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異端の白球使い  作者: R.D
五月雨高校編

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諸刃の剣

 黒木部長が全速力で、二番台へと駆け出していく。


 その背中を見送り、体育館が再び熱気を取り戻していく、その中で。


 俺は三番台の、自分の試合順を待ちながら、一人壁に寄りかかり、震えていた。


 …なんだよ、今のは…。


 黒木主将や、他の部員たちには、ただ「圧倒的に、強い、しおり」に、見えただろう。


 しかし俺には、違うものが見えていた。


 この試合を制するしおり、そして全てのボールを無慈悲に蹴散らす姿。


 そして、あいつの瞳から、光が消えた、あの瞬間。


 富永先生から聞かされていた言葉が、脳裏に蘇る。


 『複雑性PTSD。彼女は、あまりにも辛い現実から心を守るために、感情そのものを、切り捨てる癖がついてしまっている』


 『しかし最近は、君たちという仲間のおかげで、その氷が溶け、ようやく感情が戻ってきている。君たちの助けがあれば少しずつ、でも確実によくなっていくよ』


 …それなのに、なんだよ、今のは…!


 あれは俺が知っている、中学一年の、はじめてあった頃のあいつに似ている。


 誰の声も届かない、絶対零度の世界でただ一人、冷徹に相手を破壊する、あの「魔女」の姿。


 …お前、まさか…。


 俺の思考が、最悪の結論にたどり着く。


 …あの状態を、自ら引き起こしたのか…!?


 …黒木主将に勝つためだけに、自らの意志で、あの地獄の記憶を呼び覚まし、そして、心を凍らせたというのか…!?)


 怒りよりも先に、どうしようもない恐怖と心配が、俺の心を、支配した。


 馬鹿野郎!


 お前はそれがどれほど危険なことか、分かっていないのか!


 それは、お前の魂そのものを削り破壊する、自傷行為なんだぞ!


「…猛?」


 隣で四番台試合を待っていた凛月が、俺の異変に気づき、怪訝そうな顔でこちらを見ていた。


 俺の顔は、きっと真っ青だっただろう。


「…悪い凛月、俺ちょっと抜ける」


「は!?何言ってるのよ、もうすぐランキング戦の試合が…!」


「いいから!」


 俺は彼女の言葉を遮り、そして駆け出していた。


 自分の試合も、このランキング戦の勝敗も、もはやどうでもよかった。


 俺が今行くべき場所は、コートではない。


 あの馬鹿で、どうしようもなく不器用なあいつの元だ。


「ちょ、ちょっと、猛!待ちないさいよ!」


 凛月は何が起きたのか分からないまま、しかし俺の、あまりにも必死な形相に、ただ事ではない何かを感じ取ったのだろう。


 彼女もまた自らの試合を、不戦敗になることを覚悟しながら、俺の後を追って、飛び出してきた。


 ベンチで監督と話すしおりが、呆然とこちらを見ている気配がしたが、俺は構わずそのベンチへ向け走り出した。


 監督が驚いたように俺を見るが、知ったことか。


 俺はしおりの目の前に、仁王立ちになると、その肩を掴みそうになるのを必死で堪え、声を絞り出した。


「…しおり!お前、大丈夫か…!?」


 俺のその、必死な声。


 しかし彼女はゆっくりと顔を上げ、そして俺を見つめた。


 その瞳。


 俺の、知っている、しおり。


 それは、勝つために全てを犠牲にする、出会った頃の目をしていた。


 そこには、何の感情も宿っていない。


 ただ、絶対零度の氷だけがそこにあった。


「…何が、です?部長。…何か問題でも?」


 その他人行儀で、冷たい受け答え。


 俺の背筋を、冷たい汗が伝った。


 …ああ、クソッ…!やっぱり、そうだ…!


 彼女は完全に氷を、仮面を纏ってしまっている。


 俺は彼女の隣に座る監督へと、向き直った。


「監督!申し訳ありません!こいつを、今日の練習から、外してください!」


「…猛?貴様、何を…」


「大切なことなんです!お願いします!」


 俺は、頭を下げた。


 その俺の、ただならぬ迫力と、しおりの異様な雰囲気。


 その二つを見比べ、監督は何かを察したようだった。


 彼は静かに、そして重く頷いた。


「…分かった、後のことは任せろ、…猛、静寂君を連れて行け」


 俺はその許可を得るなり、しおりの腕を掴んだ。


「行くぞ、しおり」


「…私は、まだ、練習が…」


「うるさい!いいから、来い!」


 俺は抵抗しようとする彼女を、半ば強引に引きずるようにして、体育館を後にした。


 凛月が心配そうにこちらを見ていたが、今は構っていられない。


 体育館の、裏。


 誰もいない用具庫の陰で、俺はようやく彼女を離した。


 そしてもう一度、彼女の両肩を掴み、問い詰める。


 その声は、怒りと不安で、震えていた。


「…お前、一体、何てことを、しやがった…!分かってんのか!?」


「…何のことですか。私は、ただ試合をしていただけですが」


「とぼけんな!あの状態!お前、自分で引き起こしたんだろ!」


 俺の、その叫び。


 彼女は表情一つ変えずに、ただ俺を見つめ返してくる。


 俺は、頭を抱えたくなった。


 …ダメだ。伝わってない。今のこいつには、俺の心配も怒りも、届いてない…!


 俺は深く息を吸い込み、そしてもう一度、彼女に問いかけた。


 その声は、もう、懇願に近かった。


「…しおり。本当に、大丈夫なのか?」


 彼女は、その問いに、わずかに首を傾げた。


 まるで俺が、何をそんなに取り乱しているのか、理解できない、と言うかのように。


 そして彼女は、恐ろしくズレた答えを、返してきた。


「…はい、体力的にはまだ問題ありません、私の思考ルーチンもクリアです。あと二試合は、万全に戦えます」


 その言葉。


 俺は、天を仰いだ。


 …そうじゃ、ねえんだよ、馬鹿野郎…!


 彼女は、本当に分かっていない。


 自らの「心」が今、どれほど危険な淵に、立たされているのかを。


 …俺は絶対に、もう二度とあんな思いはごめんだ…!


 俺の護る為の本当の戦いはここからだと、覚悟を決めた。

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