想定外
静寂 8 - 7 高坂
私は、静かに息を吸い込み、そして、このゲームを終わらせるための一手を、冷徹に選択した。
高坂選手の表情には、明らかに焦りの色が見える。彼女の「正統派」の卓球は、私の予測不能な変化の前に、その拠り所を見失いつつある。
しかし、その瞬間だった。
高坂選手の纏う気配が一瞬にして変わった。
それまでの困惑や焦燥の濁ったが消え、代わりに、一点の曇りもない、燃えるような闘魂と極限の集中が、彼女の全身から立ち昇った様に感じた。
それは、追い詰められた強者が、最後のプライドと、持てる力の全てを解放しようとする瞬間にのみ見せる、覚醒の気配。
「まだ…終わらせない…!」
高坂選手の口から、これまでとは全く異なる、力強い声が発せられた。
その瞳は、もはや私の変化球に惑わされることなく、ただ一点、目の前のボールだけを射抜くように見据えている。
…相手の精神状態、劇的変化。思考ルーチンが、防御・対応型から、攻撃・突破型へと移行していそうだ。これは…まずい。
私の分析が警鐘を鳴らす。
私のサーブ。
先ほどエースを取った、あのサイドスピンサーブと同じ構えに入る。
しかし、高坂選手は、もはや私の小手先の変化には動じない。
彼女は、サーブの回転やコースを完璧に見極め、自ら踏み込み、強烈なフォアハンドドライブで、私のバックサイド深くに、まるで意志を持った砲弾のように打ち込んできた!
その打球は、これまでの彼女のドライブとは比較にならないほどの威力とスピード、そして何よりも「絶対にねじ込む」という気迫に満ち溢れていた。
私は、咄嗟にラケットをスーパーアンチの面に持ち替え、そのドライブをブロックしようとする。
しかし、ボールの勢いは凄まじく、インパクトのタイミングが一瞬遅れる、ボールは無情にもサイドラインを割っていった。
静寂 8 - 8 高坂
続く高坂選手のサーブ。
彼女は、もはや迷いを捨て去ったかのように、自身の最も得意とする、回転量の多く、かつスピードのあるドライブで、私を前後左右に揺さぶり始める。
フォアへ、バックへ、ミドルへ。その全てが、厳しいコースに、そして高い精度でコントロールされている。
私は、必死にラケットを持ち替え、スーパーアンチでその猛攻を凌ごうとする。
ナックルブロック、デッドストップ、コースを変えるツッツキ。
しかし、今の高坂選手には、それらの変化が通用しない。
彼女は、私の変化球に対して、無理に合わせようとするのではなく、持ち前のフットワークと体幹の強さで体勢を崩さず、自分の得意なドライブの体勢に強引に持ち込み、打ち抜いてくる。
…強い。
これが、追い詰められ、そして覚醒した、上位レベルの「正統派」の力。
私の「異端」な変化も、この絶対的なまでの基礎能力と精神力の前では、効果が減衰している。
観客席からも、高坂選手の気迫のこもったプレイに、大きなどよめきと声援が送られている。
控え場所の部長とあかねさんも、固唾をのんでこの激しい攻防を見守っている。
私は、裏ソフトでのカウンタードライブを試みる。
しかし、高坂選手のドライブの回転量と威力は、私の予測を僅かに上回り、打ち合いの中で徐々に押され始める。
私が放った渾身のドライブも、彼女は驚異的な反応速度でブロックし、さらに厳しいコースへと返球してくる。
ラリーが続く。息詰まる攻防。
私は、持ちうる全ての技術――アンチラバーでの変化、裏ソフトでの攻撃、そして予測不能なラケットの持ち替え――を駆使し、必死に彼女の猛攻に耐える。
しかし、高坂選手の気迫は、まるで津波のように、私の築き上げた「異端」の壁を、少しずつ、しかし確実に飲み込もうとしていた。
彼女のフォアハンドドライブが、私のフォアサイドを深くえぐる。私は、飛びつくようにしてスーパーアンチで返球するが、ボールは僅かに甘く浮いてしまった。
高坂選手は、そのボールを見逃さない。獣のような鋭い眼光で踏み込み、渾身のフォアハンドスマッシュを、私のコートに叩きつけた!
静寂 8 - 9 高坂
ついに逆転。高坂選手の気迫が、完全に試合の流れを彼女の方へと引き戻した。
彼女の纏う赤い靄は、もはや炎のように燃え盛り、体育館のその一角を支配しているかのようだ。
そして、次のポイント。高坂選手のサーブ。
緊張が、私の指先を微かに震わせる。この流れを、断ち切らなければ。
しかし、高坂選手の集中力は途切れない。高坂選手の放った下回転のロングサーブに対し、私はチキータでカウンターを狙った、しかし彼女は完璧に対応し、逆に鋭いカウンタードライブで得点を奪われた。
静寂 8 - 10 高坂
ついに高坂選手のセットポイント。
私の「静寂な世界」が、彼女の純粋なまでの「熱」と「力」によって、激しく揺さぶられている。
これが、本当の「勝負」の厳しさ。私の「異端」が、今、試されている。




