都会の民間体育館
私たちは五月雨高校を後にした。
小笠原さんの案内で電車を乗り継ぎ、たどり着いたのは雑居ビルが立ち並ぶ一角にある民間の体育館だった。
ドアを開けた瞬間、私の耳に飛び込んできたのは、学校の部活とは比べ物にならないほどの「熱気」と「喧騒」だった。
…すごい…。
体育館の中には二十台近い卓球台が隙間なく並べられ、その全てが埋まっている。
制服姿の学生だけではない。
派手なユニフォームを着た大人たち。
驚くようなフットワークで動き回る老人。
年齢も性別も関係ない、ただ卓球を愛する者たちが集う場所。
そのカオスな光景に、私は目を奪われていた。
そしてそれは、私の隣にいる男も同じだったらしい。
「…うわ…。すげえな東京は…。平日の夕方でこれかよ…」
部長が目を丸くして呟いている。
その姿に、小笠原さんが呆れたようにため息をついた。
「…ちょっと猛、なんであなたまで驚いてるのよ」
「いやだって、すげえだろこの人の数…」
「あなたはもう東京に来て一年経ってるじゃない…、まさかこっち来てから一度もこういう場所、来たことなかったの?」
「…おう、普段は部活で完結してるからな」
彼は悪びれもせずにそう答えた。
…この二人も大概不器用だな、…私には関係のないことだけど。
私は心の中で静かに呟く。
その時だった。
体育館の中央で、一つの台の練習が終わり、帰ろうとする初老の男性が見えた。
「…あ」
私が気づいたのと、部長が叫んだのは同時だった。
「ラッキー!あの台、空いたぞ!」
次の瞬間。
部長は、まだ呆然としている私の手を掴むと、全力疾走で走り出した。
「おいしおり!行くぞ!取られる!」
「ちょっ…部長!?」
そのあまりにも強引で、子供のような行動。
掴まれた手の温かさに、私の心の氷がさらに溶けていくのが分かった。
私は彼に手を引かれるまま、その熱狂の中心へと駆け出していく。
バランスを崩し何回か転びそうになりながらも、なんとかその中央の卓球台まで走り切った。
「…はあ…はあ…」
私は肩で息をしながら、ラケットケースを台に置く。
そして準備体操を始めながら、隣でケロリとしている元凶を睨みつけた。
「…部長」
「ん?」
「…早すぎます、私の、今の走る、速度も、考慮、してください。転び、かけました」
息を整えながら話す、私のその精一杯の毒づき。
しかし部長は全く悪びれる様子もなく、豪快に笑った。
「はっはっは!もっと走り慣れとけ!リハビリが足りねえんじゃねえか?」
彼はそう言って私の頭にその大きな手を置き、わしわしと乱暴に撫で回した。
…子供扱いですか。
私がさらに抗議しようとしたその時。
後ろからやれやれと言った感じで追いついてきた小笠原さんが、その光景を見てぴたりと足を止めた。
…あの二人…。距離感が近すぎないかしら…?いやでも、猛はただの筋肉バカだし、しおりさんはああいう常識が欠落しているタイプだし…。お互い気にしていないの…?
彼女は何かを思考しながらも、すぐにこほんと一つ咳払いをすると、部長の前に仁王立ちになった。
「――猛」
「お?なんだよ小笠原」
「女の子の頭をわしゃわしゃするときは、ちゃんと許可を取りなさいよ」
その声は静かだったが、絶対零度の響きを持っていた。
「はあ?なんでだよ」
「いいこと?女の子はね、何十分もかけて髪をセットしてる子もいるのよ!それをあなたのようなゴリラに、一瞬で台無しにされてたまるもんですか!」
その鋭い眼光と共に放たれた言葉。
それは卓球の試合で見せる闘志とは、また別の恐ろしさを秘めていた。
部長はその気迫に完全に押され、たじろぎながらもこくこくと頷く。
「お、おう…。…わ、分かったよ…」
その情けない部長の姿に、私は笑ってしまった。
どうやらこの東京での一週間は、卓球以外のことでも色々と楽しめそうだ。
私はラケットを握り直し、そして目の前の好敵手に向き直った。
「…さあ始めましょうか、部長」
「おう!」
私たちにとっての、本当の「遊び」の時間が、今始まろうとしていた。




