冷たい警告
私たちは朝御飯を食べ終え、登校の準備も終わらせる。
彼女はもう、傷を隠す必要性がなくなったからか、目の前で着替えて、準備を済ませていた。
…あなたはよくても、私はよくないっての…!
その傷をつけられた時を想像するだけで、背筋が凍る。
彼女の歩いてきた地獄は、想像も出来ないほど壮絶なのだろう。
私は玄関で、黙って靴を履く。
隣でしおりさんも、私と寸分違わぬタイミングで、ローファーに足を入れた。
その所作に何の淀みもない。
…?
私は思わず彼女の横顔を盗み見た。
そこにいたのはもう、昨夜私の腕の中で、子供みたいに眠っていた、あの少女ではなかった。
雪のように白い肌。
すべてを見透かすガラス玉のような瞳。
感情の一切を読み取らせないわ完璧なポーカーフェイス。
いつもの「静寂しおり」だった。
「…小笠原さん」
彼女が先にドアノブに手をかけた。
「…行かないのですか?」
「……え、…ええ」
私は何かを言いかけ、それが何かも分からぬままそれを飲み込んだ。
マンションのエントランスを出て、並んで学校への道を歩き出す。
いつも通りの通学路。
いつも通りの時間。
「…昨夜のデータですが」
不意に彼女が口を開いた。
「え?」
「黒木主将との試合。感情を殺すことで身体に反動が出るというデータ、…あれは小笠原さん限定の情報として、秘匿をお願いします」
「……」
「もしあの情報が外部に漏れた場合、…私はあなたを敵として認識します」
…ぞわりと背筋が寒くなった。
声のトーンはいつも通り淡々としている。
だがその言葉の端々に込められた圧力は、昨日までの比じゃない。
これは「昨夜の失態」を二度と掘り返すなという、彼女なりの警告だ。
「…おはよう小笠原さん!」
卓球部の後輩が緊張した面持ちで挨拶してくる。
「…おはよう」
「せ、静寂さんも!お、おはよう!」
「…おはようございます」
しおりさんは完璧な笑顔を浮かべて、後輩に会釈さえしてみせた。
後輩はビクッと肩を震わせ、逃げるように去っていく。
…完璧だ。
…完璧に「いつも通り」に戻ってる。
昨夜あれだけ自分をさらけ出した、その「弱み」を握られた私に対して、彼女が取った行動は「怯える」でも「懐く」でもなかった。
―――より強固な鎧で威嚇し牽制する。
…それだった。
「…あんたは本当に、常識が通用しないわね」
ああいう秘密を共有したら、大体は仲良くなったりするもんじゃないの?
そんな期待を少ししていた自分もいた。
私がボソリと呟くと、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「? …何か?」
「…なんでもないわよ」
私は歩くスピードを上げた。
隣で彼女もまったく同じ歩幅で、ついてくる。
その体温の感じられない横顔が、なぜか昨夜腕の中で感じたあの「温もり」よりもずっと、どうしようもなく哀しいものに見えた。




