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異端の白球使い  作者: R.D
県大会 三回戦

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限界駆動

 試合終了のコールと共に、私の意識を支えていた極度の集中力が、ぷつりと切れた。


 瞬間、全身を襲うのは、骨の髄まで染み渡るような、鉛のような疲労感。


 視界がぐらりと揺れ、足元がおぼつかない。


 呼吸が浅く、速い。


 心臓が、警鐘を鳴らすかのように不規則に脈打っている。


 …身体的リミット、到達。早期の休息が必須…。


 私の脳は、かろうじて現状を分析するが、その処理速度も著しく低下している。


 高坂選手との握手を終え、ネット際で一礼する。その一連の動作すら、今の私にはひどく緩慢で、まるで水中で手足を動かしているかのようだ。


「しおりっ!やったな!すげえじゃねえか!」


「しおりちゃん!大丈夫!?顔、真っ青だよ!」


 控え場所に戻る私の元へ、部長とあかねさんが駆け寄ってくる。部長の興奮した声と、あかねさんの心配そうな声が、どこか遠くで響いているように聞こえる。


「問…あ…り…せん……」


 私は、二人に対して何かを言おうとしたが、喉からは掠れた息しか出てこない。立っているのが、もう限界だった。体が、ぐらりと傾ぐ。


「おっと、危ねえ!」


 部長が、咄嗟に私の体を支えてくれた。その腕は力強く、そして熱い。彼の熱が、僅かに私の冷え切った体に伝わってくる。


「おい、しおり、しっかりしろ!無理しやがって…すぐに座れ!」


 部長の声には、先ほどの勝利への称賛とは打って変わって、焦りと、そして私の状態に対する本気の心配が滲んでいた。


 彼は、私の腕を肩に回し、半ば抱えるようにしてベンチへと運んでくれる。


 ベンチに座り込むと、全身の力が抜け、もはや指一本動かせそうにない。


 呼吸を整えようとするが、浅い息しかできず、視界も明滅している。


「しおりちゃん!これ、飲める?ゆっくりでいいからね!」


 あかねさんが、ペットボトルのスポーツドリンクのキャップを開け、私の口元へとそっと差し出してくれる。


 その手は、心配で微かに震えていた。


 私は、かろうじて頷き、数口だけそれを飲む。冷たい液体が、乾いた喉を潤すが、体力の回復には程遠い。


「…しおり。お前、今日の試合、凄まじかったぜ。あの高坂を、あそこまで追い詰めて、最後は完全に心を折っちまうとはな…。」


 部長が、私の隣に腰を下ろし、私の顔を覗き込むようにして言った。


 その声は、いつものような大声ではなく、私の体調を気遣うように、少しだけ抑えられている。


「特に、あの三ゲーム目…お前のあの、何考えてるか分からねえサーブの連続と、最後の最後で俺のサーブまでパクってエース取りやがった時は、正直、鳥肌立ったぜ。お前、本当に、とんでもねえ選手だよ。」


 彼の言葉は、称賛であり、そして私の特異な才能への、改めての認識だった。


 しかし、今の私には、その言葉にまともに応えるだけの思考力も、体力も残されていない。


「…データ…収集と…分析…そして、勝利…それだけ、です…。」


 途切れ途切れに、かろうじて言葉を紡ぎ出す。声は、自分でも驚くほどにか細く、弱々しい。


 部長は、私のその様子を見て、痛ましそうに顔を歪めた。


「…ああ、分かってるよ。お前が、どれだけ無茶苦茶な練習して、どれだけ自分を追い込んで、あの卓球をやってるかなんてな…。」


 彼は、何かを言いかけて、しかし言葉を飲み込んだ。


 そして、代わりに、私の頭を、大きな手で、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと、しかし力強く撫でた。


「…今は、何も考えずに休め。よく、頑張ったな、しおり」


「うん、しおりちゃん!後の事は任せて!」


 その、不器用な、しかし心のこもった労りの言葉と、手の温かさ、そしてあかねさんの気遣いが、私の限界寸前だった意識の糸を、ほんの少しだけ、繋ぎとめてくれているような気がした。


 あかねさんも、隣で私の背中を優しくさすってくれている。


 仲間…か。


 同じ過ちを繰り返す気か?


