!私も行きたい!卓球のお店って、なんだか専門的で面白そう!」


 会話を聞いていたあかねさんが、目を輝かせて会話に加わってきた。


 彼女の纏う好奇心の靄が、キラキラと揺れている。


「しおりちゃんの行きつけのお店なら、きっと良いものがいっぱいあるよね!」


 こうして、私たちは部活の後、連れ立ってその卓球専門店へと向かうことになった。


 学校から電車を乗り継ぎ、少し離れた商店街の一角。


 そこには、古くからあるのだろう、しかし手入れの行き届いた、落ち着いた佇まいの店があった。


 ガラス戸の向こうには、所狭しと並べられたラケットやラバー、そして壁には有名選手のサインらしきものも見える。


「…ここです」


 私がドアを開けると、カラン、とドアベルが鳴り、独特のゴムの匂いと、どこか懐かしいような木の匂いがふわりと漂ってきた。


「静寂の、いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思ってたよ」


 店の奥から、白髪混じりの、しかし矍鑠かくしゃくとした初老の男性が顔を出した。


 柔和な笑顔だが、その瞳の奥には、長年卓球用具を見続けてきた専門家特有の鋭い光が宿っている。彼が、この店の店長だ。


 店長は、私の隣にいる部長とあかねさんを見て、少しだけ目を細めた。


「おや、今日は珍しくお友達と一緒かい?感心感心。あんまり一人で根を詰めるのも良くないからね」


 その言葉には、私のことをよく知る人物ならではの、親しみが込められていた。


 部長は、店長のその言葉と、私に対する慣れた口調に、少し驚いたように目を見開いている。


 あかねさんも、興味深そうに私と店長を交互に見ている。


 …店長。


 私のラバーの交換周期、使用頻度、そしておそらくは私のプレースタイルの特異性まで、彼は正確に把握している。


 私が信頼を置く、数少ない外部の協力者の一人。


 私の「静寂な世界」において、この場所とこの店長は、例外的に「安全」かつ「有益」なデータを提供してくれる、重要なノードだった。


「…店長。裏ソフトの交換と、部長のグリップテープの選定をお願いします」


 私は、いつも通りの落ち着いた口調で、用件を伝えた。


「あいよ。さあ、部長さんとお嬢ちゃんも、ゆっくり見ていきな。面白いもん、色々あるぜ」


 店長は、にこやかにそう言うと、奥の作業場へと私のラバー交換のために消えていった。


 部長とあかねさんは、改めて店内に所狭しと並べられたラケットやラバー、ユニフォームやシューズに、目を輝かせている。


「うわー!やっぱり専門店ってすごいね!見たことないラケットがいっぱいあるよ!」


「本当だな!このラバーとか、しおりが使ってるアンチとはまた違う変化系か…?奥が深えぜ、卓球は」


 二人は、まるで宝探でもするかのように、興奮気味に店内を見て回っている。


 私は、彼らのそんな様子を横目に、ふと、店の壁の一角に視線をやった。


 そこには、いくつかの新聞の切り抜きや、大会結果の速報、そして…見覚えのある写真が数枚、飾られていた。


 それは、私が優勝した市町村大会や、そして、つい先日まで行われていた県大会での、私の試合中の写真だった。


 アンチラバーで相手を翻弄する瞬間や、裏ソフトで鋭いドライブを放つ瞬間。


 自分でも見たことのない、真剣な、そしてどこか冷徹な表情の私がそこにいた。


 …いつの間に、こんなものが。


 私の分析によれば、店長が私の許可なくこれらの写真を展示するとは考えにくい。


 おそらく、彼なりの「応援」の形なのだろう。


 しかし、こうして公の場に自分の姿が晒されているのは、どうにも落ち着かない。


 さらに、その写真群の中心には、一枚の手作りのポスターが貼られていた。


「祝・県大会ベスト4進出! 静寂しおり選手! 異端の技巧で更なる高みへ! 」


 拙いながらも力強い文字と、私の試合中の写真がコラージュされた、明らかに店長オリジナルのポスター。


 その下には、小さなテレビモニターが置かれ、そこには、昨日の県大会の試合――おそらくは高坂選手との激闘のダイジェスト映像――が、音声は絞られているものの、繰り返し流されていた。


 画面の中の私が、あのネットインや模倣サーブ、そして最後のスピンサーブを繰り出している。


「しおりちゃん!見て見て!しおりちゃんの特集コーナーみたいになってるよ!」


 あかねさんが、いち早くそれに気づき、私の腕を引いてポスターの前へと連れて行く。


「うわー!この写真、すごくカッコいい!店長さん、しおりちゃんのこと、めちゃくちゃ応援してるんだね!」


 彼女は、純粋な感嘆の声を上げる。


 部長も、そのポスターと映像を見て、ニヤニヤしながら私に言った。


「おいおい、静寂しおり選手、ねえ。いつの間にこんな有名人になったんだ?『異端の技巧で更なる高みへ!』か。店長、なかなか良いキャッチコピーじゃねえか」


 彼の声には、からかいと、そしてどこか誇らしげな響きが混じっている。


 私はそのポスターと、自分のプレイが繰り返し流れるモニターから、目が離せなかった。


 自分の異端な卓球が、こうして誰かに注目され、評価され、そして応援されている。


 それは私にとって、これまで経験したことのない、全く新しい種類の「データ」だった。


 論理的な思考では説明がつかない、しかし、胸の奥が、ほんのわずかに、くすぐったいような、そして温かいような、奇妙な感覚。


(…これは…何だ?この感情の揺らぎは。不快ではない。むしろ…)


