シャットアウト
(…なるほど)
(私の次なる相手は、あなたですか、黒木さん)
一度砕かれた主将としてのプライド。
そして、魔女へのリベンジという、新しい闘志。
その全てを手に入れた彼が、どれほどの強さを見せるのか。
私の心の中に、久しぶりに勝負師としての純粋な興奮が芽生え始めていた。
黒木さんが二番台の試合を終え、私の待つ玉座へと登ってくる。
彼の瞳には、もう迷いはない。
「…もう一度、お願いします」
「ええ」
魔女へのリベンジマッチが始まる。
サーブは彼から。
彼が放ったのは、一切の迷いを断ち切った、純粋な下回転のスピードサーブだった。
速い。そして、重い。
私は、予定通りにわざと隙を晒して、強打を誘導しようとする。
レシーバーである、私の定跡とも言える2手目。
しかし、彼はもはや、私の仕掛けなど意にも介さない。
ただ「考えるな、打て」という監督の言葉だけを信じ、獣のようにボールに食らいついてくる。
私の誘いの隙を無視した、渾身の三球目攻撃。
その一撃のボールは、閃光のごとく私のコートに突き刺さり、打ち返すことも叶わずに私の後ろへと飛んでいく。
次のラリーも同じだった。
小細工なしのパワーとスピードの応酬。
その純粋な力の前で、私はなす術なく、押し込まれていく。
私の額に、冷や汗が浮かんだ。
(……強い)
(来ると分かっている攻撃……、だがそれに反応できない…!)
どうする……。
その敗北への予感が私の思考を支配しかけた、その時。
私は、思い出した。
あの橘コーチとの試合の終盤。
追い詰められた私の心の中から全ての感情が消え失せ、そして五感が極限まで研ぎ澄まされた、あの感覚を。
あの研ぎ澄まされた感覚があれば、可能性はある……、気がする。
だが。
(…あの状態を、意図的に作り出す…?)
どうすればいい?
あの時、私の心に何が起きた?
考えろ、なにかトリガーがあるはずだ。
そうだ。あの時、私は完全に「追い詰められて」いた。
逃げ場のない、絶望。その感覚。
私は、あの時の感覚を思いだし、そして、無意識に悟る。
ああ、そういうことか、この観察眼が傷痕だとしたら、私の強さの根源はきっと……。
私は、そっと目を閉じた。
そして、自らの意志で、心の奥底に封印していた最も暗い記憶の蓋を、こじ開ける。
父の、怒声。
ガラスの破片が私の腕を切り裂く、あの灼けつくような痛み。
洗面器の水に顔を押さえつけられた時の、あの窒息感。
隠しようのない、純粋な「殺意」。
この記憶が、恐らく『鍵』。
その記憶を再生した瞬間。
私の腕に、かつてガラスで引き裂かれた部位が、幻のように痛んだ、今はもう痕だけの傷口が熱い。
そして、喉の奥が、きゅっと締まり、息苦しい。
そうだ。これだ。この感覚。
私の心の中から、焦りや恐怖といった感情が急速に色を失っていく。
世界から音が消える。
私たちの試合を見て送られる製塩も、ボールの音も、全てが遠のいていく。
そして、最後に残ったのは、絶対零度の静寂だけ。
私は、ゆっくりと目を開けた。
私の目付きは、酷く冷たくなっていることだろう。
ネットの向こう側で構える黒木の姿が、僅かにスローモーションのように見える。
彼の、目線から予測できる、感情の揺れ動き。
重心から計れる、移動にかかる時間。
その情報が、私へと流れ込んでくる。
その氷のように冷たい眼差しが、ネットの向こうの獲物を、静かに捉えていた。
予測不能の魔女が、帰還した。
ここからが、本当の「狩り」の、時間だ。




