主将の仮面
背後で、ドアが開く音がした。
そこに立っていたのは、意外な人物だった。
「……主将ともあろう人が、部活前にこんなところにいていいんですか?」
黒木主将だった。
しかし、その佇まいは私が昨日試合で見た、あの獰猛な「主将」とは全く違っていた。
彼はジャージではなく、少し着崩した制服のまま。その手にはラケットではなく、コンビニの袋がぶら下がっている。
彼は私に気づくと、少しだけ気まずそうに頭をかいた。
「…よお。やっぱりここにいたか」
「…黒木さん。どうかしましたか?」
「いや…。監督がお前のこと探しててな。まあ、まだ時間あるし、少しサボっててもバレねえだろ」
彼はそう言って、私の隣にどかりと腰を下ろした。
その普通の男子高校生のような口調と仕草。
私は戸惑っていた。
昨日の、あの全てを威圧するようなオーラは、どこにもない。
彼はコンビニの袋から缶コーヒーを二本取り出すと、そのうちの一本を私に差し出した。
「…ほらよ。…昨日は、その、なんだ。悪かったな」
「…何がですか?」
「いや…。猛からお前のこと化物だって聞いてたから、つい熱くなっちまってな。後から監督にこっぴどく叱られたぜ」
その素直な謝罪。
私は驚いて、彼の顔を見つめた。
彼は照れくさそうにコーヒーを一口飲むと、遠くの空を見つめた。
「…まあ、いつも通り冷静に対処していても、結果は同じだっただろうけどな」
彼は悔しそうに、しかしどこか楽しそうに笑った。
「お前の卓球、面白すぎだろ。あんなの初めて見たぜ。…なあ、あのアンチのやつ。どうなってんだ?」
彼はまるでクラスメイトと話すように、無邪気な目で私に問いかけてくる。
私は戸惑いながらも、彼の質問に一つ一つ答えていった。
ラバーの性質、回転の殺し方、そしてカウンターへの繋げ方。
私のそのマニアックな解説に、彼は子供のように目を輝かせている。
(…これが、本当に昨日のあの人…?)
そのギャップに、私の思考は混乱していた。
コートの上であれほどまでに冷徹で威圧的だった彼。
しかし、今私の隣にいるのは、ただの卓球好きの、気のいい先輩。
そうだ。
彼もまた、仮面を被っていたのだ。
「五月雨高校主将」という名の、重い、重い仮面を。
そして、その仮面を脱いだ彼の素顔は、こんなにも穏やかで、そして普通の青年だったのか。
その事実に気づいた時、私の心の中に、ほんの少しだけ温かい何かが流れ込んできた。
この人もまた、私と同じなのだ。
不器用で、そして卓球というものに魂を囚われてしまった、どうしようもない人間なのだ、と。
私たちは、しばらくの間、他愛のない卓球談義に花を咲かせていた。
東京の空の色が、少しだけ優しくなったような気がした。




