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異端の白球使い  作者: R.D
準決勝への準備

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想像の異質

「しおりちゃん、ちょっといいかな?」


 あかねさんが、今度は真剣な表情で、広げていたプリントの一枚を私に差し出した。


「しおりちゃんの、準決勝の相手……、謎のカットマン。月影女学院の幽基未来選手のこと、少しだけだけど、情報を調べて、まとめてみたんだ」


 そのプリントには、幽基選手の過去の大会での戦績らしきものと、いくつかの対戦相手からのコメント(あかねさんが聞き込みでもしたのだろうか)が簡潔にまとめられていた。


「…ありがとうございます、あかねさん。」


 私はそれを受け取り、目を通す。


「幽基選手、やっぱり去年の大会でも、ノーシードから強豪選手を何人も倒してるみたい。戦型はカット主戦型で間違いないんだけど…」


 あかねさんは、少し声を潜めて続ける。


「対戦した人たちの話だと、『とにかく何を考えてるか分からない』『ボールが生きているみたいに変化する』『気がついたら相手のペースに引きずり込まれてる』って…。あと、多かったのが、『彼女と戦った後は、なぜかすごく疲れる』って言ってたことかな。」


 …幽基未来。変幻自在のカット、そして相手の精神を消耗させる特殊なプレースタイル。


 データは少ないが、その「異質さ」は、私の分析モデルにおいても、極めて対処の難しい変数として認識される。


「…今日の練習は、対カットマン戦術の最適化を優先します。」


 私は、部長とあかねさんに向けて、いつも通りの淡々とした口調で宣言した。


 しかし、その声の奥には、昨日までの完全な「無」とは異なる、ほんのわずかな「意志」のようなものが宿っていたかもしれない。


 それは謎のカットマン、幽基未来という未知の強敵に対する、分析者としての純粋な探求心と、そして、それを打ち破って勝利したいという、原始的な闘争本能に近いもの。


「おう、あかねが集めてきた情報だと、相当厄介なカットマンみたいだな。お前のアンチがどこまで通用するか、見ものだぜ」


 部長が、興味深そうに、しかしどこか面白がるような表情で言う。


「ええ、幽基選手のカットは『変幻自在』かつ『ボールが生きているようだ』と。そして『気がついたら相手のペースに引きずり込まれている』とも。抽象的な表現が多く、具体的な戦術データは乏しいですが、それ故に私の分析モデルにとっては格好の対象です」


 私は、あかねさんがまとめてくれた情報を反芻しながら、思考を巡らせる。


「しおりちゃん、頑張ってね!私も、しおりのマシン練習、しっかり見て勉強するから!」


 あかねさんが、ノートを構えながら力強く言う。


 彼女の純粋な応援は、私の思考ルーチンにおいて、もはや無視できない正のフィードバックループを形成しつつあった。


 私は、体育館の隅に設置されている卓球マシンへと向かう。


 そして、その操作パネルを、普段よりも少しだけ、人間的な…そう、まるで古い友人に触れるかのような、微かな感慨をもって操作し始めた。


 そうだ、お前には機械の友人がお似合いだ。


 …カットマン対策。基本は、下回転に対するドライブの安定性と、ナックルボールへの対応。


 そして、何よりも、相手の粘りに根負けしない精神力。


 しかし、相手が幽基未来となれば、それだけでは不足だろう。


 マシンの設定を、カットボールに特化したものへと変更する。


 回転量は最大レベル、コースは左右にランダムに、そして時にはネット際に短く落ちるボールも混ぜるようにプログラムする。


 …変幻自在のカット。


 言葉にするのは容易いが、それをマシンで完全に再現するのは不可能。


 所詮これは機械。人間の持つ意図や駆け引き、そして異質さまではシミュレートできない。


 だが、基礎的な対応能力の底上げと、私の新たな「解」の検証には、これで十分。


 私は、ラケットを握り、マシンと対峙する。


 初球。


 マシンから放たれたのは、強烈な下回転を帯びた、深いカットボール。


 私は、それを裏ソフトの面で、正確にドライブで持ち上げる。


 しかし、次の瞬間、マシンは全く異なるタイミングで、今度は回転の少ない、いやらしいナックル性の短いボールをネット際に送り込んできた。


 私は、その短いナックルボールに対し、ラケットをスーパーアンチの面に瞬時に持ち替え、デッドストップで返球…しようとして、僅かにネットにかけた。


 チッ、と、小さく舌打ちが漏れた。それは、以前の私なら決して表に出すことのなかった、純粋な苛立ちの発露。


 …今のミス。原因は、身体的反応の遅延ではなく、思考の僅かな驕りか。


 この程度と侮った結果の、許容範囲外のエラー。


 幽基未来は、このマシンよりも遥かに高度な思考と変化で私を試してくるだろう。その時、この程度のミスは致命傷になり得る。


 私は、自分自身を戒めるように、より深く集中力を高める。


 マシンから放たれる、様々な回転、コース、深さのカットボール。


 私は、それらに対し、アンチラバーと裏ソフトを駆使し、時には粘り強く、時には相手の意表を突くような変化球を織り交ぜていく。


 裏ソフトで強烈なドライブを打ち込んだかと思えば、次の瞬間にはアンチラバーで相手の回転を完全に殺し、ネット際にぽとりと落とす。


 その様は、まるで熟練の漁師が、予測不能な動きをする魚を、多彩な網と罠で確実に追い詰めていくかのようだ。


 …幽基未来の異質さが、精神的な揺さぶりや、予測不能なリズムの変化にあるとすれば、私の異端は、その全てを分析し、論理的に分解し、そして最も効率的な手段で破壊することにある。


 彼女が「生きているようなボール」を操るなら、私はその「生命」の法則を解明し、それを支配する。


 時折、マシンが繰り出す、こちらの予測を僅かに上回るような鋭いボールに対し、私は思わず「…面白い」と、ごく小さな声で呟いた。


 それは、相手を称賛する言葉ではなく、あくまで「分析対象として興味深い」という意味合いだった。


 しかし、その声の響きには、ほんのわずかに、ゲームを楽しむかのような、人間的な色が混じっていたかもしれない。


 …この練習で、私の「異端」は、さらに研ぎ澄まされる。そして、幽基未来という「異質」な存在は、私の進化を加速させる、最高の触媒となるだろう。


 私の瞳の奥に、獲物を見つけた獣のような、冷たく、そしてどこか愉悦を含んだ光が宿っていた。

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