冒涜者(4)
セットカウント 静寂 2 - 0 高坂
インターバル終了を告げる合図と共に、私は静かにコートへと戻った。私の内なる世界は、極限まで研ぎ澄まされ、目の前の高坂まどかという「正統派の強者」を、最短時間で、そして最も効率的に「勝利」するための、無数の戦術ツリーが複雑に絡み合い、最適な一手を選択しようと高速で回転している。体力的な限界は近い。だからこそ、この第三ゲームで、全てを終わらせる。
高坂選手は、二ゲームを連取されたにも関わらず、その瞳の奥の闘志の炎を消してはいない。しかし、その炎の周りには、私の「異端」な卓球に対する深い困惑と、拭いきれない警戒心が、濃く立ち込めている。彼女の思考は、次に私が何を仕掛けてくるのか、その一点に集中しているだろう。そして、その集中こそが、私の新たな「冒涜」の餌食となる。
私のサーブ。
まず、私は高坂選手のサーブ――あの質の高いハーフロングサーブ――を、再び模倣した。しかし、回転は同じでも、コースを僅かに変え、彼女の予測をほんのわずかに外す。彼女は食らいついてくるが、返球は甘くなる。そこを、私はアンチラバーでのデッドストップと見せかけて、インパクトの瞬間に裏ソフトに持ち替え、強烈なドライブを叩き込む。
静寂 1 - 0 高坂
次のサーブ。今度は、部長のパワーサーブのフォームを模倣。高坂選手の体が、強打を警戒して一瞬強張る。しかし、そこから繰り出されたのは、ネット際にふわりと落ちる、回転のないショートサーブ。彼女は慌てて前に踏み込むが、その甘い返球を、私は再び裏ソフトで、今度は彼女の全く逆を突くコースへと、鋭く打ち抜いた。
静寂 2 - 0 高坂
…予測不能の連続。異なる選手の特性、異なる球質のサーブ、そしてそれとは全く逆のレシーブ。彼女の思考ルーチンは、このカオスな情報の奔流に対応しきれないはずだ。
高坂選手は、明らかに混乱していた。彼女の「正統派」の卓球は、このような支離滅裂とも言える、しかしその一つ一つは極めて高い精度で実行される「異端」の連続攻撃に対して、有効な解答を見つけ出せずにいる。彼女の顔からは血の気が引き、呼吸も浅くなっているのが見て取れた。
しかし、彼女はまだ諦めない。必死に、私のモーション、ラケットの角度、ボールの回転を読み解こうと、その瞳に全神経を集中させている。その姿は、まるで嵐の中で必死に羅針盤を頼りに進もうとする船乗りのようだ。だが、私が作り出すのは、羅針盤すらも狂わせる、予測不能な磁場の嵐。
私は、一切の表情を変えず、次の相手のサーブを待つ。私の「異端」の卓球は、相手の心を折り、思考を停止させ、そして勝利という結果だけを冷徹に追求する。このゲーム、一瞬たりとも彼女に息を継がせるつもりはなかった。
彼女は、先ほどの私のサーブエースの残像を振り払うかのように、一度大きく息を吐き出し、そして、静かに構えた。その瞳の奥には、確かに絶望の色が滲んではいるものの、完全に闘志が消え失せたわけではない。むしろ、追い詰められた獣が最後に見せるような、鋭い、そしてどこか捨て身の光が宿っていた。
(…彼女の精神状態、依然として不安定だが、一点集中型の攻撃に転じる可能性あり。あるいは、完全に開き直り、これまでの「正統派」を捨てた、予測不能なプレイを仕掛けてくるか…?)
私の脳は、彼女の僅かな表情の変化、纏う靄の揺らぎから、次の行動パターンを予測しようと試みる。
高坂選手が放ったサーブは、これまでの彼女のサーブとは全く異なる、極めて短い、そして回転のほとんどかかっていないナックル性のサーブだった。それも、私のフォア前、ネットすれすれに、まるで置くようにしてコントロールされている。
それは、私が得意とする「デッドストップ」を、まるで彼女自身が使うかのような、意表を突く一打。私の変化球を警戒し、ラリーに持ち込ませない、あるいは、私のアンチラバーでの処理を誘い、そこを狙おうという意図か。
「!」
私は、そのあまりにも意外なサーブに、一瞬反応が遅れた。しかし、私の体は、これまでの膨大な練習と分析によって、最適化された動きを無意識のうちに選択する。
ラケットをスーパーアンチの面に瞬時に持ち替え、その短いナックルサーブに対し、同じくネット際に、しかし、ほんのわずかに横回転を加えたプッシュで返球した。ボールは、低い弾道で、相手コートのサイドラインぎりぎりへと、滑るようにして逃げていく。
高坂選手は、そのいやらしい返球に必死に食らいつく。彼女は、私がナックルで短く返してくることを予測していたのかもしれない。しかし、そこに加えられた僅かな横回転が、彼女のラケットの角度を微妙に狂わせる。
彼女がなんとか拾い上げたボールは、山なりに、そして甘く、私のフォアサイドへと浮いた。
(…チャンスボール。しかし、油断は禁物。彼女の「捨て身」の反撃も考慮に入れるべき。)
私は、その浮き球に対し、一歩踏み込み、裏ソフトの面で強打の体勢に入る。高坂選手の体が、強烈なスマッシュを警戒して、わずかに強張るのが見えた。
しかし、インパクトの瞬間――私は、手首の力を抜き、強打ではなく、相手のブロックの予測コースを外し、逆モーションに近い形で、高坂選手のバックサイド深くに、回転量の多いループドライブを送り込んだ。
それは、相手の予測の、さらにその裏をかく一打。
高坂選手は、完全に体勢を崩され、そのボールに触れることすらできない。
静寂 4 - 0 高坂
…相手の戦術変更に対し、こちらも変化で対応。思考の主導権は、依然として私が握っている。
高坂選手は、膝に手をつき、荒い息を繰り返している。スタミナが切れたわけでさないだろう。
その表情には、疲労よりも、何をしても私の術中から逃れられないかのような、深い絶望の色が強い様に感じる。彼女の「正統派」の卓球が、私の「異端」で「冒涜的」とも言える予測不能な戦術の前に、完全にその輝きを失おうとしていた。
控え場所の部長とあかねさんは、もはや声も出せずに、ただ固唾をのんで私の一挙手一投足を見守っている。体育館のその一角だけが、異様な緊張感と静寂に支配されているかのようだった。
「タイムアウトお願いします!」
その時、相手のコーチからタイムアウトが要請された。
本日も最後までお付き合いくださりありがとうございした。
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