 私は、無意識のうちに、自分の頬に手が伸びているのに気づいた。それは、ほんのりと熱を帯びているような気がした。


「…別に、私は…有名人でも、何でもありません」


 かろうじて、そう言葉を絞り出す。


 しかし、その声は、自分でも驚くほどに、いつもより少しだけ上ずり、そして、ほんの僅かに、照れくさいような響きを帯びていた。


 俯き加減になった私の顔を、部長とあかねさんが、ニヤニヤと、しかし温かい目で見ている。


「いやーでもさ、しおりちゃん!これどう見ても『期待の新人、静寂しおり選手大特集!』って感じだよ!」


 あかねさんが、私の肩をポンと叩きながら、楽しそうに言う。


「『異端の技巧で更なる高みへ!』だって!店長さん、しおりちゃんのこと、本当によく見てるんだねー!」


 彼女の言葉には、純粋な称賛と、そして私をからかうような響きが混じっている。


「全くだな!」


 部長も、面白そうに口の端を吊り上げてあかねさんに続く。


「『異端の技巧』ねえ。まあ、お前の卓球は、褒めてんのか貶してんのか分かんねえような言葉が一番しっくりくるからな!そのうち『静寂しおり、卓球界の常識を覆す、予測不能の魔女!』とか書かれるんじゃねえか?」


 彼は、わざと大げさなキャッチコピーを口にし、私を見て楽しそうに笑っている。


 二人のその、明らかに面白がっている視線と言葉。


 それは、以前の私なら、ただの「ノイズ」として処理し、無視するか、あるいは不快感を示すことで拒絶していたかもしれない。


 しかし、今の私の中には、それに対するこれまでとは異なる反応が芽生え始めていた。


 それは、分析不能な、しかし確実に存在する「照れ臭さ」という感情。


 そして、その感情を隠すための、不器用な防衛本能。


 私は、ふい、と二人から顔を背け、壁に貼られた自分の試合中の写真――特に、スーパーアンチで相手を翻弄している、自分でも少し「性格が悪そうだ」と分析できるような表情のもの――を指差した。


「…部長。あなたのサーブを模倣した際、あなたは私に『やれるもんならやってみろ』というアイコンタクトを送りましたね。あれは、私の潜在能力を引き出すための、高度な心理的誘導だったと分析していますが…もしかして、単に面白いものが見たかっただけなのではありませんか?」


 その声は、いつも通りの平坦さを装っているが、よく聞けば、ほんの少しだけ棘を含んでいる。


 照れ隠しと、そして彼らへのささやかな「反撃」の意図を込めた、私なりの毒舌。


「なっ…!そ、それはだな、しおり!お前の実力を信じてたからであってだな…!決して、面白いもの見たさとか、そういう不純な動機では…!」


 部長が、私の突然の指摘に、明らかに狼狽えている。その様子を見て、あかねさんがクスクスと笑い出した。


「それに、あかねさん」


 私は、今度はあかねさんの方へ向き直る。


「あなたが収集する私のデータは、時折、感情的なバイアスが強くかかりすぎているように見受けられます。客観的な戦闘記録としては、ノイズが多い。もう少し、冷静な分析眼を養うことを推奨します」


 これもまた、普段の私なら口にしないであろう、直接的で、そして少しだけ意地悪な響きを持った指摘だ。


「ええーっ!そ、そんなことないよ、しおりちゃん!私は、しおりちゃんのすごさを、ありのままに記録してるつもりなんだけどなー!」


 あかねさんが、頬を膨らませて反論するが、その顔はどこか楽しそうだ。


 私は、二人のその反応を見て、内心でほんのわずかに、しかし確かに、口角が上がったのを感じた。


 それは、計算された皮肉な笑みではなく、もっと自然な、そして人間らしい感情の表出に近いものだったのかもしれない。


(…この程度の会話で、彼らの思考に僅かな混乱を発生させられた。有効なコミュニケーション戦術の一つとして、記録しておくべきか)


 そんな分析をしつつも、私の胸の奥に広がる、この温かくて、少しだけ騒がしい感情は、もう「ノイズ」とは呼べない、もっと心地よい何かへと変わりつつあった。


「さ、しおりちゃん!ラバー、できたみたいだよ!」


 奥から出てきた店長が、私たちのそんなやり取りを優しく遮った。


 私の「静寂な世界」は、この二人によって、確実に、そして賑やかに、変わり始めている。


 それは、まだ予測不能な未来への、ほんの小さな一歩だった。

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