傷だらけの背中
「父親からの、贈り物です」
そのあまりにも静かでそして重い一言。
私は浴室のドアの前でただ立ち尽くすことしかできなかった。
彼女が背負う闇のその本当の深さを、私はまだ何一つ理解してはいなかったのだ。
しおりさんはそんな私の混乱など意にも介さず先に浴室のドアを開けた。
「…先入りますね。凛月さんも早くしないと湯冷めしますよ」
カシャ、とシャワーの音が無機質に響き始める。
私はまるで金縛りにあったかのようにその場から動けなかった。
…どうすればいいの?今私は、どんな顔をしてあの子と向き合えばいい…?
私がお風呂に誘ったせいで、とんでもないものを見てしまった、見せさせてしまった。
しかし、彼女を一人にしておくわけにもいかない。
私は、意を決して服を脱ぎ、浴室のドアを開けた。
湯気が立ち込める中、しおりさんは小さな椅子に座り、その長い髪を黙々と洗っていた。
私もその隣にそっと座る。
カラン、とプラスチックの桶が床に当たる音だけがやけに大きく響いた。
気まずい。
気まずすぎる。
私は何を話せばいいのか分からずただ自分の髪を洗い始めた。
その時ふと、隣の彼女の背中に再び視線が吸い寄せられる。
湯気とお湯に濡れて、先ほどよりもそのおびただしい数の古傷が、生々しく浮かび上がって見えた。
どう見ても、卓球の練習でつくような傷ではない。
細く白いその背中にまるで落書きのように刻まれた暴力の痕跡。
…本当に、こんなことが…。
…こんな小さな体で、あの子はずっとこれに耐えてきたっていうの…?
体を洗い終え、しおりさんが湯船にそっと入っていく。
私も慌てて流し、その向かい側にゆっくりと身を沈めた。
チャプンとお湯が溢れる音がする。
湯船の中でも私たちは無言だった。
彼女は、湯船の縁に顎を乗せて、どこかぼんやりとした目で浴室の天井を見つめている。
そのあまりにも無防備でそして儚げな横顔。
コートの上であの黒木主将を11-0で蹂躙した「魔女」の姿とは到底結びつかなかった。
…この子も私と同じ、いや、私以上に卓球以外は何も知らない、不器用な子供なんだ。
その時だった。
「…小笠原さん」
不意に彼女が私の名前を呼んだ。
「お湯、熱すぎませんか?」
「え…?あ、ううん、大丈夫よ」
その、気遣うような普通の問いかけ。
私の心からすっと力が抜けていくのが分かった。
そうだ、何をそんなに身構えているのよ私は。
彼女は彼女だ。
「…いいお湯ですね」
「そ、そう…?まあ普通のお湯だけど…」
「はい、…温かいです」
そう言って彼女はほんの少しだけ本当に嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔。
私はその時初めて彼女の本当の素顔を見たような気がした。
私たちの長くてそして少しだけ温かい夜はまだ始まったばかりだった。