 私の「静寂な世界」に、彼らの存在は、もう無視できないほど大きな「変数」として、確かに存在している。


 そして、その変数がもたらすものは、今の私にはまだ、正確には分析できない、温かい何かだった。


 しかし、その温かさも、急速に遠のいていくのを感じる。視界が、本格的に白く霞み始めた。


 耳鳴りが激しくなり、部長の声も、あかねさんの気配も、まるで厚い壁の向こう側のようにぼやけていく。


 私の脳は、最後の力を振り絞って、現状で最善を探そうとする。


「…ぶちょ、う…。」


 かろうじて、声にならないような声で、私は目の前の大きな存在に呼びかけた。


「ん?どうした、しおり。大丈夫か?」


 部長が、心配そうに私の顔をさらに強く覗き込む。


 私は、震える手で、握りしめていたラケットを、彼の方へと差し出した。


 それは、私の「異端」の象徴。私の、戦うための唯一の武器。そして、私の…魂の欠片。


「これ…私の…お守り、です…。」


 途切れ途切れに、最後の力を振り絞って言葉を紡ぐ。


「…あなたが…勝ち進むための…お守りに…してください…。」


 私の「異端」が、あなたの「熱」と共にあれば、きっと…


「しおり…?おい、しっかりしろ!」


 部長の焦った声が聞こえる。


 彼の手が、私の差し出したラケットを、そして私の手を、力強く握りしめたのが分かった。


 その温かさを最後に、私の意識は、深く、暗い静寂の中へと、完全に沈んでいった。






 ______________________________

 次に気がついた時、私は、自宅のベッドの上に横たわっていた。


 窓から差し込む光は、既に夕焼けの色を帯びている。体育館の喧騒も、ボールの音も、何も聞こえない。


 ただ、いつもの、私の部屋の静寂だけが、そこにあった。


(…ここは…私の部屋…?なぜ…。)


 混乱する思考。最後の記憶は、あの体育館のベンチで、部長にラケットを託し、意識を失ったところまでだ。


 誰が、私をここまで運んでくれたのだろうか。部長か、あかねさんか、それとも顧問の先生か。


 体を起こそうとしたが、全身に力が入らない。


 高坂選手との試合で負った疲労は、想像以上に深かったようだ。頭も、まだぼんやりとしている。


 ふと、枕元に視線をやると、そこには、折り畳まれた私のユニフォームと、そして、見慣れない一枚のメモが置かれていた。


 私は、ゆっくりと手を伸ばし、そのメモを手に取る。そこには、丸みを帯びた、しかし丁寧な文字で、こう書かれていた。


「しおりちゃんへ

 今日の試合、本当にお疲れ様。ゆっくり休んでね。

 ラケットは、部長先輩がしっかり預かってくれてるから大丈夫だよ。

『お前の魂、確かに預かった。必ず、お前と、そして風花と一緒に、全国の舞台に立つ』って言ってた。

 また明日、学校でね!

 あかねより」


 そのメモを読んだ瞬間、私の胸の奥に、今まで感じたことのない、温かくて、そして少しだけ切ないような、複雑な感情が込み上げてきた。


(…私の、魂…。)


 部長は、私のあの言葉を、そしてあのラケットを、そう受け止めてくれたのか。


 私は、あかねさんの文字を指でそっとなぞりながら、再びベッドに深く体を沈めた。


 体育館での出来事が、まるで遠い夢のようにも感じられる。


 しかし、この部屋の静寂と、枕元のメモが、それが現実であったことを静かに告げている。


 私の「異端の白球」は、今、信頼する仲間の手に託された。


 そして、私の知らないところで、物語は、また新たな局面へと動き出そうとしているのかもしれない。


 私は、静かに目を閉じ、深い眠りへと、再び意識を委ねた。

お読みいただき、ありがとうございました。


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