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異端の白球使い  作者: R.D
五月雨高校編

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考察

 魔女の、最初の「仕事」が終わった。


 ただ、それだけのことだった。


 監督が、パン、と一度だけ手を叩いた。


「よし、ランキング戦再開!お前らも、いつまでも見惚れてないで自分の試合に集中しろ!」


 その声で、体育館は再び熱気を取り戻していく。


 監督は、呆然と立ち尽くす黒木さんと、そして静かにコートを後にしようとしていた私の二人を手招きした。


「黒木、しおり君。少し、いいか」


 私たちは、体育館の隅にある作戦ボードの前に集まった。


 黒木さんはまだ、悔しさと、それ以上の混乱で言葉を失っているようだった。


 監督が、口火を切る。


「…黒木。今の試合、お前の敗因は何だと思う」


「……分かりません」


 彼は、絞り出すように言った。


「俺は、やるべきことをやったはずです。しかし、彼女には全て見透かされているようだった…」


「そうだ」と、監督は頷いた。


「君の全ての攻撃は、彼女が仕掛けた罠の上で踊らされていたに過ぎない。…では」


 監督のその鋭い視線が、私へと向けられる。


「本人に聞こうか。しおり君。…もし君が彼のコーチだったとしたら。君は彼に、どうアドバイスする?」


 私は、それまでただの傍観者としてそのやり取りを眺めていた。


 しかし、名指しされた以上、答えないわけにはいかない。


 私は初めて黒木さんの瞳を真っ直ぐに見つめ、そして告げた。


 それは、あまりにも無慈悲な宣告だった。


「…黒木さん。あなたの敗因は、あなたが『強すぎる』ことです」


「…は?」


 彼は、意味が分からないといった顔で私を見た。


 私は、静かに続けた。


「あなたは常に、卓球の『最適解』を選択する。オープンスペースが見えれば、そこに最強のボールを叩き込む。それがあなたの強さの源です」


「…しかし、私のような異端者にとって、あなたのその教科書的な正しさは、世界で最も予測しやすい動きなのです。あえて隙を作れば、そこにボールが飛んでくる。それをカウンターで返せば、私の勝ちが決まる」


 彼の表情が、凍りつく。


「…だから、もしあなたが私に勝ちたいと思うなら」


 私は彼に、最後の、そして最も残酷な処方箋を渡した。


「一度、そのあなたの『強さ』を、全て捨てることです」


「試合の中で、一度だけでいい。あなたが最も『非合理』だと思う選択肢を選んでみてはいかがですか。例えば、相手の隙を見逃してでも、あなたが練習してきた最強の三球目攻撃を叩き込む、とか」


「あなたのその完璧なチェス盤を、一度あなた自身の手でひっくり返してみるのです」


 私はそれだけを言うと、二人から背を向けた。


 私の仕事は終わった。


 体育館の隅では、猛先輩と凛月さんのそれぞれの試合が始まろうとしている。


 私の次なる「獲物」たちの戦いが。


 私はその光景を、ただ静かに観測し始めた。


 …という、ふりをしながら。


 本当は、私の聴覚が背後で交わされる二人の会話の一言一句を拾い上げていた。


(…私の、解剖が始まるか)


 監督の静かな声が聞こえる。


「…黒木。今の試合、お前の動きは悪くなかった。むしろ、いつも以上にキレがあったくらいだ」


「ですが、監督…俺は…!」


「最後まで聞け」


 その声には、有無を言わせぬ響きがあった。


「お前の敗因はただ一つ。彼女の『土俵』で真正面から相撲を取ってしまったことだ。彼女の目的は相手を混乱させ、思考させ、そして予測の罠に嵌めること。…いいか、黒木。ああいう相手と戦う時は、考えるな」


「考えるな、ですか…?」


「そうだ。深く読むな。ただ、来た球を、お前が信じる最強の球で打ち返す。それだけを考えろ。策を弄すれば弄するほど、お前は彼女の蜘蛛の巣に絡め取られるぞ」


 その、王道で、的確なアドバイス。


 そして、監督は続けた。


 彼が私を一番台に置いた、本当の理由を。


「…俺がなぜ、この部のトップであるお前たちに、中学生の故障選手をぶつけたか分かるか。それは、これからの世界では、ああいう『異端者』が現れるかもしれないからだ。現代卓球の常識もセオリーも通用しない、全く新しい卓球をする選手がな。…その時のための予防接種だ。今日お前が味わったあの絶望は、必ず未来のお前の血肉となる」


 その言葉を、黒木さんは黙って聞いていた。


 やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。


 そして、私がいる方向をじっと見つめる。


 その瞳には、もはや混乱の色はなかった。


 ただ、一つの確信だけが宿っていた。


(…猛の奴、「化け物」と言っていたが、正直、どこかで大袈裟なやつだなと思っていた)


(…だが、違う。あれは、大袈裟なんかじゃない)


(むしろ、奴はあれでもまだ言葉を選んでいたのかもしれない)


(あれは、現代卓球の理の外に立つ、本物の……)


 彼の、その畏怖と、そして新しい闘志に満ちた視線。


 私はそれに気づかないふりをして、ただ猛先輩と凛月さんの試合を、静かに観測し続けていた。



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